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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
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ルドルフの半生④


 父ジョエルがファニーを後妻に迎え、ファニーとナーシャがクロケット男爵家の籍に入ってから、年月はあっという間に過ぎ去った。


「ルード、ここにいたの」

「姉さん」


十四歳になったルドルフは、十六歳を迎えてますます美しくなるナーシャを前に、幼い頃感じていた胸の痛みの正体を、ようやく理解できるようになっていた。


「ルード? どうしたの?」

「……何でもない。姉さん、どこへ行っていたの?」

「お茶会よ。ケーサ子爵家の」

「あぁ、最近陞爵したっていう?」

「えぇ。勢力拡大のため、クロケット男爵家も取り込みたいとお考えなんでしょう。お茶会に参加したのが私で、内心がっかりされたと思うわ」

「確か、あそこは跡継ぎの長男が、何年か前に結婚してたっけ」

「ご結婚されて、もう孫娘さんがお生まれになってたわ。近いうち、王太子殿下が妃殿下をお迎えになって、王子殿下がお生まれになれば、次世代の王子妃候補として名乗りを挙げられるおつもりでしょう」

「あー……王太子妃になれそうな年頃の娘はいないんだっけ、ケーサ子爵」

「夫人が三人、愛人が二人子を産んだけど、全員男子だったみたいね。それもあって、初孫が女児だったのがよっぽど嬉しかったんだと思う。今日のお茶会も、孫娘さんのお披露目会みたいなものだったもの」

「そ、っか」


 と、いうことは。今日の茶会でナーシャに縁談が持ち上がったりは、おそらくしていないだろう。

 茶会の詳細を知り、ルドルフはようやく、密かに安堵する。


(……時間の問題なのは分かってる。でも、ナーシャに本格的な結婚話が出てくるより前に、俺が社交デビューして、誰の目から見ても優秀なクロケット家の跡取りになれたら。父上も、身分だけあって家のことをよく知らない女性を嫁として迎え入れるより、商才があってクロケット家の事業をよく把握してるナーシャを、俺の妻として求めてくれるかもしれない)


 ――ナーシャを想う度、どうしてか締め付けられていた胸の奥。その、謎の痛みの根源。

 それが、幼い日の邂逅時に埋まり、密かに芽吹いた恋の種であったと気付いたときには、もうその種から駆除不可能なほど根が深く張り、すくすくと育ち、立派な花が咲いていた。元より生まれが良く、良家の子女として過不足のない教育を施されていたナーシャは、貴族家の養女となって見た目と仕草が洗練されたことで、日に日に美しく成長していく。みるみるうちに美しく育っていく様を特等席で見続けては、仮に早い段階で恋の芽生えに気付いたとて、その芽を摘み取ることは、どのみち不可能だっただろうけれど。


「ルード? あなた、やっぱり変よ。何か気になることでもあるの?」

「……姉さん」


 加えて、入籍当初こそどことなく身構えていたナーシャも、ルドルフが心の底からファニーとナーシャを歓迎していると実感できてからは、こうして打ち解けた雰囲気で接してくれるようになり。あの日、ルドルフの心を奪った、柔らかくも芯あるその心根を、惜しみなく見せてくれるようになっていた。彼女の真心を感じ取る度、ルドルフの心は抗うことを忘れ、恋の花を育ててしまう。


「ルード?」

「……大した、ことじゃないよ。そんな綺麗に着飾って、姉さんが変な男に言い寄られてないか、心配だっただけ」

「っ、えぇ?」


 柔らかくも引く気のない問いに白旗を挙げ、ほんの少し、本音を滲ませれば。

〝思ってもみないことを言われた〟といった風情で、ナーシャの頬が薔薇色に染まる。


「……も、もう! 急に何を言い出すの。そんなこと、あるわけないじゃない」


(……ほら。こんな戯言に、そんな顔するから)


 自惚れでも、何でもなく。

 ナーシャも、同じ想いでいてくれているのではと、僅かな希望を捨てられないのだ。


「どうして? 家族の贔屓目を抜きにしても、姉さんはすごく綺麗だよ。一目惚れされて、その場で結婚を申し込まれても、全然不思議じゃない」

「あなたねぇ……お茶会にいらしている方々は、皆様、れっきとした貴族でいらっしゃるのよ? 私みたいな、名前と籍だけ貴族に連なっているような女は、最初から眼中に入らないわ」

「ケーサ子爵家の茶会だろ? なら、招待されてたのだってほとんど新興貴族だ。俺が言えた話でもないけど、姉さんの経歴にいちゃもんつけられるほど、招待客たちだって〝由緒正しい〟わけじゃないと思うけど?」

「だから、よ。歴史が浅い自覚がおありだからこそ、新興貴族の中にも一定数、何代前から貴族なのか、気にする方はいらっしゃるの。特にケーサ子爵様は、王族との縁戚を欲して止まないほど、権勢欲旺盛なお方だもの。家の歴史とか、血筋とか、古参の方々ほどではないにしても、こだわっておいでだなと感じたわ」

