開いた扉の先で
時間軸、ユーストル邸での密談時へ戻ります。
「なんて言うか、知ってたけど、知ってた以上に面倒くさいね貴族。俺、気楽な稼業者で良かったよ」
「一歩間違えば、お前もその面倒さに翻弄される立場だったんだがな。――それはそれとして、貴族というか、クロケット男爵家を取り巻く状況が面倒って意見には賛成だ」
ルドルフの口からナーシャとの〝これまで〟が明かされてすぐ、身も蓋もない感想で口火を切ってくれたのは、予想通りカイだった。少年二人にそこまでの胆力はさすがになく、憔悴した様子のルドルフの背を両側から支えるので精一杯のようだ。
「話を聞いた限り、クロケット男爵さんがボクくんの結婚相手に拘ってる理由のほとんどが、亡き奥さんの棺前で義父母と交わした〝誓い〟にあるっぽいけど。この国って、そこまで死者の前での約束事に強制力あるの?」
「無くはないな。いちおうアルメニア神話によれば、死後を司る神は、契約を重視する性格と描かれている。それもあって、アルメニア教にある程度浸かったエルグランド人は、死者の棺前での〝誓い〟を重んじる傾向にあるのは確かだ。カイも知ってる通り、アルメニア教は元々のエルグランド土着の宗教ってわけじゃないから、本当に数千年前から〝湖の民〟をしてる連中は、逆に気にしないんだが」
「あ~、そういう……けど、今でもエルグランド神話を口伝してる生粋のエルグランド民なんて、相当な少数派でしょ?」
「まぁ、全体数から見れば一割いくかいかないか、くらいか?」
「なら、実際のところは王国民のほとんどが、薄ぼんやりとでも棺前の〝誓い〟は特別視してるわけだ。当然その数の法則は、前夫人さんのお葬式に出てた貴族にも当て嵌まる。だからこそクロケット男爵さんは、ボクくんの結婚が周りからとやかく言われないように気を張ってる、って感じ?」
「概ねそうだろう。ただまぁ、前男爵夫人の両親がルドルフに望んだのは〝我らの血筋に相応しい相手との婚姻〟であって、具体的な希望があったわけじゃない。男爵が、ルドルフが誰を選ぼうが、適当に口先で丸め込めそうな〝誓い〟ではあるが」
先祖代々恋愛結婚のため、時には伯爵身分と(意味は様々ながら)釣り合わない相手とも婚姻関係を結んできたクレスター家の生まれとしては、どうしても「そこまで気にすることか?」という感想が先に立ってしまう。結婚相手が分不相応だなんて、割と数十年ごとに言われてきた常套句のようなもの。その度に周囲の反応を気にしていては、とてもではないが結婚などできない。
「結婚なんざ――特に恋愛結婚なんてモンは、『俺らがしたくてするんだから、外野はほっとけ』が基本スタンスだと思ってたぜ、俺は」
「そうだよねぇ? 当人たちと、あとは当人たちが信頼してて、祝福して欲しいと思ってる人たちの理解さえあれば、その他大勢から何を言われようが雑音みたいなものなんじゃない?」
「少なくとも、ウチはそうだなー」
「……クレスター家はそうかもしれませんけれど、そんな風に割り切れる家ばかりじゃありませんよ。というより、貴族でありながらそのスタンスを貫けているクレスター家がそもそも変なんです」
エドワードとカイの呑気な感想戦を聞いて、幾分正気に戻ったらしい。正面のアベルが、ルドルフの背を支える腕はそのままに、どこか呆れた視線を向けてくる。
「我が家とて中央の争いからは意図して距離を保っている家ですが、だからこそ、結婚相手は慎重に選ばねばなりません。結婚相手がどうであってもユーストルの地位が揺らぐわけではありませんが、相手次第で立場は容易く揺らぎますので」
「どういうこと、アベル?」
「万一俺が、保守派なり革新派なりの急先鋒を担う家のご令嬢と恋に落ちて結婚を強行してしまったら、俺の恋と引き換えに、ユーストル家は永世中立の立場を失うってことだよ。一般的に、貴族同士の婚姻は〝同盟〟を意味する。派閥に偏った家のご令嬢を妻に迎えた時点で、ユーストル家も婚家の派閥に属するって見做されるわけだ」
