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このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


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第58話 誰のせいでもない


七月六日(月) 午後二時


麻衣は——病院のロビーにいた。




花を一束、持っていた。


白とラベンダー色の——小さな花束だった。


ライブの色を——意識したわけではなかった。


花屋で——自然に、その色を選んでいた。




エレベーターに乗った。


四階で——降りた。


産科病棟だった。




廊下を——歩いた。


静かな廊下だった。


病室の番号を——確認しながら、歩いた。




402号室。


ドアの前で——麻衣は、一瞬、止まった。


ノックした。




「……はい」




中村の声が——返ってきた。


少し、弱々しい声だった。


麻衣は——ドアを開けた。




中村は——ベッドに、横になっていた。


点滴が——腕に、つながれていた。


顔色が——少し、悪かった。


だが——目は、開いていた。




「……麻衣さん」




中村が——少し、驚いた顔をした。




「来てくれたんですね」




「はい」




麻衣は——花束を、サイドテーブルに置いた。


花瓶は無い。




「これ——置いておきますね」




「ありがとうございます」




中村は——少し、微笑んだ。


弱い笑顔だった。




麻衣は——ベッドの横にある椅子に、座った。




「……具合は、どうですか」




「……落ち着いています。今は」




中村は——お腹に——軽く、手を当てた。




「安静にしていれば——大丈夫だろうと、言われました」




麻衣は——その言葉を、受け取った。




「……よかったです」




「心配かけて——すみません」




「謝らなくていいです」




麻衣は——少し、首を振った。




「中村さんが——無事でいてくれることが、一番です」




中村は——少し、間を置いた。




「……係長から、聞きましたか」




「はい」




麻衣は——少し、頷いた。




「——すみませんでした」




「謝らなくていいです」




麻衣は——もう一度、言った。




「中村先輩のタイミングで——話そうとしていたんですよね」




中村は——頷いた。




「……ライブが終わったら——話そうと、決めていました」




「知っています。「今夜、話す」と——言っていました」




麻衣は——少し、微笑んだ。


中村も——少し、笑った。




「……そうですね」




少し、沈黙があった。




病室の窓から——午後の光が、差し込んでいた。




「……麻衣さん」




中村が——口を開いた。




「はい」




「気づいていましたよね。ずっと前から」




麻衣は——少し、考えた。




「……はい」




「いつ頃から」




「二週間ほど前です。中村さんの様子が——少し、いつもと違うと思っていました」




「わかりやすかったですか」




「……確認係なので」




麻衣は——少し、答えた。


中村は——笑った。




「確認係に——隠し事はできませんね」




「隠そうとしていたんですか」




「……隠そうとしていたわけでは、ないです。ただ——タイミングを、探していました」




「わかります」




麻衣は——頷いた。




「待つことしか——できませんでした」




「待っていてくれて——ありがとう」




中村は——少し、目を伏せた。




「ライブの夜——壁に手をついていたの、見ていましたよね」




麻衣は——少し、間を置いた。




「……見ていました」




「わかっていました。見られていることに——気づいていました」




「……何も、言えませんでした」




「それで——よかったんです」




中村は——麻衣を見た。




「あの瞬間に——何か言われていたら——私は、仕事を続けられなかったと思います」




麻衣は——その言葉を、受け取った。




「……無理を、させてしまいました」




「麻衣さんのせいじゃないです」




中村は——少し、強く言った。




「私が——無理をしました。誰のせいでもないです」




しばらく——二人は、黙っていた。


窓の外の——光が、ゆっくり動いていた。




「……お腹の子は」




中村が——口を開いた。




「四ヶ月です」




「……名前、もう考えていますか」




中村は——少し、笑った。




「まだです。性別も——わかっていません」




「そうですか」




「……無事に生まれてきてくれたら——それだけで、十分です」




麻衣は——頷いた。




「中村先輩は——どんな親になると思いますか」




中村は——少し、考えた。




「……わかりません。でも——」




「でも」




「子供の話を——ちゃんと聞ける親には——なりたいと思っています」




麻衣は——その言葉を、受け取った。




「……中村先輩らしいです」




「そうですか」




中村は——少し、微笑んだ。




「……麻衣さん」




中村が——また、口を開いた。




「仕事のことは——いいんです。今日は」




「わかっています」




「でも——一つだけ」




中村は——少し、間を置いた。




「ごめんなさい。みんなに——迷惑をかけてしまって」




麻衣は——少し、首を振った。




「迷惑じゃないです」




「でも——大事な時期に——」




「中村先輩」




麻衣は——少し、強く、言った。




「今は——休んでください。身体のことだけ、考えてください」




中村は——麻衣を見た。




「……はい」




小さく、答えた。




「仕事のことは——みんなで、なんとかします」




「……みんなって」




「藤原係長も。田中くんも。私も」




中村は——少し、目が揺れた。




「……ありがとうございます」




「お礼を言うのは——まだ早いです」




麻衣は——少し、笑った。




「先輩が——元気になってから、言ってください」




しばらく、話した後——


麻衣は——立ち上がった。




「そろそろ——帰ります。休んでください」




「来てくれて——ありがとうございました」




中村は——少し、頭を下げようとした。




「無理しないでください」




麻衣は——止めた。


中村は——少し、笑った。




「……わかりました」




麻衣は——花束を、もう一度見た。




「お花——綺麗に咲きますように」




「ありがとうございます」




麻衣は——ドアに向かった。


ドアの前で——振り返った。




「中村先輩」




「はい」




「……また、来ます」




中村は——頷いた。




「待っています」




麻衣は——ドアを開けて、出た。




廊下を——歩きながら——


麻衣は——少し、息を吐いた。




中村の——顔色が——


最初に見たときより——


少し良くなっていた気がした。


気のせいかもしれなかった。




だが——


そう思いたかった。




麻衣は——エレベーターに向かった。


歩きながら——


タブレットを取り出した。


開いた。


書こうとした。


少し、考えた。




それから——


書いた。




「中村先輩——お見舞いに行った。落ち着いていた。顔色も、少し良くなった気がする。」




書いた。




「迷惑をかけると謝られた。誰のせいでもないと、伝えた。」




書いた。




「仕事のことは——みんなでなんとかすると、伝えた。」




書いた。




最後に——一行。




「また、来る。」




書いた。




タブレットを——閉じた。


エレベーターに乗った。


病院を——出た。




七月六日の午後の——光が、麻衣を照らしていた。





つづく…




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

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