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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
203/271

ざわめく花々

今回、閑話的パートな割に、やたら長くなりました。


 花柄のティーカップが優雅に揺れる。

 ――『睡蓮の間』で午後のお茶の時間を過ごしていたライアは、正面に座るヨランダがお茶を静かに飲み干すのを、見るともなしに眺めていた。……ちなみに、ライアのカップの中身は、あまり減っていない。

 お茶を飲み干して空になったカップをソーサーへと戻すのと同時に、ヨランダが気遣わしげな目をライアへと流してきた。


「表情が暗いわよ、ライア」

「二人きりのときくらい、取り繕う労力は省かせて……こんな状態が長く続いちゃ、表情も気分も暗くなるわ」

「気持ちは分かるけど。こればっかりは、わたくしたちには何もできないし、余計に歯痒いわよね」

「えぇ。――まさかナーシャ様が、ここまで態度を硬化させるなんて、さすがに思わないもの」


 二人揃って、ため息を吐く。――ナーシャの懐妊が発覚してから、早いもので、十日以上が過ぎていた。

 この間を思い返せば、嫌でも気分はずーんと落ち込む。


 ――リディルとナーシャを招待してお茶会を開いた日、ナーシャが途中で倒れたことで彼女の状態を知ったシェイラは、当然の流れとして主な仲間たちにすぐさま情報共有し、協力して事に当たる態勢を組んだ。それ自体は悪い判断ではなかったが……ただ、ナーシャが妊娠の事実を隠そうとしている段階で、彼女の気持ちを解すより先にそちらを優先させてしまったため、肝心の当事者の不信を招いてしまったのだ。

 この点に関しては、正直、ライアとヨランダも甘かったと言わざるを得ない。よく気遣いができて他者との和を大切にするナーシャは、その分他人の事情を慮る洞察力にも長けている。本人の気持ちを確認する前に裏で動いたことは確かでも、ナーシャならば事情を分かってくれるのではないかと、予め協力態勢を整えておくことがそれほどの悪手とは捉えなかった。……結果を見れば、そのように相手の厚意を頼みにしていた、自分たちの無意識の甘さが最悪の事態を招いてしまっている。

 侍女たちを全員下がらせた室内で、ライアは行儀が悪いことは承知しながらも、ソファーにもたれかかって天井を振り仰いだ。


「無理にでも気丈に振る舞っておいでのシェイラ様を拝見するにつれ、己の力不足が身に染みてね……こういうときディアナなら、シェイラ様の虚勢とナーシャ様の硬直を溶かして、一度状況をリセットできるんでしょうけど」

「シェイラ様の虚勢だけなら、頑張ればわたくしたちだけでも剥がせるかもしれないけれど、今は、それが却ってシェイラ様のお心を折ってしまう危険性の方が高いもの。お心が折れたシェイラ様のフォローができるお方は限られていて、一人は不在、もう一人は四六時中後宮に詰めるわけにもいかないとなれば……」

「必然的に、見守る以外の手が打てない……もどかしいわ、本当に」


 虚勢を張ってでも己を保ち、強くあろうとするのは、悪いことばかりではない。国を動かす立場ともなれば、ときに己を通常以上に〝強く〟見せ、ハッタリを効かすことで難局を乗り切る才覚も必要となってくる。最初は虚勢でも、一つ山を越えるごとに自信へと繋がり、やがては本物の風格となる――〝立場が人を育てる〟とは、そういう意味で言い得て妙なのだ。

 ……が。それはあくまでも、難局を上手く乗り越えた場合(ケース)に限られるわけで。逆に失敗体験が積み重なると、所詮は(うつろ)な勢いなだけに、反動で落ちるところまで落ちてしまいかねない。

 正妃教育の重要な役割を担っている自分たちとしては、今回の件でシェイラとナーシャの仲が修復不能なまでに拗れ、ナーシャの心身の健康までが損なわれるような、取り返しのつかなくなるような事態だけは、是が非でも避けなければならないのである。


「現状……まだ、解決の糸口は残っていると、希望を抱いても良いわよね?」


 ライアの問いかけに、いつもの柔和な笑みを消した表情ながら、ヨランダは慎重に頷く。


「ナーシャ様、かろうじてリディル様のことは受け入れておいでだから……本心では、シェイラ様と完全に決別したいとも、このままの状態を続けられるとも、考えてはいらっしゃらないはずよ」

