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このアイドル、どこかおかしい。一人だけ、笑っていない。  作者: Nagiousen


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第45話 もう一度、会いに行く

『虹の向こうへ』が終わった。


最後の音が——


横浜アリーナに広がって——


ゆっくりと消えた。




七人が——横一列に並んだ。




手を繋いでいた。


苺と空。


空と向日葵。


向日葵と若葉。


若葉と杏。


杏と莉恋。


莉恋と桃霞。




七色が——一列に並んでいた。


七人が——深く、一礼した。




一万七千人の声が来た。




「ありがとう!!!!」


「最高だった!!!!」


「ゆめいろシフォン!!!!!!」




声が重なった。


何重にも。


何百にも。


何千にも。




七人は顔を上げた。


だが——


誰もすぐには動かなかった。




一万七千人を見ていた。


この景色を見るために。


ここまで来た。




苺は——結成の日を思い出していた。


向日葵は——初めて立ったライブハウスを思い出していた。


空は——最初のレコーディングを思い出していた。


若葉は——何度も繰り返した練習を思い出していた。


杏は——七人で過ごした時間を思い出していた。


莉恋は——一万七千のラベンダーパープルを思い出していた。


桃霞は——七月一日を思い出していた。




全員が違う道を歩いてきた。


だが今。


見ている景色は同じだった。




桃霞は——客席を見た。




最前列の——あの一人が見えた。


ピーチピンクのペンライトを振っていた。


泣きながら。


笑いながら。


振っていた。




桃霞は——その姿を見た。


そして——笑った。


作らなかった。


考えなかった。


誰かに見せるためではなかった。


届けるためでもなかった。




ただ——嬉しかった。


だから笑った。




今夜一番自然な笑顔だった。




苺が——マイクを持った。




「今夜——ありがとうございました!!」




歓声。


拍手。


ペンライトの海が揺れた。




苺は客席を見渡した。


二階席。


三階席。


最後列。


全部を見た。




「最高の景色でした!!」




歓声が返ってきた。




苺は笑った。




「ゆめいろシフォンでした!!!!!!」




会場が揺れた。




「また——来てください」




それだけだった。


余分な言葉はなかった。


それだけで十分だった。




七人が——歩き始めた。


ステージ袖へ向かう。




歩きながら。


手を振る。


客席へ向かって。




莉恋が——最後に振り返った。


一秒だけ。


客席を見た。




ラベンダーパープルの光が揺れていた。


チェリーピンクの光も揺れていた。


どちらも——揺れていた。


どちらも——自分を見ていた。


どちらも——待っていてくれた。




莉恋は——小さく笑った。


全部を受け取った。


それから——暗がりの中へ消えた。




桃霞も——最後に振り返った。


ピーチピンクの海が見えた。


最前列の女の子が——まだ手を振っていた。




桃霞も。


小さく手を振った。




そして——


七人は袖の向こうへ消えた。




照明が落ちた。


ステージが暗くなった。


七人はいない。


誰もいない。




それでも——


誰も席を立たなかった。


帰ろうとする人はいなかった。


静寂があった。




三秒。


五秒。


七秒。




その時——




「アンコール!!!!!!」




誰かが叫んだ。


隣が続いた。


また隣が続いた。




「アンコール!!!!!!」




「アンコール!!!!!!」




手拍子が始まった。




パン。


パン。


パン。




リズムが生まれた。


一万七千人が手を叩く。




「アンコール!」




パン!




「アンコール!」




パン!




