二章・道連れ(2)
荷物を積んだ四頭の馬は悠々と草原を進んでいた。山烏の村や噴火の原因となっていた火蜥蜴の山から離れるほどに、草原は青々しさを増していく。村の周辺もだいぶ緑が戻ったが、まだこれからなのだと感じる。
風は涼しいが日差しを遮る物はなく、肌はうっすらと汗ばんでいた。
「マダラオの調子はどう?」
「上々。久々の遠出で嬉しそうだ」
ソラトが騎乗する薄墨毛の馬・マダラオは、少々年嵩だがソラト一家の馬のなかでも持久力に優れた遠乗り向きの牡馬だ。ツムギが乗る、気まぐれな黒毛のウバタマが時折ちょっかいを出そうと、動じる様子はなく泰然としている。
ソラトが翼獣に乗るのを避けたのは、アサギの馬への配慮だろう。いくら慣らしたところで、草食獣の本能は肉食獣を恐れる。村で暮らす馬たちでも、心身の状態が悪ければティエンの存在に心乱されることがあった。
スオウはアサギとともに前方を走っている。アサギの馬――ハンノキはホムラと毛の色や体格の似た馬で、並んでいるとまるで双子のようだ。
「ねえ、ソラト」
「なに」
「スオウってアサギさんとどこで知り合ったと思う?」
距離があるのでこちらの会話は前方に聞こえるはずもない。けれどわざわざ声量を下げて尋ねたツムギを、ソラトは怪訝そうに見やった。
「お使いのついでだって言ってなかったか?」
「そうだけど……」
ソラトは「なんでそんなこと気にしてんの」とでも言いたげだ。幼馴染と美女との関係を毛ほども気にする様子のないあたりが、いかにもソラトらしい。
一方スオウといえば、ずいぶん楽しそうだ。乗馬しながらも時に身振り手振りを加えて話しており、笑い声も聞こえてくる。いかにも旧知の仲といった雰囲気だ。
「スオウは、ここ三年くらいおばばさまにこきつかわれてあちこち行かされてたから。村の外に知り合いが多いんだろ」
「そうなの?」
「あいつは人当たりが良いし、頭も切れるし、ばばさまはあいつにもっと渉外とかを任せたいみたいだ。読み書きとか、俺よりも教わってること多いぞ、たぶん」
「知らなかった」
「わざわざ言うようなことでもないだろ」
「そうかも知れないけど……」
知らないことがあることが、いつも以上に気にかかる。スオウのことを何でも知っているつもりだった自分の傲慢さも思い知らされて凹む。同時に、仮にも婚約者である自分をさておいて、あんなふうにアサギと楽しげにしているのもどうなのだろう、とも思う。スオウにとっては「不本意な婚約」という意思表示なのかも知れないが。
「――あ」
ソラトが声をもらす。
「どうしたの?」
「いや。ちょっと思い出したことがあって、スオウに頼んでみるかなって。あいつたぶん、文字読めるだろ。忘れてた」
なにやら一人合点しているソラトにツムギは首をかしげるしかなかったが、ソラトの「頼みごと」はその晩、四人がそろった中で伝えられた。
*
草原の中にあった小さな泉のほとりを野営地を定め、簡単な天幕を張る。すっかり日も落ち、焚き火を囲んだ簡素な食事のさなか、
「スオウ、これ読めるか?」
ソラトがスオウに差し出したのは古びた手帳だった。首をかしげたツムギを横目に、スオウは受け取った冊子をぱらぱらと検分し顔をしかめる。
「すっげえ癖字」
「それ、じーちゃんの形見でさ。小さいときそれを見ながらいろいろ話してくれたのは覚えてんだけど、俺は字がほとんど読めないから。スオウはうちのばあさまや親父さんから教わってるだろ」
「まあ、ほどほどに」
「っていっても見ての通り、字が汚すぎて。あとなんかどうにも暗号っぽい文もあってさ」
試しにツムギも覗き込んでみたものの、紙面に書き散らされているのは文字と呼ぶにはあまりに大雑把な何かと、おそらく風景と思われるこれまた大味な絵だった。
「立派な手帳」とアサギが呟く。薄い紙で作られた冊子。文字を書いた道具は、おそらく細く加工された黒鉛。手帳も黒鉛も狗鷲の民ですら仕入れが難しい高級品の部類だ。書き手の文字が大変個性的なのが多少問題だが、内容は使われた道具にふさわしい、残すに価する情報なのだろう。