「えぇ。マグノム夫人も、妊娠初期の女性は身体だけでなく心の均衡(バランス)も崩しやすいと仰っていたし……もう少し時が過ぎれば、また状況は変わってくるはず」

「……〝はず〟と、不確定形でしか話せないのって、意外とストレス溜まるわね」

「心底、同感よ」


 シェイラがナーシャと拗れる直前、事情をあらかた話した上でリディルを味方に引き込んでいたのは、悪手であると同時に最善手でもあった。あの日以来、シェイラとは没交渉になったナーシャだが、別れ際のシェイラの嘆願が功を奏したのか、リディルとは手紙のやり取りも、会って話をすることも、拒絶することなく続けてくれているのだ。まだ、細く弱くではあるが、ナーシャとシェイラの関係は繋がっている。

 とはいえ、ここでリディルがナーシャの状況を何もかもシェイラに伝えてしまっては余計に拗れるだけなので、リディルにはひとまずナーシャの心を解すことを優先してもらっている。リディルには「ナーシャ様の体調だけでも、ご報告しなくてよろしいですか?」と尋ねられたが、クレスター家に仕える隠密集団『闇』と『黒獅子』が味方についているため、「とにかくナーシャとの関係性の維持に徹して」とお願いしている十日間なのだ。ナーシャの体調に何か異変があれば、即座に天井裏からマグノム夫人へ報告が入ることになっている。

 ……もっとも、この期に及んで騙し討ちのようながら、交代で途切れることなくナーシャを見守っている『闇』の目的は、彼女の健康観察だけではないのだが。


「……それにしても、この十日間でナーシャ様が外部とやり取りすることも、後宮内で特別に誰かと会おうとすることもない、なんてね」


 同じことを考えていたらしいヨランダが、目を伏せて呟いた。頷きつつ、ライアも少し遠い目になる。


「侍女の話では、本格的に食が細くなってから一度も、外へ向けた手紙などは出していらっしゃらないそうよ。ナーシャ様がいつ、ご自身の状態に確信を抱かれたのかは分からないけれど、気付いてから今まで、自分から誰かへ真実を告げられたことはないようね」

「つまり……やはり、ナーシャ様のお相手は、外部ではなく王宮内に」

「もしくは、父親に知らせるつもりがないか、でしょうね」

「父になるお方にまで知らせないって、どういう状況?」

「その方をお子の〝父〟にはできない事情があるか、あるいはしたくないか。そのどちらかじゃないかしら?」

「……したくない、の方だと最悪ね。父にはしたくない男のお子を孕んだことになるもの。心から愛し合ってできたお子じゃない、ということにもなってしまうわ」

「ナーシャ様のご様子を見る限り、お腹のお子をどうにか守ろうとしておいでのようにも感じられるから、少なくとも愛情はあると思いたいわね」


 男女の関係は単純なようで複雑な面もあるから、画一的な愛憎論では判別できないのが厄介だ。仮にナーシャが子の父を愛おしく思っていたとしても、「だからといって父親にできるかどうかは別」という可能性とてある。そしてその場合、周囲の対応はより繊細さが求められるだろう。

 ――幸いにもナーシャが小康状態を保つ中、状況が大きく動かないことで、逆に事情を知っている面々の中で、日に日にその疑問は膨らみつつあった。

 即ち――。


「本当に……どなたなのかしら。ナーシャ様のお子の、父君は」


 今回の件において、間違いなくナーシャと同格の渦中人物でありながら、まるで正体が掴めない〝男〟について、無駄だと分かっていながらも考えてしまっているのである。

 いけないとは思いつつ、抑えられないため息を漏らして、ライアは目を閉じた。


「陛下でないことは確定としても……国中の男から候補者が一人消えたくらいじゃ、絞りようがないわ」

「……わたくしは、もう少し絞れると思うけれど」

「本当、ヨランダ?」

「…………やっぱり、お相手が王宮の外にいる可能性は、低いと思うの。マグノム夫人も、そう仰っていたのでしょう?」

「月の巡りを確認している、という話? 確かに聞いたけれど、あんなもの、どうとでも誤魔化せるじゃない」


 大昔のように、巡ってきている様を直接視認されるわけでもなし、腹帯での確認の時点でいくらでも誤魔化しは利く。

 ある意味、この後宮で誰よりもその現実を熟知しているライアは、シェイラからその話を聞かされたときも、〝それ〟を理由に父親の可能性を王宮内、後宮内に限定してしまうのは早計が過ぎると考えていた。同じようにヨランダも考えているものと、当たり前のように思っていたが――。


「ライアは感覚が麻痺してるのよ。月の巡りを偽って後宮に居座るって、あなたが考えてるほど軽いことじゃないわ。不順を誤魔化すだけならまだしも、巡ってこない月を来ているように偽ったと知られたら、最悪、王家に対する偽証罪で一族郎党に累が及ぶ可能性だってある」

