野に咲く小さな花の意地
今回、推敲が不十分な上、読み返しすらも満足にできていないので、いつも以上に読みづらいかもしれません。
何かありましたら、報告欄からお願い致します。
覚悟はしていた、はずだった。ディアナの居ない後宮で、〝彼女〟がいつまでもじっとしていてくれるわけがない。付け入る隙を見せたが最後、容赦なく攻め入って来るだろう――と。
だが。覚悟していたからといって、いざ実際に事が起きた際、動じることなく対処できるかといえば……。
「難しい、ですよね。どうしたって、貴族令嬢の格としては〝あちら〟の方が上ですもの。萎縮してしまう自分を、見ないフリはできません」
肩を落として正直な弱音を吐くシェイラに、仲間たちが気遣わしげな視線を向けてくれるのが分かる。……ここのところただでさえ、ナーシャとの仲違いの件で周囲に気ばかり遣わせてしまっているのに、この体たらく。まったくもって、情けない。
「シェイラ様のお気持ち、よく分かりますわ。私も、後宮へと参った当初は、明らかに格が違う方々に混じって『名付き』の一人と呼ばれることに、萎縮しか覚えませんでしたもの。王国の歴史を紐解けば、伯爵家出身の『名付き』も存在したとは申せ、その数は決して多くありません。ましてや、現後宮には、キール家よりよほど歴史深く格式高いお家出身の側室方が、数多くいらっしゃるのですもの。あけすけな本音を申し上げれば、ディアナが来てくれるまで、仮にも『名付き』でありながら萎縮することばかりでした」
「レティシア様……」
「赤ん坊のときから貴族社会にどっぷり浸かって、上手く生き抜く術を鍛えてきたご令嬢方と、令嬢教育より商売と領地運営の手腕を磨いてきたレティとじゃ、立っている舞台がそもそも違うからね。――そしてそれは、シェイラ様にも言えることよ」
「確かに、貴族令嬢としての格や立ち回りに関しては、リリアーヌ様の方が上手かもしれない。でも、だからといってシェイラ様が彼女に劣っているわけでは、絶対にないの。舞台が舞台だから、萎縮してしまうのは仕方ないのかもしれないけれど、人間の〝格〟まで劣っていると思い込んではダメよ。それは、謙遜ではなく卑下でしかないわ」
「ヨランダ様、ライア様……」
優しくも厳しい〝師匠〟たちの激励に、どうにか折れそうな気持ちを立て直す。
――例によって侍女を下がらせた『睡蓮の間』で、部屋の主であるライアがテキパキと動いて、菓子や軽食を取り分けた皿を配って回った。
席についた全員に皿が行き渡ったところで、本日集まったメンバーの中で唯一の男性であり外宮代表でもあるキースが、仄かな笑みを浮かべて皿を取る。
「これはありがたい。実は昨夜から、あまりの忙しなさに追われてまともな食事を摂れていないのです。話をしながら、頂いても?」
「もちろんですとも。それほどお忙しいにも拘らずご足労頂き、本当にありがとうございます」
「どうぞお気遣いなさいませんように。今回の件は外宮も絡んでいる案件ゆえ、私が動くのは当然のことです。……陛下も、できることなら同席されたかったのでしょうけれど」
「いえ……さすがに、それは。今、陛下が外宮を離れられないことは、ここにいる全員が承知しておりますから」
静かに目を伏せて、シェイラは首を横に振った。
シェイラたち後宮組がナーシャの懐妊の件で慌ただしく動いている間、外宮では〝正式に〟スタンザ帝国から『エルグランド国使団』を連れ帰るための根回しと折衝が繰り広げられていた。『紅薔薇』に帰ってきて欲しくない保守派が、あたかもディアナが自ら望んでスタンザ帝国へ渡ったかのような風説を流布し、「仮に帰って来られないとしても、それは紅薔薇様のご意志でもあるのでは」という総意へ傾けようとしているのを、ジュークと宰相、そしてストレシア侯爵を中心とする外務省勢と少数の革新派が、水面下でどうにか食い止めている状況だ。