「そっか……だからアベルには、随分早くから婚約者候補がいるんだね」
「中立派は多くても、意識的に中立を保っている家となると、まぁまぁ絞られるからな」
クロードと会話した後、アベルは軽くため息をついて、黙ったままのルドルフへ視線を流した。
「クロケット男爵家にしても同じことです。お家の成り立ち上、革新派に属してはおられますけれど、クロケット家の本分はあくまでも紡績と服飾業。政に深く立ち入られるわけでもなく、常のクロケット男爵は王宮内での派閥争いから距離を置いていらっしゃいます。――それは裏返せば、王宮内の誰も敵ではなく、同時に味方でもないということ」
「そうなるね?」
「だからこそクロケット男爵は、〝貴族社会全体〟へ向けて、あからさまな〝隙〟は見せられないのです。王国の紡績業の最先端をひた走る存在として、国王陛下からすらも一目置かれているクロケット男爵家に成り代わりたい者などいくらでもいるのですから。ましてや、男爵家の歴史は浅い。紡績の方で足を引っ張ることはできずとも、貴族としての〝クロケット家〟を貶め、潰し、紡績業ごと乗っ取ることならば可能です。クレスター伯爵家とは違い、クロケット男爵家はまだ、そういった貴族社会の洗礼から逃れられる状況にありませんでしょう?」
「えぇと、要するにアベルくんは、ボクくんの結婚相手が〝血筋に相応しい者〟じゃなかった場合、前男爵夫人の棺前で交わした〝誓い〟にかこつけて、クロケット男爵家を引き摺り下ろす足掛かりにされかねない、って言ってる?」
「俺がというより、男爵も、現夫人も、それを恐れたからこそルードの結婚について慎重な姿勢を取っていらっしゃるのではないかなと感じました」
「なるほど。一理あるな」
さすがは、数百年の長きに渡って中立を貫いているユーストル家の嫡子だ。この年で既に、貴族社会に対する俯瞰分析力がずば抜けている。
アベルの分析に乗っかるならば、非常に残念な現実ではあるが、いくら名家の生まれとはいえ平民のファニーを後妻に迎え、彼女の連れ子ナーシャを男爵家の籍に入れた男爵の行動は、貴族社会にとって〝隙〟でしかないわけで。これ以上の〝隙〟を生まないため、形だけでも棺前の〝誓い〟を守らねばならないというのは、理屈として理解できなくもない。
「マッジで貴族って面倒だし、あとシンプルに性格悪いよね。隙を見せたら家ごと乗っ取ろうとする輩が湧いて出てくるなんて、普通じゃないよ」
「全ての貴族がそうとは言いませんけれど、王宮での権力闘争を好む方々は、自然とそういう思考に落ち着くみたいですよ」
「権力なんてモノを自分から欲しがる奴なんて、元からどっか歪んでるってことかもなぁ……」
しみじみとそう述べたカイは、一瞬だけ、視線を遠くに飛ばし。
「――でもまぁ、そういう話なら、ディーの作戦は渡りに船、なんじゃない?」
今日の夕食を論じているかのような軽さで、話をぐいと本題へ戻してくる。
雰囲気の軽さと話題の重さが全く釣り合っていないカイに、エドワードだけでなくアベルも、ついでにクロードもため息を吐いた。
「それはもちろんそうでしょうけれど……もう少し情緒ってものを大切にですね……」
「えー、情緒とか必要? いつまでもボクくんのくよくよに付き合ってても仕方ないし、過去を振り返り終えたなら、次からは先のことを考えないと」
「……クロード、諦めよう。カイさんはたぶん、ディアナ様に関すること以外での情緒を解さないよ」
「正解だ、アベル。カイのこういうところは、〝こういうところ〟として流すのが最適解だな」
「なんかめちゃくちゃ貶されてない? 俺、間違ったこと言ってないのに」
笑顔で文句を言うカイに、クロードとアベルが心なしか冷たい視線を向ける中。
二人の間に挟まれていたルドルフの頭が、ふらふらと上がる。
「……さく、せん? 渡りに船、って――」
