第11話 ピンクが変わる日
オーディションが終わったあと、役割は静かに分かれていった。
浅井麻衣は、桃霞のプロフィールを担当することになった。
履歴や経歴ではなく、「どう見えるか」を言葉にする仕事だった。
何を削り、何を残すか。
その一行一行が、桃霞という存在の輪郭を決めていく。
田中聡は、SNSの運用を任された。
投稿の順番、切り取る場面、公開のタイミング。
どの瞬間を外に出せば、人が反応するのか。
桃霞を「知る前の人間」に届ける役割だった。
中村麗子は、キャスティングと育成を引き受けた。
書類や映像では測れない部分を見て、残すかどうかを判断する。
そして、残したものをどう扱うかを考える。
桃霞という存在を、最も近くで観察し、理解しようとする立場にいた。
藤原係長は、全体の統制を担う。
進行、契約、リスク管理。
問題が起きる前に止めることが、仕事だった。
桃霞を世にどう出すか——その最終的な判断に、必ず関わる位置にいる。
同じ一人の新メンバーを巡って、役割は四つに分かれた。
言葉にする者。
広げる者。
見抜く者。
止める者。
それぞれが、同じ対象を見ていながら、違うものを見ていた。
五月二十九日(木) 夜
田中聡は、偶然その投稿を見つけた。
「【速報】ゆめいろシフォン新メンバー、ピンクのツインテールらしい」
指が止まった。
スクロールする。
「名前が『桃霞』らしい」
——桃霞。
画面の中にあるただの文字列が、現実と繋がる。
最終審査で、一秒だけ“何か”が起きた少女。
そして今日、社内で会った人物。
(本物だ)
田中は、パスタを食べる手を止めた。
スマートフォンを持ち直す。
「リークが出ています」
藤原係長に送信。
三秒で既読がついた。
SNSは、すでに動いていた。
「まじ?」
「ピンクって莉恋ちゃんとかぶるじゃん」
「でも担当カラー違うでしょ」
断片だけが、広がっていく。
田中は画面を見続けた。
ファンとして。
そして、運営として。
どちらの目線でも、同じ結論だった。
——止まらない。
返信が来た。
「確認した。上に上げる」
それだけ。
余計な言葉はない。
だが、それで十分だった。
“上”が判断する。
その夜。
リークは増え続けた。
「ピンクのツインテール」
「名前は桃霞」
田中は、スマートフォンを持ったまま立ち上がった。
部屋の中を、少し歩く。
(明日)
明日、発表する。
やがて、連絡が来た。
短い文章だった。
「止めない」
田中は、その一行を見た。
削除もしない。
否定もしない。
何もしない、という判断。
(……そう来るか)
驚きは、少なかった。
納得も、していない。
だが——理解はできた。
止めなければ、情報は残る。
残った情報は、誰かが繋げる。
繋げたものは、物語になる。
その夜、SNSは止まらなかった。
「このリーク、本当っぽくない?」
「名前まで出てるし」
「明日絶対発表あるじゃん」
誰も証明していない。
それでも、確信だけが増えていく。
田中は、画面を見続けた。
自分が知っていることを、書き込むことはできない。
「桃霞」がどんな人間か。
それを知っているのに、言えない。
(被らない)
ピンクが二人になる、という話ではない。
もっと違う何かだと、分かっている。
だが、それを証明する手段は——明日しかない。
窓の外を見た。
曇っていた。
星は見えない。
(明日が、少し遅い)
そう思った。
ファンとしてか、運営としてかは分からない。
両方かもしれなかった。
田中は、投稿ボタンの前にいた。
文章は、一行だけ。
「明日、大切なお知らせがあります。」
それ以上は、書かない。
書かない方が、正確だからだ。
クリックする。
投稿された。
三十秒後。
通知が鳴り始めた。
「きた」
「リークと繋がってる」
「やっぱり本当だったんだ」
誰も、何も確定させていない。
それでも——繋がる。
田中は、その流れを見ていた。
(これか)
止めなかった結果。
誘導していないのに、完成する期待。
画面の中で、言葉が増えていく。
「明日が楽しみ」
「待てない」
田中は、その言葉を見た。
そして、思った。
(全部、本当だ)
明日の朝。
すべてが、確定する。
その瞬間に——
今夜のすべてが、正しかったかどうかも分かる。
■発表の朝
五月三十日(金) 朝
浅井麻衣は、いつもより少し早くオフィスに入った。
全員が揃っていた。
誰も余計なことを話さない。
今日が「本番」だと、全員が分かっていた。
九時。
九条冴子が来た。
「一時間後です」
それだけ言って、席に着いた。
九時五十七分。
田中が言った。
「……一緒に押しますか」
麻衣は、少し考えた。
そして、立ち上がった。
九時五十九分。
二人で、同じ画面を見る。
「投稿する」ボタン。
あと一分。