特に外務省勢は、今回のスタンザ国使団とのあれこれを通してかなり『紅薔薇』への心酔度が高まっているらしく、なかなか表立っては声を上げられないものの、「紅薔薇様は我が国にとって必要不可欠なお方」としてディアナの帰参を望む者が大半と聞く。外務省は三省二局の中で最も新興貴族、革新派の所属率が高く、後宮で革新派側室を纏める立場の『紅薔薇』への反発心がもともと薄かったという下地もあるだろう。ジュークも、外務省全体を〝国王派〟へ引き込める好機と見て、昼夜問わず貴族たちとの会合を重ねている。休息する暇があるなら一人でも多くの貴族と直に言葉を交わしたいと精力的に動いている今のジュークに、後宮へと渡る時間があるはずもない。
――そう。今の王宮は表向き、およそ三百年ぶりに降りかかった外交問題に、立場の違いはあれど皆が振り回されている状態なのだ。側室筆頭『紅薔薇』が不在となる羽目に陥った後宮も、その点において何ら変わりはなく……だからこそ、側室の些細な体調不良など、議題すら上がらない――、
はず、だった。
「スタンザ帝国との外交で王宮中が湧き立つ中、内務省が藪から棒に『側室方の健康状態について、一度しっかりと把握しておく必要がある』なんて話が出てくるとは……明らかに、不自然です」
「ハイゼット補佐官のお言葉に同意します。しかも、同じタイミングでリリアーヌ様方『牡丹派』からも、『考えてみれば、入宮してから一度も、内務医官からの健康観察が無いのは、いくら側室とはいえ王宮側の怠慢では』なんて声が上がるのですから。不自然どころか、狙っているのは間違いありませんわ」
ヨランダの相槌に、憂慮を乗せた瞳でキースは頷く。
「会議の中で、内務省の担当官は『ここのところ、継続して体調が優れない側室もいらっしゃると聞く』とも言っていたそうです。……クロケット男爵令嬢の状態については、ある程度敵方に知られていると覚悟しておくべきでしょうね」
「リリアーヌ様なんて、もっと露骨だったのでしょう? マグノム夫人」
「はい。――『ここ最近、紅薔薇様と仲の良いご側室のお一人が、具合を悪くしておいでという話を聞いて……いくら位が高くないとはいえ、王宮からの要請を受けて後宮入りした側室を医者にも診せないなんて、あんまりだと思うの』と、善意と慈愛に満ちた表情で仰っていました」
「あのリリアーヌ様が、『紅薔薇派』の側室に対して〝善意と慈愛〟ですか……そこまであからさまな演技だと、却って潔さを感じます」
「レティは相変わらず、リリアーヌ様に辛辣ね。――でも確かに、そこまであからさまということは、やはりナーシャ様の体調不良の〝原因〟に確信を得て、的を絞ってきたのでしょう。そうでなければ、ここまで自信満々に、内務省まで巻き込めないわ」
「です、よね……。でも、どうやって」
「まぁ……なるべく秘密裏にしていたとはいえ、ナーシャ様の食事を特別に配慮していることは、ある程度継続して観察すれば分かることだし」
「ぱっと見は病人食でも、そんな食事が十日以上継続すれば、病ではなく他の要因から来る〝配慮〟なのではと推測することも可能でしょう」
「ですが、それだけで一足飛びに真実へと到達できるでしょうか……?」
シェイラと『名付き』の三人が推理を交わす中、天井裏から静かな〝声〟が降ってくる。
〈……まだ確証が得られていないため、進言を控えておりましたが。この状況を逆説的に推論するに、ほぼ間違いないでしょう〉
「ソラ、様?」
〈息子――カイも、かなり前からその疑惑を抱いてはいたそうですが、あの子は細かい霊術の解析や追跡に不向きです。ゆえに、私が密かに、調査を引き継いでおりました〉
「それは、つまり……」
