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六人の会議室

しばらく、誰も口を開かなかった。




十秒かもしれない。


三十秒かもしれない。




計っていた者は、いなかった。




冴子がいる間は、全員が「聞く側」だった。


ドアが閉まった瞬間から、六人は「話す側」になった。




だが——




何から話せばいいか。




誰も、分からなかった。




床に落ちたタオルが、まだそこにある。


誰のものかは、全員が知っている。


拾う者は、まだいない。




テーブルの中央に、グラフが一枚。


右肩下がりの線が三本。


それを、全員が見ていないようで、見ていた。




最初の声




「……ねえ」




向日葵だった。




声に、力がなかった。


いつもの向日葵の声ではない。


ステージで客席に向けるときの、あの声ではない。




「……みんな、どう思った?」




誰かに向けた問いではなかった。


他の五人全員に、投げた。




返答がなかった。




一秒。




二秒。




「……正直に言っていい?」




若葉が言った。




「いつも正直じゃないの、若葉?」




苺が言った。




声に、少しだけ——笑いに近いものが混じっていた。


笑えるほど余裕があるわけではない。


だが、苺という人間は、こういうとき笑いに近いものを出す。


それがリーダーとしての意図なのか、本能なのか、苺にも分からない。




「……整理できていない、というのが正直なところです」




若葉は言った。




メモ帳を、テーブルに置いた。


さっきまで書いていたペンを、その上に並べた。




「情報として受け取れる部分と、感情として処理できていない部分が、まだ混在している」




「……若葉ちゃんって、そういうとき正直だよね」




向日葵が言った。




「……どういう意味ですか」




「整理できてないって言える人、あんまりいないじゃん」




若葉は少し考えた。




「……整理できていないのに、整理できているふりをする意味がないので」




誰かが、小さく笑った。




一人ではない。




笑えるような話ではないはずだった。


だが、笑いが出た。


それが——この部屋の空気を、ほんの少しだけ動かした。




本音




「私ね」




向日葵が続けた。




「正直に言うと——嫌だって思った部分、ある」




室内が、静まった。




向日葵は、テーブルの上のグラフを見ながら言った。


誰かの顔を見られなかった。




「新しい子が来る、って聞いたとき。


グループのためになる、とか、面白くなる、とかより先に——


嫌だって出てきた」




「……うん」




空が、小さく言った。




「私も、そう思った」




向日葵が、空を見た。




「……空ちゃんも?」




「うん」




「なんで、って言えそう?」




空は少し考えた。




「……今の音が、変わるから」




「音?」




「六人の声が、今ちょうど——なじんできた気がしていて」




空は、言葉を選んでいた。


正確に言えているかどうか、確信がない顔だった。




「それに、新しい声が入ると——どうなるか分からない」




「豊かになるかもしれない。でも——」




「乱れるかもしれない」




若葉が続けた。




空が、若葉を見た。




「……そう」




「その、どちらになるか分からない、という状態が——」




若葉は、メモ帳に目を落とした。




「感情として処理できていない部分だと思います」




「……若葉ちゃん、それ全部頭で考えてるじゃん」




向日葵が言った。




「……考えないと、処理できないので」




「それが若葉ちゃんの正直なんだね」




若葉は、少し黙った。




「……そうかもしれません」




杏の発言




「一つだけ」




杏が口を開いた。




さっきまで、ずっと黙っていた。


冴子がいた間も。ドアが閉まってからも。


動かない。言わない。ただ、そこにいた。




全員が、杏を見た。




「九条さんは——この会議の前に、もう見つけていると思う」




「……え」




向日葵が、声を上げた。




「どういうこと? オーディションはこれからでしょ」




「オーディションは、これからする」




杏は言った。




「でも——今日の話の組み立て方が、答えを持っている人間の話し方だった」




「答えって……新しいメンバーのこと?」




「輪郭だけ、あると思う」




「輪郭」




若葉が、メモ帳にその言葉を書いた。




「どんな子が来るか、まだ名前も顔も分からない。でも——どんな"種類"の子を選ぶかは、もう決まっている」




沈黙。




「……杏ちゃんって」




向日葵が言った。




「怖いね」




杏は、何も言わなかった。




否定もしなかった。




リーダーの言葉




苺が、立ち上がった。




全員の視線が集まる。




椅子を引く音がした。




苺は、テーブルの上のグラフを取った。




手に持って、もう一度見た。