「……それは、今日、姉さんが子爵家の茶会へ行って感じたこと?」

「そうね。というか私、ケーサ子爵家へお邪魔するの、今日が初めてだし。他の社交場でお義父(とう)様に連れられてご挨拶したことはあったから、面識はあったけど」

「分かった。なら父上に、今後ケーサ子爵家と関わる社交には、姉さんを一人で行かせないように言っとく」

「ルード……」


 戸惑い、困惑したような表情の中、ヘイゼルの瞳の奥が安堵したように緩んだ色を見せたのを、ルドルフは見逃さない。今のルドルフは、王都邸の一角に設けられた温室で、父が異国より取り寄せた花のスケッチをしていたところだったけれど、それまでは会話しながらも何となく動かしていた木炭を置き、体ごとナーシャへ向き直った。


「そんな家とは知らず、姉さんを一人で行かせてしまってごめん。俺たちのリサーチ不足だ」

「急に何を謝るの。リサーチ不足も何も、私も今日、お義父様の名代として出向いて、ようやく感じた程度の話よ。それだって、直接的に何か言われることもなかったし」

「それでも、クロケット家の社交で姉さんに嫌な思いをさせたのは事実だ。俺も、父上も、義母(はは)上と姉さんを迎え入れるときに、家のことで二人に苦しい思いはさせないと、全部の苦難を排除するのは無理でも、必要のない苦痛を強いることだけは絶対にしないって誓ったんだから」

「……本当、律儀よね。あなたも、お義父様も」


 ケーサ子爵家は爵与制度が始まった最初期に叙爵された家の一つで、新興貴族の中では古株に入る。馬車の車軸を強化する技術を開発し、今の王国においてスタンダードとなった馬車を造り、山向こうの二国との交易へ最初に乗り出した家だ。山向こうとの交易と領地運営の二本柱で順調に家を発展させ、この度、子爵位へと陞爵したと聞く。

 来歴だけなら立派な、大成功した新興貴族の星であり、実際ケーサ家は革新派の中核として、新興貴族たちを手厚く支援していると聞いていた。現当主は父とも社交の場でよく顔を合わせ、後妻である義母のことも、連れ子であるナーシャにも好意的な人物だと思っていたからこそ、父は安心してナーシャを一人で茶会へ送り出したのだ。

 父の言葉を信じて赴いた先で、言葉にこそされないものの、〝母親が貴族を捕まえたことで、名前と籍だけ貴族となった平民女〟扱いを受けたのであれば。それは明らかな父の、そしてルドルフの過失である。


「律儀とか、そういう話じゃないだろ。二人には、俺たちの身分が貴族だったせいで、しなくても良い苦労を山ほどかけてるんだから。逃げようのない義務とかは仕方ないとしても、避けたって別に問題ない苦労までかけるつもりはないってだけだよ」

「そうは言うけど、ケーサ子爵家とのお付き合いは大切でしょう?」

「父上次第ではあるけど、ウチはケーサ家と大きな取引を抱えてるわけじゃないし、ケーサ家を頼らないと成り立たないほど脆弱なわけでもないから、付き合いがなくなったところで大した損害はないんじゃないかな? 仮に付き合いがなくなったら、ウチの紡績商品を取り扱えなくなって、ケーサ家とその一派はまぁまぁのダメージ喰らうと思うけど」


 実際、ケーサ子爵家とクロケット男爵家は同じ新興貴族でこそあるけれど、互いの勢力圏は絶妙に離れている。というより、クロケット家がそもそも、どこの勢力圏にも属していないのだ。奇跡的に事が上手く運んで王国を代表する一大紡績工業主となりはしたが、歴代のクロケット家当主は皆、自身の興味分野にひたすらのめり込むオタクでしかなかった。煩わしい勢力争いなんてものを好む筈もなく、貴族となってからの社交も「招待されたら行く。招待日時が被っていたら家同士の付き合いが深い方を優先し、行けない方には丁寧な断り状を書く。家発信で何かアピールする事があれば、男爵家の名を冠して開く。茶会か夜会か、誰を招待するかは、アピールしたい事柄によって決める」という、基本のキに忠実なこなし方をしている。その基本に則った場合、残念ながらケーサ家とは、共通の知人が開いた社交場で顔を合わせるか、ケーサ家主催の場に招待されて赴くか、といった付き合いにしかならない。


(今日なんか、父上に用事があったから本当なら断られていたはずなのに、ナーシャがわざわざ父上の名代として足を運んだんだ。それなのに、名代のナーシャをそれとなく冷遇するなんて。そんな家、ナーシャどころかクロケット家全体で距離を置いたって、困らないどころか大正解なんじゃないか?)


 冷えた思考が昇ってきたところで、正面のナーシャからの視線を感じ、ルドルフは視線を上げた。

 正面からルドルフを見ていたらしいナーシャは、まさかこのタイミングで目が合うとは思っていなかったようで、パッと頬を赤らめて視線を逸らしてしまう。


「え、なに。どうしたの、姉さん」

「な、何でもないわ。何でもないの」

「どう見ても、何でもない人の反応じゃないけど?」

「本当に、何でもないのよ。その、ただ見惚れてただけというか」

「……みと、れてた?」


 頬を染めたまま、視線は横に逸らしたまま、ナーシャは両手で顔を覆って。


「最初に会った頃から、天使みたいに可愛くて、綺麗で。今だって綺麗なことに変わりはないけれど、いつの間にこれほど格好良く、素敵になったのかしら、って」

「……」

「外見だけの話じゃないのよ? 出会った頃から変わらず、持てる力を尽くして私を、お母さんを守ってくれる、守ろうとしてくれる心持ちが、本当に素敵だわ。あなたみたいに出来た弟を持てただけで、貴族の苦労全部買ったってお釣りが来るって本気で思うもの」