〈はい。――この後宮の〝天井裏〟には、定期的に、我々以外の何者かが入り込んでおります。我々には決して悟られぬよう、霊術で完璧に気配を隠して〉
霊力者の存在を知ったときから覚悟はしていたが、実際に断言されると、やはり衝撃を重く感じる。ずっと、クレスター家と獅子親子の独壇場だと信じていた〝安全地帯〟がまやかしであったことを、突きつけられたに等しいのだから。
ライアが、厳しい表情で視線を上向けた。
「確証はないにせよ、間違いないのですね?」
〈現在、クロケット男爵令嬢様に後宮が特別配慮していることは、日々のお食事に関してのみです。いくら侍女方の目があるとは申せ、秘密裏にと厳命が降っている以上、厨房側もお食事の提供には細心の注意を払っていらっしゃるでしょう。アーネスト男爵令嬢様がお部屋に日参されていることは外から見ても分かりますが、もともと仲の良いお二人ですから、ここから異変を察知するのも難しい。――レティシア様の仰る通り、表面上の後宮から、クロケット男爵令嬢様の体調不良とその原因まで、事細かに察知できるとは思えません〉
「ゆえに――逆説的に、表面上以外……天井裏からの情報を得ている可能性が高い、と?」
〈左様にございます。これは私だけでなく、シリウス殿を始めとしたクレスター家の『闇』の総意でもあります〉
「しかし、確証はないのでしょう?」
〈『隠形』の霊術が使用されていた場合、その痕跡を掴むのは至難の業ですから。私も万一の場合を想定してカイに『隠形』の呪符を持たせましたが、あれは気配のみならず、霊術の使用痕跡すらも完全に隠します。目視と物理的な物音を防げない、隠せる気配は発動している術者のもののみといった弱点はありますが、使いどころさえ間違えなければかなり汎用性の高い霊術でしょう〉
「つまり……敵の暗躍を食い止めるのは、非常に難しい?」
〈紛れ込んでいる霊力者が呪符により『隠形』を発動していれば、『呪符無効結界』の『陣』を後宮全体に張ることで、ひとまずの封じ込めにはなりますが……その場合、スタンザのカイと連絡が取り辛くなる上、敵が自前の霊術で『隠形』を駆使している可能性も多分にある以上、あまり良い手とは言えませんね〉
「自前、という可能性もあるのですか?」
〈『隠形』そのものは、霊術の中では古典的かつ定番な部類で、国や地域が違っても大抵確立されていますから、エルグランド王国でも使える霊力者がいても、不思議ではありません。かくいう私も、『隠形』は呪符がなくとも使えます。おそらく、シリウス殿やエドワード様も、修練さえ積めば自前の霊力で充分に使用可能でしょう〉
その理屈でいくと、古典的かつ定番の霊術すら呪符頼みのカイは、とんでもなく融通の利かない霊力者ということになるが……以前、「ちまちました技は苦手」と公言していたのは、謙遜でも何でもない純然たる事実だったということか。小技が苦手な彼が、『符術師』だという父親に育てられたのは、何やら不思議な巡り逢わせである。
そして、シェイラの知らないところで、どうやらライアとソラの距離がぐっと縮まったらしいことも、このやり取りから察せられた。最近気付いたことだが、ライアは心から信頼する相手に対しては、非常に端的な物言いをすることが多い。遠回しではなく直接的に、問題の確信を突く会話は、非常に理知的で明確だ。様式美や聞き心地の良さに重きを置く貴族女性的ではないけれど、ライアは貴族女性であると同時に未来のストレシア侯爵家を背負う存在でもあるわけだから、ときには男性のように、実務的に会話を進めていく技術も必要ということだろう。……実のところ、カレルド商会の後継者として育ってきたシェイラには、何かと裏を読み取らねばならない貴族話法より、今のライアとソラのような、要点を明確にした会話の方が馴染み深く、入り易い。
――シェイラと同じく、ライアの横で会話に耳を傾けていたヨランダが、微笑みながらも眉根を寄せてため息をついた。