「ボクくんさぁ。俺たちがわざわざ、アンタの〝間違い〟を正して止めるためだけに、こんな手間のかかる接触を目論んだと思ってる? お友だちの二人はともかく、エドワードさんも俺も、生産性の欠片もない説得に時間費やすほど暇でも、お人好しでもないよ」
「だからお前は……正しいからと事実をド直球で投げるな」
「えーなんで? クロケットの嫡男サマが自分をどれほど高く見積もってるのか知らないけど、このままコイツが叛乱を起こして自滅したところで、極論別に困らないじゃん。一連の〝構図〟は見えつつあるんだから、ボクくん含めた敵サイドを一網打尽にする策だって、立てようと思えば立てられる。てかぶっちゃけ、作戦の効率だけを重視するなら、ボクくんは切り捨てた方が良いまであるし」
「効率〝だけ〟を重視するなら、確かにそうだが……」
「だろ? それをしないのは単純に、クロードくんとアベルくん、そしてナーシャさんが、ボクくんのことを大事に思ってて、助けたいって願ってるから。そのために、ディーとエドワードさんが額を付き合わせて、わざわざクロケットの嫡男サマを〝助ける〟計画を立てた。ディーの立てた計画だから、絶対に成功させたくて、俺はここにいる。ただそれだけだよ」
顔だけは笑顔のまま、恐ろしいほど鋭い瞳でルドルフを睨め付け、カイは滑らかに〝現実〟を突きつけた。
「これだけ色々な人に支えられて、守られて、こんな事態になっても見放すことなく手を差し伸べてもらってすらいるのにさ。本当に自分を思ってくれる、大事にしなきゃいけない人の顔を見ようとせずに、ただ自分の不幸に酔って、酔っ払ったまま、都合良い夢想を囁く〝敵〟にあっさり落ちた甘ったれのおぼっちゃん。それが今のアンタだよ」
「ぁ……」
「このまま甘ったれでいるつもりなら、俺はディーに、アンタを諦めるよう話をする。この先大人になればなるほど、世の中はどんどん理不尽だらけになっていくんだ。その度不幸に酔いしれて癇癪を起こすような情けない男、ナーシャさんの夫としては不適格にもほどがあるし。そんな夫――父親なら、いない方がマシだろ」
「!!」
「甘ったれのままで終わりたくないのなら――いい加減顔を上げて、目の前の現実と、己の犯した罪に向き合え。アンタがディーの立てた〝作戦〟に相応しい人間かどうか、自分の力で証明してみせろ」
恐らくはソラ仕込みだろう、カイの〝圧〟。しかし、圧を放って威風堂々としているその様は、どことなく高貴な風格すら漂わせている。……今更な話ではあるが、貴族としての素養をこれほど秘めていたカイを棄てたシュラザード侯爵は、愚かなことをしたものだ。
その〝圧〟を受けたルドルフは、一瞬だけ顔色を青くしてから、徐々に、徐々に、瞳の力を取り戻して。
「――はい。この先どうなろうとも、今の俺が少しでも、ナーシャに相応しくあるように。……クロードとアベルが支えてくれるだけの価値ある、人間であれるように。きちんと、自分のしてきたことと、向き合います」
カイの迫力に屈することなく、真正面から彼を見返し、そう返答した。カイの言動のどこが琴線に触れたのかは分からないけれど、自分と同じように〝側室〟を愛している男からの喝には、何か感じ入るものがあったのだろう。
その真っ直ぐな眼差しに何を思ったのか、カイは微かに笑みを浮かべ、そのまますっと視線をエドワードへ流してくれた。
(……あとは俺に任せた、ということか。つくづく己の領分を把握するのが上手い奴だ)
自分に期待されているモノが、ディアナを愛する〝男〟としての立場からルドルフにアプローチする役割だと、カイは言われるまでもなく察していたらしい。この〝作戦〟の具体的内容に踏み込むのなら、確かに説明と交渉役は、立案の片割れを担ったエドワードが行うべきである。
「覚悟は決まったようだな。――ルドルフ」
「はい」
「確認するが、お前は現在、スタンザから武器を密輸し、王都にやってくる無頼の者たちを雇って、王宮襲撃、及び国王陛下弑虐の計画を立てている。この事実に間違いはないか?」
「――はい。間違い、ありません」
