とある内務医官の憂鬱
大変長らくお待たせ致しました……お待たせした割に分量が少なめで申し訳ありません。
唐突な新キャラ登場に、おそらく作者が一番戸惑っております。
――後宮の対応は、『紅薔薇』不在であっても変わらず迅速だった。
「おはようございます。皆様、本日はどうぞ、よろしくお願い致します」
爽やかな秋晴れの朝、内宮の中でもとりわけ閉ざされた場所である後宮の出入り口付近にある、小さな詰所にて。
内務省に所属する、王族のための医者たち――エルグランド王国医術者の頂点であり、最高レベルの知識と腕前を併せ持つ『内務医官』が勢揃いする中、女官長、シャロン・マグノムは一分の隙もない完璧な礼を執ってみせた。
前任者と違い、用があるとき以外はほとんど内宮に引き篭もって姿を見せない現女官長は、何気に内務省にとっても謎めいた存在だ。女官長の交代は、通常ならば内務大臣が主導となって行われるもので、内務省が女官長の詳細を知らないなんてことはあり得ないが、マグノム女官長に関しては、始まりから今に至るまで、全てが異例づくしであった。前任者、マリス伯爵夫人の失脚からして寝耳に水であり、王の勅命で有無を言わさず後任となったマグノム前侯爵夫人は、突如降って湧いたかの如く現れた、という表現がぴたりと嵌まる。いくら過去には有能女官として呼び声高くとも、彼女が王宮から距離を取って軽く十年は経過しており、マグノム侯爵家自体も王宮に官職を持たない地方貴族となれば、中央にとっては存在しないも同然の人材。誰がマグノム夫人をマリス夫人の後任として見出し、女官長職を受けるよう持ちかけたのか、今でも真相は闇に包まれている。
――しかし。いかに異例づくしの、謎めいた存在であったとしても。
「後宮におわすご側室方は皆様、育ちのよろしいお嬢様です。たとえ医師であっても、男性との接触には不慣れでいらっしゃいます。事前に通達しましたように、触診は極力お控えになり、視診と問診を中心に進めて頂きますよう、お願い申し上げます」
〝側室の健康状態の把握〟という議題が内務省内で持ち上がってすぐ、「お話、至極ごもっともにございます。王族様の人数が少ない現在は幸い、内務医官の方々もお手隙でしょうし、これを機会に側室方全員の健康観察を行ってはいかがでしょうか」と提案し、ほんの数日で準備を整えるだけの手腕を持つ彼女が、女官長としてこの上なく有能であることは、疑いようもない事実である。
マグノム女官長から『側室全員の健康観察会』を提案されたと聞かされた際、医局はシンプルな驚きに包まれた。就任からこれまで、一度とて挨拶に訪れることもなければ相談事を持ちかけられることもなく、どう見ても内務医官から距離を取っているようにしか思えなかった新女官長から、想定外の仕事が舞い込んだからだ。
彼女が医局に寄り付かないことに対する不満は、医官たちにはなかった。マグノム女官長はその昔、今は亡きオースター王に仕えていた女官。前王と王太后の信頼厚かった彼女が、前王をみすみす死なせてしまった内務医官たちを許せないのは理解できる。オースター王の崩御に関しては、治療の中心を担っていた医官が責任を感じるあまり殉死するなど、医局の犠牲も決して小さくはなかったが、それで禊が済むわけでもない。オースター前王の崩御以来、ジューク王とリファーニア王太后もよほどのことがない限り医官の診察を求めることはなく、はっきりと言われたことはないが、医局が王族の信用を損ねたことは確かだろう。
にも拘らずマグノム女官長は、後宮に住う側室たちの健康観察という重大な仕事を、内務医官たちに託してくれた。医局では、経験豊富な年長者を中心に驚愕の色が濃かったものの、信用回復の願ってもない機会と、普段ならば直接王族を診ることはない若手も総動員することとなったのである。
「――女官長」
医局のトップである内務医官長が、重々しく進み出た。
「ご側室方の健康状態に関しては、我々も密かに案じていた。お声掛け頂いたこと、ありがたく思う」
「こちらこそ。王国最高峰の医術者と名高い内務医官の皆様方に診て頂ければ、皆様もご安心なさることでしょう」