「そんな大袈裟に考えなくても……」

「実際、女にとっては重いことなの。後宮における月の巡りの確認は、側室が確かに王の子を宿せる証明なのよ? そこを偽証するは即ち、王家に王家ではない血統を紛れ込ませ、乗っ取らんと謀った――叛逆行為にも等しいのだから」

「それは……」

「あのナーシャ様が、そこを理解していらっしゃらないはずがないの。『里帰り』中に自身の異変に気付いておられたら、さすがに月の巡りを偽証するなんて大罪を犯してまで、後宮へ戻ろうとはなさらなかったのではないかしら」


 ……ライアとて、月の巡りを偽ることが罪だとは認識していたつもりだが、こうして懇々と言い聞かされると、なるほど己の感覚は麻痺しているのかもしれないと頷かざるを得ない。ヨランダの言う通り、ナーシャの性格上、『里帰り』中に外で既に懐妊していた可能性は低そうだ。


「……となると、後宮に出入りできる男性方の可能性がぐっと高くなるけれど」

「…………あるいは、」

「ヨランダ?」

「あるいは――常日頃から後宮に居住している〝男性〟、か」


 常日頃から後宮に居住している男性……公式に認められているのは、厨房長くらいだが。


「……何が、言いたいの?」


 さすがに、声が低くなった。侍女が隣室にすら控えておらず、完璧にヨランダと二人きりという状況も相俟って、いつもなら抑えられる情動が胸の底で燻るのを感じる。

 不穏な空気を感じ取ったのか、ヨランダがすっと視線を横に逸らした。


「別に……〝カリン〟の例もあるし、〝そういう人〟が他に居ないとも限らないでしょ」

「私の洞察眼にかけて、そんな〝例外〟は〝カリン〟だけだと断言できるわ。――あなたが想定している、〝ただ一人〟を除いてね」

「……〝その人〟が父親だと思っているわけでも、信じていないわけでもないの。ただ、ただ――……可能性としては排除できないって、考えてしまうだけ」

「ヨランダ……」


 ……まさか、いつもの笑顔の裏で、彼女がこんな不安に苛まれていたとは思わなかった。ヨランダとは生まれて以来の付き合いで、以心伝心で意思疎通できるほどの仲だと自負していたが、貴族の中でも〝狸〟と言われるほど腹芸が得意なユーストルの血を継いだ彼女の心中を全て察することができるなど、慢心にも程があるということだろう。

 ライアはゆっくりとソファーから立ち上がると、ぐるりとテーブルを廻って、そっとヨランダの隣に腰を降ろした。


「……可能性すらあり得ないって安心してもらうには、どうすれば良いのかしらね」

「……気持ちの問題だもの。自分でも、どうすればこんな馬鹿げた考えを追い出せるのか、分からないわ」

「今の私なら……無理を押し通せば、一日中――それこそ、寝ているときも離れず、ずっと一緒に居続けることは可能だけれど。今、そう動いたところで、過去を証明することはできないしね」

「さすがに、そこまでさせるのは気が引けるというか、……〝寝ているときも離れず〟って、一緒の寝台使うってこと?」

「ダメ?」

「だっ、駄目に決まっているでしょう! いくら女同士でも、そんな」

「ディアナ曰く、民の間では昨今、親しい友人同士で集まって〝お泊まり会〟をするのが流行らしいわよ? 特に若い娘たちの間で流行っているのですって」

「だからって、同じ寝台は使わないでしょ……っ」


 本気で焦り、頬をほんのり染めているヨランダが可愛い。――常日頃から『ユーストル侯爵令嬢』として己をプロデュースし、完璧な振る舞いを崩さない彼女が、こうして本来の〝ヨランダ〟に立ち戻って素直な感情を見せてくれる瞬間、ライアもまた一時、世俗のしがらみを忘れた〝ライア〟として、ありのままに呼吸できるのだ。

 ヨランダの左手に己の右手を重ね、さり気なく指を絡めて繋ぎながら、ライアは艶やかに笑う。


「寝台は使わないけれど、大きな敷布で一緒に眠ったりもするらしいから、実質同じ寝台みたいなものじゃない? 『民の真似をしてみたくなった』と言えば、通りそうな気がしてきた」

「具体的にマグノム夫人を攻略する策を練るの止めて? 万一それでマグノム夫人を落とせても、サマンサが許すとは思えないし」

「そこはホラ、『最近、後宮が騒がしいせいか、ヨランダが不安がってるから』ってありのままを言えば、ね?」

「ね? じゃないから。……まったく、何でサマンサは、主のあなたよりわたくしを気にかけるの」


 サマンサとは、ストレシア侯爵家からライアとともに後宮入りした私的侍女だ。ライアの母、ドーラがスタンザ帝国から連れてきた使用人の娘で、ライアとはエルグランド人の父とスタンザ人の母を持つという共通点がある。それもあって幼い頃から気心知れており、ライアにとっては信頼できる貴重な味方の一人だった。

