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二章・道連れ(1)

 出立の前日。ツムギが幕家の外で一息ついていると、扉が開いて妹のコソデが顔を出した。


「ツム(ねえ)、荷造り終わった?」

「ざっくり終わった。何かあった?」

「見てほしいものがあって」


 手招きされ幕家に入る。コソデが差し出したのは、中心に小さな穴の空いた木の円盤だった。ふちに切り込みが等間隔に施されており、切り込みに糸が引っ掛けられている。


「作ってみたの。組紐が作れる板」

「組紐?」


 ツムギが普段使っている、座椅子ほどの大きさの器具とは随分違い、驚く。覗き込むとたしかに、円盤の中心に空いた穴から編み上がった紐が垂れ下がっていた。


「自分で考えたの? この板」

「そうだよ! こういうの使ったら、もっと簡単に作れるんじゃないかなって」


 コソデが自慢げに笑うと、二つに結んだ髪がぴょこりと揺れた。


「ツム姉もやってみる?」


 円盤を差し出され、思わず身構える。最近再び針や糸に触れるようになってきたとはいえ、未だに妹や姉と並んで手を動かすことに抵抗があった。けれどここで素気無く断ってはコソデが傷つくだろう。円盤を受け取って腰を下ろす。


「どうすればいいの?」

「いつもやってる組紐と一緒。糸を移動させて、隣に進むんだよ」


 言われてみればなるほど、組紐用の器具のひとつを小さく簡略化したのがこの板らしい。編みあがるのは、三つ編みのような模様を描く基本の組紐。手を動かし始めれば楽しくて胸のこわばりが少しやわらぎ、懐かしさに思わず笑みがこぼれた。


「いちばん最初に習うよね、これ」

「ならうー」


 コソデは寒色が好きで、手元の組紐も青や水色を中心にした涼しい色合いだ。姉のマトイは淡く可愛らしい色を好んで使う。ツムギははっきりとした明るい色合いの糸や布が好きだ。三姉妹でも嗜好は異なり、できあがる作品の空気も全く違う。


(まあ、出来栄えも違うわけだけれども)


 ツムギは不器用なわけではない。自分の手芸の技術が、織鶴の民として不適格だとも思っていない。

 けれども姉と妹は一族の中でも別格で、ツムギ自身は常に二人と自分を比べて生きてきた。こうして組紐ひとつとっても、ほんのわずかに、コソデの編んだ部分とツムギの編んだ部分では糸の張りや編み目の揃い具合が違う。おそらく織鶴の民や手工芸に通じる人々の目にしか留まらない、けれど明確な出来合えの、差。

 逃げ出さなかったら、この差はもう少し埋まっていたのだろうか。

 今のコソデは十一歳。ツムギは丁度の妹の年の頃、各地を巡り行商する虎鶫(とらつぐみ)の民の男、スルガに嫁ぐ姉にひざ掛けを贈った。姉もまた偶然にも、ツムギにひざ掛けを差し出した。心底幸せそうな姉に反してツムギは、姉と自分の作品の差に絶望した。

 姉から自分の作ったひざ掛けをひったくり、誰もいない草原の外れまで駆け抜けて、二つのひざ掛けを頭上に掲げた。地面に叩きつけて踏みつけてめちゃくちゃにしてやるつもりだった。けれども、できなかった。そのあと駆けつけた母親にしっかり叱られて、極彩色のひざ掛けは不本意にも姉の手に渡った。

 そしてツムギは、(ひつ)の奥底に裁縫箱を沈め、徹底的に手芸を己から遠ざけ五年の歳月を過ごした。


(今思うと、ソラトやスオウには気を遣わせてたんだろうな)


 当時ソラトは十二歳、スオウは十歳。男女で仕事が分かれ、始終一緒にいることが減ってきた時期だった。けれど、姉との一件を境に二人に外仕事に連れ出されることが増え、気づけば毎日愛馬(ウバタマ)と草原を駆け回るようになった。


「……ム姉、ツム姉!ソラトが来てるよ」


 コソデに肩を叩かれはっとする。扉を叩く音や呼ぶ声にも気づかないほどに物思いにふけっていたらしい。それでも無意識に手は動かしていたようで、組紐は腕に巻けるほどの長さになっていた。

 扉の向こうからソラトの声がした。


綵鳥(あやとり)の里からの案内人が着いたらしくて。おばばさまが一度挨拶しろって」


 案内人が来るとは聞いていなかったが、無礼があってはいけないだろう。


「わかった。今行く」


 組紐をコソデに託す。


「ありがと。これ、良いと思う。母さんや父さんにも見せた方がいいよ」

「ツム姉」


 立ち上がり去ろうとしたツムギの服裾をコソデが掴む。


「どうしたの?」

綵鳥(あやとり)の里から帰ってきたら、他の組紐の編み方教えて」

「教えて、って」


 技量だけでなく知識も、今やおそらくコソデの方が勝っているだろうに。

 喉元まで出かけた言葉は、コソデの眼差しに押しとどめられた。コソデが求めているのはおそらく、ツムギの知識そのものではない。

 日中、父は外仕事に、母はよその村に手芸の指導に出かけている。したがってコソデは一人で家で過ごすことが多い。振り返れば、ハフリが家に滞在していた間、コソデはとても楽しそうだった。