誰も喋らない。
十時。
押した。
一秒。
三秒。
五秒。
通知が、鳴り始める。
止まらない。
「……来てる」
田中の声は、ファンの声だった。
画面に、言葉が流れる。
「本当だった」
「桃霞ちゃん」
「ピンクのツインテール」
「泣いた」
麻衣は、その言葉を見た。
(なぜ泣くのか)
分からなかった。
まだ、何も見ていないのに。
名前と写真だけで、泣いている。
「まだ笑い方を知らないアイドル」
その一行が、想像以上に機能した。
意味は、説明されていない。
それでも——届いていた。
九条は言った。
「説明しません」
意味は、本人が示すものだから。
(意味が分からないから、見たくなる)
麻衣は、そう理解した。
午後。
反響は増え続けた。
「どういう意味?」
「気になる」
「早く見たい」
問いが、増えていく。
答えは、まだない。
夕方。
田中が、一つの投稿を見せた。
「なんで泣いたか分からないけど、泣いた」
麻衣は、それを読んだ。
分からないまま、何かが起きている。
処理できない。
言葉にできない。
(それでも)
(続きを、見たい)
その夜。
麻衣は、台帳に書いた。
「発表日。反響は想定以上」
一行、空けた。
そして書いた。
「続きを、見たい。」
電気を消す。
天井が暗い。
処理できなかったものが、残っている。
だが——重くはない。
(見続けたい)
そう思った。
「まだ笑い方を知らないアイドル」が、
今日、世界に届いた。
その意味を知る日は、
まだ、来ていない。
翌日。
九条は、白石莉恋を呼んだ。
最初に言ったのは、前置きではなかった。
「新メンバーが決まりました」
それだけ。
「担当はピーチピンク」
間。
「あなたはラベンダーパープルに、変わってもらいます」
沈黙があった。
長い沈黙ではない。
二秒か、三秒。
だが、莉恋にとっては——
その間に、いくつかのことが起きた。
最初に動いたのは、思考ではなかった。
皮膚だった。
背中の、うなじに近い部分が、わずかに冷えた。
次に、呼吸。
一回分だけ、浅くなった。
気づいたとき、もう戻していた。
そして——言葉。
「……どういうことですか」
声は、静かだった。
自分で選んだわけではない。
そうしか、出なかった。
「ピンクは、私のカラーです」
九条は答える前に、一秒だけ待った。
その一秒が、莉恋には分かった。
拒絶でも、迷いでもない。
——確認。
こちらが崩れるかどうかの、確認。
崩れなかった。
「グループ結成から、ずっと」
「そうね、あなたがピンクを作ってきたことは事実よ」
九条は認めた。
事実として。
価値としてではなく。
莉恋は、一度だけ窓を見た。
曇った空。
光のない午後。
——初めてピンクを渡された日のことを、思い出す。
「莉恋=ピンクだよ」
誰が言ったのかは、もう曖昧だった。
ただ、その一言だけが残っている。
ピンクは——この空と同じだと、思っていた。
主張しない。
ただ、そこにある。
それが自分のものだと、言わなくても伝わると信じていた。
「それを、変えるということですか」
「そうです」
短い。
逃げ場は、ない。
莉恋は一度、目を伏せた。
それから顔を上げる。
「理由を聞かせてください」
「新メンバーの適性を優先しました」
間を置かずに続ける。
「存在感。将来性。総合的に判断した結果です」
「……私より、上だと?」
わずかな間。
九条は答える。
「アイドルとしては、そう判断しています」
沈黙。
長い沈黙。
この人は——嘘をつかない。
慰めない。
代わりに、正確に切る。
分かっていた。
最初から、分かっていた。
だから——余計に、重かった。
「……考える時間をください」
「三日」
短い。
だが十分だった。
「分かりました」
立ち上がる。
ドアに手をかける。
その指が——
わずかに震えていた。
外に出た瞬間。
震えは止まる。
廊下を歩く。
足音が、正確に響く。
一定のリズムで。
それだけが、今の莉恋にできることだった。
その夜
自室の鏡は、縦長だった。
全身が映る。
莉恋は、その前に立った。
手の中に、ペンライト。
スイッチに、指をかける。
点けなかった。
点ける必要を、まだ感じている。
だから怖くて、点けられない。
鏡の中の自分が、こちらを見ている。
表情は、整っている。
それだけは、崩れない。
「……ラベンダーパープル」
声に出してみる。
音は出た。
言葉にもなった。
だが——自分のものにならない。
ただの、音だった。
莉恋はペンライトを、棚に置いた。
点けないまま。
布団に入る。
天井を見る。
眠れた。
それが、また——重かった。
つづく…
▼登場人物のイラストをpixivで公開中
https://www.pixiv.net/artworks/144793121