「ねえ、さん」

「姉なのに、年上なのに、いつも頼ってばかりでごめんね。あなたが私を守ってくれる分、私もクロケット家のために、できることは何でもするから」


 最後の言葉は、頬を染めながらもまっすぐ、ルドルフの方を見て。

 焦がれて止まないヘイゼルの瞳を穏やかに光らせ、ナーシャは微笑んで言う。


 ……その瞳の奥に、微笑みの中に、微かな切なさを感じてしまうのは、そうあって欲しいルドルフの願望ゆえ、だろうか。


(……最近のナーシャは、必死に意識して、俺と〝姉弟(きょうだい)〟の距離を保とうとしている。そう、見える)


 少し前から、違和感はあった。互いの部屋で二人きりになることを避け、どうしても避けられないときは必ず扉を開け放ち、侍女と侍従の双方を侍らせる。「いくら姉弟とはいえ、血の繋がりはないわけだから……社交デビュー前のあなたに、万が一でも悪い噂が立ったらいけないわ」と姉ぶるその仕草が、却ってルドルフとは実質、単なる〝男女〟でしかないと意識している風に見えていると、果たして彼女は気づいているだろうか。


(ナーシャも俺を、恋人として、将来の伴侶として望んでくれるなら。俺は何が何でも優秀な跡取りに、妻の実家になんか頼らなくてもクロケット家を発展させられる男になって、その手を死ぬまで、離さないのに)


 この国で、血の繋がりのあるきょうだい婚はできない。しかし、両親の再婚によってきょうだいになった、いわゆる〝連れ子婚〟ならば問題はないのだ。ルドルフがナーシャを娶る上で法律上障害はなく、せいぜいが政略的ハンデ程度。政略的ハンデなら、ルドルフが優秀になりさえすれば乗り越えられる。――実際、ナーシャは持って生まれた商才をクロケット家にて花開かせ、今や『クロケット紡績商』にとって無くてはならない人物と化しているのだから。後はルドルフが追いつけば……!!






「……そう、だなぁ。ルドルフの結婚相手には、最低でも子爵位以上の家のお嬢さんが良い。そう考えては、いたよ」


 ……ある、夜。何気無く通った居間の扉が開いており、その中から父と、義母の会話が、聞こえてくるまでは。


「そ、っか。子爵位……子爵、ね」

「名ばかりではあるが、あの子の母は歴史ある男爵家の出身だ。娘が産んだ息子の妻が、同じ男爵家や、ましてや平民出身など、あの子の祖父母は認めないだろう。今となっては名ばかりになってしまったからこそ、あのご夫婦は家の歴史を、自分たちの血筋を、誇りに思っているからな。そこしか誇れない、とも言うが」

「確か、現存する男爵家の中で最も旧い……んだっけ? 血筋的には」

「家としてはそうでもない。確かにアズール以前の興りではあるが、もっと旧い家はいくらでもある。ただまぁ、元々が分家として興った家で、元となった家は確かに建国当時まで遡れるらしいから、最も旧い血筋の一つと言えなくもないんだろう」

「詳しいね、ジョエル。あなたも貴族の血筋になんか興味ないだろうに」

「政略婚とはいえ、娶った妻の実家のことだ。しかも本人や義理の両親はその血筋に固執……誇りを抱いているとなれば、それくらいは調べるし、学ぶさ」

「そりゃそうか。……今となっちゃ大した付き合いもない上、クロケット家の援助でどうにかこうにか最低限の品格を維持しているに過ぎないような男爵夫妻でも、孫の結婚となれば口出しして来るもんなんだねぇ」

「最初の妻がルードを産み落として亡くなったようなものだから……娘の忘れ形見にはせめて、血筋に相応しい結婚をさせてやってくれとな。口出しどころか、妻が亡くなった当初から、口を開けば言われるよ」

「……それ暗に、ジョエルは娘に相応しくなかったって言ってない?」

「言っていると思うぞ。だからこそルードには、極力接触させなかった。下手に貴族至上主義、血統主義を吹き込まれて、クロケットの従業員たちを見下すような跡取りになったら終わりだからな」


 ……産みの母の両親、つまり母方の祖父母が健在なのは知っていたけれど、まさか遠ざけられていたとは思わなかった。そんな考え方の人間、親戚であっても付き合いたいとは思わないから、意図して遠ざけられていたことに対する不満はないが。


(なら、そんな祖父母のこだわりなんて、無視すれば良いのに)


 同じことを、話を聞いていた義母――ファニーも思ったらしく、次に聞こえてきた声には分かり易い疑問符がついていた。


「確かにルードの母君にとっては大切なご両親だろうけれど、同時にクロケット家と相入れない価値観をお持ちなのも間違いない。そんな方々の仰ることを受け入れて、ルードの結婚相手の幅を狭める必要あるの?」

「普通に考えれば、ない。……だが、間の悪いことに、あの二人が私に『孫の結婚』云々を言ってきたのが、よりにもよって最初の妻の葬儀――しかも、大勢の貴族が参列する葬儀場の、一番目立つ棺の前だったんだ」