「ご期待に添えるよう、最善を尽くそう。――しかし、我々が最善を尽くすためには一つ、ご承知頂かねばならないことがある」
「承知置くこと、にございますか?」
「通達にあり、先ほど女官長も仰ったように、視診と問診を中心に健康観察を行うことそのものに異存はないが……その診察で明らかな異常が見受けられた場合、詳しく調べるために触診が必要となる可能性もあるだろう。我々が触診を求めた際は、後宮側にもご協力を願いたい」
「もちろん、触診の可能性と必要性は、予め皆様方へお知らせしてございます。しかしながら、先ほども申し上げました通り、側室方の多くは異性との接触に慣れていらっしゃらない、深窓のご令嬢です。触診をお求めになる際は必ず、ご側室と控えている女官ないしは侍女に、触診の理由と目的をご説明くださいませ」
「承った」
「また、側室のお一人ずつに診療録を作成なさると伺っておりますが、そちらの原本は医局ではなく後宮預かりにしたく存じます。――たとえ医療記録とは申せ、側室方の詳細な個人情報を外部へ洩らすわけには参りません」
「……それは暗に、医局の情報管理が杜撰と仰っておいでか?」
「まさか。これはあくまでも念の為の処置にございます。――過去にあった、医局の診療を受けた女官、侍女の記録が不心得者によって勝手に閲覧され、彼女たちが無遠慮な視線や物言いに晒された被害の数々を、内務医官の方々は深く悔いておいでとか。同じ過ちを側室方に対して繰り返すことなど、あり得ないでしょう」
表情一つ変えることなく、貴族風の牽制を放ったマグノム女官長はさすがだ。間違っても医局がこれ以上異議を唱えられないように、言葉だけでしっかりと釘を刺してくる。――過去に情報漏洩があった医局など、信用に値しないと。
沈黙した医官長に代わり、彼の右腕でもある副医官長が口を開く。
「……承知致しました。しかし、内務省としましても、側室方の大まかな健康状態は把握しておく必要があります。内務省に対して簡易的な報告を行うことは、後宮にもご了承願いたいのですが」
「……今回の健康観察の発端が内務省側である以上、致し方ないのでしょうね。報告の際はご側室の意思を第一に、意に沿わない内容にならないよう、くれぐれも留意なさってください」
「最大限、配慮はしますが。万一、後宮運営に支障がある病や症状が判明した際は、ご本人の意に反しても報告しなければなりません。それが、我々の役目でもあります」
「万一の場合は、どうぞご随意に。――しかし、内務省の皆々様はあくまで、入宮以来一度もお医者様の診察を受けていない側室方を気遣って『健康状態を把握するべき』と仰ったと伺っておりますが、今の副医官長殿のお言葉はまるで、側室として不適格なご令嬢を炙り出すお心づもりでいらっしゃるかのように聞こえますね」
「はは……いえいえ、そのようなことは」
「えぇ、もちろん。副医官長殿が純粋にご側室方を案じていらっしゃることは、理解しておりますよ。であればこそ、日頃から側室方のご体調には細心の注意を払ってお仕えしている女官、侍女たちの長である私の前でも臆すことなく、〝後宮運営に支障のある病や病状を抱えている側室が存在する可能性〟について、言及されたのでしょうから」
これまで表情が乏しかったマグノム女官長が、ここぞとばかりに優しげな笑みを浮かべて辛辣な台詞を言い放った。貴族的言い回しに長けた彼女が副医官長の無礼な発言を聞き流すわけもなく、〝側室の重大な病を見過ごすほど、後宮女官と侍女は無能だと言いたいのか?〟と、見事に切り返したのだ。――客観的に見れば、後宮の、ひいては王族の信頼を得たいのは内務医官たちなのだから、マグノム女官長へ喧嘩を売って良いことは一つもないように思えるが、先々代国王の治世から王宮に仕えている医官長と副医官長には、自分たちこそが王族の健康を守ってきたという確固たる自負とプライドがあるのだろう。悔しげに口を噤みはしたが、謝罪の言葉は出てこない。
しばらく沈黙を数え、医官側からの反応は期待できないと判断したらしいマグノム女官長が、元の無表情に戻って内務医官たちをぐるりと見回した。
