第43話 七人目の色
坂本が飛び出した瞬間——
苺は見ていた。
歌いながら。
踊りながら。
ステージ中央を。
坂本が桃霞へ向かう。
一直線だった。
客席から悲鳴が上がる。
だが——
苺はフォーメーションを崩さなかった。
♪ キミが見てる世界を——♪
歌う。
踊る。
視線だけが桃霞を追っていた。
次の瞬間。
坂本が宙を舞った。
苺は少しだけ笑った。
予想通りだった。
(まあ、そうなるよね)
今さら驚かなかった。
驚いているのは、客席だけだった。
向日葵は違った。
♪ ピーチピンク!♪
歌いながら。
目が輝いていた。
(二人目行った!!)
内心では、大興奮だった。
(かっけえええええ!!)
危機感より先に、尊敬が来ていた。
だが。
顔には出さない。
プロだからだ。
笑顔で踊る。
全力で踊る。
空は歌っていた。
耳は別の音を拾っていた。
男が倒れる音。
歓声が変化する音。
観客の空気が変わる音。
空はわかっていた。
今——
一万七千人の認識が変わっている。
桃霞という存在への認識が。
だから空は声量を落とさない。
歌う。
届ける。
桃霞が作っている奇跡を。
曲として完成させるために。
若葉は踊りながら数えていた。
一人。
二人。
三人。
制圧済み。
四人。
五人。
終了。
(十五秒)
心の中だけで計測した。
その数字を出した瞬間。
若葉は思った。
(速い)
そして。
もう一つ思った。
(客席の反応の方が面白い)
悲鳴。
困惑。
沈黙。
歓声。
感情が一万七千人単位で、変化していた。
若葉はそれを見ていた。
ライブよりも、そちらの変化を。
杏は客席を見ていた。
匂いが変わっていた。
恐怖の匂い。
緊張の匂い。
混乱の匂い。
そして——
熱狂の匂い。
男が倒れるたび、匂いが変わる。
五人目が倒れた瞬間、完全に変わった。
杏は少し笑った。
(ああ)
(伝説になる匂いだ)
莉恋は——驚かなかった。
桃霞が強いことは、最初から知っていた。
だから見ていたのは、倒れていく乱入者ではない。
桃霞だった。
歌っている。
踊っている。
笑っている。
そして——客席を見ている。
乱入者ではなく。
最前列のピーチピンクのペンライトを見ていた。
莉恋は思い出した。
「届かない笑顔で、一万七千人の前に立つな」
そう言った日の桃霞を。
今の桃霞は違った。
どんな状況でも、歌を止めない。
踊りを止めない。
届けることを止めない。
長谷川が倒れた瞬間も。
桃霞は客席を見ていた。
莉恋は小さく笑う。
(もう大丈夫だね)
桃霞は戦っているのではない。
届け続けている。
莉恋には、それが誰よりもわかっていた。
そして——
バックステージ。
麻衣は凍っていた。
「いやいやいやいや」
小さく漏れた。
タブレットを持ったまま。
固まっていた。
演出だ。
知っている。
知っているのに。
毎回心臓に悪かった。
坂本が飛ぶ。
「うわ」
田村が倒れる。
「うわあ」
西田。
「早い」
高橋。
「早すぎる」
長谷川。
ドン。
麻衣は額を押さえた。
「だから言ったじゃん……」
事前リハーサル。
桃霞は言った。
「本番は、少し手加減します」
全員が安心した。
今、誰も安心していなかった。
「どこが手加減……」
隣にいたスタッフが呟いた。
別のスタッフが答える。
「手加減してるんです」
「え?」
「本当にしてるんです」
沈黙。
その瞬間。
ステージから歓声が爆発した。
「桃霞ーーーーーー!!!!!!」
横浜アリーナが揺れた。
麻衣はステージを見た。
スポットライトの中心。
桃霞が歌っていた。
笑っていた。
何事もなかったように。
その姿を見ながら。
麻衣は思った。
(また一つ、伝説が増えた)
そしてタブレットを開き、一行だけ入力した。
「十一曲目——桃霞、完全認知」
それだけを書いて。
再びステージへ視線を戻した。
田中は——
配信モニターを見ていた。
コメント欄が流れていた。
『ピーチピンク・シンドローム』開始。
視聴者数は上昇中。
想定通りだった。
その時——
画面の端で、男たちが走り始めた。
コメントが爆発する。
> え?