「うっわぁ……」

「棺の前で、生まれたばかりのルードを抱いた私の足に縋り付き、泣き叫ぶような声で『どうか孫には、娘の忘れ形見には、我らの血筋に相応しい婚姻を――!!』と言われた私こそ、泣きたかったな。あの葬儀には、クロケット家と懇意にしている方々だけでなく、妻の血筋に敬意を払ってか、古参貴族の方も多く参列していた。そんな大勢の前であの場を収めるには、『もちろんです。亡き妻に誓って、私は息子に相応しい相手を選び、幸福な結婚をさせましょう』と言うしかなかったんだよ」

「あぁ……故人の棺の前で交わした誓い、か。それは、重いね。しかも衆人環視と来れば」

「我が家は王宮での派閥争いに特別な関与をしていない。それもあって、あの日の葬儀には、派閥関係なく大勢の貴族がいた。その前で交わした誓いは、おそらく短期間で王国中の貴族へ知れ渡っただろうし、十五年近く経った今でも、覚えている人は多いだろう。ルードが自分で見つけた結婚相手ならまだしも、私が政略的に選ぶとなれば、下手に身分が低いと却って苦労をかけてしまう」

「だから、〝最低でも子爵位以上〟なんだ?」

「少なくとも、男爵位より上であれば、相応しくないことにはならないだろう? 仮にどれほど家の歴史が浅かったとしても、〝王国が子爵位を授けるに不足なしと断じた家のお嬢さん〟という言い分で守ってあげられる」

「そういう、こと。お相手のためにも、って話だったんだね」

「あぁ」


 短く頷いた父の声には、苦渋が宿っていた。

 長いため息の後に、重く深い父の吐露が続く。


「もしも、ルード自身が相手を見つけ、相手にも求めてもらえたとして。この先社交デビューしたルードが上手い具合に立ち回り、親だけでなく社交界の重鎮の方々にも二人の仲を認めて祝福される、なんて奇跡が起これば……そのご意向を盾に堂々と結婚まで漕ぎ着けられるんだが。さすがに国王陛下は無理でも、公爵閣下や侯爵、伯爵家の後ろ盾なら、あるいは」

「この貴族社会で、政略ゼロ、恋情百の婚姻に、そこまでの支持を集めるのは難しいでしょうね……」

「だから、奇跡を願うしかないのだよ。……あの子が男爵位以下の家のお嬢さんを、結婚相手にと望んだ場合は、な」

「子爵位以上なら問題ない、ってことね。……あたしも頑張ってはみるけど、こればっかりは最終的にどうなるか、分からないわ」

「もちろんだとも。私とて、子どもたちの幸福が、何より大事だ」

「まぁ、起きてもいないことを、今から心配してもね。ルードが本当に恋をして、相思相愛になれるかどうかも未知数なわけだから」

「そうだな。恋愛結婚を認めるなら、最低限、自力でそこは乗り越えてもらう必要がある」


 ……仲睦まじい夫婦の会話をどこまで聞いて、その後、どうやって自室まで戻ったのか、はっきりとは覚えていない。

 ただ、ひとつ。


(俺が、どれだけ優れた、後継者になっても。俺の結婚相手は、俺の気持ちだけじゃ、選べない。……俺がナーシャをどれだけ好きで、ナーシャが俺を望んでくれたとしても、俺たちの仲が貴族社会に受け入れられない限り、受け入れられたと認められない限り、俺たちが結婚できる未来は、来ない)


 不意に知ってしまった、不条理な現実。本来ならあり得なかった〝枷〟が、己の自由だけでなく心までもを、強い力で締め付けてくる。


 何よりも。


(貴族になんかなりたくなかったナーシャを、父上の、俺の身勝手で縛って。最低限の義務以外、貴族特有の煩わしさからは守ると誓ったのに。……俺たちが結婚するためには、その〝煩わしさ〟をナーシャに強いなきゃいけないなんて)


 もしもナーシャがルドルフを好きで、将来はクロケット男爵家を共に切り盛りしていきたいと望んでくれていたとしても、そこに高位貴族との社交活動は含まれていないはずだ。ナーシャの本分はあくまでも商業分野にあり、貴族としての社交はその一端に過ぎないと、以前ちらりと言っていた。

 それ以上に。歴史と血統を重んじる古参貴族たちが、ナーシャにどんな牙を剥くのか、恐ろしくて仕方ない。そんな中に飛び込んでくれなど、口が裂けても言える訳がないのだ。


(どうすれば、良い? どうすれば、ナーシャを守りながら、ナーシャとの結婚を認めてもらえる? どう、すれば……!)


