08 眼差し届かぬ地『アスキナ共和国建国記念出版-黎明の志士たちの記録-』
『アスキナ共和国・建国記念出版 -黎明の志士たちの記録-』
【資料番号 53:ル・ロングから弟への最後の手紙】
愛する弟、カレへ
きっとこれが君に送る最後の手紙になるだろう。
私は今夜、貨物船の積み荷に紛れてトレの港を発ち、アネニスに向かうつもりだ。このリュミエで奴隷として働かされている同胞たちがそれを助けてくれる手筈だ。
荷物は何も持たない。ただ一つ、君が先日送ってくれた手紙を除いて。擦り切れるほど読み返したよ。君の文字から故郷の匂いがした。何もない生活の中でも母さんが木陰で歌を口ずさんでいることや、妹たちが森の小川で色鮮やかなカワセミを見つけてはしゃいでいる様子が、まるで目の前にあるかのように浮かんでくる。君たちが豊かな自然の中に、ささやかな幸せを見出して生きていることを知れただけで、私の心は救われた。
ああ、リュミエの連中が我らの国にもたらしたものは厄災ばかりだったけど。奴らは我らの土地を奪い、鉄を奪い、象牙を奪い、誇りを根こそいでいったけど。ただ一つ、この文字をもたらしたことだけは感謝しよう。
文字は素晴らしい。声は風と共に消えるが、文字は時間を石にし、遠く離れた家族の温もりさえも永遠に留めておくことができるのだから。
もっともこの文字を教えてくれたのがリュミエの宣教師だというのは今思えば悪霊の悪戯と言わざるをえないのだけど。
正直に告白しよう。最初にアスキナの海岸に降り立ったあの白い服の宣教師たちを、私は疑うどころか心から敬愛していたのだ。彼らが語る雲の向こうにおわす神の教えは、あまりにも眩しかった。
それは呪い師が唱える赤鴟鵂の精霊とは違い、日照りに苦しむ農民から供え物を奪うことなく、処女の生贄も求めなかった。
彼らの神は雲の向こうに遍在し、呪い師への貢物の多寡によらずすべての地上の民を等しく愛しておられるという。その高潔で論理的な教義に、私は文明の光を見た気がした。だからこそ、私は誰よりも熱心に彼らの言葉と文字を学び、同じ神を信じ、リュミエという国に憧れたのだ。
続いてやってきたリュミエの者たちが聖書ではなく銃と採掘機を持ってくるまでは。
彼らは容易く神の教えを反転させた。天柱雲の聖なる影が落ちないこの大陸は神の視界の外にあると。そう言って父や叔父たちは奴らの母国のためにアスキナの宝を掘り出すための奴隷にされた。
かつて彼らが説いた神の眼差しは遍在するという言葉は、天柱雲が訪れない地域をも救うための救済の論理だったはずだ。このリュミエがかつてそうだったように。だが望遠鏡の発明が聖書を変えたのだ。望遠鏡を使えばこのリュミエからもかろうじて蚤程度に天柱雲を覗くことができるようになった。
するとどうだ、彼らは幾何学を持ち出して言うんだ。天柱雲の高度、アスキナまでの距離、惑星の湾曲率。故に神の眼差しはアスキナまでは届かないと。
神の万能はたかだか紙切れ一枚の論文に封じられてしまったんだ。
だけどねカレ、私はここに光明を見出したんだ。
私はここリュミエの地で天柱雲の軌道を学んだ。たしかにその道筋は見事にアスキナの大いなる大地を避けている。
だけど君も母さんの子守唄で知っているはずだ。雨の日にせがんだおとぎ話で聞いているはずだ。天柱雲が訪れていないはずの我らの祖先が雲の中の城を、精霊の玻璃の宮殿を語り継いていることに。
それだけじゃない。私はこのトレの港で、世界中から連れてこられた多くの奴隷たちと話をした。そして驚くべきことを知った。ずっと東の、やはり天柱雲が通過しない海の孤島の民にも、我々と同じ空の偉大なる城の言い伝えが残されているのだ。似た話はアネニスの南のコルディス大陸の者からも、南東の小さな島の民からも聞くことができた。
私は考えるんだ。天柱雲はもう一つあったのではないかと。それはきっとまた別のタパウの火山に落とされたのかもしれない。だがオグの種を蒔くには充分だったはずだ。
私はその行方を探そうと思う。もはやハイエナが食い残したヌーの砕けた脛骨ほどの価値のないオグの種だけど、リュミエたち西洋の人間に我らが人であることを証明するにはこれ以上のものはないだろう。
だからカレ、どうか元気でいてほしい。そしてアスキナの雄大な空を流れる雲を見て祈っててくれ。その雲の向こうで私が使命を果たすことを。
兄、ル・ロングより
AE 1195年4月8日記す