「難しいわね……。ソラ様が仰るように〝敵〟が天井裏に潜んでいるとしたら、こちらの動きは筒抜けも良いところだわ」
「この部屋の会話も、どこかで盗み聞きされているやもしれませんものね……」
〈念のため、『睡蓮の間』とシェイラ様の居室に関しては、死角のないよう『闇』の方々に控えて頂いておりますが……『隠形』を使って天井裏に潜むことで、同業者である我々の言動を具に観察できますから、そこからこちらの状況を推察した可能性は非常に高い。声は聞こえずとも、ある日を境に我々がクロケット男爵令嬢の部屋近くに詰めるようになった様を見れば、何か異変が起こったことは想像できますから〉
「なるほど……〝敵〟がソラ様と同じ霊力者なら、ナーシャ様に異変ありと見て彼女の気配を探り、体調不良の原因を掴むことも不可能ではない、ということですね?」
〈『隠形』を使った状態で『探索』されれば、術の気配や痕跡を掴むのも一苦労です。……〝敵〟の動きを封じるべく、安全かつ効果の高い『陣』を考えてはおりますが、そのためには一度、カイに戻ってきてもらう必要がある〉
「カイに?」
〈あの子の霊力は、こういった常識外れの横紙破りにもってこいですからね。定石に嵌まらない代わりに、定石を破ることにかけて、カイの右に出る者はおりません〉
とはいえ、カイの現在地もディアナと同じく、遠く離れた海向こうだ。今すぐ助力を得ることはできない。
リリアーヌがナーシャに狙いを定めて内務省と連携し、天井裏にもそのサポート要員がいると分かるのに……現状、シェイラたちだけでは、有効な打開策が打てないというのか。
「リリアーヌ様の狙いはやはり……ナーシャ様のご懐妊を公にして、『紅薔薇派』のみならず革新派全体に、揺さぶりをかけることでしょうね」
全員が黙り込んでしまった沈黙を破ったのは、いつの間にか『名付き』の参謀役のような立ち位置に収まったらしいヨランダだった。全員が注目する中、彼女は静かに言葉を紡いでいく。
「現況、もしもナーシャ様のご懐妊が公的事実として広く知られてしまえば、彼女を守るために打てる手は一つしかないわ。……シェイラ様も、分かると思うけれど」
「……はい。陛下とナーシャ様に関係があったとし、ナーシャ様のお子を王室の一員として認める、しかありません」
「ですが、事実でないことを事実と偽るのは、かなりの危険を伴います。お生まれになるお子がナーシャ様似なら誤魔化すこともできますが、父親や、父方の親族に生き写しという可能性もある。陛下とナーシャ様には接点もまるでありませんでしたから、〝不義の子〟疑惑はずっとついて回るでしょう。お子の本当の父君が、黙っていてくれるという保証もありませんし」
「そうね、レティ。……ナーシャ様のご懐妊を陛下との関係によるものと押し通したとて、事実でない以上無理はどうしたってついて回る。不義密通の決定的な証拠を突きつけられてしまえば、ナーシャ様とお子はもとより、隠蔽に関わったこちら側にも、どこまで累が及ぶか――」
「……最悪の想定として、全滅、も覚悟せねばならないでしょう。それが最終的な目的とも、考えられます」
厳しいキースの言葉に、ますます沈黙は重くなる。俯くシェイラに、天井裏から声が降ってきた。
〈敵方の最終目標がどこにあるかはともかく、狙いそのものは明確です。――王宮の内務医官にクロケット男爵令嬢を診察させることで、懐妊の事実を公的にしようとしている、という狙いは疑いようがありません〉
「えぇ……その通りです」
〈狙いどころとしては実に的を射ている。敵ながら天晴れと言っても良いくらいです。クロケット男爵令嬢の状態がありのまま明るみに出れば、方向性はどうあれ後宮内外の革新派を大きく揺さぶる材料にできる。――融通が利きつつも緻密、霊力者を躊躇なく動かすやり口から考えて、ランドローズ侯爵が主犯とは考えづらいですね。デュアリス様が警戒している〝指し手〟が全体図を描いていると仮定しておくべきでしょう〉