「――それではこれより、ご側室方の健康観察のため、各お部屋を巡って頂きます。内務医官お一人につき、案内役の女官を一人ずつおつけしますので、女官の案内に従ってお進みください。どのご側室をどなたが担当されるかについても、大まかには割り振っております」
「大まかに、ですか?」
「はい。何しろ、当代の後宮は過去に例がないほど規模が大きく、お暮らしになっているご側室の人数もこれまでとは比較になりません。無用な混乱や不満を生まぬため、位の高いご側室はやはり、医官長殿や副医官長殿など医局の中でも経験長く実力あるお方にご担当頂くべきでしょう。反対に、ご側室の中には特にお医者様の経歴に拘らない方もおいでですので、若い医官の方にはなるべくそういったご令嬢をお願いしたく存じます」
「それで、大まかに割り振ってくださったのですね」
「左様にございます。しかしながら、内務医官殿は総勢八名……単純計算で、一人五名のご側室をお願いすることになります。それだけの人数を診察するとなると、どうしても終了時間にばらつきが出てくるでしょう。そうなった際は臨機応変に、他の方に割り当てた方を診て頂いても構いません。ゆえに、大まかな割り振りのみ、こちらでご提示申し上げました」
……これはもしかして、〝割り振り表の名目で医者の業績や地位にうるさそうな側室の情報は渡したから、参考にして健康観察会を円滑に進めてくれ〟という遠回しな助言だろうか。親切であることは確かだが、そんなものを用意しなければならないほど今の後宮が難解な証左でもあって、医官たちの気分は更に盛り下がった。何人かがこっそり医官長の様子を伺ったが、割り振り表を受け取った彼はやや不機嫌な様相で紙を眺めはしたものの、特に異論は述べない。副医官長を通じて、人数分あった割り振り表を内務医官全員へ渡していく。
割り振り表が行き渡ったところで、マグノム女官長は再度、完璧な礼を執った。
「皆様。本日はどうぞ、よろしくお願い申し上げます」
■ ■ ■ ■ ■
――割り振り表を受け取った内務医官たちの中で一人、期待と、それ以上の重圧に押し潰されそうになっている者がいた。
「よぉサイノス。さすがは医局長様の秘蔵っ子だな。先輩方に負けず劣らずの大抜擢じゃねぇか」
マグノム女官長が退出した詰所で、配られた割り振り表を眺めていたサイノスは、同期のターセルに話し掛けられ、苦い笑顔でため息をついた。
「ぜんっぜん、嬉しくない……僕には荷が重すぎるよ」
「まーたまた。医局長様の甥っ子で、子どもの頃から神童と名高かったサイノス様なら、『名付き様』も文句のつけようがないって」
「ターセル。何度も言うようだけど、ヨルトン医局長様は僕の母上の叔父上――いわゆる大叔父上であって、確かに血は繋がっているけれど、かなり遠いんだよ。医局長様も、僕を特別扱いなさることなんてないだろう?」
「表向きはそうかもしれないけど、何かとお前を気にかけていらっしゃることは、雰囲気で分かるぜ? お前が神童だったってのも、医局長様が仰っていたことだからな」
「そんなの……勉学のコツを掴むのが、たまたま周囲より少し早かっただけなんだから、神童なんて大袈裟が過ぎるって。大体、机の上のお勉強が得意だからって、医者として有能かどうかは分からないじゃないか。実践経験が不足しているこの状況じゃ、尚更」
「ま、それは俺にも言えることだけどな~。俺たちが王宮に上がってから、診療の現場に立ち会ったのなんて数えるほどだったし」
「それでも、王宮医官として抜擢されるまで城下の診療所にいた君と、医師資格を得てすぐ王宮に呼ばれた僕とじゃ、現場経験に圧倒的な開きがあるよ」
サイノスとターセルは同時期に王宮医官として城に上がったが、年齢は十近く離れている。初対面時、年上だからと敬語で挨拶したサイノスに、「勤め始めが一緒の奴に畏まられると気詰まりだ」とターセルが返してから、二人は同期として、仲間として、良好な関係を築いていた。