「うん。本来ならばお前の行為は、計画が明るみに出た時点で、一族郎党を含めた処罰が免れないほどの大罪だ。王国で叛逆事件は滅多に起こらないから、調停局の判例にも限りがあるが……死刑判決が下された例も、中にはある。それくらい重く、国全体の統治を揺るがしかねない罪だってことを、まずは自覚してくれ」
「は、い」
「その上で、問いたい。――今回の件、お前の後ろに、計画立案と実行を支援してくれた貴族がいるな?」
問い掛けの形を取りながら、その声音に込められているのは確信だ。自身の言葉に絶対の自信を持ったエドワードの〝問い〟に、ルドルフは分かり易く驚愕した。
「……どう、して、それを」
「最初は状況から推測したに過ぎなかったが、調べていく中で偶然、お前が〝背後〟と話している現場を見たという目撃証言が取れて、な。おかげで確信が得られたよ」
「状況からの推測と、目撃証言……ですか」
「言い方は悪いが、いくらデビュタント済みとはいえ、まだ学生身分のお前は世間一般から見て〝一人前〟じゃない。そんなお前が、こんな計画を短期間で立案決行できるわけがないんだよ。お前の背後には必ず、お前の意思を知った上で手を貸した連中がいる。――ここまでが、推測だな」
「そこに、目撃証言も、あった?」
「俺が目撃証言を得ていたの、そんなに不思議か?」
「……あの、人たちが。俺の様子を直接見に来ていたのは、計画段階の初期も初期です。あの頃に雇い入れた者たちは、ほとんど残っていませんから」
「ま、情報源については、ひとまず秘匿させてくれ。流石に本人の許可なく、話はできないから」
勝手に話されたところでダンは別に怒らないだろうけれど、〝敵〟の観測範囲内で彼とルドルフの距離があからさまに変わるのは避けたい。現在のダンは良くも悪くも、金回りの良さから離脱こそしていないものの、雇い主を含めた謀反計画の中枢からは距離を置いている立場だ。どちらかといえば計画に対して反対寄りなのも、連中の〝眼〟の一人であるリッキーに勘付かれている節がある。そんなダンとルドルフが、傭兵と雇い主の距離を超えて近しくなってしまったら、ルドルフの心境の変化を〝敵〟に悟られかねないのだ。
ナーシャへの想いから冷静な思考が働かなくなってはいたが、ルドルフとて頭の出来は悪くない。エドワードのぼかし方から〝今は言えない理由がある〟と察したらしく、それ以上尋ねてくることはなかった。
代わりに、覚悟を決めた顔で頷く。
「――エドワード様の、仰る通りです。スタンザ帝国へ赴かれた『紅薔薇様』をお迎えすべく、最新型と謳われた船が出航した頃、でしたでしょうか。クロケット家の嫡男として、とある家で開かれた小さな夜会へ赴いた際、声を掛けられたのです。『姉君のことは、気の毒だったね』と」
――そこからルドルフが語ったのは、概ねディアナたちと想定していた通りの〝成り行き〟だった。
夜会でルドルフに声を掛けたのは、予想通りのウェイク伯爵。巧みな会話で姉を後宮へ送り出した父への不満を表へ引き出され、「何かの助けになれば」とウェイク伯爵伝いで紹介されたのが、まだ二十歳半ばの若さで爵位を継いだニッケスタック子爵だ。子爵はルドルフの気持ちに深く共感してくれ、「この国の後宮運営には、私も思うところは多い」と賛同すらしてくれた。
「私もまた、妹をこの国の王宮に差し出さざるを得なかった。表向き、側室内示は入宮希望を出した家の令嬢へ下されるとされているが、実際は断れない筋から『入宮希望を出せ』と圧をかけることで〝入宮せざるを得なかった〟娘も多い。……妹もその一人でね、心優しいあの子は、大勢の令嬢と競わねばならない後宮へ赴くことなど、望んではいなかったのだよ」
深い苦悩を吐露するようにニッケスタック子爵は語り、そして。
「新興貴族家の若君である君には、馴染みのない方々かもしれないが。私たちと同じように、望まずして家族を王宮に奪われた方々もいらっしゃる。君さえ望むのなら、お目通りを願ってみよう」