 悩んでいるうちに年は明け。

 やがて――〝その日〟はやって来た。


「ルードも、今年で十五歳よね。何か欲しいものはない?」


 社交デビューを迎える、記念すべき年。……ルドルフにとっては、未だ立ち向かう術すら見えない〝強敵〟が大口を開けて待ち構えているようにしか、見えない。

 ここのところ、ルドルフが悩んでいることを察したのか。ある夜、ルドルフの部屋を訪れたナーシャは、これまでの警戒心をどこへ置き忘れてきたのか、侍女も連れず、たった一人だった。

 それは偶然のことながら、ルドルフも部屋付きの使用人を下がらせた後で。一人尋ねてきたナーシャを迎え入れ、部屋の扉を閉ざしたとき、きっと無意識ながら、ルドルフは〝この後〟を悟っていた。


(俺を守るためにと、必死で〝姉弟〟の距離を取ろうとして。なのに、俺が悩んでいると思ったら、そんなことはすっかり忘れて、俺が気を抜ける環境を作ることだけに気が向いてしまう。……隙のないナーシャが唯一隙を見せるのが〝俺〟に気を取られたとき、なんて、期待しない方が、無理だ)


 この先、ルドルフがナーシャ以外を愛する未来は来ない。

 彼女が、晴れない闇を照らす、唯一の燈(ともしび)となった、あの日から。


 ルドルフの心はもうずっと、ナーシャに捧げられている――……。


「あるよ。――姉さんを、ちょうだい?」


 だから、どうか。ナーシャも、心を見せて欲しい。心を、預けて欲しい。


 そう願って伸ばした手は、想像以上に強く激しい拒絶によって、虚しく宙へ浮いて。

 ……そこからのことは、まるで夢の中で起きた、幻のようだった。

 拒まれば拒まれるほど、否定されればされるほど、ルドルフの情動はただひたすら、ナーシャだけを求めて。深く求めれば求めるほど、彼女の強情は徐々に溶け、ルドルフを受け容れてくれる。


 そこまでする気がなかった、など、今だから言える言い訳に過ぎない。あの夜、結局ルドルフはナーシャの〝総て〟を味わい尽くしたのだから。

 最後は泣き疲れるように意識を手放したナーシャを腕に抱き、ルドルフの心に仄暗い展望が浮かぶ。


(……もしも、俺たちが〝夫婦も同然の仲〟だって、使用人たちの間でそれとなく噂になれば。その噂が、何かのきっかけで父上の耳に入れば)


 もちろん、使用人たちが規則に忠実である限り、そのようなことは起こり得ない。けれど、あの〝規則〟は敢えて、使用人たちが使用人同士で、主家について噂することを咎めていない。あまり縛り過ぎては、不平不満がどんな矛先を向くか分からないという懸念からの措置だったけれど。


(人の口に、戸は立てられない。噂自体を咎めていない以上、屋敷内の噂はまことしやかに外へ漏れ出て、上手く誘導すれば社交界にも静かに浸透して、巡り巡って父上の耳へ入る。そこで噂が〝事実〟だって分かれば……ある意味、〝社交界に認められた結婚〟になるじゃないか)


 そうだ。社交界に認められるには何も、肯定的である必要はない。噂好き、醜聞好きな貴族たちの間に面白おかしく伝わり、結果的に既成事実化するのだって立派な〝承認〟だ。要は、父と祖父母が生母の棺前で交わしたという〝誓い〟を知る者たちが、文句を言えなければ良いのだから。


(ナーシャも、今はまだ〝姉弟〟に拘ってるけど。これからの時間を〝恋人〟のものに塗り替えれば、俺の気持ちが本物で、ナーシャとの将来を望んでるって、分かってくれるはず)


 社交デビューしたところで、ルドルフ自身はまだまだ学生身分。既に社交界で安定した立場を築き、同年代の子女と繋がりを深め、さらにはクロケット商店の運営にも欠かせない存在となりつつあるナーシャには、どう足掻いても追いつけない。こんな自分が〝将来〟を語ったところで寒いだけだから、今はまだ、言葉にして伝えることはできないけれど。


(俺はもう、ナーシャとの関係を〝姉弟〟には、しない)


 そう誓い、ルドルフは使用人たちを巧みに言い包めて、数日に一度の頻度でナーシャの寝室を訪れる日々を過ごした。こうして〝恋人〟の時間を重ねていけば、今は戸惑いの方が大きいナーシャもきっと、ルドルフの心を信じてこの手を取ってくれるはず――。











「……今、なんと仰いました? 姉さん――姉上が、どちらへ行かれたと?」

「聞こえたはずだぞ、ルード。――ナーシャは、今代国王陛下ジューク様の側室となり、後宮へ上がった。いずれ里帰りする機会はあるかもしれんが、しばらくは王城住まいとなる」


 ナーシャの心を解くべく時間を重ね、ようやくナーシャの気持ちが綻んでいると感じた、春の終わり。

 学校帰りに珍しく出迎えてくれた父から聞かされたのは、理解の及ばない、現実だった。


「は……? 何故、どうして、姉上が? あの後宮は、希望しない限り、側室を取ることはないと学院で聞きました。娘を側室としたい家が王宮へ希望を出し、それに王が応じることで、初めて入宮が叶うと」

「その通りだ。側室となることは、ナーシャ本人が望んだ」

「嘘だ!!」

「私が、家族の、ファニーの大切な娘のことで、嘘をつく訳がないだろう。ナーシャが望み、その意思が強固であったことから、私はあの子の望みを叶えるべく、側室の申請を出したのだ。……既に相当数の側室が集まっていることから、通るかどうかは五分と思っていたが、どうやら陛下は上がってきた申請を跳ねることはなさらないようだな」

「……っ、既に多くの女性を得てなお、貪欲に新たな女を求めるとは。ジューク陛下は若くとも思慮深く優秀な方と聞き及んでいましたが、どうやら私生活に限っては、欲に忠実でいらっしゃるようで」