> 何?
> 本物?
> スタッフ!!
田中は本音では、少し不安だった。
演出だと知っている。
知っているが、生放送だった。
失敗は許されない。
男たちは走る。
客席は悲鳴。
画面が揺れる。
その中心で——
桃霞は歌っていた。
田中は思わず、モニターへ身を乗り出した。
坂本が飛び込む。
次の瞬間。
転がった。
コメント欄が止まった。
本当に止まった。
一秒。
二秒。
三秒。
誰も書き込まない。
そして——
> 待て
> 何今の
> え?
> 強すぎる
コメントが再び動き始めた。
田中は小さく笑った。
演出は成功した。
それがわかった。
だが。
成功より先に思った。
「……すげえな」
スタッフではなく。
ファンとして。
そう思った。
中村は——
演出卓にいた。
男たちが動いた瞬間。
即座に指示を飛ばす。
「照明そのまま!」
「カメラ三番、桃霞固定!」
「警備動線B!」
「音響現状維持!」
返答が次々に返る。
中村の仕事は、ライブを止めないことだった。
何が起きても。
前へ進めることだった。
男たちがステージへ向かう。
桃霞が前へ出る。
中村はモニターを見た。
そして気付く。
桃霞の歩幅が、変わっていない。
呼吸も変わっていない。
テンポも変わっていない。
振付の流れの中にいる。
乱入者がいるのに。
曲の中にいる。
中村は思わず呟いた。
「本当にやるの……」
坂本が倒れる。
田村が倒れる。
西田が倒れる。
高橋が倒れる。
長谷川が倒れる。
全てが十五秒。
中村は演出家だった。
だからわかった。
凄いのは制圧ではない。
曲が壊れていないことだった。
フォーメーションが崩れていない。
テンポも崩れていない。
観客の視線まで、全部ステージ中央へ誘導している。
「……すごいわ」
中村は息を吐いた。
そして即座に戻る。
「次のカメラ切り替え準備!」
「警備退場確認!」
「イントロ音量、タイミング合わせて!」
仕事は続いていた。
ライブは続いていた。
係長は——
バックステージ中央に立っていた。
腕を組んでいた。
全体を見ていた。
演出。
警備。
配信。
観客。
メンバー。
全てを。
男たちが動く。
警備が動く。
演出が動く。
スタッフが動く。
係長だけは動かなかった。
責任者だからだった。
十五秒。
全てが終わった。
警備員が男たちを確保する。
怪我人なし。
観客パニックなし。
演出成功。
数字だけなら満点だった。
だが。
係長が見ていたのは、
別のことだった。
桃霞だった。
桃霞は歌いながら、センターへ戻る。
係長はそこで初めて息を吐いた。
予想以上だった。
それだけだった。
だが。
その一言が重かった。
係長はインカムを取る。
「全班確認」
返答が返る。
問題なし。
異常なし。
ライブ継続可能。
係長は頷いた。
そして、一万七千人の歓声を聞いた。
「桃霞ーーーーーー!!」
横浜アリーナが揺れていた。
係長はステージを見た。
ブロッサムピンクが、中央に立っていた。
そして静かに思った。
(今日——七人目が、本当に認められたな)
その確認だけで十分だった。
ライブはまだ続く。
ゆめいろシフォンの新しい物語は——
今、確かに始まっていた。
つづく…
▼登場人物のイラストをpixivで公開中
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