そう持ち掛けられ、知り合った相手こそ、古参貴族家であり保守派の重鎮でもある、ベルティア侯爵とカロッグ伯爵であったのだ。
新興貴族家に生まれ、幼い頃は邸の奥深くで育ち。育つにつれ、父と付き合いのある大人の貴族と話す機会も増えたけれど、クロケット男爵家と付き合いのある貴族は基本的に新興貴族ばかり。百年以上の歴史を持つ古参貴族家の、しかも当主とルドルフが一対一で話す機会などあるはずもなく、ただ緊張で固まるばかりだったルドルフへ、ベルティア侯爵とカロッグ伯爵の二人は優しく穏やかに微笑んでくれた。
「なに、そう緊張することもあるまい。成り立ちこそ異なれど、我らは同じエルグランド貴族。古参だの新興だの、家の歴史如きで区別をつけるなど、そもそも馬鹿馬鹿しいことよ」
「仰る通りですな、ベルティア侯。新興の者たちは功績を上げるためか目先のことに必死で、なかなか距離を縮めてはくれませんが……かといって私どもから近づけば、何か裏があって話しかけたのではと警戒されてしまう。難しいところです」
「誠に。もちろん、古参の中には新興の者たちを疎ましく思う輩がおることも確かで、そういった者たちが新興に底意地の悪い嫌がらせをしたこともある。過去に被害を受けた新興貴族家にしてみれば、当然の自衛をしているだけということも理解はできるがな」
「なんと鷹揚でいらっしゃることか。古参と呼ばれる貴族の中には、侯のような方々も多いというのに」
「なぁに。それでも、こうして心の壁を越え、我らと会おうと一歩を踏み出してくれる若者もおるのだ。エルグランドの未来は明るいではないか」
そう言って笑いかけてくれたベルティア侯爵に、緊張も見事に解されて。
促されるままルドルフは、ナーシャが後宮へ行った経緯を、そして彼女を妻にと望むのに、父が交わした無責任な約束のせいで叶わない絶望を、語った。
話を聞いたベルティア侯爵とカロッグ伯爵、そして仲介役として同席していたニッケスタック子爵は、話が進むにつれ、義憤を表情に上らせる。
「随分な話ではないか。想い合う若い二人を引き裂いてまで、後宮の賑やかしにしようとは」
「ベルティア侯、陛下の横暴は今に始まった話ではございませんでしょう。侯のご令嬢も、僭越ながら我が娘も、陛下の暴走の犠牲となったようなもの。話を聞く限り、クロケット子爵令嬢本人が入宮を望んだという男爵の言葉も疑わしく存じます」
「僭越ながら、カロッグ伯。ルドルフの話を聞いて、私も同じことを思いました。同じ家に住んでいて、あの目端の利くクロケット男爵が、想い合う姉弟の心に気付かなかったとは俄かに考えづらい。最終的にはご本人が言い出したことだとしても、彼女が後宮へ行きたいと望むよう、密かな根回しをしていたと考えた方がしっくり来ます」
「手頃な子爵令嬢の嫁を迎えるには、平民出身ながらもルドルフと想い合っているご令嬢が障害となりかねない。二人が結婚したいと言い出す前に、ということか? なんと、卑劣な!!」
「そうさな。若者の真摯な想いを阻んでも、良いことなどなかろうよ。クロケット男爵も、ルドルフのことを考えたゆえであろうが……だからといって娘御を送る先に後宮などという魔窟を選ぶとは、あまりに青い」
深々と嘆息したベルティア侯爵が語ったのは、現在の後宮がいかに虚しく〝花〟を枯らす地獄か、についてであった。
――現在の後宮は、悪名高きクレスター伯爵家より入宮した『紅薔薇』に牛耳られている。彼女は王の関心が他の令嬢へ移ることを許せず、〝出過ぎた真似〟をするような娘を見かければ、それはそれは恐ろしい圧をかけるのだ。その様はさながら嫉妬に狂って咲く紅の薔薇の如し、極悪非道の呼び声は彼女にこそ相応しいといえるだろう。
そんな〝恐妻〟が頂点の座に就いている今は、王も好みの令嬢を探すどころではなく。表向きは彼女を寵妃とし、正妃に最も近い者として丁重に扱ってはいるが、実際のところ、王はそれほど彼女を愛しているわけではない。「紅薔薇を正妃に」という話が持ち上がるだけ持ち上がって進まないのは、そういう裏事情があるからなのだ。