渋面をつくるスオウの肩を叩き、ソラトが苦笑した。
「じーちゃんが行ったことのある場所が書いてあるんだ。その中で綵鳥の里のことも聞いた記憶があってさ。だから途中で、寄り道できる場所があるんじゃねえかなって。……でもまあ、読めないなら無理だよなあ」
スオウはちらと目線をあげ、
「アサギさんは読める?」
「うーん。多少読み書きはできるけど、これはちょっと、厳しいね……」
ツムギといえば、織鶴の民の仕事に必要な縮尺や長さを表す簡単な文字しか分からない。すっかりかやの外で居心地が悪かったが、気を取り直して「ねえ」とソラトの方に身を乗り出す。
「アラシさまにどんな場所の話を聞いたの?」
馬に乗って広範囲を移動できるといってもツムギの知る世界は狭く、物見遊山の旅になど出たことがない。
ソラトの祖父アラシは旅を愛し、齢六十をこえても隙あらば馬と姿をくらませ若衆でも手に余りそうな獣を手土産にひょっこりと帰ってくるような男だったときく。ツムギはそれほど接点があったわけではないが、彼の武勇伝は今でも村で語り草だ。
「翡翠色の水が湧く泉とか、風が歌う洞窟とか、夜になると光る花が咲く丘とか……いろいろ聞いたよ」
「ほんとにそんな場所があるの?」
「あるんだってさ。俺も行ったことはないけど」
すごい、と思わず言葉がこぼれた。他にはどんな場所があるの、と重ねて尋ねようとした、その時。
ぱたん。会話を遮るように手帳を閉じる音が響いた。スオウがソラトをちらとうかがう。
「これ借りてええ?」
「いいけど」
「ちょっと待って」
ソラトの承諾を遮るように、ツムギは声をあげていた。ツムギ以外の三人が、驚いたようにこちらを見る。とっさに出た言葉だったが、ツムギとしては切実だった。日中は移動に費やされる上、馬も乗り手も体力を消耗するため夜間はしっかり休息する必要がある。いったいどこに読む暇があるというのか。削るとしたら休む時間しかない。
「そんなの読んでたら寝不足になるでしょ。疲れて落馬したらどうするの」
「……自己管理くらい自分でできる」
ぴしゃりとスオウは言い切って、手帳を懐にしまった。
スオウくん、と。静観していたアサギがとがめるように呼ぶと、スオウはかわすように肩をすくめた。
「無理とか無茶はしませんから、大丈夫ですよ」
「なんでアサギさんとあたしで態度がちがうの? あたしだって心配してるんだけど」
苛立ちそのままにこぼれた言葉は、とてつもなく押しつけがましく響いた。一瞬で後悔する。スオウの癇にも触ったのだろう、たき火の向こうで赤茶の瞳が細まって鋭さを帯びた。瞳の中でちりと火が爆ぜる。
「ツムギはいつまでたっても、おれのこと小さいガキだと思っとるやろ。おれはガキじゃないから、自己管理くらいちゃんとできるって言ったわけ」
「あたしは、」
言葉が続かない。視線に喉が縫い止められたかのようだった。強いまなざしがツムギを圧倒する。ひよこのようにソラトとツムギに付いて回っていたひとつ年下の幼馴染みはとうにいない。そんなことはわかっている。子供扱いしているつもりはなかったが、スオウはそう捉えている。言葉が正しく伝わっていないもどかしさが募るが、押しつけがましく口に出してしまった後悔の方が大きかった。
アサギが助け船を出す。
「解読、私も手伝いますよ。日中の休憩を使って、ソラトさんの話も加えればきっと負担なく読めます。綵鳥の里の近くに珍しい場所があるなら、私も気になりますし」
「そうだな。スオウ、頼んどいてなんだけど、お前は里でもやることがあるんだから、無理はするなよ」
ソラトも仲裁に入り、スオウが目をそらす。そのまま会話は明日以降の予定や村に着いてからのあれこれに移り変わっていった。手帳はスオウの懐に収まったままだった。




