第37話 もっと、届けたくなった
三曲目――『君とシフォン日和』が終わった。
最後のポーズで七人が止まる。
照明が七色に変わった。
歓声が――爆発した。
「うおおおおおおおおお!!!!!」
「苺ーーー!!!!!」
「空ちゃーーん!!!!!」
「莉恋ちゃーーーん!!!!!」
「桃霞ーーーーー!!!!!」
一万七千人の声だった。
床が震えた。
空気が震えた。
七人の衣装のシフォンが――歓声の振動で微かに揺れた。
苺は息を整えながら前へ出た。
深いベリーレッドの衣装。
胸元の大きなリボン。
黒レースが少しだけ入ったリーダー仕様。
汗で前髪が少し張り付いていた。
それでも笑っていた。
「横浜アリーナーーー!!!」
歓声。
「本当に来ました、ありがとうございます!!!」
「七人の——ゆめいろシフォンです!」
歓声が返ってきた。
「やったーーーー!!!」
「待ってたぞーーーー!!!」
ペンライトが——全色、一斉に上がった。
七色が——空中に向かって、上がった。
苺は笑った。
その笑顔は少し崩れていた。
だが――その崩れた笑顔が、一番届いていた。
「すごいね」
苺が振り返った。
「みんな、見えてる?」
向日葵が前へ出た。
レモンイエローの衣装。
大きなリボンが揺れる。
フリルが跳ねる。
本人と同じくらい元気な衣装だった。
「見えてるーーー!!!」
歓声。
「後ろまで見えてるよーーー!!!」
さらに歓声。
「二階席ーーー!!!」
歓声。
「三階席ーーー!!!」
歓声。
「すごーーーい!!!」
向日葵が本気で驚いていた。
客席が笑った。
「本当にいるーーー!!!」
さらに笑いが起きた。
「当たり前だろーーー!!!」
向日葵は照れ笑いした。
「だって思ったより、多いんだもん!」
会場が温まった。
空がマイクを持った。
ソーダブルーの衣装。
透明感のあるシフォンが照明を受けて淡く光る。
まるで音そのものを纏っているようだった。
「……想像より」
少し間を置く。
「音が大きいです」
歓声。
「ありがとうございます」
短い言葉だった。
だが空らしかった。
若葉が前へ出た。
ミントグリーン。
他の衣装より少し直線的なデザイン。
知的な印象を残している。
「一万七千人の歓声は」
若葉は客席を見た。
「計算より大きかったです」
爆笑。
「また分析してるー!」
「若葉ちゃーーん!」
若葉は少しだけ笑った。
「今日は分析しない予定だったんですけど」
笑い。
「無理でした」
さらに笑い。
杏が前へ出た。
マンゴーオレンジ。
重なるシフォンが、柔らかな輪郭を作っている。
暖かい色だった。
杏は客席を見た。
「良い匂いがします」
爆笑。
「始まったぞ杏ちゃん!」
「通常運転だ!」
杏は真面目な顔だった。
「期待の匂いがします」
歓声。
「あと少し、泣いてる匂いもします」
客席がさらに笑った。
「まだ三曲だよ!?」
と向日葵が突っ込んだ。
莉恋が前へ出た。
チェリーピンクの衣装。
だが、頭と胸元のリボンは、ラベンダーパープル。
袖口にも細いラベンダーのレース。
チェリーピンクとラベンダーパープル。
二つの色が同居していた。
歓声が一段階大きくなった。
「莉恋ちゃーーーん!!!!!」
「莉恋ちゃん!! ラベンダーパープルはーーー!?」
客席が少し笑った。
あちこちから同じ声が飛ぶ。
「そうだーーー!!!」
「ラベンダーはーーー!?」
「見せてーーー!!!」
莉恋は、一瞬だけ目を丸くした。
そして笑った。
「早いです」
爆笑。
「まだ早いです」
さらに笑い。
「今は、チェリーピンクです」
歓声。
「でも」
少しだけ声を柔らかくした。
「ラベンダーパープルも、ちゃんと持っています」
会場が沸いた。
「おおおおおおお!!!」
「待ってるぞーーー!!!」
「ラベンダーーー!!!」
莉恋は客席を見た。
ラベンダーパープルのペンライトが、確かに見えた。
まだ少ない。
チェリーピンクよりずっと少ない。
それでも、そこにあった。
「見えてます」
歓声。
「ちゃんと、見えてます」
その言葉だけだった。
だが、
ラベンダーパープルを持っていたファンには、十分だった。
そして――
苺が振り返った。
「最後は、新メンバー」
歓声。
「桃霞ーーー!!!」
ピーチピンクの光が揺れた。
桃霞は前へ出た。
他の六人より装飾が少ない衣装。
リボンも小さい。
フリルも控えめ。
未完成を表すデザイン。
だが――
そのピーチピンクは、
照明の中で確かに輝いていた。
歓声が来た。
「桃霞ちゃーーーん!!!」
「かわいいーーー!!!」
「頑張れーーー!!!」
桃霞は客席を見た。
一万七千人を見た。
ピーチピンクを見た。
深く息を吸った。
「……本当に」
少し止まる。
「来てくれたのですね」
客席が少し笑った。
桃霞は続けた。
「こんなにたくさんの人が、本当に同じ場所にいるんだなって」