現在の後宮は、『紅薔薇』の嫉妬に触れさえしなければ、そう悪い住処ではないと聞く。だからこそ、立場の弱い側室ほど彼女を褒めそやし、暗に「あなたの競争相手になる気はありません」と告げることで、彼女たちは束の間の安寧を守っている。
だが。好色な王の欲望赴くまま狭い箱庭へと集められ、にも拘らず嫉妬深い〝正妃候補〟に頭を抑えつけられて、息を潜め生きるしかない側室たちは、果たしてそれで幸福なのだろうか……。
冷静に考えれば、王が『紅薔薇』を本心では邪魔に思ってるなら、わざわざ最新の快速船を使って迎えに行かせるわけもないし、側室たちが『紅薔薇』の居ないところでまで一様に彼女を褒めちぎるわけもないと分かりそうなものである。しかし、そのときのルドルフは何故か、ベルティア侯爵の言葉は全て真実であると信じ切ってしまった。
その後も言葉巧みに誘導された彼は、最終的に「悪辣なクレスター伯爵令嬢に『紅薔薇』の地位を与え、後宮をそのような惨状へ導いておきながら、自らは動くことなく放置している国王をこのままにしていては、ナーシャは永久に自由になれず、苦しみ続けることになる」「民にそのような非道を強いるなど、ジューク王はもはや、王の器にあらず。愚王であり、暴王である彼を討つことこそ、王国に対する真の忠義である」と思い込まされていったのだ。
そして。
「貴殿の憂いは我々の憂いでもある。ともに国の歪みを正そう」
「――はい!!」
幾度かの会合を経て、ルドルフは。
彼らの手を取る決断を、した――。
「それから、ベルティア侯爵には、彼が独自に掴んでいたスタンザとの武器の密輸ルートを譲り受け、独自の情報網を持っていたカロッグ伯爵からは、多くの情報提供を頂きました。〝叛乱軍〟の立ち上げにもご協力を賜って……」
「なるほど、な。――ひとつ、確実なところから否定しておくが」
「は、はい?」
「ベルティア侯爵は、誰もが認める過激保守派の一人だ。新興貴族など貴族に数えるべきではないと堂々論じては、度々モンドリーア公爵閣下から注意を受けている」
「……っ、ぇ?」
「その娘さんなベルティア侯爵令嬢も、後宮じゃ側室イジメの主犯格の一人だよ。ディーが来てからは様子見で大人しくしてたらしいけど、それまではお仲間引き連れて、大人数で一人を囲む陰湿な嫌がらせのお手本みたいなことしてたって、『菫の間』のレティシアさんが言ってた」
「え……だって、ベルティア侯爵の娘さんは、側室になるなんて考えたこともなかった、って」
「そりゃー、あわよくば派閥トップのリリアーヌさんをどうにかしてでも正妃になりたいとは思ってても、二番手以下な〝側室〟は嫌でしょ。あの人、どう見ても頂点で威張り散らかしたいタイプだし」
情けも遠慮も容赦もないカイの人物評に、ルドルフの表情が困惑へと染まっていく。
追い撃ちをかけるようで気の毒な気もしたが、もう一つ、年長者としてエドワードには言っておかなければいけないことがあった。
「あと、な。ルドルフはもしかしたら、自分の気持ちに共感して、姉君を取り戻すのに協力してくれた彼らへの感謝や恩義があるのかもしれないが。――普通、真っ当な大人は、お前みたいな子どもに『王宮襲撃の主犯になれ』とは言わない。むしろ、子どもがそんなことを言い出したら、何がなんでも止めようとする。それがあるべき大人の姿ってやつだからな」
「それは……!」
「連中のことだから、お前を〝そっち〟へ引き摺り込む中で、『これはとても危険な決断だ』『失敗したら死は免れない』みたいな、耳触りの良い言葉は吐いたかもしれない。でも、最終的に王宮に、王に弓引くと決めたお前を止めることなく、あろうことか背中を押して、具体的に支援した時点で、どう足掻いても庇いようがねぇよ。ベルティア侯爵がスタンザ武器の密輸ルートを確保していたのも、カロッグ伯爵が王宮襲撃するための情報を得ていたのも、立派な違法だし国に対する背信行為だ。連中はその罪ごと、まるっとお前に被せて裏切るつもりだって、まだ分からないか?」