 誰かと並んで、一緒に手を動かすこと。他愛ないおしゃべりとか、そういったもの。コソデは欲しているのはおそらく、ツムギがこの数年間避け続けていたことだ。


「いいよ」

「ほんとに? やった!」


 表情をぱっと明るくした妹に、ツムギはぎこちなくも笑って見せた。


 *

 

 客人用の幕家の前にその人物はいた。遠目にもわかるすらりと背の高い人物で、腰まで伸びた亜麻色の髪が目を引く。足音でツムギとソラトに気づいたのだろう、やわらかな光を宿す翡翠の瞳がこちらに向けられた。ツムギは思わず足を止め、ソラトは前に歩み出て丁寧に頭を下げた。


「お待たせして申し訳ありません。村長の孫のソラトです。こちらは織鶴のツムギ。里までの案内、痛み入ります。もう一人はすぐに参りますので」


 ソラトの口ぶりはいたって平静で、ツムギは幼馴染のある種の鈍さを心底羨ましく思った。目の前の人物は、思わず息を飲んでしまうほどの端麗な顔立ちだったのだ。

 年頃は(マトイ)と同じくらいだろうか。長いまつ毛に通った鼻筋。白い肌にすらりと長い手足。スオウにも並ぶ身長だが、威圧感はない。柳のような印象だが、妙齢の女性らしい落ち着きもある。


「はじめまして、案内人のアサギです。この度はお世話になります。イグサさまとは今挨拶をすませたところです。今晩はこちらに厄介になります」


 柔らかく深みのある声に穏やかな微笑み。物腰の柔らかさは、そこはかとなく姉に似ていた。

 ツムギ、と。ソラトに促され、慌てて頭を下げる。


「ツムギです。よろしくお願いします」

「遅れました!」


 息せき切ってきたスオウが勢いよくツムギの隣に並んでお辞儀をする。顔を上げると、アサギが驚いたような顔をして——ツムギの隣を見ていた。


「スオウ君?」

「アサギさん」


 状況が飲み込めないツムギがスオウに目をやると、なんとも形容しがたい面持ちをしていた。驚きと戸惑いと、そこはかとない気まずさが入り混じったような顔だ。


「二年ぶりくらいかな? 大きくなったね」

「どーも。アサギさんは……大きくはなっとらんね」


 スオウの素っ気ない口調に、アサギは「まったく」と呆れた様子を見せた。


「こう言うとき、なんて言うべきか教えなかったかな?」

「失礼。——相変わらず、お綺麗ですよ」


 にこりとスオウが澄ました笑みを浮かべた。(なま)りをとった改まった口調。普段見ることのない整った笑い方。こんなスオウを、ツムギは知らない。腹の底で怒りにも似た熱が生まれ、けれど体の芯は凍えているようで、そんな自分に戸惑う。


「知り合いだったのか」


 ソラトの問いに、スオウは軽く肩をすくめ「前にイグサ様の使いで遠出をした時に、ちょっと」と歯切れの悪い言葉を返す。

 アサギはくすくすと笑っていたが、「あ」と思い出したように呟くとおもむろにツムギの手を取った。長いまつ毛に囲われた澄んだ瞳が、まっすぐにツムギを射抜く。


「先ほど幕家の中の素晴らしい染織品、拝見しました。山烏の村の織鶴の技術は本当に素晴らしい。祭りの衣装、安心してお任せできます。よろしくお願いしますね」


 体と同じく、ツムギよりも大きな手。力を込められた指先は、爪も皮膚も深い青色に染まっていた。染色をする人の手だ。それだけではない。糸や布に脂を吸われてできる、指の腹の細かいささくれ。見かけのたおやかさに反した手の筋のしっかりとした硬さ。確信する――この人はおそらく、ツムギよりもはるかに優れた職人だと。

 体が強張る。息がうまく吸えない。


「ツムギは、良いモン作りますよ」


 スオウの声。背中を軽く叩かれ緊張が解ける。アサギの手が離れ、ソラトが明日の段取りの確認を始める。横にいるスオウの顔が、見られない。きっと今自分は、とても情けない顔をしているだろうから。


「あたし、荷造りの続きしてきますね」


 踵を返し、足早に立ち去る。

 自分のことは自分が一番よくわかっている。あの幕家の中にツムギの作品はない。マトイの刺繍布はとうの昔に、コソデが手がけた花の形の布細工は昨冬に、あの場所に迎えられた。季節は初夏。村はずれの、以前ハフリが寝泊りをしていた小屋は、今はツムギの作業場兼物置になっている。こっそりと手がけた編み物や刺繍は誰にも見せられないまま、空いた木箱を満たしつつあった。一見美しく見えても、職人の目線でよく目を凝らせばそこかしこが拙い、凡庸な作品たち。

 先日、恥を忍んでいくつかを父母に見せた。お役目には十分な技量だと言われた。

 開き直れたら楽だった。「自分はこんなものだ」と割り切ってしまえれば、できる範囲でつつがなくお役目を果たし、気持ちよく行って帰ってこられるのだろう。

 けれど。


(スオウが適当なことばっかりいうから、あたしは、あたしを諦められないんだ)

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