 ライアの腹心の配下であるサマンサは、当然ヨランダのこともよく知っている。――よく知っているがゆえに、彼女にとってヨランダは〝特別〟だった。

 ――何故なら。


「未来の侯爵夫人を気にかけるのは、サマンサの立場的にむしろ当たり前だと思うわよ?」

「ちょっ、ライア……!」

「誰も聞いてないし、具体的な家名も挙げてない。――大丈夫」


 低く、深く、ヨランダの耳元で囁いた。肩をびくりと揺らす彼女は、普段からは想像できないほどの初々しさに溢れている。

 ……少し(じゃ)れあってヨランダの心を解すだけのつもりが、ちょっと本気で離したくなくなってきた。真面目に、〝お泊まり会〟を提案してみるか。その場合、忍耐力が試されることにはなりそうだが。

 ライアの雰囲気から、先ほどとは別の不穏を察したらしいヨランダが、繋いでいない方の手でぐっと胸を押してきた。


「……良からぬことを考えてるでしょう、ライア」

「あら、失礼ね。極めて健全に、あなたの不安を溶かせる方策を考えてるだけなのに」

「分かったから、もう不安じゃないから! その方策は必要ないわ」

「子どもの頃は一緒にお昼寝してたのだから、そこまで気にしなくても……」

「子どもの頃と今は違うわ。……今、あなたと同じ寝台で、落ち着いて眠れるわけないでしょう」


 油断していたところに特大の爆弾を落とされ、ライアの挙動はぴたりと止まる。冷静に、諭すように言われるならまだしも、頬を染めて潤みがちの瞳を逸らしながら呟くように言われては、制止の言葉も逆の衝動しか煽らない。

 ――燻っていた情動が表に出ようとするのを真っ当な理性が押し留める中、頭の中では現実逃避気味に、〝カリン〟の特訓中、〝彼〟と交わした雑談が過っていた。


『ライアさんは良いよね。ヨランダさんは大人だから、〝こっち〟を無駄に煽るようなことしなさそうだもん。……侍女のカッコしてれば少しはマシになるかなって淡い期待を抱いてはいるけど、何せ相手が相手だから、下手な期待は却って危ない気もするし。結局は自分の忍耐力を鍛えとけ、って結論になるんだよねぇ』


(……大変残念なお知らせだけど、実はヨランダも、こういうところは大概なのよね。普段が普段な分、落差でむしろタチが悪いというか)


 信頼されていることは嬉しいしありがたいけれど、何事にも限度があるのだ。

 心中で荒れている諸々を落ち着けるべくゆっくりと呼吸をしてから、ライアはヨランダと繋いでいる手に軽く力を入れた。


「……ヨランダ。お願いだから、そんな風に可愛らしくなるのは、時と場合を考えてね? さっきとは別の意味で、離れたくなくなるから」

「かわいい……って、突然何を言い出すの? 話を飛ばすにしても程があるわよ」

「そうやって無自覚だから心配なんだってば」

「何それ。わざわざ言わなくたって、気の抜けた姿を晒す相手くらい、ちゃんと選んでるわ。あなただってわたくしと二人のときはほぼ〝素〟なのに、わたくしは同じことしちゃいけないの?」

「そうだけど、そういう意味じゃなくて……!」


 ムキになって言い返してくるヨランダに、どう言えば伝わるだろうかと、苛立ちにも似た焦燥感が湧き上がる。〝狸〟の異名を誇りに思っているヨランダが〝無自覚〟の単語に引っかかっていることは分かるけれど、この点に関しては無自覚としか言いようがないのだから仕方ない。


(いっそ、ここで身を以って〝危険〟を感じれば――)


 焦燥感が高じて冷静さが薄れ、抑圧されていた情動が身を起こそうとする――、


〈――お二人とも。その辺りで一度、落ち着かれてはいかがでしょうか?〉


「!!」


 ギリギリのところで声が降ってきて、ライアはヨランダとともに、ほぼ反射で天井を見上げた。

 と同時に、お互い阿吽の呼吸で手を離して距離を取った二人が見えたのか、〝声〟は苦笑気味に続ける。


〈ライア様のお心も、ヨランダ様のお気持ちも、察しがつくところではございますが。お二人が〝友人〟の枠外で親しくなさるのは、現状、あまり推奨される行為ではないかと存じます〉

