第42話 乱入者五名、全員制圧
その頃——
横浜アリーナのステージ袖では——
七人が円陣を組んでいた。
苺。
向日葵。
空。
若葉。
杏。
莉恋。
桃霞。
誰も言葉を発しない。
ただ、
重ねた手に力が入る。
その向こうには、
一万七千人の光が待っていた。
そして誰も知らなかった。
今——
その光へ向かって、
五人の男たちが、歩いていることを。
『Colorful Promise』が終わった。
歓声が続いていた。
ラベンダーパープルの余韻が、まだ会場を包んでいた。
そこへ——
新しいイントロが流れ始める。
『ピーチピンク・シンドローム』
センター。
桃霞。
ブロッサムピンクの衣装。
胸元には七色の宝石。
客席は、ピーチピンクで埋まっていた。
イントロ開始から三十秒。
アリーナ後方。
非常通路。
五人の男が動いた。
長谷川。
坂本。
田村。
西田。
高橋。
警備員が叫ぶ。
「止まれ!!」
無視した。
走る。
客席から悲鳴が上がった。
「え?」
「なに?」
五人はステージへ向かう。
坂本は笑っていた。
(百万円)
それしか考えていなかった。
田村も同じだった。
(一発十万)
桃霞が見えていた。
小柄だった。
細かった。
だから——
勝てると思っていた。
長谷川だけは違った。
走りながら観察していた。
演出だと気づいた観客は、まだ少なかった。
男たちは、客席通路を駆け抜ける。
悲鳴が上がる。
「危ない!」
「誰!?」
「本物!?」
だが——
ステージ上の七人は誰一人、歌を止めなかった。
苺が踊る。
向日葵が笑う。
空が歌う。
若葉がターンする。
杏が手を振る。
莉恋がフォーメーションを維持する。
誰も逃げない。
誰も慌てない。
むしろ、振付通りに動いていた。
客席の何人かが、気付き始める。
「あれ?」
「メンバー普通じゃない?」
「逃げない……?」
男たちは気付かなかった。
坂本が先頭だった。
ステージへ飛び乗る。
桃霞へ向かう。
一直線だった。
桃霞は歌っていた。
♪ キミが見てる世界を——
笑顔だった。
坂本が迫る。
観客が息を呑む。
坂本が突っ込む。
三十二歳。
元警備員。
身長百八十三センチ。
体重九十キロ。
女のアイドルなど——怖くなかった。
むしろ。
簡単な仕事だと思っていた。
一発当てれば十万円。
運が良ければ百万。
それだけだった。
(終わりだ)
坂本は腕を伸ばした。
桃霞の肩を掴もうとした。
その瞬間。
桃霞が回転した。
スカートが広がる。
ピンク色のシフォンが舞う。
坂本の腕が——空を切った。
重心が消えた。
「は?」
次の瞬間。
視界がひっくり返った。
床が迫る。
ドン。
背中に衝撃。
息が詰まる。
何が起きたか分からなかった。
桃霞は——歌っていた。
♪ ピーチピンク・シンドローム——♪
何事もなかったように。
田村は目を見開いた。
(二万の仕事じゃねえぞ)
そう思った。
だが——もう遅かった。
二人目として飛び込んでいた。
坂本が転がっている。
それでも信じられなかった。
偶然だと思った。
運が悪かっただけだと思った。
桃霞は細い。
軽い。
アイドルだった。
負ける理由がなかった。
田村は踏み込む。
拳を振る。
当たる。
そう思った。
だが。
桃霞が一歩ずれた。
たった半歩。
それだけだった。
拳が空を切る。
足元が消える。
「あ?」
次の瞬間。
世界が横になった。
床。
天井。
照明。
全部が回った。
転倒。
肺の空気が抜けた。
声が出なかった。
客席は歓声を上げている。
だが。
田村には聞こえなかった。
頭の中が真っ白だった。
長谷川は動かなかった。
まだ。
見ていた。
四十一歳。
地下格闘技経験者。
人が倒れる瞬間を、何百回も見てきた。
だからわかった。
一人目。
偶然じゃない。
二人目。
もっと違う。
(何だ今の)
長谷川の目が細くなる。
桃霞は歌っていた。
踊っていた。
笑っていた。
息も乱れていない。
普通ではない。
三人目が飛ぶ。
四人目が転ぶ。
歓声が上がる。
照明が踊る。
曲は続く。
アイドルライブだった。
なのに。
長谷川だけが。
別のものを見ていた。
(技術だ)
そう気付いた。
偶然ではない。
身体能力でもない。
技術だった。
積み上げた技術。
反復した技術。
実戦を知る技術。
(誰だ、こいつ)
依頼資料には書いてなかった。
新人アイドル。
それだけだった。
違う。
長谷川は理解し始める。
近づけば近づくほど。
理解してしまう。
(俺たちが相手しているのは)
アイドルじゃない。
サビが来る。
照明が爆発する。
♪ ピーチピンク!