二人が王宮医官となったのは、三年ほど前――オースター前王が体調を大きく崩す、その少し前だった。オースター王に異変が起きる前までは、二人は新人の内務医官として先輩たちに付き従う形で、王族への朝夕の健康観察にも回っていたものだ。主な業務は先輩内務医官の補佐で、直接王族の方々を診察することはなかったが、健康観察がどういったものかについては、一応把握できている。
とはいえ、それはもう三年も前のこと。オースター前王が崩御しジューク王が即位してから、王族の心は内務医官から遠く離れ、朝夕の健康観察という慣習そのものが廃れてしまった。この二年以上、サイノスもターセルも、現場を経験できていない。――尤も、それは自分たち新人だけでなく、内務医官全員に言えることではあるが。
口は悪いがよく気がつくターセルのことだから、今日が実質的な現場初日であるサイノスを気遣い、敢えての軽口で気持ちをほぐしてくれていることは分かる。こんな〝割り振り表〟を見てしまっては余計に、同期としても医者の先輩としても不安の方が勝つだろう。
はぁ、と重いため息を吐き出して、サイノスは再び〝割り振り表〟に視線を落とした。
「まさか、僕みたいな新人に『名付き』様――睡蓮様が割り当てられるなんて。確か、ストレシア侯爵様のご令嬢だろう? ストレシア侯爵家だって随分と古くからある貴族家なんだから、ご令嬢も権威を重んじられているはずなのに」
「どーかね? ストレシア侯爵家が古参貴族なのは確かでも、今の侯爵様は外務省でバリバリの現場責任者として動いていらっしゃるくらいなんだから、あんまりそういう見栄とか気になさらない方なんじゃねぇの?」
「だと良いけど……医局長様との血縁関係をアテにして、マグノム女官長様が僕に難しい側室様を割り振った可能性だってあるし」
「あー……まぁゼロじゃねぇだろうけど、少なくともあの女官長様は、前任者より抜け目はなさそうだぜ? こっちの情報も一通り仕入れた上で、それなりにやり易い配置にしてくださってる印象だけどな、俺は」
ターセルに言われ、改めて〝割り振り表〟を上から順に確認していく。現在、スタンザ帝国へ赴いているため『紅薔薇様』は不在だが、次席である『牡丹様』の担当は順当に医官長となっているし、彼女――というよりランドローズ侯爵家と近しい家の令嬢方は、軒並み腕も経歴も遜色ない大ベテランな医官たちが受け持っていた。内務医官として王宮に出入りしているサイノスでもよく耳にする名家の名前がずらりと並ぶベテラン医官たちの〝担当側室欄〟の眺めは、壮観の一言に尽きる。
中堅の先輩医官たちには、『鈴蘭様』『菫様』を含む、ランドローズ家とは関わりが薄いものの、それなりに名の知られた高位貴族家出身の側室が割り当てられており――新興貴族家から王宮に上がった側室は、ターセルやサイノス、その他王宮に上がってまだ日の浅い医官の担当となっている。
言われてみれば、サイノスに『睡蓮様』が割り当てられている以外は、内務医官と側室、双方をよく理解した割り振りのように思えた。……が、ならば尚更、どうして誰よりも現場経験の浅い自分が序列第三位のご側室の担当なのかと、サイノスは天を仰ぎたくなってしまう。
「これ、変更希望出せないのかな……」
「そんなことやってる時間はないんじゃないか? ホラ」
ターセルが指差した先にあるのは、後宮内へ向かう通路に繋がる扉。彼が指差したと同時に開き、美しい所作の女官たちが次々と入室してくる。マグノム女官長が言っていた、案内役の女官たちだろう。
女官たちが副医官長の指示を仰いでいる様を、キリキリする胃を押さえつつ眺めていたサイノスは、彼らから少し離れた場所でこちらに視線を送る医官長に気がついた。彼はよく、話したい相手を視線で呼びつけるのだ。
「さすがは後宮女官、美人揃いだな〜」と呑気な感想を呟くターセルからそっと離れ、サイノスはさり気なく医官長に近づいた。
「医官長様。私に、何かお話がおありでしょうか」
「おぉ、サイノス。いよいよだな」
「は、はい」
「経験は乏しくとも、そなたの優秀さを、マグノム女官長は随分と買ってくださっておるようだ。期待を裏切らぬよう、しっかり励めよ」
