『紅薔薇』の帰宮
大変、とっても久しぶりな『紅薔薇様』となりました。
「お戻りなさいませ、ディアナ様」
「ただいま。みんな、わざわざ回ってくれてありがとう」
ノーラン商会の従業員出入り口から出て、商会の車止め場に回ったディアナは、扉が開いた状態で一台だけ停車している大型馬車へ、なるべく音を立てずさっと乗り込んだ。中にはミアと、ユーリを始めとした『紅薔薇の間』王宮侍女たち、そしてエドワードがいる。
「……本当に気付かれないんだな」
「すごいわよね。『紅薔薇』仕様でいて、ここまで人の視線感じなかったのは初めてよ」
感心しきりのエドワードに完全同意を返し、馬車の周囲をくるりと見回して。
「術をかける前にわたくしがいることを知っているとか、わたくしが馬車に乗り込むことを予め分かっている人とかに、『隠形』の効果は及ばないらしいけれど。そうでない人たちは、『隠形』の霊術をかけられたわたくしのことは、よほど鋭くなければ感知すら難しいのだそうよ」
「だろうな。俺は〝分かっていた〟から認識できたが、認識に比べて気配が遠い。要は、〝術をかけられた人間の気配を極力薄くする〟霊術なんだろう、『隠形』というのは」
「解き方、分かる?」
「普通に別の霊術をぶつけたら解けるらしい。クリスとリタが戻って、馬車が動き出してからだな」
「分かったわ」
頷いたところで、タイミング良く、買い物を終えたらしいクリスとリタが馬車へ帰ってきた。二人ともに、車内を見回し、ディアナの顔を見てホッとした表情になる。
「お疲れさまでした、ディアナ様」
「無事に合流できて良かったよ」
「ありがとうございます。ご面倒をおかけしました」
「――じゃあ、行くか」
ずっとドアマンをしてくれていた馭者(当たり前に『闇』の一人である)にエドワードが合図をすると、すっとドアが閉まる。さも上客を見送るかのように頭を深々と下げる店長とフィオネに軽く手を振っている間に、馬車はゆるゆると動き出した。
――ある程度の速度が出てきたところで、エドワードがディアナへ手のひらをかざすと。
「――わ、びっくりした。今のなに?」
「お前の気配を『探索』で追った。ソラ殿からレクチャーを受けた三霊術の一つだな。まぁまぁ様になっていただろう?」
「なるほど、こんな感じなのね……」
「ボクはそれより、今の一瞬でディアナの気配がかなり近くなったことに驚いてるんだけど」
「クリス様に同じくです。ディアナ様がいらっしゃることは分かっているはずなのに、気配が遠いせいかピンと来ていなくて。今、ようやく実感いたしました」
「私もです」
ミアに続いて侍女たちもうんうん頷いている。ディアナは苦笑し、とんでもない呪符を作った御仁のいる方角に視線を投げた。
「カイ曰く、ソラ様はお国で、当代一の符術師と呼ばれていたそうよ。その実力は伊達じゃないということでしょうね」
「そういうことだな。『遠話』の呪符も使いやすくて助かっている」
頷くエドワードに、『遠話』繋がりで聞きたいことを思い出した。
「そういえば、お兄様。ウキュウとギョーモのフレッシュ、手に入った?」
「何とかな。薬草としてはさして効果の高いもんじゃないから、店には置いてなかったが、その分野生で山ほど生えてたのを、昨日と一昨日の夜、リタとクリスが摘んでくれたぞ」
「そうだったのですね。クリスお義姉様、リタ、ありがとうございます」
「大したことじゃないよ。昼間は馬車の中で座ってるだけだったから、良い運動になったし」
「ウキュウもギョーモも、エルグランド全土に生えている植物ですから、採取場所も豊富でしたしね。――それよりディアナ様、こちらの二つはエドワード様の仰る通り、一般的にあまり効果の高い薬草とはいえないと思うのですが」
「薬効以外の成分の方が多いから、そのまま煎じると効果が薄れちゃうのよね。乾燥させたらさせたで、やっぱり薬効消えちゃうし」
「ふぅん、なるほど? だからこそのフィガロ殿だったってわけか」
さすが、フィガロとの親交深いエドワードは話が早い。ディアナは、一昨日の夜、カイとビスタ相手にした説明を、もう一度簡易的に、馬車の中で繰り返した。
「と、いうわけで、ウキュウもギョーモも薬効そのものはかなり効果が高いから。直接薬効だけを抽出できたら、かなり頼もしいお薬になるのよ」
「そういうわけでしたか……」
