03 顕現の日『南コリナ教会 寄進目録』
『南コリナ教会 寄進目録』BE 1年
聖リムレス歴44年11月5日
セーリツの地より商人の一家が保護を求めてやって来た。先代の司教の末日巡礼の彼の地での世話役を担った者と名乗る。タパウ山から白い煙が立ち、地揺れが多発したため逃げてきたという。甚だ怪しき言なり。此地から晴天に仰げるタパウ山に陰りなし。三月もすれば天柱雲が臨御されるのに何を恐れるのか。
なれど、商人は馬車に積んだ荷の十分の一を寄進するという。「晴光の中に積み上げた金貨は高い影を落とす」との教えに従い、当教会は一家を庇護下に入れる代わりに以下の荷を領収するなり。
・天秤皿一杯の純銀貨
・北方産の黒ニル豆を二袋
・ワイン樽二つ
・シノルの香木
『コーヅカ教会 司祭カムリの日誌』 AE 1年
聖リムレス歴45年2月10日
晴れ。海から北よりの風が吹き、指先がかじかむほどの寒さなれど、空気は澄んでいる。天には薄絹のような巻雲。
明日には聖雲を迎えるべく村人が広場に祭壇を設けているが、この巻雲の上にも神はお座す。たなびく雲に向かい朝の祈祷をす。
シラ婆さんが冬キャベツを持ってきてくれた。根本によく甘さがのっていると誇らしげである。確かに持ち重りのする良い玉だ。
末の孫が隣町に嫁にいくことになったと言う。鍛冶屋の見習いとのこと。稼ぎを心配していたが、あちらの教会の燭台を誂えた親方の下ならば食いはぐれることはあるまいと安心させてやる。シラ婆さんは何度も頭を下げて帰っていった。
冬キャベツは黒ニル豆と合わせてスープにした。
昼すぎ、突然に耳を聾するほどの轟音が響いた。一際大きい音の後、間を置かずにいくらか小さい音が何度も。
西の海の向こうから。だが海鳴りとも雷とも違う。腹の底に響く重い音であった。村人たちが不安げな顔で集まってくる。私は三回の鈴を辺りに鳴らした。
それでも皆が立ちつくすばかりなので、私は轟音のわけを説く。海の底で岩が波に押されて崩れるときにこのような音をたてるものだと。
皆もようやく顔を安堵させ、祭の準備に戻っていった。
だがこの不可思議な音ははるかに遠くから届いているように思える。波の下の岩がそれほどの距離を響かせるだけの音を生じるものだろうか。
私は燭台に火を入れ、蜜蝋まで立て、祈りを捧げた。
夜。まだ音は続く。
このころには音は海の向こう、西の向こうの地からだと誰もが口にする。
日が沈むときに西の地平が鈍い赤黒さに染まっていた。空気がざらつき唇に当てた指に細かな灰の粉が付いた。
皆の不安の声に応じ、今日の内から祭壇に火を入れた。
今は空を広い層雲が覆っているが、その厚い影にも心は定まらなかった。明日、聖雲の影に包まれれば皆の心のざわつきは晴れるであろう。
聖リムレス歴45年2月11日
夜明け前から灰の粉が降り続いている。
西につながる空は昨夜の赤黒さとは違い、灰黒さが雲自身とその合間を塗り尽くしている。その中をまっすぐにこちらに近づかれる聖雲もその純白が煤にまみれたようであった。
私はまっすぐに祭壇に向かった。
すでに皆が集まり騒ぎ立てている中、私は一心に経典の四章を開き祈祷を捧げた。
燭台への点火も、鈴の三打も、奉納の作法も全てを省いて。だが村人の誰も異を唱えることなく、むしろ慣れぬ祈祷句を必死に唱え、大地に跪き、祈りを捧げた。
春の豊作を願う言葉も、この一年に生まれた赤子の成長を祈る言葉も口にはしない。今は神の御名とその絶対をひたすらに繰り返すときだと誰もが分かっていたのだ。
それは昼が過ぎても続けられた。
祈りの合間に西を仰ぐたび、聖雲の御姿は大きくなっていた。
古い言い伝えに霊酒が詰まっているとされた樽の御姿が、近づくにつれてその異変を顕わにしていく。側面がえぐれ、縁はほつれたように小さく広がり、まさに転げ落として中身が溢れた樽のようであったのだ。
私は祭壇に広げた経典に目を落とし、ただ一心に祈祷句を読み上げ続けた。
だがついに聖雲の影に我らの村を包まれたとき、私は天を仰ぎ見た。
この村に着任して以来の二十年間、常に厚く濃い安らかな暗がりだったはずの聖影が、であるのに陽の光が筋となって私に差し込むのだ。
私は見た。樽の底が割れているのを。
その半分以上が崩れ、日差しを素通りさせているのを。
そして見た。見てしまった。
雲の裂け目の向こうに、天空宮の御姿を。
経典には記されている。終わりの日、神は雲の衣を脱ぎ、その御姿を天に現すと。そしてときほどかれた雲の衣は帯となって地上へと垂らされ、正しき者が御許に召されると。
千の精霊が歌う中、正しき者が果てしなき雲の梯子をのぼっていく。
私はその日を望んでいた。
例え私自身がのぼることが許されなくとも。下から仰ぎ見るだけでも構わなかった。天に神が顕現されるその瞬間に立ち会えるのならばそれだけで。
だが今目の前にあるのはそのような輝かしい顕現ではなかった。
衣は剥ぎ取られたのだ。裂かれ、汚され、その最奥に眠る神の宮殿は暴かれたのだ。
神は絶対である。神は穢れない。ならばこれは何だ。私の目が狂っているのか。
終わりの日はまだ来ていない。千の精霊はまだ歌っていない。正しき者はまだ雲の梯子をのぼっていない。なのになぜ。なのになぜ神の宮殿が——今この瞬間に——この穢れた灰の空の下で————
神は(血で塗りつぶされ判読不能)
エピファニー! 私はエピファニーを得たのだ!
私は見た。見てしまった。見てはならなかったのか。ならばなぜ神はそこにおられるのか。ならばなぜ私はここにいるのか。ならばなぜ————
私は狂う。私は狂わなければならない。さもなければこれは——これは————
(以下、文字は乱れ、意味をなさない言葉でページは埋められている。これ以降の日誌はアポファス教会により破棄されている)
※エピファニー (顕現・公現祭・本質への((突然の))直感・神性がもたらす洞察)




