09 失われし雲影『ル・ロング その生涯』
『ル・ロング その生涯』
親愛なる友人ギーツ・ハイゼンへ
私はいまアネニスから遥か遠く、南海のカルルイ島にいる。
風は熟れた果実の甘い香りを運び、天高くから降り注ぐ陽光が煌めく中を極彩色の鳥たちが舞い飛ぶ。そして眼下の海はラピスラズリを溶かしたように青い。
まさにここは生命の原色に満ちた世界だ。
同封したのはその最たる虹色鳥の羽根だ。奥方に贈りたまえ。
そしてリュミエの大学時代に彼女の心を射止めたあの恋文、あれを代筆した私の功績を思い起こしてくれ。
なに、そう心配しないでくれ。
これはヴァルデン帝国東方貿易協会ギーツ・ハイゼン会長殿への報告書だ。これより述べるのは会長閣下の金庫を開くに足る十分な根拠と、莫大なリターンを約束する展望だ。
最後まで読み終えたとき、君は自ら進んで追加資金の小切手にサインすることになるだろう。
始まりは央華のワールド・フォークロア(※World Folklore Anthology /四海採風記)だ。君も書名くらいは覚えているだろう。東方趣味の奥方の気をひきたい君に付け焼き刃で講義した内の一冊だ。
考古学者エミール・ヴォーンの唱えたヤナルの守護ゴーレムの行く末が描かれていたとして、十年ばかり前にオカルト好みのサロン連中の間で話題になったことでも知られているな。
曰く、ムルノアの地に降り立ったゴーレムはヤナルの民を放ってただひたすらに天空宮を追いかけた。蛇行する主に追いつくために最短で海中を直進していってその途上でこのカルルイ島近くの小島で目撃されたのだと。
あれは当時イルミアの第三次広域海図が出回ったことで否定された。この南の島々は南半球に位置しており、天柱雲は島々のいくつかでようやく豆粒くらいに見える程度なのだから。
さて、あれは与太話ではないのではないかというのが私がここでココヤシ酒――――故郷の蜂蜜酒を思わせる素晴らしき甘ったるさだ――――に浸っている理由だ。
まずこの地に来ればようと知れることだが、カルルイ島では天柱雲のことは大アジサシや早白羽などという呼ばれ方だ。遠く小指の先ほどの大きさとなればこの季節の渡り鳥くらいにしか思われていないのだ。
だから主人を追うゴーレムがこの島を通るはずがないと否定されてしまったわけだが、我が友にして最大の支援者である閣下ならばお分かりだろう。
ワールド・フォークロアの記述は私が求めるロンブル(※リュミエ語で影の意味。ここでは第二の天空宮のこと)のことであると。
ここカルルイ島ではロンブルに対しては大アジサシとは別ものとして銀鱝や天の船や空筏という名付けが残されていた。
アスキナのおとぎ話やコルディス大陸の山岳民族の語る銀の盾に乗った英雄譚に通じる形状だ。
これ自体はロンブルの実在を証明する貴重な証拠だが、ならばここで真に注目すべきは『北東のずっとずっと先に山だけの島があって、船員はそこで空の船に荷を積んでいる』という記述だ。
ワールド・フォークロアにあるカカ島とはこのカルルイ島の子島だが、そこから北東の海の先にロンブルのための港があるというのだ。
生憎とこの山だけの島に関する伝承は、この地には全く残されていない。
周辺に散らばる数百の島々のどこかでは歌い継がれているのかもしれないが、何しろこれは二百年前の、当時でさえ古老の昔語りとして採取された記述だ。歴史の波間に消えていても不思議はない。
だが、誰も知らずとも無いことにはならない。
ここで私がアネニスを南下しコルディス大陸を巡って集めた銀の盾の伝承の一つを引こう。
コルディスの東海岸の伝承では銀の盾は古えの英雄が投げ飛ばした後、海の上に落ちるが鯨の潮ふきに飛ばされて再び空へ飛ばされ戻って来るとされている。
この星の反対側に位置する二つの地域でロンブルが地上に降り立つと言い伝えているのだ。季節と示される方向を考えれば両者を結ぶ海上のどこかでだ。
そしてあの地で私がまとめた資料を紐解いてくれ。コルディス大陸では天柱雲のことは白鯨の息吹と呼ばれていることを。なるほど南大陸からは遠景には天柱はまさに海上から昇りたっているようにしか見えない。
であればロンブルを飛ばす鯨の潮吹きとは天柱雲のことではないか。
御国のベルシュール大学のエドウィン教授の論文にもあったな。
かつて複雑怪奇な天柱雲の恩寵の巡行はその解釈だけでいくつもの宗派を生んだが、その軌道をラクマリ図法に起こせばそこには美しくシンプルな正弦曲線が見出された。
だが唯一極北の氷島ヴェルデントがその曲線の視界から外れてしまっている。央華からアネニスに向かう大洋上を北に進路を向けるはずが逆に南下してしまうせいで。仰ぎ見る者などいない海の上を進むせいで。
それを根拠にしたイルミアのヴェルデント占有が失敗したのは当然のことさ。神はヴェルデントを見放したのではなく、もっと大事な用事があったからにすぎないのだから。
そう、天柱雲は大洋上でロンブルと接触していたのだ。
ロンブルが眼下の島と荷をやり取りしていたのなら天柱雲とも荷物や精霊の船員の行き来があったはずだ。
御国でアネニスの荷とイルミアの荷を交換する君の仕事のようにね。
私はその場所をランデブーポイントと名付ける。
この世界を統べる二柱の神が年に一度、その境界線上でわずかばかりの逢瀬を交わすんだ。
実にリミュエ好みの言葉だと思わないか。
きっとそこには神が用いる神器に満ちた島とロンブルの行く末を示す何かがあるはずだ。
さあ小切手の準備はできたか? いやそれだけでは足りない。記者を呼んでこの発見を一面記事で広めてくれ。投資家からありったけを巻き上げろ。そして私に充分な資金と大洋上の嵐をものともしない船団を送ってくれ給え。
世界地図に小さく広大なフロンティアを記すのは君の仕事だ。
ル・ロング
AE 1215年5月6日記す
この二年後、ル・ロングは東方貿易協会および多数の支援者から巨額の融資を受け、ゴルディス大陸にてロンブル調査船団を結成。アネニス海軍から払い下げられた蒸気船を旗艦ラ・クレール号とした船団はゴルディス西海岸のサン・カミル港を出航した。
それから二ヶ月後、船団はランデブーポイントから東700セクの海域で消息を絶った。
当時の周辺海域では季節外れの低気圧が発生しており、これに巻き込まれて遭難したとされている。
だが筆者は信じている。ル・ロングの船団は嵐を乗り越えて計画通りにあの座標に辿り着いて天柱雲の到来を迎えたのだと。
むろんそれは彼の船団がランデブーポイントで沈んだことを意味する。だが彼が最期に見た光景を思えば、それは悲劇ではなく祝福であったろう。
天柱雲はその真上で完全なる停止を守り、その聖影は丸一日、海面を覆い尽くすのだから。
ル・ロングは人類の誰よりも長く、誰よりも深く、神の懐に抱かれて眠りについた最初の人だったのだから。