「口を慎め。陛下がどういった意図で後宮を開き、側室たちを集めていらっしゃるのか。直接お言葉を交わすことなどあり得ぬ我らの立場で邪推するなど、不敬の極みだ」

「そも、後宮とはそういった場所でしょう! 父上も父上だ、どうして止めなかったんです!!」

「ナーシャの意思が強固だったから、とさっきも言ったぞ。理由は分からないが、ナーシャは側室となり、後宮へ上がることこそ〝この家〟のためだと、固く信じ込んでいるようだった。それこそ、口先だけの否定など、届きようもないほどに」


 はぁ、と短く息をつき、ジョエルはその眼差しを、ひたとルドルフへ向けてくる。


「私も聞きたい、ルード。ナーシャが側室となりたがった理由に、心当たりはないか」

「そん、なの……!」

「理由の一つは、ファニーに心当たりがあった。だが、たったそれだけのことで、あの子が王宮などという魔窟へ行きたがるとは思えない」

「……まず、義母上の掴まれた〝心当たり〟とは?」

「ナーシャの生家に関することだな。疑惑を確信へと変えるべく、ファニーには伝手を頼って調べてもらっている。もちろん、私も協力しているが」

「もし、その〝心当たり〟を解決できたら、姉上は帰って来られますか?」

「それだけではないと言っただろう。もしもファニーの〝心当たり〟だけが理由なら、あの子は側室となるより先に、もっと別の手段を講じたはずだ。理由の一つではあっても、メインではない。私はそう、推測している」

「……」

「少なくとも、私に心当たりはない。ファニーにはあった。だから、お前にも聞いている。――何か、ないか」


 それは一見すれば、家族の異変を見抜けなかった家長が、家族一人一人へ尋ねている様でしかない。

 しかし、目の前の父が発する〝圧〟は。半ばルドルフこそが〝原因〟だと、確信しているからこそ。言い逃れを許さない厳しい態度で、父はルドルフと対峙しているのだと、ここまで来れば飲み込める。


 だからこそ。ルドルフは、その父の〝圧〟を。


「――言いたくありませんね」


 鼻で笑って、吹き飛ばした。


「ルード!!」

「俺たちの間に何があろうと、父上には関係のないことです。俺がどうとか関係なく、クロケット男爵家には姉上が必要なはずだ。せいぜい、取り返せるように頑張ってください」

「……お、まえ、」

「姉上のお気持ちは、何となくですが分かります。――それが無意味ってこともね」


 ナーシャは、ルドルフの愛しいひとは、最後の最後まで〝姉弟〟の枠を完全に踏み越えてはくれなかった。ルドルフの想いを拒むことで、世間の荒波から守ろうとしてくれていた。

 否定も、拒絶も。全てルドルフを愛するがゆえだと分からぬほど、ルドルフは幼くも、鈍くもない。

 ルドルフを守るために距離を取るべく、ナーシャは外部との接触が完全に絶たれる場所へ行くことを望み、そんな彼女の希望に合致したのが後宮だったのだろう。他の男のものとなることで、ルドルフの気持ちが冷めることも、もしかしたら期待したのかもしれない。


 ――が。


(無意味だよ、全部。ナーシャが誰のものになったって、俺の気持ちが変わるわけない)


 相手の男――国王陛下を殺したくなりこそすれ、ナーシャから心が離れることはあり得ないのだ。夜目の効かない人間が、行き先を優しく照らしてくれる光を、手放すことなどないように。

 気付けば、ルドルフは理由も分からないままに笑っていた。その笑みがよほど邪悪に見えたのか、正面に座っていた父がゆっくりと立ち上がる。


「……お前がナーシャに何をしたのか、詳細までは分からないが。どうやら、お前が理由であることは、確かなようだな」

「今更ですね。父上はもっと、家庭内のことに気を配られるべきでは? 義母上にばかりお任せするのはどうかと思いますよ」

「血縁こそなくとも、お前たちの間にあった絆は本物だと、私は信じていた。……まさか我が息子が、義姉(あね)を家から追い出すような行いを堂々として恥じないとは」

「心外です。俺は姉上を追い出そうなんて、考えたことありません。むしろ、この先もずっと我が家にいて頂きたくて、色々と考えていたのに」

「その〝色々〟が問題だったから、ナーシャは家を出るまで追い詰められたんじゃないのか」

「……さぁ、どうでしょう。仮に問題だったとしても、父上に責められる謂れはありません」


 ルドルフとて、順番が間違っていたことは理解している。間違って、間違ったまま、突き進んだことも。

 けれど。間違うしかなかった〝原因〟を、棺前の誓いなんていう厄介な〝枷〟を課した父にだけは、その間違いを指摘されたくない。


「先ほども申し上げましたが、なるべく早く、姉上にはお戻りになって頂くべきかと。王都のクロケット商店は、姉上の才覚なしで、あれ以上売り上げることは不可能でしょう」

「ナーシャはただ家から離れた訳ではない。家を出ても、自身はクロケットの人間だという自覚を胸に、後宮でその役目を果たそうとしている。実際、クロケットの娘が側室となったことで、王宮で扱われる紡績製品の何割かが我が家の管轄になると決まった」