それは、かつてディアナの命を狙った――おそらくは今も狙っているであろう〝敵〟が、いよいよ本格的に後宮まで魔の手を伸ばしてきたことを意味する。クレスター家が最大限に警戒している強大な〝敵〟に、何の力も持たない自分が対抗する術など……。
〈ここまで分かり易い〝狙い〟を前に、何を悩む必要があるのですか。――未来のご正妃様ともあろうお方が、そのように背を丸めて〉
「!!」
語調そのものは涼やかで優しげですらあるのに、その中に通る凛とした厳しさに、まるで背を強く叩かれたかのような錯覚に陥った。反射的に顔を上げると、室内にいる全員が不安を抱きながらも、それ以上にシェイラを案じる眼差しで、こちらをじっと見つめている。
〈これほど頼りになる仲間に恵まれて、日々強く立つための鍛錬も受けて――それなのに、あなたはいつまで、無力に甘えるつもりです。俯いて、誰かの助けを待つ在り方が、あなたの理想とする〝正妃〟なのですか?〉
「り、そうの、正妃……」
〈あなたがそうして下を向けば、折れた心で涙を零して膝をつけば、あなたの〝親友〟は決してあなたを見捨てない。何があろうと支え、励まし、共に歩んでくれるでしょう。惜しむことなく自身の〝力〟をあなたのために使い、――もしかしたら命までも、捧げてくださるかもしれませんね〉
正論が突きつける〝未来〟に、瞳が大きく見開かれた。見上げた天井は、『睡蓮の間』らしい華やかな意匠で彩られてはいるけれど――。
〈そうした〝親友〟の、仲間の献身によって、無力を真綿に包まれるように守られる〝正妃〟がお望みなら、これ以上、私が申し上げることはございませんが。……ただ、〝そちら側〟に傾いたあなたを、息子は決して許しはしないでしょう〉
絶え間なく落ちてくる〝声〟は、華やかさとは程遠く、ただひたすらに冷徹で鋭い。
――かつて、凍えるような冬の夜空の下で聞いた、若き獅子の言葉が耳奥で響く。
――安心しなよ。この国がディーを道具扱いして、使い潰す道を選ばない限り、俺が世界を壊すことはない。ディーは優しいから、きっと使い潰されても、死ぬまで世界を愛するだろうさ。
――〝歪み〟を生むか生まないか、選ぶのは俺じゃない。アンタたち、『エルグランド王国』を背負う者だ――
この世界で、たった一人。何があろうとも迷うことなくディアナの幸福を最優先に動き、その命はもちろん心まで守り抜くと宣言する、誇り高き『獅子』。
いつだって歯に衣着せることなく、特にシェイラに対しては遠慮もなくズバズバ言葉の刃で切りつけてくる彼は、けれどただの一度だって、シェイラが〝なりたい正妃〟を目指すことを、「無謀だ」とも「無理してる」とも言わなかった。弱気になったときは、カチンとくる言葉でシェイラの負けん気を刺激しこそすれ、吐き出す弱音には絶対に同調せず――シェイラが正妃として立つ〝未来〟を、信じ続けていた。
それは、ディアナを後宮から、貴族社会のしがらみから解き放つための、彼の譲れぬ一線ではあるのだろう。けれど……だとしても彼は、資質のない者に期待を押し付けるようなことはしない。優しさゆえではなく、途中で潰れるであろう存在に期待を抱くだけ〝無駄〟だからだ。いくらシェイラがディアナの〝親友〟だとしても、ディアナの未来がかかっているからこそ、可能性の見極めに私情は挟まなかったはず。
彼が、シェイラの〝なりたい正妃〟を、その道のりを歩むことを、否定しなかったのならば。シェイラが正妃として国を背負う〝未来〟に、迷いがなかったのならば。
少なくとも、彼――カイ、は。
(〝私〟を、信じて、くれていた――!!)