「も……もちろんにございます」
「睡蓮様を任されたこともだが、そなたに割り振られた側室方は、たとえ新興貴族ではあっても決して疎かにはできぬ方々ばかり。日々真面目に勤めるそなたの実直さを見込んでのことであろう。決して手を抜くことなく、時間はかかっても構わぬゆえ、お一人お一人、丁寧にな」
「承知、致しました」
サイノスが素直に頷くたび、医官長は満足げに頷いて。
「特に――こちらのクロケット男爵令嬢には、丁寧かつ慎重な診療を行うように」
「は、ぁ……クロケット、といいますと、あの『クロケット紡績商』の創業家でしょうか?」
「左様。王国の紡績業においては、他の追随を許さぬ第一人者、クロケット男爵の愛娘だ。……あくまでも未確認の情報だが、クロケットのご令嬢はここのところ、体調を大きく崩されているらしい」
「えっ」
「単なる季節の風邪であるならば良いが……我ら内務医官の管轄である王宮内で、王国の要人の娘が重篤な病に罹って生死を彷徨うなどという事態は、何としても避けねばならぬ。そのためには、体調不良の原因をなるべく早く突き止めねば」
「そんな……」
『名付き様』に続いて、これほど重大な案件が回ってくるとは――。
「そのような診療、現場経験不足である私には、あまりにも荷が重すぎます。マグノム女官長様にお話しして、今からでも割り振りの変更を――」
「そう怯えることはない。割り振り表の順番を見るに、そなたがクロケット男爵令嬢を診るのは一番最後……その頃にはおそらく、誰かしらの手は空いておろう。女官長も、割り振りはあくまでも目安で、早く終わった者は他の担当の側室を手伝っても構わぬと言っておった。自身の割り当てをこなした医官は、優先的にそなたの手助けをするよう、申しつけておく」
「あ……」
さすがは医官長。割り振り表を一目見て、どこにどうフォローを入れるべきかまで、即座に頭を回したらしい。この程度の芸当をさらりとこなせて初めて、内務医官たちの頭を張れるということか。
「ありがとうございます、医官長様。未熟者ゆえ、皆様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
「誰にでも、初めてはある。あまり気負うことなく、これまで学んだこと、教わってきたことを着実にこなすことだけ、まずは考えなさい」
「お言葉、胸に刻みます」
深々と頭を下げたところで、副医官長に名前を呼ばれた。もう一度医官長に黙礼してから、サイノスは少し離れたところにいた副医官長に駆け寄る。
「お待たせ致しました」
「サイノス。こちらが、本日そなたを案内してくださる女官殿だ」
「はい」
サイノスより頭一つ小さい女官は、お手本のように綺麗な礼を執った。
「女官のユクシムと申します。本日は、どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそ。経験が浅く、ご迷惑をお掛けすることも多いかもしれませんが、精一杯務めます」
ペコリと礼を返したサイノスに、ユクシムと名乗った女官はほんの刹那、沈黙して。
「……頼もしいお言葉ですわ。サイノス殿に診察頂ければ、ご側室方も安心なさることでしょう」
表情を変えないまま、社交辞令だとよく分かる言葉を口にした。……経験が浅いとありのままを告げてしまったのは、もしかしなくても良くなかったか。
「――これで、案内役との引き合わせは完了した。これより各々のお部屋を廻り、ご側室方の健診へと移る」
医官長の号令を聞きながら、初っ端からやらかしてしまったと早くも自信喪失に陥るサイノスを、いくつかの目がそれぞれの思惑を秘めて、じっと見つめていた――。
この『側室一斉健診会』を誰視点で進めるか、私には珍しく結構迷走して、最初から最後まで神視点を貫くことも考えたんですけど、それだと臨場感に乏しくなるなと最終的にサイノス君へと落ち着きました。だがしかし、内務医官側の視点を入れたことで、彼らサイドの物語もどんどん膨らんで、頭の中が収拾つかなくなりつつある……ちょっと整理せねば。
サイノス君視点は次回へと続きます。