「……ソラ様、いつから」

〈少し前ですね。シリウス殿から伝言を頼まれて参上したのですが――お二人にとって私は不快な存在でしょうから、一度はお断りしたのですけれど、押し切られまして。しかし、結果的には私で良かったのでしょう〉


 言外に、他人には見せられない諸々を見てしまった事実を告白しつつ、しかしさすがと言うべきか、ソラの声は冷静だ。彼の仕事の特性上、こういった戯れ合いを覗き見る機会などいくらでもあるだろうから、一々動揺してはいられないのだろう。

 彼に倣い、ライアも素早く思考を切り替え、背筋を伸ばして座り直す。 


「――不快など、とんでもないことですわ。過去はどうあれ、今の〝黒獅子殿〟はディアナの心強い味方ですもの。そこに私の個人的感情を差し挟む余地はございません」

〈ライア様――ストレシア侯爵家のご長子様が、全体の益とご自身のお心を分けて考えられる方でいらっしゃることは、重々承知しております。しかし、分けて思考できるからといって、お心が無くなるわけではないこともまた、事実です〉


 ……本当に、嫌になるほどよく似た親子だ。言葉遣いや態度はまるで違えど、ソラとカイはどちらも、こちらの本心や物事の本質をズバリと突いてくる。

 黙ってしまったライアをフォローするべく、ヨランダが淑やかな微笑みを浮かべて天井を振り仰いだ。


「ちょうど良うございました。わたくしも、ソラ様にお尋ねしたいことがありましたの」

〈はい、ヨランダ様。何なりと〉

「では、遠慮なく。――ライアの〝事情〟につきまして、あなた方親子はどこまで情報を共有しておいでですの?」

〈と、仰いますと?〉

「〝カリン〟の構築に当たり、カイは迷うことなくライアを頼りました。ライアが当代一の着道楽であることは誰もが認めるところですから、ディアナは特に疑問を覚えなかったようですが、よく考えれば不自然でしょう。――貴族間の服飾や流行に興味のないカイが、貴族女性としてのライアの感性(センス)を理解できていたとは思えませんもの。であれば、彼は服飾の専門家としてライアを頼ったのではなく、ライアの抱える特殊な〝事情〟ゆえに、〝カリン〟のアドバイザーとして適任だと白羽の矢を立てたのでは?」


 微笑んではいるが目は一欠片も笑っていない、いつものヨランダの追及に、天井裏は僅かに沈黙して――。


〈結論から申し上げますと、共有はしておりませんが、カイがライア様の最大の〝秘密〟を知っているのは確かでしょう。それは、私よりもライア様ご自身の方がよくご存知のはずです〉

「そうなの、ライア?」

「まぁ、はっきりと言われたわけではないけれど、二人でいるときの雑談の端々にそんな気配は感じたわね。ただ、私もカイがどこまで知っているのか分からなかったから、突っ込んで尋ねてはいないけれど」

〈疑問を抱いた息子が、ライア様……というより〝ストレシア家〟に詳しそうな方々から情報を仕入れている可能性もゼロではございませんが。彼は末姫様に関連する以外のことに興味を持ちませんので、〝秘密〟は知っていても〝事情〟は一切知らない可能性の方が圧倒的に高いと、個人的には予想しております〉

「確かに。カイはその辺り、ブレないのよね……」

〈融通の利かない息子で、誠に申し訳ございません。何か失礼なことをやらかしておりませんでしたか?〉

「大丈夫ですよ。あそこまで興味ゼロな態度を貫かれると、却って新鮮で清々しい心地になるものです」

「ライアに同意ですね」


 ライアとヨランダの言葉に嘘がないと感じ取ったらしく、天井裏からは穏やかな声が返ってくる。


〈ありがとうございます。そして、今更ではございますが、ライア様には心からのお詫びを。――偶然とは申せ、過去に命を取らんとした稼業者を〝味方〟として引き合わされ、さぞ恐ろしかったことでしょう〉

「……いいえ。驚かなかったと言えば嘘になりますが、私自身が恐怖を感じたことはありませんから」


 ただ――、と前置き、ライアは改めて真っ直ぐに、天井裏を見据える。


「疑問では、ありました。あなた様はどこまで、ストレシアの〝事情〟をご存知なのか。そしてそれをどのように捉え、カイと――ディアナの〝盾と剣〟である彼に、どこまで話しておいでなのか、と」