♪ ピーチピンク!
♪ キミの心へ——!
長谷川が動く。
最後だった。
経験者として。
一番強い自負があった。
百万を取るなら、自分だと思っていた。
正面から行く。
小細工はしない。
桃霞が見えた。
笑っている。
歌っている。
踊っている。
その目を見た。
長谷川は一瞬だけ凍った。
そこに恐怖がなかった。
焦りもなかった。
怒りもなかった。
ただ自然だった。
まるで。
呼吸するように。
そこに立っていた。
(なんなんだ、お前)
長谷川が踏み込む。
桃霞も踏み込む。
一瞬。
視界から消えた。
「っ!?」
腕を取られる。
重心が崩れる。
世界が回る。
照明が流れる。
歓声が遠ざかる。
そして。
ドン。
ステージへ転がった。
長谷川は天井を見た。
動けなかった。
桃霞は中央に立っていた。
歌っていた。
笑っていた。
まるで何もなかったように。
長谷川は初めて思った。
(依頼主——)
(相手を間違えたな)
客席。
最初の悲鳴は——本物だった。
「危ない!!」
「スタッフ!!」
「逃げて!!」
誰も演出だと思っていなかった。
男たちが走っていた。
警備員が追っていた。
それは明らかに異常事態だった。
最前列の女の子も——凍り付いていた。
ペンライトを握ったまま。
桃霞を見ていた。
「桃霞ちゃん——!!」
声が出た。
逃げてほしかった。
下がってほしかった。
危険だと思った。
当然だった。
アイドルなのだから。
だが——
桃霞は歌っていた。
笑っていた。
踊っていた。
いつも通りに。
まるで何も起きていないように。
坂本が飛び込む。
次の瞬間——
転がった。
客席が静まる。
「え?」
誰かが言った。
田村が飛び込む。
また転がる。
「……え?」
今度は別の場所から聞こえた。
客席の反応が変わり始める。
悲鳴ではなかった。
困惑だった。
理解できないものを見た時の声だった。
三人目。
四人目。
五人目。
次々と倒れる。
そのたびに——
桃霞は歌っていた。
♪ ピーチピンク・シンドローム——♪
声が乱れない。
呼吸も乱れない。
笑顔も崩れない。
二階席。
大学生の男が思わず言った。
「いや待て」
隣の友人も頷いた。
「待て待て待て」
「何あれ」
「アイドルじゃないだろ」
三階席。
女性ファンが口元を押さえた。
「嘘でしょ……」
目が離せなかった。
怖いのではない。
凄すぎて。
理解が追いつかなかった。
最前列。
ピーチピンクのペンライトを持つ女の子は——
もう悲鳴を上げていなかった。
ただ見ていた。
桃霞を。
ステージの中央を。
歌いながら。
笑いながら。
乱入者を制圧する少女を。
「かっこいい……」
声が漏れた。
無意識だった。
気付いたら言っていた。
五人目。
長谷川が倒れる。
完全に静寂が訪れた。
一万七千人が——
言葉を失った。
そして。
桃霞が歌った。
♪ キミの心へ——♪
最後のフレーズだった。
何事もなかったように。
ステージ中央で。
アイドルとして。
その瞬間。
誰かが叫んだ。
「桃霞ーーーーーー!!!!!!」
一人だった。
だが。
次の瞬間。
十人になった。
百人になった。
千人になった。
そして——
一万七千人になった。
「桃霞ーーーーーー!!!!!!」
「桃霞!!!!!!」
「かっけえええええ!!!!!!」
「なんだ今の!!!!!!」
「最強じゃねえか!!!!!!」
歓声が爆発した。
さっきまでの恐怖が。
驚愕になり。
驚愕が、狂へ変わった。
最前列の女の子は——
泣いていた。
ペンライトを振っていた。
笑いながら。
泣きながら。
叫んでいた。
「桃霞ちゃーーーーーーん!!!!!!」
その瞬間。
横浜アリーナの一万七千人が——
初めて知った。
桃霞は。
ただの新メンバーではない。
ただのアイドルでもない。
ゆめいろシフォン七人目の色。
ピーチピンク。
その正体を。
つづく…
▼登場人物のイラストをpixivで公開中
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