「ナーシャ様とお子様も、心配していたよりずっと、前向きに〝生〟を目指していらっしゃるから。食事をしっかり食べて、お薬を飲んで休めば、気分も上向いてくると思う」
「それは何よりだね。……父親のことは、何か言ってた?」
「仰っていませんでした。父親など知らなくてもナーシャ様の治療とケアに問題ありませんから、わたくしも敢えて尋ねておりませんし」
産前産後医療の分野においては、〝種〟の出所など驚くほどの些事である。重要なのは母体と胎児の健康であって、父親は別に、母親の精神安定と健康維持に協力してくれたらありがたいな~くらいの存在でしかない。現状、ナーシャの所在は後宮で、胎児の〝父親〟はおそらく我が子の存在すら知らず、正体を探ろうとすれば却ってナーシャの心身の安寧を損いかねないとなれば、その存在はデメリットとすら感じる。
「陛下でないことは確定しているのですから、お子の父君に関しては、ナーシャ様がお決めになればよろしいかと。ご本人へ知らせるも良し、知らせずお一人で育てられるも良し。我々に伝えられるも良し、黙っていらっしゃるも良し。――わたくしは、ナーシャ様のご判断に任せます」
「あくまでも優先すべきは、クロケット嬢と子どもの命……ということだな?」
「その通りです」
「……クロケット嬢の立場を考えれば、全面的に賛同することは難しいが。彼女の気持ちが解けきっていない現状、その対応が最良なのは間違いないな」
ため息混じりのエドワードの言葉にクリスが頷き、ディアナはリタやユーリたちと視線を合わせて笑い合う。スタンザ帝国での滞在を経て、『紅薔薇の間』の者たちは皆、ディアナの思考がある程度読めるようになったらしく、その表情は雄弁に「ディアナ様ならそう仰いますよね」と語っていた。
「――ディアナ様、エドワード様。見えました、そろそろ王宮です」
馬車の中がほんのりまとまったところで、ミアがもう間もなくの到着を知らせてくれた。頷いて、ディアナもカーテンの隙間から、出立ぶりに見る王宮の外観を窺った。
「……こうして見ると、エルグランドの王宮だって、充分に立派よね」
「スタンザ帝国の宮殿は無駄に敷地が広くて、こちらの城は造りが繊細で優雅って感じです」
「なるほど。それもお国柄なのかしら」
のんびり話しているうちに、馬車の車輪は軽快に回り、王宮へと近付いていた。
***************
今朝方、起き抜けに挨拶を交わしたマグノム夫人に、さも一月以上ぶりのような口上で出迎えられつつ、ディアナは久方ぶりに正規の門から、後宮の土を踏んだ。男性であるエドワードとはそこで一度分かれ、後の帰還式で合流する形になる(ちなみにエドワードは、この足で馬車を返しにいくらしい)。
「お帰りなさいませ、紅薔薇様」
「長らくのお務め、お疲れ様でございました」
「ご無事のお戻りに、心から感謝申し上げます」
さらに、出迎えてくれたのはマグノム夫人だけではなく。ライア、ヨランダ、レティシアの三人も、わざわざ門前まで出てきてくれていた。『名付き』の三人とは本当に久しぶりのため、ここでようやくディアナは、『エルグランド国使団』としての〝帰国〟を実感する。
「ライア様、ヨランダ様、レティシア様。出立式に引き続き、わざわざのお出迎え、誠にありがとうございます。皆様のお気遣いに支えられ、無事にこうして、誰一人欠けることなく、帰ってくることが叶いました。御礼申し上げます」
「こうして皆揃って帰ってきてくださったことこそが、何よりの労いですわ」
「また落ち着いたら、スタンザ帝国での思い出話をお聞かせくださいませね」
「楽しみにしております!」
「えぇ、もちろん」
出迎えはあくまでも通りがかっただけというスタンスで話を切り上げてくれた三人に感謝して、ディアナは礼を執る彼女たちに微笑み、その脇を通り過ぎた。その後も女官や侍女、側室たちが「お帰りなさいませ」と声をかけてくれるのに頷きつつ、ゆったりと歩を進めて。
『紅薔薇の間』へ辿り着き、扉がパタンと閉まって、思わず長い息が漏れてしまった。
先導してくれていたマグノム夫人が苦笑する。
「久々の後宮は、緊張いたしましたか?」
「久々も何も、今朝まで居たのだけどね。『紅薔薇』として戻ってくるのは確かに久しぶりだし、気疲れはしたかも」
「スタンザ後宮では基本、舐められて、下に見られていましたからね。こういう心からの歓迎や尊敬みたいな空気感は確かに久々なのでは?」