歓声が少し落ち着いた。
誰も次を急かさなかった。
「それが――不思議です」
一万七千人が聞いていた。
「一万七千人って数字は、知っていました」
桃霞は客席を見た。
「でも今見えているのは、数字じゃなくて」
ピーチピンク。
チェリーピンク。
ラベンダーパープル。
レモンイエロー。
ソーダブルー。
ミントグリーン。
マンゴーオレンジ。
揺れる光。
「本当に、一人一人いるんですね」
歓声が上がった。
「いるぞーーー!!!」
「ここにいるーーー!!!」
「桃霞ちゃーーーん!!!」
桃霞は少しだけ笑った。
完璧な笑顔ではなかった。
だが――
その笑顔は確かに届いていた。
苺が隣に立った。
「どう?」
桃霞は客席を見た。
そして小さく答えた。
「……もっと、届けたくなりました」
その言葉に、
横浜アリーナが大きく揺れた。
『きらきらシュガーノート』
イントロが弾けた。
向日葵の曲だった。
誰が決めたわけでもない。
だが——この曲は向日葵のものだった。
跳ねる。
駆ける。
止まらない。
向日葵が——爆発した。
ステージ袖で抑え込んでいた熱量が、
そのまま解放されていた。
一万七千人へ。
全力で。
恐怖はもうなかった。
届けたい。
その衝動だけがあった。
客席が反応した。
「向日葵ちゃん!!!!!」
「最高!!!!!!」
「元気もらえる!!!!」
向日葵は笑った。
声を聞いた瞬間、
もっと届けたくなった。
その連鎖が止まらなかった。
空は——音を聴いていた。
自分の声が、
一万七千人の中へ飛んでいく。
吸い込まれない。
埋もれない。
届いている。
それがわかった。
スタジオではわからなかったことが、
今夜はわかった。
声を出すたび。
歓声が返る。
その往復が、
確かに存在していた。
空の肩から、
少しだけ力が抜けた。
桃霞は踊っていた。
正確だった。
ミスはない。
ポジションも。
タイミングも。
完璧だった。
だが——
向日葵と違った。
空とも違った。
二人には、
何かがあった。
まだ名前のわからない何かが。
桃霞はそれを見ていた。
見ながら踊っていた。
焦りはなかった。
ただ——知りたかった。
自分に足りないものを。
その感覚だけが、
胸の奥に残っていた。
バックステージ。
音響スタッフがモニターを見ていた。
七人の足音。
床マイクが拾った波形。
六人分は映っていた。
だが——
一箇所だけ。
空白だった。
スタッフが眉をひそめる。
「……まただ」
隣のスタッフが画面を見る。
桃霞の位置だった。
ステージ上では確かに踊っている。
飛んでいる。
着地している。
だが。
波形だけが存在しない。
「不思議だな」
誰かが呟いた。
「いるのに——残らない」
二人はモニターを見続けた。
麻衣はその報告を聞いていた。
驚かなかった。
桃霞の資料を読んだときから、
足音の話は知っていた。
だが——
数字にならない現象を、
実際に耳にすると。
少しだけ現実味が変わった。
麻衣はタブレットを開く。
書いた。
四曲目。
音響モニター確認。
桃霞の足音波形なし。
存在は確認できる。
記録だけが残らない。
それだけ書いて閉じた。
説明はいらなかった。
それが事実だった。
『君まで1センチ』のイントロが流れた。
恋愛曲だった。
甘い曲だった。
距離を縮める曲だった。
莉恋が——輝いていた。
この曲は、
莉恋のためにあるような曲だった。
チェリーピンクの衣装。
チェリーピンクの笑顔。
一年かけて作ったもの。
全部がそこにあった。
客席が叫ぶ。
「莉恋ちゃん!!!!」
「かわいい!!!!」
「大好き!!!!」
莉恋は笑った。
完璧だった。
だが——
今夜だけは違った。
客席に揺れるチェリーピンクを見た。
一年間。
嬉しかった日も。
失敗した日も。
泣いた日も。
全部、この色だった。
チェリーピンクは、
自分だった。
莉恋は一秒だけ目を閉じた。
そして開いた。
(ありがとう)
そう思った。
桃霞は隣で踊っていた。
笑顔も作れていた。
振付も完璧だった。
だが。
莉恋との違いが、
この曲ではよく見えた。
莉恋の笑顔には、
行き先があった。
誰かへ届く道筋があった。
桃霞にはまだない。
だが。
立ち止まってもいなかった。
探していた。
向かっていた。
だから——
目が離せなかった。
アリーナ前方。
山田健一は桃霞を見ていた。
もう腕は組んでいなかった。
莉恋は完成されていた。
桃霞は完成されていなかった。
だが——
健一の視線は、
桃霞へ向かっていた。
完成品より。
完成しようとしているものの方が。
怖い。
見届けたくなる。
そのことに、
健一自身が戸惑っていた。
つづく…
▼登場人物のイラストをpixivで公開中
https://www.pixiv.net/artworks/144793121




