19 天空要塞『鎖断ち、帝国浮上する』
『ヴァルデン・ツァイトゥング』1251年4月8日号外
【鎖断ち、帝国浮上する】
本日正午、帝国議事堂前に集まった80万人の国民は歴史の目撃者となった。
北の空から悠然と巡行の途上にある天柱雲に、遥か西方より進路を交差させるように現れ、やがて伴走するかのように速度を合わせて飛行する物体があった。
天柱雲の白き輝きに並び、その影もまた鈍き輝きを放っていた。
それはまるで王の先立をする騎士のように力強く天を進んだ。
――――鉄だ、鉄が空を飛んでいるぞ!
誰かが叫んだ通り、ゆっくりと高度を下げたそれは我々の前にその全貌を顕にした。
それは一見すれば飛行船のような形状であった。
しかし浮上のための気嚢は鋼鉄の外殻で覆われ、その各所には巨大な砲身が突き出していた。船体の前後左右には下向きの巨大なプロペラがいくつも張り出し、腹には黒鷲の国旗が大きく描かれている。
外板の継ぎ目には太い配管がむき出しで走り、ときおり白い蒸気を噴き上げて、その巨体が生き物のように息づいているのを見せつけた。
ついに議事堂上空に達したその機体は音もなく停止した。この世界に空の上で停止するものはこれまで天空宮ただ一つであった。
80万人の観衆は全員がこの奇跡に言葉を失った。それから歓声が広場を埋め尽くした。地面が揺れた。
熱狂を引き戻したのは総統の言葉であった。
「国民諸君!」
拡声器によって広がったその言葉に観衆は静まり返り、総統の次の言葉を待った。
「十年前、このヴァルデンは徒党を組んだ諸外国の包囲に屈した。我らの土地は刻み取られ、我らは誇りを奪われ、我らの子供たちの未来は不当なる巨額の賠償という鎖に縛り付けられた」
「彼らは言った。ヴァルデンは二度と立ち上がれぬと。工場は沈黙し、兵は銃を降ろし、船は帆を折った。お前たちはただ頭を垂れて永劫に己の敗北を贖うほかないのだと」
総統閣下の声が震えていた。それは怒りであり、同時に我々国民が舐め尽くしてきた泥の味を、彼自身もまた噛み締めているがゆえの悲痛な響きであった。
「どれほどの屈辱であったろうか。敗戦は前政権を率いた改革派の責任であったのに、腹をすかせて泣く子供たちに詫びるのは諸君らであった。小さなパンのために指輪を売った母は諸君らであった。僅かばかりの小銭のためにアネニスの駐留軍に跪いた父は諸君らであった」
「諸君は耐えた。我らは耐えた。鎖を引きずりながら。それでもヴァルデンは倒れなかった。なぜなら我らには叡智があったからだ。地に伏しても空を見上げる意思があったからだ。
そう、我らの上空にあるものこそがヴァルデンの叡智と意思の結晶である。その名はグレンデル! 天空要塞グレンデルである!」
その言葉と共に天柱雲が議事堂前に達し、辺りが薄闇に包まれた。
サーチライトが上空に向けて光り、グレンデルの輪郭を淡く照らした。グレンデルからもいくつもの光条が縦横に回り、その全てが天柱雲の雲底に向けられた。
それはあたかもグレンデルが天を支えているかのようであった。
「これはエストリアの侵攻に備えてカルデンの渓谷に建設されていた要塞である。不当なるセンパ条約によって我らに認められたのは時代遅れのトーチカの補強しかなかった。だがこの要塞の真の姿は重力をねじ伏せ、天を征く戦艦である!」
「これが真に守るのはヴァルデンそのものである。対抗するのはエストリアだけではない。我らの生存を、我らの安寧を、我らの未来を脅かす全ての敵に対してである!」
「我らは不当なるセンパ条約によって縛られた鎖をいまこの時に断ち切って天高く浮上する! 今日というこの日はヴァルデンという黒鷲がその大いなる翼を広げたことを世界に示す日である。今日こそがこのヴァルデンの顕現の日であるのだ!」
総統閣下の最後の一言は、まさしく雷鳴のように広場を打った。
群衆は熱狂し、国旗は波のように揺れ、議事堂前は歓喜と陶酔の叫びで埋め尽くされた。
その大歓声の上で、グレンデルはなおも薄闇の空に静止しつづけている。
それは白き天柱雲の傍らに在ることで、この世界にもう一つの秩序が―――――人の手で鍛え上げられた鋼鉄の秩序が並び立ったことを、誰の目にも疑いなく示していた。
やがて天柱雲とグレンデルの二つの偉大なる影は東南の空に流れていった。
グレンデルは次はリイン市に向かったと帝国広報局が発表した。5日間をかけて順次国内の主要都市の上空を巡っていくという。グレンデルはその間を全くの無補給で飛び続けると言う。
そのまったく新しい浮揚機構は当然ながら非公開とされているが、そのいずれの行程においてもグレンデルは一切の補給を必要としないという。燃料も、物資の補充も、寄港もなく、ただ飛び続ける。従来の航空機が抱えてきた航続距離という制約を、グレンデルは根本から無意味にした。
この号外があらずとも、国民はただ空を見上げればそこにヴァルデンの輝かしい未来を見ることが出来るだろう。
主筆 エーリヒ・ジャイル