「!!」

「家にはおらずとも、ナーシャは立派なクロケットの人間だ。――お前がいかに甘えているか、少しは分かったか」


 立ち上がった父の目は、これまで見たことがないほど強い。ルドルフの知っている父は、あくまでも家庭内の、父親をしている彼(ジョエル)でしかなかったのだなと、こんな場合なのにぼんやりと感じた。


「ルード。お前の社交デビューを延期する。仮に王宮で側室の家族を招いた催しがあったとしても、今のお前を連れて行くわけにはいかない。学院で学び、同年代の者たちと関わりを深め、己の考えがいかに甘ったれたものか、ナーシャにした振る舞いがいかに愚かであったか、よく自省しなさい。充分に反省できるまで、お前を一人前と、クロケットの後継と認めるわけにはいかない」

「……承知しました。他でもない、家長である父上の命令ですからね」


 ――それから、一年。ルドルフは絵に描いたような優等生として学院で過ごし、一時期は寮にまで入った。父の言った通り、同年代の貴族子弟たちと関わりを深め、学年の中心人物として、教師たちから信頼されるようにも努め。


「――おかえりなさい、姉さん。……久しぶり」

「えぇ。ただいま、ルード。――あなたも、学校、お疲れさま」


 全ては、この日。

 ナーシャが帰って来るこの日に、彼女を出迎えるため。


 たった一年で、父からの疑いが消え去ったわけではないことくらい、知っている。けれど、学院では教師たちに信頼される学年のリーダーであり、学年問わず人気者なルドルフを、いつまでもあからさまに遠ざけるのは不自然だ。父の心境はともかく、久しぶりに〝姉〟が帰宅する場に〝弟〟を同席させないわけにはいかないだろう。

 いずれナーシャが〝里帰り〟する日を逃さないよう、ルドルフはこの一年、優等生であり続けたのである。


(……まさか父上が、ナーシャ専用の護衛を雇うなんて思わなかったけど)


 女性ばかりの護衛に、昼夜問わずナーシャを守らせている父を見れば、ナーシャにとって一番危険なのはルドルフだと父が考えてることは明らかだ。……そしてそれは、間違っていない。


(ねぇ、ナーシャ。俺は、ナーシャを、諦めないよ)


 この、一年。逢えない中でひたすら彼女を想い、煮詰めに煮詰めたルドルフの恋情は、もはや自分でもコントロールできないほど、大きくなりつつあった。普通なら、王の側室になった想いびとのことは、遠くからそっと見守るものなのかもしれないけれど。


(形だけの、側室なら。一人くらい奪っても、あの王は気にしないだろ)


 噂によれば、王は『紅薔薇の間』を与えた側室、ディアナ・クレスターに夢中となり、彼女を正妃にすべく動いているものの、クレスター伯爵家の悪名高さが障害となり、王宮の重鎮たちは難色を示しているらしい。クレスター伯爵家のことはルドルフも噂で聞いたことがあるけれど、意外なことに伯爵令嬢ディアナ自身はそう悪人でもなく、後宮で弱い立場の側室たちを守るような行動を見せているのだとか。それが単なる噂でなく、紛れもない事実であることは、里帰り中のナーシャが家族の前で話していた。父も貴族議会の場でディアナの姿を見たことがあるらしいが、曰く、「あのご令嬢を『氷炎の薔薇』などと称していた貴族連中は、実に見る目がない」とのこと。ナーシャが心酔しているところから見ても、人格、実力ともに申し分のないご令嬢ではあるのだろう。そんな彼女に夢中だという王も、女を見る目はある、の、かも、しれない。


(――なら、とっととディアナを正妃にして、後宮を閉じて、側室を解放しろよ!!)


 ナーシャを切に求める身としては、寝ても覚めても、その結論へ落ち着くしかないわけだが。


 ――里帰り中のナーシャと必要以上の接触を持たなかったことで、父は警戒を緩めたのだろう。延期していたルドルフの社交デビューを今年行うと決め、淡々と準備を進めていく。この一年、ほとんど交流らしい交流をしなかった父子に、誰より義母が気を遣い、何くれとなく世話してくれたことだけは、素直に申し訳ないと思う。

 そうして迎えた、デビュタントの場で。


「国王陛下と紅薔薇様に、ご挨拶申し上げます。現クロケット男爵長男、ルドルフ・クロケットと申します。昨年成人を迎え、今年より社交の場に参加致しますことを、ここに報告致します」

「そうか。ルドルフ、よくぞ無事、成人を迎えてくれた」


 生まれて初めて、ルドルフは心の底から、目の前の人間を〝憎い〟と思い。

 その憎悪を隠すべく、表面上だけ綺麗に笑う術を、身につけた。


「大変人目を引くご容貌をしていらっしゃるなと、感銘は受けましたよ。あなたほど美しい少年に微笑まれれば、誰だって悪い気はしないでしょう。――ですが、わたくしは人の見目にあまり興味がありませんので」


 そんな己に動じない『紅薔薇』へ投げかけた揶揄も、真正面からやんわりと躱され。その風格はまさしく正妃に相応しく、王と寄り添う姿は、まるで一枚絵の如く完成されていた。


(ナーシャが心を許すのも納得だけど……そんな人格者なら、悪評高い実家とはとっとと縁切るなり何なりして、早く正妃になってくれ。正妃になって、後宮を解散してくれよ)


 ディアナと目線を合わせながら、思わず内心で毒づいてしまったが、彼女はルドルフの煮え滾る情に気付くことはなく、和やかに笑って謁見を終わらせる。――その後もう一度、彼女と言葉を交わす機会を得たけれど、ディアナはナーシャとルドルフが〝姉弟〟であることを疑っていないようだった。


(高位貴族ご出身のご令嬢まで騙せるなんて、俺の優等生演技も板についてきたんじゃないか?)