「あぁ……リタの言う通りかも」
それで言うなら、貴族社会では基本嫌われ者なクレスター家の直系をこれほど受け入れている現後宮の空気感がイレギュラーなわけだから、ディアナの感じる居心地の悪さはひょっとしたら妥当なのかもしれない。まさか自分が、これほど後宮の女性たちから、心を込めた「おかえり」をもらえる存在になれるとは、昨年の春時点で夢にも思っていなかった。
「あ、ディー。みんなも。おかえり~」
「ただいま、カイ。あなたもお帰りなさい」
「うん。言われてた仕分け、分かるとこだけやっといたよ」
「助かるわ。ナーシャ様の具合はどう?」
「ヴィオセルさんと侍女さんたちがしっかり食事と服薬を見てくれて、問題なく過ごせてるみたい。薬の量も侍女さんたちだけで問題なく理解できてるみたいだし、次の診察で問題なければ医者の宿直は終了して良いんじゃないか、っていうのがヴィオセルさんの見立て。お腹の中の子の気配もしっかりしてきたし、大丈夫かな~とは俺も思う」
「『探索』が苦手なあなたでも感じ取れるなら、確かに大丈夫そうね」
カイが私室から出てきても、慣れきった面々は誰一人として反応すらしない。スタンザ帝国で〝カリン〟を通してカイを知った王宮侍女四人とミアは、完全に彼を仲間の一人として認識したのだろう。
「お疲れ様でございました、ディアナ様。ひとまずお座りくださいませ。ユーリ、ルリィはお茶のご用意を。アイナ、ロザリー、スタンザから持ち帰った装飾品とディアナ様の正装を合わせ、式と晩餐会の準備をお願いします」
「はい」
「承知いたしました」
ミアの言葉で、王宮侍女が一斉に動き出す。ディアナはソファへ座りつつ、リタを振り仰いだ。
「リタ。今、私室と寝室が、結構ごちゃついているの。領邸の医療室の備品一式、送ってもらったから」
「えぇ、想像はついています。私もカイを手伝ってきますね」
「あ、助かる」
「お願い」
頷いて、リタも去っていく。『紅薔薇の間』が規模の割に手薄なのはいつものことで、こういうときの侍女の負担は大きいが、ここまで多くの機密を抱えてしまうと、今更人員補充も難しい。
今後、本気で仕事が回らなくなることがあれば、クレスターからもう一人二人、私的侍女を呼ぶしかないか、とディアナがつらつら考えているところで、お茶を淹れたユーリとルリィが戻ってきた。
「失礼いたします」
「お待たせいたしました、ディアナ様」
「ありがとう、ユーリ、ルリィ」
二人が丁寧に淹れてくれたお茶は、やはり故郷の味ということもありホッとする。
ディアナがお茶を飲んで落ち着いたところで、ミアが女官の手帳を開く。
「では、ディアナ様。これからのご予定を確認いたしますね。まず、夕刻からの帰還式へ向け、正装のご準備を。その後の晩餐会にはディアナ様のみの参加となり、我々は別室にて待機。晩餐会終了後、私どもが迎えに参りますので、ともに後宮へお戻り頂きます。『紅薔薇の間』へお戻り頂いてからは、いくらか自由時間をお持ち頂けるかと」
「晩餐会の終了予定時刻は?」
「九の刻までには終了予定ですが……」
「予定通り終わればナーシャ様の診察へ行けなくはないけれど、確実ではないし。今日はヴィオセル先生に全てお任せして、診察は明日へ回すべきかしら」
「夜の社交は長引く傾向にありますからね。来るか来ないか曖昧なままですと、クロケット様も落ち着いてお休みになれないかもしれません」
「そうね。やっぱり、診察は明日の朝にするわ。――マグノム夫人、後でナーシャ様のお部屋まで連絡しておいてもらえるかしら」
「かしこまりました」
「後は……みんなの準備のことも考えると、アイナとロザリーの準備が整い次第、わたくしは衣装の取り替えに入るべきかしらね」
「そうですね。我々はともかく、〝カリン〟には時間もかかりますし……」
「――あの、ディアナ様、ミア」
話がまとまりかけたそのとき、目立たず控えていたマグノム夫人が一歩を踏み出してきた。
「僭越ながら。帰還式に関しまして、わざわざ国使団全員で赴かれる必要はないかと。晩餐会の間は別室待機ならば尚更、数人はお戻りになるディアナ様のため、お部屋を整えておくべきではないかと」
「そうかもしれないけれど、待機といってもそれなりにもてなしてはもらえるでしょうし……何より、帰還式に全員揃った姿を見せないと、『残りの侍女はどうした?』って変に勘繰られたりしない?」