〈なるほど。我々親子が、〝秘密〟を抱えるあなた様のことを、末姫様にとって如何様な存在と捉えているか、計りかねておられたわけですね?〉

「……その通りです」


 ソラは――かつてライアに玄人の殺気を向けたことのある裏社会の重鎮〝黒獅子〟は、落ち着いた声音で静かに切り出した。


〈ライア様が察していらっしゃるように、我々親子は、互いの仕事内容について、ある程度共有しております。裏社会は狭くはあれど、意外と深いもの。事情を知らないことが命取りになりかねないような世界ですから、互いの身を守るためにも、情報共有が必要不可欠なことは、お分かり頂けるかと〉

「えぇ、分かります」

〈特に――これは皮肉ではなく単純な事実なのですが、貴族からの暗殺依頼に関しては、〝裏〟があって当然のようなところがありますゆえ、そもそも受けることが滅多にございません。というより、暗殺依頼そのものを、私はあまり好んでは受けないのです〉

「はい、聞きました。無闇に他者の命を奪わないソラ様は、大変な人格者でいらっしゃると」

〈いいえ、そうではありません。巷ではどうやら、私が暗殺依頼を滅多に受けることなく、他の解決方法を模索するがゆえに随分と持ち上げて頂いているようなのですが……別に、人道的な見地から受けないわけではないのです〉

「そう、なのですか?」

〈人の命を奪う〝暗殺〟は、実行した瞬間に報復行為の対象となりかねない危機(リスク)を孕んでいますからね。私一人であれば、己に降りかかる火の粉で焼かれても自業自得でしょうが、守るべき存在を得た以上、そういった危険性は極力排除するべきと、そう判断したまでのこと。――結果的に、暗殺依頼に関しては極力細かな調査を行い、標的(ターゲット)の死を以てしか状況改善が見込めない場合に限って受ける流儀(スタイル)となりましたが、あくまでも我が身と息子の可愛さゆえであって、正義感から来るものではありません〉

「あぁ……、なるほど」


 思わず遠い目で頷いてしまった。〝この父親にして、あの息子あり〟という言葉が、これほどぴたりとハマる例も珍しいだろう。カイが全ての行動基準にディアナを置いているように、ソラの中心はカイなのだ。……それが結果的に本人の評価爆上げに繋がっているところまで、まるでなぞっているかのように似通っている。

 ライアとヨランダの微妙な空気に構うことなく、ソラの言葉は淡々と続く。


〈ですが、特にお貴族様からのご依頼の場合、〝裏〟があることは分かり切っているのにその秘密主義ゆえ深い調査が難しいことがままあります。そのため、そもそもよほどの高報酬かつ、ある程度の事情を曝け出してくださるご依頼主でない限りは、受けないことの方が多いのです〉

「実に、合理的ですね」

〈ライア様を標的(ターゲット)にしたご依頼は、そういう意味で明快単純でした。報酬も相場よりは高めで、前金を出し渋られることもなければ、彼らが語る〝本家の一人娘〟の実情とやらが嘘か真かも、事前調査では探り切れず――ひとまずは、標的(ターゲット)と直に接触して判断しようと、あのようなご無礼を。本当に、申し訳ございませんでした〉

「……ちなみに、彼らが語っていた〝実情〟とはどのようなものでした? まぁ、予想はつきますけれど」

〈その予想通りだと思いますよ。色々と語っていましたが、要約すれば――『ストレシア侯爵の妻と娘は、スタンザ帝国の間者であり、エルグランド王国侵略の手先である。二人はさも王国に好意的なフリをして、社交界の中枢まで入り込んでしまった。このまま娘が侯爵位を継ぐようなことになれば、更に重要な機密が帝国へと筒抜け、王国は戦火に包まれるやもしれぬ。それを食い止めるには最早、娘を始末する以外に道はない』といったところでしょうか〉

「……お祖父様がご存命の頃はともかく、お母様は伯父上と相当に仲がお悪いから、現状、スタンザとはほぼ断絶状態なのだけれど。それでどうやって間者の仕事ができるのかしら?」

「あら。でも確かドーラ様、少し前にスタンザへ向けて手紙を出しておられなかった? ちょうど『里帰り』中、わたくしがストレシアの邸宅へお邪魔したときに、船便専用の収集馬車が来ていたでしょう」

「あぁ。あのお手紙は、お祖父様の弟君――私にとっては大叔父様に当たるお方宛ですって。ずっとお祖父様の右腕としてご活躍されていて、お祖父様が第一線を退かれるのと同時にご引退されて、今は隠居生活を満喫していらっしゃるそうよ。お母様がお父様と恋に落ちて、結婚したいと一族へ告げたときに、猛反対の嵐の中で真っ先にお味方になってくださった、大恩あるお方らしいわ」

「そんな頼りになるお方がいらっしゃるのね。ディアナに教えておけば良かったのに」

「もう引退されている方よ。お母様と手紙のやり取りをしておいでなのも、暇を持て余していらっしゃるからだと聞いたわ。皇都から離れたところにお住まいみたいだし、ディアナと関わる機会はおそらく無いでしょう」

