第40話 最初の一人
ラベンダーパープルの光の中で——
莉恋が、涙を流していた。
一万七千人が——
ラベンダーパープルのペンライトを掲げていた。
静寂があった。
誰も叫ばなかった。
誰も急がなかった。
チェリーピンクが終わり、
ラベンダーパープルが始まった。
その境界線が——
今、この場所にあった。
そして——
音が来た。
低いベースだった。
胸の奥を震わせるような音だった。
続いて——ピアノが鳴った。
一音。
また一音。
七つの音が、夜空に散る星のように広がった。
誰も聴いたことがない旋律だった。
新曲だった。
ゆめいろシフォンのライブで——
初めて鳴る曲だった。
客席がざわめく。
「新曲だ——」
「聴いたことない」
「何このイントロ」
「かっこいい……」
可愛い曲ではなかった。
王道アイドル曲とも違った。
七人の歩いてきた道を、
そのまま音にしたような曲だった。
タイトルは——
『セブンスカラー』
七色が、
一つになる曲だった。
イントロが広がる。
空気が変わる。
そして——
七人が動き出した。
莉恋は涙を拭わなかった。
拭う時間がなかった。
イントロが始まった瞬間——
体が動いていた。
ラベンダーパープルのシフォンが揺れる。
背中から流れる布が、
光を受けて夜風のように流れた。
涙はまだ頬にあった。
だが——
足は止まらなかった。
踊った。
一万七千人のラベンダーパープルを見ながら。
胸の奥に、
チェリーピンクがいた。
消えていなかった。
消す必要もなかった。
一年間が、
そのまま自分の中にいた。
その上に——
ラベンダーパープルがあった。
重さがあった。
責任があった。
新しい挑戦があった。
だが——
怖くなかった。
一万七千本の光が、
それを肯定していた。
涙がまた溢れた。
それでも笑った。
崩れた笑顔のまま——
前を向いた。
苺は莉恋の隣で踊っていた。
ロイヤルベリーレッドのマントが揺れる。
照明を受けるたび、
深紅の刺繍が光った。
苺は見た。
深夜スタジオを思い出した。
「ラベンダーパープルに、なれないかもしれない」
そう言っていた莉恋を。
泣きながら。
苦しそうに。
立ち止まりそうになりながら。
その背中を。
今——
一万七千人の前で踊っている。
ラベンダーパープルになって。
涙を流しながら。
前へ進んでいる。
苺は笑った。
(大丈夫だった)
それだけ思った。
隣にいる。
今は、それで十分だった。
苺のダンスが、
一段階大きくなる。
リーダーとして。
仲間として。
莉恋の隣で——
全力で踊った。
向日葵は爆発していた。
サンライトイエローのリボンが跳ねる。
フリルが舞う。
笑顔が弾ける。
この曲は新曲だった。
だが——
向日葵は迷わなかった。
新しい曲だからこそ、
新しい全力をぶつけられた。
客席の中。
いつもの場所。
何度も見てきた顔があった。
向日葵はそこへ向けて跳んだ。
届けた。
全力で。
歓声が返ってきた。
その歓声が、
さらに向日葵を走らせた。
空は歌っていた。
スカイブルーのシフォンが流れる。
声が伸びる。
横浜アリーナの天井へ。
二階席へ。
三階席へ。
一万七千人へ。
届いていた。
それがわかった。
スタジオでは分からなかった感覚。
今夜はわかった。
歌うたびに返ってくる。
その反応が。
その熱が。
空は、少しだけ笑った。
そして——
もっと遠くへ声を飛ばした。
若葉は分析しなかった。
今夜だけは。
データにしないと決めていた。
一万七千人の光。
七人の動き。
ラベンダーパープルの波。
全部を見た。
記録ではなく。
記憶として。
脳裏へ焼き付けた。
莉恋を見る。
涙を流しながら踊っている。
その姿を見て——
「届いている」
という感覚だけが残った。
若葉はそれを、
そのまま受け取った。
杏は会場の空気を感じていた。
アプリコットオレンジのスカートが、花びらのように広がる。
『セブンスカラー』が始まった瞬間。
空気が変わった。
匂いが変わった。
始まりの匂いだった。
新しい季節の匂いだった。
莉恋を見る。
ラベンダーパープルの衣装が揺れる。
チェリーピンクとは違う。
でも——
莉恋だった。
杏は安心した。
そして思った。
(終わったんじゃない)
(始まったんだ)
桃霞は踊っていた。
ブロッサムピンクの衣装が揺れる。
胸元の七色の宝石が、
