10 信仰の翼『空の世紀 ~少年少女のための航空史~』
『空の世紀 ~少年少女のための航空史~』 著者:国立航空博物館館長 アーノルド・S・ミラー
第3章:教会と翼の意外な関係
みなさんは教会というとどんなイメージを持っていますか? きっと「飛行機に乗って天に近づこうなんて神への冒涜だ!」と言って、飛行機の開発者やパイロットのお兄さんたちの邪魔ばかりする人……そんなふうに思っている人が多いかもしれませんね。
でも、歴史を紐解いてみると意外な事実に驚かされます。実は初期の航空機開発において、もっとも熱心なスポンサーの一つだったのは他ならぬ教会だったのです。
特に天昇派(神に会うことを目指す考えの人たち)の一派であるイルミアの天梯修道会は、なんと自分たちの神学校の中に航空機開発局という部門を持っていました。
この部門が設立されたのは AE 1195年。そう、あの内燃機関が発明されたまさにその年のうちに「これで空へ行こう!」と志していたのですから、その情熱たるや凄まじいものがありますね。
彼らの技術力はとても高く、残念ながら人類初の動力飛行の栄誉こそアネニスのオービル親子に譲りましたが、その翌年にはすでに高度750リックへの到達を達成していました。
そして前章で少しだけ触れた世界初の航空事故となる『聖オウエル号の奇跡』を起こしたのもこの航空開発局の飛行機だったのです。
当時の新聞記事や修道会に残された記録をもとに、その時の様子を再現してみましょう。
AE 1205年の1月2日のことです。
その日、ロンバー郊外の平原には天梯修道会の最新鋭の飛行機である聖オウエル号を見ようと、たくさんの人たちが集まっていました。
機体に積まれたエンジンは枢機卿(教会で一番偉い人です)によって聖水をかけられ、特別な祝福を受けていたそうです。
やがて、西の空からゆっくりと天柱雲が近づいてきました。するとパイロットを乗せた聖オウエル号は颯爽と離陸し一直線に向かっていきます。そして大きく旋回して天柱雲の軌道に進路を合わせて、雲の影に入った瞬間でした。
なんと聖オウエル号は、エンジンの出力を極限まで絞り、ほとんど滑空のような状態に移行したのです。
そこから驚くべきことに、彼らは数分間にわたり天柱雲とまったく同じ速度(時速にしてわずか16リック)で、空に留まり続けたといいます。
なぜそんなことをしたのでしょうか? それは「神の住まう天柱雲を追い越すのは不敬だから」という、当時の厳格な教義を守ったためです。
現代の航空力学を知る私たちからすれば、これは信じられない話です。
当時の木造で軽い飛行機であっても時速16リックで飛べば、揚力を失って即座に石のように落ちるはずですから。
ですが教会は天柱雲の雲の下であれば恩寵揚力というものが発生し、飛行機を上へと引き上げる力が与えらえると真面目に主張していたのです。
そして実際に当時の新聞には「機体は水平を保ち、見えざる御手に支えられていた」と書かれています。
見学していた人たちの日記にも「聖オウエル号は天柱雲と並び、その歩みに合わせるように、静かに空を漂っていた」と残されています。
おそらく初めて飛行機を見た人々があまりの衝撃と感動で、わずかの滑空時間を数分間にも引き伸ばして感じてしまったのでしょう。集団幻覚のようなものだったのかもしれません。
当時は天柱雲の影の下で明かりを灯すには様々な制限がありましたから、観測精度も低かったのです。
ですが結果を言えば聖オウエル号は天柱雲の影の下で墜落してしまいました。
でも悲しい話ばかりではありません。聖オウエル号は墜落の際に機体がバラバラになるほどの衝撃を受けたのですが、救出されたパイロットである若き神官アンリは足の骨を折るだけで済んだのです。
教会はこれを聖オウエル号の奇跡と呼び、「神はまだその時ではないとお示しになった。我らの翼はいまだ神のもとへ届くに足らず。しかし必ずや届かせてみせる」と宣言しました。
その言葉通り、天梯修道会はさらに熱心に飛行機開発を行っていきました。
特に高高度飛行のための技術力を磨き、実用的な過給器(空気密度の低い上空でエンジンを動かすためのターボチャージャーという機構)を完成させたのもこの修道会です。
そして聖オウエル号の奇跡から12年後、修道会の技術者たちはより高く、より天柱雲に近づける機体の開発に成功しました。その名は聖ペルロ号。かつて精霊に天空宮へ呼び寄せられたという漁師ペルロの名を冠した機体です。
彼らの夢は、ついに天柱雲の雲の中へ入ることだったのです。
AE1217年のやはり1月2日のロンバー郊外。
聖ペルロ号に乗り込むのは、この頃にはベテランとして名高い神官アンリです。
天柱雲の影光の下に飛びたった聖ペルロ号は多くの人たちが見守る中、ぐんぐんと高度を上げ、ついにアサンテ岬の先で天柱雲の底雲へと消えていきました。
それきり、戻りませんでした。
聖ペルロ号も、神官アンリも。
教会はこの結果を「神がお召しになったのだ」として神官アンリを聖人とし、聖ペルロ号の始動用クランクを聖遺物に認定しました。
しかしその二カ月後、ヴァルデン帝国空軍の実験機が天柱雲の雲底へ到達した直後、雷槌に打たれて墜落したことが明らかになりました。残骸は回収され、パイロットも死亡が確認されました。
その後もアネニスでも同様の試みがされ、同じ結果となりました。
アンリたちは神のもとへ召されたのではなく、拒絶されたのだ——そう解釈する者も現れ、教会内部での議論は再燃しました。
聖人の認定は取り消されませんでしたが、天梯修道会の本院にアンリの像は未だ建てられていません。