流れるようなエドワードの言葉は、確かにルドルフへ届いているはずだが、彼はどうにも受け入れ難い様子で何度も首を緩く左右に振っている。
これはもしかして、とエドワードが思ったと同時に、カイが身を乗り出した。
「ボクくんさ、自分の思考が歪められてるって気づいてない感じ? さっきの話だと、『紅薔薇』は嫉妬に狂って側室たちを抑圧してる悪者、ってことになってたけど。春先の〝里帰り〟で戻ってきたナーシャさんは、彼女の……ディーのこと、なんて言ってた?」
「ねえ、さん、は」
「噂通りの極悪非道なご令嬢だって言ってた?」
「言って、ない。弱い立場の側室も見捨てず、自分の損になっても守ろうとする人だ、って。貴族議会で、彼女を助けるために動けて、嬉しかった、って」
「これだけナーシャさん至上主義を掲げてるアンタが、人伝じゃなく本人の口から語られた話より、ベルティア侯爵が話した〝嫉妬に塗れて側室たちを苦しめてる〟って話を、『紅薔薇』の真実だと信じ込んだ。それって、アンタにとってナーシャさんよりベルティア侯爵の方が信じられる相手ってことになるけど?」
「そんなわけない! 俺は、俺が一番に信じてるのは、いつだって――っ」
思わずといった様子でソファーから立ち上がったルドルフの身体が、大きく傾ぐ。ふらりと倒れそうになった彼を、両脇の二人がすかさず支えた。
「ルード!?」
「おいルード、大丈夫か?」
「……んで。なんで、俺。紅薔薇様の、ディアナ様のこと、悪女だなんて。ナーシャから聞いて、自分でも見て、〝違う〟って知ってた、はずなのに」
自分でも、己の思考が〝おかしい〟ことに気付いたルドルフは、目に見えて顔色を青くしていた。
チラリとカイに視線を向けると、彼は確信した様子で苦い顔になっている。
「……ルドルフも、操られていたか?」
「たぶん。結構強めの暗示で、連中の言葉を疑わないように誘導されてた感じがする」
「それ、大丈夫なのか?」
「見た感じ、人格にまで影響及ぼすやつじゃないから大丈夫。暗示を解くきっかけは作ったし、あとは自力でなんとかなる、というよりなんとかするしかないやつだから」
「こんな子どもの精神を操るとは……改めて非道な連中だな」
「元々、平民や新興貴族を同じ人間とは思ってない人たちなんでしょ? 最終的に捨て駒にする相手だっただろうし、尚更人間扱いする気なんてなかったんじゃない?」
「お前も大概ズバズバ言うなぁ」
「今更それ言うー?」
カイと話しているうちに、ルドルフは徐々に落ち着いてきたらしい。友人たちに支えられてソファーへ腰掛け直すと、先ほどとは打って変わって力のある瞳を向けてきた。
「お見苦しいところを、お見せしました」
「もう大丈夫か?」
「感情の面が追いついていませんが、冷静に考えられるようにはなったと思います。エドワード様の仰る通り、国王弑虐などを企む人間を止めようとせず、背後から積極的に支援するような人たちに、裏がないわけありません。普通に考えればこれほど明確な事実に、どうして今まで思い至れなかったのか……」
「自分を責めるな。今、カイとも話したが、お前の思考は悪辣な手段で操られていた疑いがある」
「思考を操る、ですか?」
「……この世界には、そういう〝常識外れ〟なことができる人間が一定数いてね。エドワードさんがチラシに書いた〝遠くを見る不思議な術〟も、その一つ。で、中には〝相手の思考を操る術〟も存在する」
「そう、なんですね。……今更ですが、その〝遠くを見る術〟でこの部屋を見張られていたりはしないのですか?」
「このお邸の中は大丈夫。その術をガードする結界を張ってあるから」
「な、なるほど?」
目をぱちぱちさせるルドルフだが、カイの言葉を疑う様子はない。両脇の友人二人が何も言わないことから、嘘ではないと察したようだ。
(この様子だと、洗脳はあらかた解けたと見て良さそうだが……そろそろナーシャ嬢の手紙を渡しても良さそうか?)