三本の線。


右肩下がり。


微減。




しばらく、その紙を見ていた。




それから——テーブルの端に、伏せて置いた。




グラフが、見えなくなった。




「一個だけ聞いていい」




苺は、全員を見た。




「誰か——新しい子が来ることを、純粋に楽しみだと思える人、いる?」




誰も、すぐには答えなかった。




向日葵が、手を挙げかけた。




途中で止めた。




「……楽しみと、不安が、両方ある」




「どっちが大きい?」




「……今は、不安の方が大きい」




「正直でいいね」




苺が言った。




責めていない。


確認している。




「若葉さんは?」




「……判断材料が、まだ足りていません。楽しみかどうかを決めるには、情報が少なすぎる」




「空さんは?」




「……聴いてみないと、分からない」




「杏は?」




「興味はある」




「楽しみとは違う?」




「違う」




「どう違う?」




「……どんな匂いがするか、まだ分からない。だから興味がある」




苺は、杏を一秒見た。




「杏らしいね」




それから、まだ答えていない二人に視線を向けた。




莉恋




莉恋は、テーブルに伏せられたグラフの方を見ていた。




グラフは見えない。


だが、何かがそこにあることを知っていた。




「莉恋ちゃん」




苺が、名前を呼んだ。




莉恋は、苺を見た。




「……楽しみかどうか、じゃなくていい」




苺は言った。




「今、何があるか——教えてくれる?」




「楽しみかどうか」ではない問いだった。


「何があるか」——それだけを聞いた。




莉恋は、少しだけ考えた。




考えながら、袖口に触れた。


オフホワイトのニットワンピース。


袖口の、細いピンクのリブ。




「……怒りは、ない」




静かに、言った。




「怖さも——ないと思う」




「じゃあ、何がある?」




莉恋は、窓のない壁を見た。




この部屋には、外が見えない。




「……まだ、名前がつかない」




一秒。




「名前がつかないものが、ある」




苺は、莉恋を見た。




「……そっか」




それだけ言った。




「無理に名前つけなくていいよ」




莉恋は、苺を見た。




今夜の莉恋が出せる、最も正直な言葉だった。







「苺ちゃんは?」




向日葵が聞いた。




「みんなに聞いてたけど——苺ちゃんは、どうなの?」




苺は、少しだけ——笑った。




ステージの笑顔ではない。


作った笑顔でもない。


どちらでもない、もう少し地に近い場所にある笑顔だった。




「……私も、整理できてない」




「リーダーなのに?」




向日葵が言った。


責めているのではない。


純粋に、聞いていた。




「リーダーだから、整理できてないといけない、ってわけじゃないでしょ」




「……そうか」




「ただ」




苺は続けた。




「一個だけ、決めたことがある」




「何?」




「来た子を——最初から、仲間じゃないと思うのはやめる」




室内が、静まった。




苺は、全員を見た。




「受け入れるのと、仲間だと思うのは違う。受け入れることは、リーダーとして決める」




「でも——仲間かどうかは、一緒にいてみないと分からない」




「だから——最初から壁を作るのだけは、やめる」




「……それが、苺ちゃんの今出せる答えってこと?」




向日葵が言った。




「そう」




「……いい答えだと思う」




空が言った。




珍しかった。


空が「いい」と言うのは。




苺は、空を見た。




「うん」




解散




もう少し、話が続いた。




「何人増えるんだろう」という向日葵の問いに、誰も答えられなかった。


「一人がいい」「なんで」「七色は虹で、分かりやすいから」「でももっと、色が増えたら面白くない?」




答えのない話が、少しだけ続いた。




それが——今夜の六人にできることだった。




若葉が、床のタオルを拾った。




「これ、向日葵のでしょ」




「あ——ありがと」




「どうして拾わなかったの?」




「……気力がなかった」




「さっきよりは、ある?」




向日葵は、少し考えた。




「……うん。少しある」




「それなら十分」




若葉は言って、荷物を持った。




一人ずつ、立ち上がった。




荷物を取る。


コートを羽織る。


ドアへ向かう。




莉恋は、最後だった。




立ち上がる前に、伏せたままのグラフを見た。




取らなかった。




置いたまま、部屋を出た。




廊下に、六人分の足音が響いた。




エレベーターへ。


一階へ。


冬の横浜の夜へ。




会議室Bには、蛍光灯だけが残った。




テーブルの上に、グラフが一枚。




影のない光の中で——




右肩下がりの線が三本、誰も見ていない部屋で、静かにそこにあった。




つづく…

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