「予め、『帰還式には代表者のみ参加』と申し伝えておけば、問題はございません」
「わたくしとしては、何かと力を尽くしてくれた皆を労う意味でも、外宮へのアピールのためにも、式へは全員で参加したいのだけれど……」
常日頃から女官侍女のモチベーション維持には人一倍の心配りを欠かさないマグノム夫人らしからぬ提案に、どういう意図だろう、何かあったのだろうかと不安より心配が勝る。
沈黙が落ちかけた場に、天井裏から声が降ってきた。
〈――末姫様、少々よろしいでしょうか〉
「ソラ様?」
〈帰還式の件ですが、私も女官長様と同じ意見です。式に出る貴族様の中で、心からの労いを持って参加されている方は、決して多くないでしょう。少なくとも、保守派の方々は、ご立派にお役目を果たし、戻られた末姫様と国使団を苦々しく思っておられるはず〉
「それは……」
〈労いのお気持ちであれば、後宮に待機している組にも晩餐会と同じ内容の食事を振る舞われることで、充分に示せましょう。わざわざ外宮まで赴かずとも、そちらの方が皆様もお気軽に美食を楽しめるのでは?〉
ソラの言とて尤もであるが、やはりどこか不自然だ。王宮の公的行事への出席者という、極めて貴族的な話に口を挟むなんて、はっきり言っていつもの彼らしくない。
(とはいえ……お二人の言葉も、ごもっともではあるのよね)
晩餐会への招待がディアナ一人な時点で、会を主導した一派に国使団を心から労う意図がないのは明らかだ。『紅薔薇の間』は出自が複雑な侍女が多いため、リタを含めた侍女陣の参加は難しいにしても、現メルトロワ子爵の実姉であるミアには充分な参加資格がある。にも拘らず、招待の打診すらなかったということは、彼らに〝国使団〟を重んじる気持ちは欠片もないという証明に他ならない。
国使団の労いのために夜会をと、最初に言い出したのは内務省だと聞くが、彼らは〝自分たちが王宮夜会を主導できる立場〟だと示したかっただけで、労い云々は口実だったのだろう。外務省、財務省との折衝の結果晩餐会になり、その規模も決して大きくないとなれば、彼らの示せる権威はがくりと下がる。今となっては、ディアナを招いたことすら不本意なのではなかろうか。
(そんな場へ皆を連れて行ったところで、さほど良いことがあるとも思えないのは確かで……嫌な思いしに行くより、後宮で厨房長の美味しいご飯食べてた方が有意義な時間、って言われたら、否定する要素がないわ)
マグノム夫人とソラの真意はおそらく他にあるのだろうけれど、助言が正論なのも確かである。
「どう思う?」という気持ちを込めてミアと、控えているユーリとルリィを見れば、彼女らも苦笑しつつ頷いていた。
「スタンザ帝国から持ち帰ってきた荷物の荷解きもありますし、何人かお部屋に残って作業できるなら、そちらの方が正直助かりますね」
「加えて今、私室と寝室も荷物でごった返しているとなれば、むしろ片付けをメインにすべきかと」
「式へ多く出れば出るほど、片付けの手が少なくなって、お部屋の整頓に時間がかかりますから……本当に式参加は最小限の方が良いかもしれません」
「分かったわ。――それじゃ、帰還式にはミアとユーリについてきてもらって、後の皆は荷解きしつつ、ゆっくりしていてもらいましょう。お供役のミアとユーリは、晩餐会が終わって後宮へ戻ったら、すぐ休憩に入る感じでどうかしら?」
「えぇ、問題ないかと」
女官のミアと、『紅薔薇の間』の侍女を束ねるユーリは、さすがに外せない。そう考えての人選であったが、誰からも異論の上がらなかったところを見るに、正解だったらしい。
ほっとして、ディアナはマグノム夫人を見上げた。
「助言ありがとう、マグノム夫人。――ソラ様も、ありがとうございます」
「……いえ、当然のことにございますゆえ」
微妙に視線を外して受け答えるマグノム夫人は、やはりどこか、何かがおかしい。
直球で聞くべきか、それとも周囲からまずは情報を得るべきか考えたところで、私室へつながる扉が開いた。
「ディアナ様、正装をお召しになる準備が整いました」
「ありがとう。すぐ行くわ」
ひとまず話はここまでにして、ディアナは次なる戦へ向けて装備を整えるべく、ソファーから軽やかに立ち上がるのであった。
『紅薔薇様』が久しぶりすぎて、ディアナ本人はもちろんですが、作者が一番戸惑ってました。