「アンコール!」




横浜アリーナ全体が——


その音で満たされた。




和田さくらは——


手を叩きながら泣いていた。


涙が止まらなかった。




「……来てよかった」




隣の人に言った。


隣の人も泣いていた。




「うん」




それだけ返ってきた。


それだけで十分だった。




さくらは——手を叩き続けた。


アンコールを続けた。




山田健一は——手を叩いていた。


腕を組んでいなかった。


今夜一度も組まなかった。


いつからだったか。


わからなかった。




「アンコール」




最初は小さな声だった。




「アンコール」




少し大きくなった。




「アンコール!!」




三回目は、普通に叫べた。




健一は——ライブへ何年も通ってきた。


後方席で見てきた。


静かに見てきた。




だが——


アンコールを叫んだのは。


今夜が初めてだった。




最前列の女の子は——


声が出なくなっていた。


叫びすぎて。


喉が枯れていた。




それでも。


手を叩いていた。




桃霞が——最後に笑ってくれた。


あの笑顔が、まだ胸の中にあった。


消えていなかった。


だから、手を叩き続けた。




「アンコール」




声は出なかった。


それでも。


心の中では叫んでいた。




もう一回。


もう一回だけ。


七人に会いたかった。




横浜アリーナは——


アンコールの声で満ちていた。




そして。


ステージの向こう側では——


七人が、その声を聞いていた。




七人が——バックステージに入った。


アンコールの手拍子が——壁越しに届いていた。


床が——振動していた。


一万七千人の手拍子が——


床を通じて、足の裏から来ていた。




苺は——


その振動を感じながら——


壁にもたれた。


深く息を吐いた。




「……ここまで来た」




小さく言った。




「終わった、じゃないの?」




向日葵が聞いた。




「違う」




苺は笑った。




「終わったは、後ろ向いてる」


「ここまで来たは、前向いてる」




向日葵は、少し考えた。




「……苺ちゃん、今夜すごくいいこと言う」




「今夜だけじゃない」




「いつもは、気づかないんだよ」




二人が笑った。




向日葵は笑いながらも——


落ち着いていなかった。


足が動いていた。


手も動いていた。


興奮が——まだ抜けていなかった。




「いやでもさ!」




突然言った。




「見た!?」




「何を」




「桃霞ちゃん!!」




「見たよ」




「かっこよすぎない!?」




「うん」




「五人だよ!?」




「うん」




「しかも歌ってだよ!?」




「私も同じステージにいたからね」




向日葵は——


まだ興奮していた。




今夜の出来事を。


まだ消化できていなかった。




空は——


壁に手をついていた。


目を閉じていた。


今夜の音が——


頭の中に残っていた。


一万七千人の声。


手拍子。




アンコール。




全部が——まだ聞こえていた。




「空ちゃん、大丈夫?」




向日葵が近づく。




「……大丈夫です」




「顔赤い」




「歌いすぎました」




「それ、大丈夫じゃない」




空は少し笑った。




「でも」




目を開く。




「まだ歌いたいです」




「え?」




「今夜の音が、まだ来ています」




空は手拍子の方を見た。




「届いている音を聞くと、もっと歌いたくなるんです」




向日葵は少し黙った。




「……空ちゃんらしい」




「そうですか」




「うん。顔真っ赤なのに嬉しそう」




空は頷いた。




「嬉しいので」




若葉は——


静かに立っていた。


メモ帳を持っていた。




今夜。


分析しないつもりだった。


だが。


結局——分析していた。


癖だった。




乱入。


歓声。


沈黙。


熱狂。


アンコール。




全部を整理しようとした。




だが。


途中で止まった。


数字にならなかった。


言語化できなかった。


若葉は小さく息を吐いた。




(珍しい)




分析できない。


それが今夜だった。




そして。


不思議と嫌ではなかった。




杏は——


スタッフから水を受け取った。


一口飲む。




匂いを確認する。




汗。


衣装。


照明。


機材。


熱気。




全部が混ざっていた。


今夜という日の匂いだった。




杏は静かに目を閉じた。


そして気づく。


一番強く残っている匂いがあった。




ピーチピンクだった。


桃霞だった。




今夜。


会場の空気を変えた匂い。


一万七千人の熱量を変えた匂い。




杏は小さく笑った。




(忘れない)




それだけ思った。




莉恋は——


アンコール衣装の前に、立っていた。




だが。


着替えていなかった。


視線は——


桃霞へ向いていた。




客席の方を見ている。


まだ受け止め切れていない顔だった。




莉恋は小さく笑った。




七月一日。




「届かない笑顔で、一万七千人の前に立つな」




そう言った。




あの日の桃霞は。


届くことを知らなかった。




今は違う。


乱入者が来ても。


歌った。


踊った。


届け続けた。




客席を見ていた。


ずっと。




莉恋は小さく呟いた。




「だから言ったでしょ」




誰にも聞こえない声だった。




「届くって」




そして。


アンコール衣装を、手に取った。




桃霞は——


ステージ袖の端に立っていた。


客席の方を向いていた。




アンコール。




アンコール。




アンコール。




一万七千人の声が来ていた。




ただ、聞いていた。


受け取っていた。




麻衣が近づいてくる。




「桃霞さん」




「はい」




「体の状態、確認します」




「問題ありません」




「怪我は」




「ありません」




「疲労は」




「あります」




麻衣は少し笑った。




「正直で助かります」




タブレットを開く。




「アンコール、出られますか」




桃霞は答えた。




「出ます」




「理由は」




少しだけ考えた。


そして。


客席の方を見たまま言った。




「待っていて、くれているので」




麻衣は——


桃霞を見た。




タブレットを開いた。


書いた。




『乱入後、最初に見たのは客席。最後に見ているのも客席。』




それだけ書いた。


今夜の桃霞を説明するには。


それで十分だった。




桃霞は目を閉じた。


アンコールの手拍子が聞こえた。


一万七千人が待っていた。


それだけだった。


それだけで——前に進けた。




ステージの向こうで。


アンコールの声が——さらに大きくなった。





つづく---




▼登場人物のイラストをpixivで公開中


https://www.pixiv.net/artworks/144793121

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