「あら、残念」

〈……敢えて言わずとも、(えにし)の糸が交わることあらば、自然と互いに引き合うでしょう。特に末姫様は、その〝魂〟の本質ゆえか、多くの縁を引き寄せる機運の強いお方ゆえ〉


 静かな声で相槌を打ってから、ソラは少し、笑ったようだった。


〈最初にお目にかかったときも感じたことですが、ライア様は間者には不向きですね。気性が真っ直ぐで、見た目も内面も目立つお方は、諜報において撹乱役にはなれど、情報収集そのものには向きません〉

「ライアのそういうところ、実はちょっとディアナと似ているわよね。だからカイも、ライアには結構好意的なんじゃない?」

「そうかしら……?」

〈一因ではあるかと。――そういうわけですので、私がストレシア侯爵家について把握している内実など、〝分家や親戚の者たちが、どうにかして嫡子を亡き者にしようとしている〟程度のことに過ぎません。以前、ライア様と直接お話申し上げて、嘘を言っているのは依頼者の方だと確信が持てましたので、お約束したように主だった同業者には情報を回して、〝ストレシアからの暗殺依頼は受けない方が安全〟だと周知してあります。もちろん、ライア様の〝秘密〟に関しては伏せたままで〉

「……ありがとう、ございます」

〈いえ、稼業者として当然の仁義を通したまでのこと。……しかしながら、〉


 一度言葉を切って、ソラは申し訳なさそうに息をついた。


〈肝心のカイには……ストレシアからの依頼の顛末を、未だに話せていないのです。あの頃、私たち親子はそれぞれの仕事で忙しく、特にカイは厄介な案件を抱えていたようで、要領の良いあの子にしては珍しく、随分と慌ただしい毎日を過ごしておりました。情報共有のためだけに手を止めさせるのも忍びなく、落ち着くまではと待っているうちに、私の方が病に倒れて話どころではなくなってしまい――何一つ前情報のないまま、カイは後宮へ赴いたのです〉

「と、いうことは……カイは、我が家の〝事情〟も、私の〝秘密〟についても、最初は知らなかったと?」

〈そのはずです〉

「ですが、少なくとも今のカイは、ライアの〝秘密〟については確信を得ていますよね?」

〈はい。さすがに私生活を事細かに覗いてはいないでしょうが、後宮に住う方々については、一通り調べたのでしょう。末姫様を、確実にお守りするために〉

「ディアナを、守る……」

〈――ですから、ライア様が案じられることは何もないのです。あの子はおそらく、かなり早い段階で〝秘密〟を知ったはず。にも拘らず、それを誰かに告げることもなければライア様を排除することもなく、後宮に住うご側室として、末姫様の頼りになるお仲間の一人として、接し続けているのですから。その態度がそのまま、カイの〝答え〟なのですよ〉


 ソラの声音から、嘘は感じられない。ゆっくりと頷いてから、ライアは再び上を向く。


「それは……その〝答え〟は、我が家の〝事情〟を知るソラ様も同じと考えてよろしいのでしょうか?」

〈もちろん。そもそも、いくらライア様の親しいご友人だからといって、彼らにクレスター伯爵家の直系姫をどうこうする度胸などないでしょう。末姫様の脅威になり得ない以上、ストレシア家の〝事情〟は我々の管轄外です〉

「それは、そうかもしれませんが」

〈仮に、末姫様と相対している〝敵〟が搦手(からめて)で彼らを使ってくるようなことがあれば、そちらを排除すれば良いだけのこと。ライア様の存在が末姫様の危機となる可能性が多少あったとしても、ライア様ご自身が危険というわけではございません。むしろ、末姫様にとってのライア様は、数少ない信頼できるご友人であり、お仲間なのですから。カイもそうですが私とて、ライア様を不安要素とは考えておりませんよ〉


 実に真っ当かつ、ディアナ第一主義らしい見解だ。ソラとこうして話すことができ、ライアはようやく、胸につかえていたものを吐き出せた心地がした。

 横で話を聞いていたヨランダも安心したようで、作り物ではない微笑みを浮かべている。


「良かったわね、ライア。――ソラ様も、ありがとうございます」

〈お礼など。私の方こそ、こうしてお話しする機会を頂戴でき、感謝しております。……お二人の貴重なお時間を邪魔してしまったことは、申し訳ないですが〉

「それはもうお気になさらず……そういえば、どの辺りからご覧になっていましたの?」

「えっ、ヨランダ、それ聞く?」

「逆に突き抜けておいた方が、羞恥心が紛れるかしらと思って」


 思い切りの良いヨランダに、ソラは忍び笑いを漏らして。


〈そのようにご案じなさらずとも、お二人の戯れは節度を保ったものでしたよ。お二人がクロケット様のお子の父君について話されている辺りから拝見していました身として、その点は保証致します〉

