結婚初夜
一万人くらい民衆を集めた盛大すぎる結婚式を終え、ようやく二人きりになった寝室で、アルベルトは私の隣に腰を下ろした。
「今日の君を見たとき、私は神に感謝したよ。これほど美しい女性を妻として迎えられたのだから」
「もう、アルベルトったら。式の最中にも似たようなこと言ってたじゃない」
「何度でも言いたいんだ。君と出会うまで、誰かと生涯を共にしたいと思ったことなどなかった。けれど今は、明日も、その次の日も、歳を重ねてからも、私の隣には君がいてほしいと思っている」
「……そんなこと言われたら、照れるじゃない」
素直に嬉しかった。こんなふうに愛情を言葉にしてもらう経験なんて、里子だった頃を含めてもほとんどない。
日本の小説にも下世話なアニメにもないリアルな甘い空間。これほどとは想像もしていなかった。
やはり和風と洋風ではロマンが違う。
アルベルトは私の手を取り、指先を優しく包んだ。
「照れた顔も美しい。君の笑った顔も、怒った顔も、何かを思いついて目を輝かせる顔も、これからは一番近くで見られるのだと思うと、今日という日をどれほど待ち望んでいたか分からない」
「私だって楽しみにしてたわよ。だから、その……これからもよろしくね」
「ああ。君が私を選んでくれたことを、決して後悔させない。君が悲しむ日にはその悲しみを分けてほしいし、喜ぶ日には誰より先に私にも教えてほしい。君が歩いていく道を、これからは夫として共に歩かせてほしい」
「……うん」
「そしていつの日か、この生涯を振り返ったとき、私と夫婦になったことが君の人生で最も幸福な選択だったと――」
(……ん?)
なんだろう。
さっきから、とんでもなく甘い。
いや、新婚初夜なのだから甘くて当然なのだろうけれど、アルベルトは一向に次へ進む気配を見せず、私の手を握ったまま延々と愛を語っている。
私も最初こそ嬉しくて聞いていたのだが、これがなかなか終わらない。
やがてアルベルトの話は、私と初めて会った日の思い出から、商会で働いていた私の姿がいかに魅力的だったかという話へ移り、そこから結婚を決意した日の心境にまで遡った。
もちろん私だって、今夜がどういう夜なのかくらい知っている。
知ってはいる?
ただ、里子だった頃の私は二十二歳でこちらへ来たので、実際のところ男女の機微に詳しいわけではない。ましてや貴族の結婚初夜にどんな作法があるのかなんて知るはずもなかった。
だからアルベルトが話し続けるなら、そういうものなのだろうと思って聞いていた。
ところが、そうこうしているうちに夜もすっかり更けてしまった。
「……マドレーヌ」
「なに?」
「今夜は、このまま眠ろうか」
「えっ?」
思わず聞き返すと、アルベルトは至極真面目な顔で頷いた。
「夫婦となったからといって、何も初めからすべてを急ぐ必要はない。真摯に愛し合う者ならば、まずは同じ寝台で眠り、互いの存在を身近に感じるところから始めるべきだと私は思う」
(そんなもんなの?)
もっともらしく言われると、反論できない。
ここは日本ではないし、私はこの国の初夜事情など何も知らない。もしかすると由緒正しい貴族というものは、本当にそうやって少しずつ夫婦になっていくのかもしれない。
「……分かった。じゃあ今日は一緒に寝よっか」
「ああ」
アルベルトは安心したように微笑み、私たちは夫婦になって初めての夜を、仲良く同じベッドで眠った。
こうして私たちの結婚初夜は、何事もなく終わった。
◇
翌朝、目を覚ましたときにはアルベルトの姿はなかった。
昨夜は結局、二時間ほど愛の言葉を聞かされたあと、本当に同じベッドで眠っただけだった。初夜というものにもう少し違う想像をしていた私は少々拍子抜けしたものの、アルベルトがあれほど真面目に言うのだから、この国の貴族にはそういう慎ましい作法があるのだろう。
しかし朝食を終えて城内を歩いていたときだった。
廊下の角を曲がろうとしたところで、向こうから若い侍女たちの話し声が聞こえてきた。
「昨日、姉の結婚式だったんです」
「あら。じゃあ今朝は大変だったでしょうね」
「母なんて、姉は今日は昼まで起きてこないって笑ってましたよ」
「初夜の翌日なんてそんなものよ」
私の姿に気づいた二人は慌てて口を閉じ、何事もなかったように頭を下げて通り過ぎていった。
(……ん?)
昼まで起きてこない?
昨夜の私は普通に寝たので、むしろいつもより目覚めがいい。
いやいや、家庭によって違うのだろう。そもそも私は二十二歳まで日本で生きていたとはいえ、そういう経験が一度もないままこちらへ来た女である。友達の話や本で得た知識なら多少あるけれど、それを実際の夫婦生活に当てはめていいのかすら分からない。
ましてやここは異世界だ。
日本の常識で判断するほうが危ない。
そう思っていたのだが、その日の午後、今度は庭園で庭師たちの話が聞こえてきた。
「お前も来月だったな」
「ええ。親父から初夜くらい男らしくしろって、毎晩うるさく言われてますよ」
「そりゃ大事だ。最初で嫁さんに呆れられたら一生言われるぞ」
二人の笑い声を背中で聞きながら、私の足が少しだけ遅くなった。
(男らしく……?)
昨夜のアルベルトは、どうだっただろう。
優しかった。
とても優しかったし、私が恥ずかしくなるほど愛していると言ってくれた。
ただ、男らしかったかと聞かれると――二人で仲良く布団に入って寝た。
そこで昨夜の言葉が蘇った。
『真摯に愛し合う者ならば、まずは同じ寝台で眠り、互いの存在を身近に感じるところから始めるべきだと私は思う』
(……あれ?)
そういえばアルベルトは、「この国ではそうする」とは一言も言っていない。
貴族の作法とも、由緒ある伝統とも言っていなかった。
ただ、自分はそう思うと言っただけだ。
(もしかして昨日のあれ、アルベルトの持論だったの?)
だとしたら、私も大人しく納得して一緒に寝てしまったのは何だったのだろう。
とはいえ、私だって人のことを言えない。
二十二歳まで処女だった女が、初夜の正解を知ったような顔で夫を問い詰めたところで「では君はどうすればよかったと思う?」と聞き返されたら、その場で終わる自信がある。
(……まあ、いっか)
結婚したのだから、次がある。
昨夜は二人とも緊張していただけなのかもしれない。
結婚初夜――失敗!