確認を込めてカイを見ると、概ね心得ていたらしい彼が軽く首肯を返してきた。同じように頷き返し、懐から大事に守ってきた〝ナーシャの手紙〟を取り出す。
「ルドルフ。お前が自分の置かれた状況を正しく把握したところで、俺たちから提案があるんだが」
「先ほどから仰っている、ディアナ様の〝計画〟についてですか?」
「あぁ。――詳しくは、このナーシャ嬢からの手紙に綴られている。じっくり読んで、伸るか反るか、決めてくれ」
彼が求めてやまない彼女からの手紙を丁重に手渡しつつ言うと、ルドルフは恐ろしいほど真剣な表情で頷いた。
そのまま、無言で手紙を開封し、一言も発することなく読み進める彼を、両脇の友人二人に倣い、エドワードとカイも静かに見守る。
手紙を読み進めるうち、美しいルドルフの容貌は信じられないものを目の当たりにした、恐怖のような驚愕へと染まって。
「こ、れ……俺に伸らない選択肢、あるんですか?」
やがて絞り出されたのは、か細くも前向きな、呟きだった。
大きな山場を超えた安堵に、エドワードの表情は自然と緩む。
「あるだろ。何といっても、失敗したらそれこそ、お前の身の安全は保証できない話だ」
「そうかもしれませんが、あまりに見返りが大きすぎます。ナーシャを……側室となった彼女を、〝側室として、正規の手段で娶ることができる〟なんて」
「側室さんって、明文化されてるわけじゃないけど、王族に準ずる身分って慣例らしいから。一般的な子爵令嬢さんなんて目じゃないくらいには、高い身分だよね。ボクくんの母方祖父母さんの要望とも合致するんじゃない?」
「〝降嫁〟した場合、花嫁の後ろ盾になるのは王家だ。王家が認めた婚姻なら、どんな貴族も難癖はつけられない」
「それどころか、ナーシャのお腹にいる子の父親が俺で、降嫁してすぐに身籠った子だと正式な書類に残してくださる、と」
「出産時期を弄ったりと、いくつかの小細工は必要になるけどな。お前たちの子がジューク王の子じゃないと明記するのは王家にとってもメリットの方がデカい。それほど感謝されることでもないぞ?」
「俺が欲しいもの全部、与えてくださる〝計画〟に。〝危険だから〟なんて理由で伸らないわけ、ないですよ」
祈るように手紙を額に押し当てて。
次の瞬間、ルドルフは勢いよく立ち上がった。
「お礼を、述べさせてください。ナーシャからの手紙には、ディアナ様への純粋で深い感謝と、尊敬の念が綴られていました。お腹の子ともども危険な状態だったところ、スタンザ帝国から帰国した船を降りてすぐのディアナ様が、馬を走らせ駆けつけて、お救いくださったのだと」
「そのお礼なら、俺たちじゃなくて本人に言うべきじゃない?」
「もちろん、実際にお目通りが叶った際は、跪いて御礼申し上げるつもりです。しかしながら、ディアナ様のご無事の帰国と王宮までの早駆けには、きっとお二人もお力添えくださったはず」
「まぁ……指を咥えて傍観していたわけじゃないことは確かだが」
「大切な彼女と我が子の命の恩人であるにも拘らず、数々のご無礼をいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。――そして、こんな俺に、彼女の伴侶として、腹の子の父親として、挽回の機会をくださいましたこと、どれだけお礼を申し上げても足りません」
澄み切った陽の光を浴び、強く煌めく橄欖石の如く、色鮮やかに輝く双眸。
己の進むべき道を見つけ、真っ直ぐに前だけを見据えて迷いなく言い切るルドルフの姿は、エドワードにとって初めて見るものだったけれど、友人二人にとっては見慣れた姿だったのだろう。自分たちの知っているルドルフが帰ってきたと、見るからに安堵した顔を、二人はルドルフへ向けていた。
(きっと、これが。術にかかっていない〝ルドルフ〟の、ありのままの姿なんだろうな)
今の彼ならきっと、難しい〝任務〟もやり遂げてくれるだろう。時間もないし、そろそろ本題に入るとするか。
「ルドルフの決断に感謝する。――早速だが、これからのことを相談させてくれ」
「承知しました」
かなりの回り道ではあったが、無事にルドルフを味方へ引き入れられたことに、エドワードは大きな〝山〟が一つ動いた実感を、確かに、強く、感じていた――。
ルドルフのターンを超えてエドとカイがインした瞬間、執筆スピードが三倍くらいになって嬉しい以上にドン引きました。
ルドルフお前、全然私に心開いてくれてないね。。。