何も持たない、ただジュークを好きになっただけの〝シェイラ〟であった頃から、カイはシェイラに正妃の資質を見出し、どれほど困難な道のりであっても挫けず歩み続ける〝力〟があると、認めてくれていたのだ。
シェイラが――逆風の中にあっても凛と前を向き、理不尽や横暴、権力から人々を守り。
民を、国を脅かす存在には、臆することなく勇敢に立ち向かう――。
〝紅薔薇様〟のような正妃を、目指すことを。
(私は、ディーになりたい、わけじゃない。でも、その志と、国を背負う心意気は、見習いたいし受け継ぎたい。――真の気高さは生まれの身分や姿形じゃなく、心のあり様から溢れ出るものだって、〝紅薔薇様〟は私に、何度も教えてくれた)
だからこそ……ここでシェイラが自らの無力に絶望し、「何もできない」と諦めてしまったら。ソラが言う通り、カイは絶対にシェイラを許さないし、もう二度と信じてくれはしないだろう。
カイはもとより、ずっと己の背中でシェイラに道を示し続けてくれていた〝紅薔薇様〟も、いつも隣で支え、励まし続けてくれていた〝ディー〟も、
これまでの自分自身すらも裏切るような、愚かな真似をしてしまったら。
ばちん、と両頬から音が鳴る。無意識のうちに、シェイラは己の両手で顔を強く叩いていた。
じんじんとした痛みが思考を現実へと戻してくれるのを実感しつつ、シェイラはすっくと立ち上がった。
「――申し訳ありません、皆様。大きな過ちを犯したことで更なる失敗を恐れ、無力を言い訳に逃げようとしてしまいました。私は、まだまだ未熟者です」
「大丈夫。そんなの、お互い様よ」
「えぇ。シェイラ様が思うほど、わたくしたちだって完璧じゃないわ」
「未熟者同士、協力して、この難局を乗り越えましょう」
ふわりと笑って、『名付き』の三人が答えてくれる。
無表情ながら、内心ハラハラしながら見守ってくれていたらしいキースが、安堵と非難の入り混じった表情で上を向いた。
「カイも相当に遠慮のない物言いをしますが、お父君は更にその上をいきますね。シェイラ様のお心を完全に折ってしまうおつもりかと、冷や冷や致しました」
〈未来のご正妃様に対しては、息子の方が容赦ありませんよ。賭けても良いですが、先ほどまでのご正妃様を息子が見たら、折るどころか根本までえぐって再生不能が危ぶまれる程度の発言はしていたはずです。〝未来の正妃〟として不足なしと認めているだけに、不甲斐ない姿を見れば、どうしたってもどかしいでしょうからね〉
「……カイは、シェイラ様を、そこまで買っているということですか?」
静かに尋ねたのは、意外なことにマグノム夫人だ。夫人の問いに、ソラは苦笑気味に言葉を返す。
〈皆様には、そこまで話しておりませんか? あの子は常々、『なんでシェイラさんがあんなに自信なさげなのか分からない』『ディーよりよっぽどタフだし、図太いくせに』『頭の回転だって、平均よりずっと早いのにさ。個人的感情抜きにしても、ディーとシェイラさんなら、圧倒的にシェイラさんの方が正妃向きでしょ。どんだけ折れてもメゲないし』『ディーもだけど、みんなシェイラさんの外見に騙されすぎ。あの人、見た目ほどか弱くも儚くもないから』などとぶつぶつ言っておりますよ〉
「ええぇ……?」
〈カイにとって末姫様は、何をおいても守るべき〝唯一〟ですが、ご正妃様に関しては『そりゃ、シェイラさんが困ってたら、助けはするけども。そんなご大層に守られるようなタマじゃないでしょ』とバッサリです。何でも以前、ご正妃様が攫われて助けに参ったとき、役目だからと王宮に戻るまでは守りの態勢を維持しようと思っていたのに、ご本人自ら陣形を崩して対等に歩いてくださったとか〉
「あっ、あれは! 否定はしませんけども、最初にケンカを売ってきて、陣形を崩すきっかけを作ったのはカイさんです!」
「えっと……うん。凄腕の稼業者にケンカを売られて、怯むことなく真正面から言い値で買って、守りを全力拒否してる時点で、確かに全然儚くないし、精神的に相当タフなのは間違いないわね……」
「ディアナにそんな胆力がないのも確かねぇ。助けに来てくれた相手からケンカを売られても、恩義の方が上に立って買えないでしょう、あの子は」
「そう考えると、〝図太い〟というカイの意見もしっくり来ますね……」
「皆様まで……」
困り果て、そっとカート横のマグノム夫人に視線を送ると、滅多にない良い笑顔を返された。
