二日目
その日の夕食は、アルベルトの家族も交えて久しぶりに大人数で取ることになった。
結婚したばかりということもあり、話題は自然と夫婦のことになる。私は昨夜のことを思い出して少々居心地が悪かったが、まさか初夜に何もせず二人仲良く眠ったなどと言えるはずもなく、何食わぬ顔で料理を口に運んでいた。
「そういえば、ベルモンド伯爵のところは相変わらず仲がよろしいそうですよ」
アルベルトの母が思い出したように口にすると、父も知っている夫婦だったらしく、懐かしそうに笑った。
「あそこは結婚して二十年だったか?」
「ええ。それなのに奥様は今でも旦那様に惚れ抜いているそうです。先日の夜会でも、若い頃と少しも変わらないと嬉しそうに話していましたよ」
「ベルモンド伯爵は昔から男らしい方でしたからね」
同席していたアルベルトの妹まで話に加わった。
「狩りに出れば必ず獲物を持ち帰るし、若い頃には騎士としても随分活躍されたのでしょう? 奥様が惚れ抜いてしまうのも分かる気がします」
「なるほど。女というのは、いくつになっても男らしい夫に惹かれるものなのだな」
「あなたも少しは見習ったらいかがです?」
「今さら熊でも狩ってこいというのか?」
「そんなことをしたら腰を痛めますよ」
家族の笑い声が食卓に広がる。
私もつられて笑っていたのだが、向かいに座るアルベルトだけは妙に静かだった。
何かを考えるように父を見たあと、その視線が私へ向く。
「なに?」
「いや……なんでもない」
「変なの」
そのときは、それ以上気に留めなかった。
湯浴みを済ませた私は、昨日より少しだけ念入りに髪を整えて寝室へ向かった。
昨日は何もなかったけれど、初めてだったのだから仕方がない。私だって里子だった二十二年間、男女のことは人並みに知っているつもりでいながら、実際には一度も経験しないままこちらへ来たのだ。
今日は昨日ほど緊張しないだろうし、今度こそ自然に――なんて考えながら寝室へ入ったところで、アルベルトがいないことに気づいた。
まだ仕事でも残っているのだろう。
そう思って待っていたのだが、夜が更けても戻ってこない。
せっかく念入りに整えた髪も、鏡を見る頃にはどうでもよくなっていた。
(遅いな……)
昨日はあれだけ私の隣から離れなかったのに、今日はどうしたのだろう。
少し心配になったものの、城内が騒がしくなっている様子もない。何か急な公務でも入ったのだろうと考え、ベッドの上で待っているうちに、いつの間にか眠ってしまった。
扉の向こうが騒がしくなったことで目を覚ましたのは、空が白み始めた頃だった。
こんな朝早くに何事だろうと上着を羽織り、寝室の扉を開ける。
「妃殿下、お目覚めになられましたか」
「どうしたの?」
「殿下がお戻りになりました」
「アルベルトが? どこに行ってたの?」
返事を聞くより先に、廊下の奥から何人もの家来がこちらへ歩いてくるのが見えた。
その肩には、巨大な黒い塊が載っている。最初は何なのか分からなかったが、近づいてくるにつれて、太い脚と爪、黒々とした毛、だらりと垂れた大きな頭まで見えてきた。
「ぎえーーっ!」
熊だった。
しかも、日本で動物園に行ったってそうそうお目にかかれそうにない、とんでもなくデカい熊である。
「な、なにそれ!?」
「殿下がお仕留めになった獲物でございます」
「アルベルトが!?」
思わず熊を二度見していると、その後ろから泥と草まみれになったアルベルトが歩いてきた。
昨夜までの完璧な王子様はどこへ行ったのか、髪は乱れ、服には泥がこびりつき、見るからに疲れ切っている。
「マドレーヌ」
それでも私を見つけると、嬉しそうに笑った。
そこでようやく、夕食の席で聞いた話と目の前の巨大な熊が私の中で繋がった。
(まさか……『男らしい』って、これ?)
アルベルトは何も説明しなかった。
ただ私の反応を確かめるように熊を一度振り返ると、どこか満足そうに笑いながらこちらへ歩いてくる。
「ちょっと、アルベルト? 大丈夫?」
「ああ。君の顔を見たら――」
そこまで言ったところで身体がぐらりと傾いた。
「ちょっ!」
咄嗟に受け止めると、そのまま私の膝へ頭を預けてしまった。
「アルベルト?」
返事はなく、代わりに穏やかな寝息が聞こえてくる。
家来たちが巨大な熊を担いでいる廊下のど真ん中で、この王子様は私の膝を枕にして眠ってしまった。
「……寝ちゃった」
どうすればいいのか分からずにいると、同行していた兵士が静かに頭を下げた。
「殿下は、妃殿下へお見せするのであれば、ご自身一人で狩らなければ意味がないと仰せになりまして、我々が手を貸すことを最後までお許しになりませんでした」
「一人で……これを?」
「はい。夜通し追跡された末、ご自身の手で仕留められました。我々も長く殿下にお仕えしておりますが、あれほど大きな熊をお一人で仕留められるとは……見事なお姿でした。大変勇敢でございました」
「…………」
男らしい夫に、妻は惚れ抜く。
夕食の席でアルベルトが私を見た理由も、突然いなくなった理由も、これで全部分かった。
この人はたぶん、昨夜のことを自分なりに考えたのだ。
そして考えた結果が、熊だった。
私は何も言わず、膝の上ですっかり眠ってしまったアルベルトの泥で汚れた髪を、そっと撫でた。
結婚二日目――失敗!