 デビュタントの夜会に手応えを覚えつつ、ルドルフは遅くならないうちにと、両親に連れられ王宮を後にする――、




(……いま、なら)


 馬車に乗り込む直前、彼の耳元で囁いた〝何か〟は、今から振り返れば、悪魔だったのかもしれない。

 けれど、あの時のルドルフには、それがまるで神の啓示のように感じられた。


「……父上、義母上、すみません。どうやら会場に、忘れ物をしてしまったようです」

「忘れもの?」

「はい。装飾用のチェーンなんですけれど、ダンスの途中で留め具が外れて。目立たない机の上に置いておいたのを、すっかり忘れていました。戻って取って来るので、先にお戻りください」

「先にって、歩いて帰るつもりか?」

「帰れない距離ではないですけどね。王都とはいえこの時間は危ないですし、後で馬車だけ戻してくだされば助かります」


 具体的に言及したのが良かったらしく、忘れ物について疑われてはいない。父の本音としては同行したいのかもしれないが、デビュタントして一人前と認められた我が子を、社交場で両親が見るからに構い倒すことは、あまり推奨されない振る舞いだ。たかが忘れ物を取りに戻るだけで同伴するなど、ルドルフを認めていないと喧伝するに等しい。

 結果として、葛藤はあっただろうけれど、父はルドルフの言を受け入れ、義母を連れて先に帰って行ったのである。

 それでも、このときのルドルフはまだ、王宮というナーシャのいる場所に、何となく留まりたいだけだった。……想う気持ちを募らせた先で、奇跡のようにたった一人で佇み、月を見上げるナーシャ本人を、見つけるまでは。


(運命だ。俺たちはやっぱり、結ばれる運命なんだ)


 伸ばした手で触れた肌の温かさも、腕の中に閉じ込めたときの仕草も、一年前と何ひとつ、変わらない。口では拒絶の言葉を紡ぐのに、その腕は、足は、ルドルフに縋りついてくることも。

 忙しなく情を交わし、我に返った様子で立ち去っていくナーシャの背を見送りながら、ルドルフは自身の決意を新たにしていた。


(必ず。必ず、ナーシャを王宮から出してみせる。ナーシャを妻に、迎えてみせる)


 そのために。このデビュタントで得た繋がりは、しっかり自分のものにしておくべきだろう。

 そんな打算込みで付き合い始めたクロードとアベルが、純粋に親しい友人となるのに時間はかからなかった。きっとそれは、クロードとアベルが、ルドルフを一人の人間として尊重し、どんなルドルフも笑って受け入れる、広い器の持ち主だったからだろう。

 学院の人気者、みんなのリーダーを演出する際、ルドルフは意図的に己の〝顔〟を武器にし、不特定多数からの好意を得るべく振る舞った。つまり、ルドルフを慕っている生徒の多くは、ルドルフの〝顔〟が好きなのだ。ルドルフ自身をきちんと見て、その上で好きでいてくれるのだと確信できる友人は居なかったし、別にそれでも構わなかった。

 しかし、クロードとアベルは、そんな周囲と明らかに違っていて。ルドルフの顔の造形に関心こそすれ、それだけで好意を抱いた様子はなかった。彼らがルドルフを受け入れてくれたのは、ルドルフが綺麗な顔で美しく笑ったからではなく、「こんな堅苦しい場所じゃなく、今度は外で遊ぼう」と半ば本音で誘ったからだ。そこから急速に、二人との仲は縮まった。

 二人と一緒にいるときだけは、ナーシャに妄執している恋心を穏やかに宥め、彼女と自身にとって最も良い方策は何か、冷静に見つめ直すことができた。世界の全てがナーシャで染まっている様は異常だと、己を客観視もできた。


 ……そう。だから。


「自分が間違ってたと認めて、間違ってた行いを振り返るのは怖いよな。でも、それをしない限り、人は間違いから抜け出せない。あのときは間違ってしまった、じゃあどうすれば良かったのか、これからどうすれば良いのか……一人で難しいなら、一緒に考えよう」


 こうして、今。己の半生を振り返れば。

 目の前の彼が投げかけてくれた言葉こそ、真に必要なことだったと、痛いほど、理解できる。




「君がナーシャ嬢に深い想いを抱いていることには、気付いていたよ。本来なら結ばれてしかるべき相手を奪われ、さぞ王が憎いことだろう」

「王に復讐し、愛する女性を取り戻したいと願うなら。……我々が、力を貸そう」


 ……あのような甘言に、易々と乗せられる、その前に。


思った以上に壮大なことになったルドルフ編、ナーシャ過去編と合わせて、いずれ『にねんめ』全体の推敲を行う際、番外編として独立させるかもしれません。

何というか、前々から知ってはいたけれどこうして改めて書くと、思春期拗らせ感がすごいですねルード。。。

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