照明を受けて光った。
赤。
黄。
青。
緑。
橙。
紫。
そして——桃色。
七色だった。
桃霞は踊りながら、
六人を見た。
苺。
向日葵。
空。
若葉。
杏。
莉恋。
それぞれ違う。
踊り方も。
笑い方も。
届け方も。
全部違う。
なのに——
今は一つの曲になっていた。
『セブンスカラー』
七色だから綺麗なのではない。
違う色だから綺麗なのだと——
桃霞は少しだけわかった。
桃霞は——踊りながら、
客席を見ていた。
一万七千人を——見ていた。
探していた。
一人を。
一万七千人の中の——
たった一人を。
なぜ探しているのか——
自分でもわからなかった。
ただ——探していた。
そして——見つけた。
最前列。
ピーチピンクのペンライト。
その光を振る——一人の女の子。
泣いていた。
顔は涙で、ぐしゃぐしゃだった。
それなのに——笑っていた。
必死に。
両腕で。
桃霞へ向けて——
ペンライトを振っていた。
その姿が——
桃霞の目に入った。
ただ、それだけだった。
名前も知らない。
どこから来たのかも知らない。
何歳なのかも知らない。
何も知らなかった。
それなのに——
胸の奥が痛くなった。
うずきとは違う。
もっと強い何かが——
心臓の近くを掴んだ。
女の子は——
ずっと桃霞を見ていた。
まっすぐに。
他の誰でもなく——
桃霞を見ていた。
その瞬間。
桃霞は理解した。
理解というより——
感じた。
ああ。
この人は——
私を見に来てくれたんだ。
その事実が——
胸の奥に落ちた。
うずきが——
今夜最大になった。
笑顔が崩れた。
作った笑顔ではなかった。
角度を考えた笑顔でもなかった。
完璧ではなかった。
アイドルとして正解かどうかも——
わからなかった。
それでも——
自然に出た。
その一人へ向かって。
桃霞は——笑った。
最前列。
女の子は——その笑顔を見た。
一瞬だった。
ほんの一瞬だった。
だが——わかった。
今までとは違った。
完璧な笑顔ではなかった。
少し崩れていた。
少し泣きそうだった。
だけど——
まっすぐだった。
自分へ向かってきた。
そう感じた。
女の子の目から——
また涙が溢れた。
ペンライトが大きく揺れた。
「桃霞ちゃん!!!!!!」
声が出た。
叫んでいた。
何を言ったのか——
自分でもわからなかった。
ただ——叫ばずにはいられなかった。
桃霞には——
その声は聞こえなかった。
歓声の中に溶けていた。
だが——
見えた。
ペンライトが揺れていた。
涙が見えた。
笑顔が見えた。
そして——
自分の胸の奥で、起きた変化がわかった。
今まで探していたものが——
そこにあった。
まだ言葉にはできない。
まだ説明もできない。
それでも——
確かにあった。
一万七千人を見ていたはずなのに。
今見えているのは——
たった一人だった。
その一人へ届けたい。
その衝動が——
体を動かしていた。
莉恋は——踊りながら見ていた。
桃霞を。
最前列の女の子を。
その間に生まれた——
ほんの一瞬の出来事を。
桃霞の笑顔が崩れた。
作った笑顔ではない。
届こうとしている笑顔だった。
届かせようとしている笑顔だった。
莉恋の目から——
また涙が溢れた。
今度は——別の涙だった。
チェリーピンクとの別れではない。
ラベンダーパープルになった涙でもない。
届いた——という涙だった。
深夜のスタジオを思い出した。
鏡の前。
桃霞は笑えていなかった。
笑顔を作っていた。
届いていなかった。
莉恋は言った。
「そのままじゃダメ」
厳しかったと思う。
傷つけたかもしれない。
それでも——言った。
「届かない笑顔で、一万七千人の前に立つな」
あの日。
桃霞は何も言わなかった。
ただ——悔しそうな顔をしていた。
そして今——
届いていた。
たった一人に。
確かに届いていた。
一万七千人に届く前に。
まず一人に届いていた。
それで十分だった。
十分すぎた。
莉恋は涙を流しながら——踊った。
ラベンダーパープルのシフォンが揺れる。
チェリーピンクを内包したまま。
新しい色になったまま。
そして——
桃霞の最初の「届いた瞬間」を、
誰より近くで見届けながら。
つづく…
▼登場人物のイラストをpixivで公開中
https://www.pixiv.net/artworks/144793121