「正妃様の見た目と中身の落差が激しいのは、リファーニア様も継承されたエルグランド王室の伝統のようなもの。気にされることではございません。見た目が屈強で中身が繊細であるよりよほど、お仕えする身としては頼もしゅうございます」
「……取り敢えず、カイさんが戻っていらしたら、一度私への評価について、じっくり腰を据えて話し合う必要がありそうだということは分かりました。買って頂いているのはありがたい限りですが、個人的にはあまり褒められている気が致しません」
「褒め言葉としては微妙なものも混じっておりますから、お気持ちは分かりますが――心置きなく話し合って頂くためにも、まずは内務省と『牡丹派』の攻勢を凌がねばなりません」
脱線しかけた話を、流石の調整能力でキースがぐっと戻してくれた。強く首肯して、シェイラは皆をぐるりと見回す。
「先ほどソラ様が仰った通り、リリアーヌ様の狙いははっきりしております。――内務医官にナーシャ様を診察させることで、ご懐妊の事実を後宮内外まで広く知らしめようとしておいでなのでしょう」
「その狙いが嵌ってしまえば、こちらが圧倒的不利に立たされてしまうわね」
「ならば、その狙いを外すしかないわ」
ライアとヨランダの断言に、レティシアがやや身を乗り出す。
「そのことなのですが――、私に一つ、考えがあります」
「考え、ですか?」
「実力が拮抗している商売敵相手に、しばしば使う手――敢えて相手の策に落ち、油断させることで、逆転への隙を作るのは如何でしょう?」
レティシアの比喩は、商家出身のシェイラにも、イメージし易いものだった。
彼女の言葉を足がかりに、粗くはあるがぱちぱちとピースが繋がり、対抗策の輪郭が見えてくる。
この策を成功させるために、必要な準備は多いけれど……準備さえ整えれば、特別な力など何もなくとも、きっとナーシャを守ることができる。
(そうよ。無力に逃げるんじゃない。――無力なら、無力すらも武器にするの。ナーシャ様に嫌われてしまったのなら、それだって利用する。もしもこれで、ナーシャ様に死ぬまで恨まれ、憎まれてしまっても構わない。私に足りなかったのは、その覚悟)
頂点に立ち、国を背負えば、その責任と結果を生涯抱えていくことになる。万人に受け入れられる政などあり得ず、どれほど誠意を尽くしても、分かり合えずに関係が崩れてしまう人は出てくるだろう。
それでも、信念を抱いて前に進むなら。嫌われることも、憎まれることも、覚悟しなければならない。――こちらを嫌い、憎む相手すらも一人の民として慈しみ、守る覚悟こそ、国の頂点たる王族に求められるものなのだ。
(ナーシャ様が私を嫌っても、私はナーシャ様が好きで、大切。だから、守る。……こんな単純なことを十日も悩み続けるなんて、私はホント、まだまだ未熟だわ)
腹を括ると、自然と背筋は伸びる。――視線だって、前を向く。
もう一度、強く頷いて。シェイラは大きく息を吸った。
「良い考えです、レティシア様。その方向で、詳細を詰めていきましょう――」
眼前に迫る〝壁〟を前に、迷いの消えたシェイラは、凛と強く笑うのだった。
黒獅子さんよ……アナタいい加減、しれっと爆弾投下するの止めようってばぁ……
なかなか面と向かって本人を褒められない息子のフォローしたつもりなんだろうけど、アナタの息子、褒め言葉が大概不躾なせいで、素直に「わーい褒められた」って思えない事例多数なんですよ……素直の上にバカがつくジュークと、全体的に大人なエクシーガ皇子くらいでしょ、カイの褒め言葉を褒め言葉として受け取ってくれたの。
おかげで帰国後、カイがシェイラに詰められる案件が増えたじゃないですか。まぁ詰められたところで、痛くも痒くもないだろうけどね。全力で開き直るカイしか見えん!
最後にちょろっと、お知らせです。
この先の更新ですが、現在年度末と新年度準備で仕事が大変立て込んでおり、割と執筆時間がカツカツだったりします。
日曜朝9時更新を続ける努力はしますけれど、どうしても間に合わない場合は、書けたタイミングで都度投稿する、不定期更新になるかもしれません。というか、4月いっぱいはそうなる可能性の方が高い気がしています。
なろうが不安定になる分、Twitterではいつもよりマメに呟いて執筆状況や更新日時についてお知らせできればと思いますので、気になる方はアカウントのフォローをお願いします。
何とか更新は続けて、4月中にディアナをエルグランド王国へ帰国させたいと考えておりますので、引き続き応援のほど、どうぞよろしくお願い致します!!