「けっ……こう、前ですね?」

〈なかなか、お声をお掛けするタイミングが掴めず……あと、お子の父君については、近頃、天井裏でも密かな論戦が交わされているもので、つい聞き入ってしまいまして〉

「天井裏で、論戦?」

〈この件に関しては、天井裏の男たちも候補となり得ますからね。さすがに私を気遣ってか、カイを疑う方はおりませんが――〉

「いえ。ソラ様関係なく、カイを疑う人はいないと思います」

「あれだけディアナのことしか見えていない男を疑うだけ、時間の無駄ですもの。逆に、万が一ディアナが身籠るなんて事態になれば、迷うことなく関係者総出でカイをとっちめることになるのでしょうけれど」

〈万一そのようなことがあれば、皆様が出られる前に、父親として責任を持って叩きのめしますので、どうぞご心配なく。……まぁアレのことですから、そうなる行為をした時点で、末姫様をお連れしてエルグランド王国から出ていくでしょうけれど。身も心も繋がった女性を、形だけでも他人の〝妻〟にし続けられるほど、我慢強い子ではありませんので〉

「その情報は知りたくありませんでした……」


 語調は軽いので冗談なのだろうけれど、言葉の内容そのものは限りなくリアルなのが怖い。〝カリン〟となった彼の理性が鉄壁であることを祈るライアの隣で、ヨランダが首を傾げて口を開く。


「カイ以外の天井裏の方々……となると、クレスター家の『闇』の皆様方ですか?」

〈左様です。天井裏から拝見しましても、クロケット様からお子の父君について一切の手掛かりが見つからないもので、かなり精神的に参っているようですね。『ここまで完璧に隠し通せているのは、クロケット男爵令嬢が隠密の存在を知っているからじゃないのか』『だとしたら、まさか、彼女の恋人は自分たちの中の誰かなのか?』という話になり、後はお決まりの、お互いの性癖大暴露大会に発展しています〉

「性癖……」

「暴露大会?」

〈はい。『クロケット嬢はお前の好みど真ん中だろ!』『ふっざけんなそれを言うならアイツの方が!』という、何の生産性もない〝論戦〟です〉

「うわぁ……とんだとばっちり」

「ソラ様もシリウス様も、止めて差し上げれば良いものを」

〈お互い疑心暗鬼のまま、ギスギスとした空気で仕事をする方が非効率的ですからね。それならいっそ、言いたいことを言い合ってスッキリした方が良いでしょう。――実際、ある程度やりあってからシリウス殿に『満足したか?』と尋ねられて、『フツーに〝ないな〟って分かりました……』としょんぼり答えていましたから、わだかまりは残りませんでしたよ〉


 ……それで人間関係が拗れないのは逆に凄い。いかに普段から、クレスター家が建前なき会話を重視しているのか分かるというものだ。クレスター家は貴族にあるまじきことに外面をあまり取り繕わないが、それは家庭内、使用人同士でも同じなのだろう。

 ――それはともかく。


「天井裏の皆様方でもナーシャ様のお相手の手がかりが掴めないとなりますと、彼女の徹底ぶりは相当なものですね」

〈ご懐妊を確信されてから今に至るまで、お相手と連絡を取り合っていないことは間違いありません。おそらく、お子の父君は今も、ご自分が〝父親〟になったことを知らない可能性が高いでしょう〉

「問題は、その〝理由〟ですが……ナーシャ様がお心を閉ざしていらっしゃるうちはお答え頂けないでしょうから、じっくりと時間をかけて、雪解けを待つしかないのが歯痒いところです」

〈そのことなのですが――〉


 ソラの声が、不意に重みを増した。反射的に視線を天井へと向けたタイミングで、その〝現実〟は容赦なく告げられる。


〈雪解けを待つ時間すら、我らには残されていないようです。――『牡丹派』に動きがありました。クロケット様の件でこちら側がざわついていることを、嗅ぎ付けられたのではないかと〉


 ……誰もが密かに恐れていた展開の、到来を。


紅薔薇(ディアナ)』という最大の抑えが居ない後宮で、遂に、最大の懸念事項が動き出そうとしていた――。


なんでこんなに長くなったんだろうと考えましたが、本筋には関係のないラブシーンが挟まったのと、要所要所でやっぱり本筋には関係ない息子自慢入れてくる黒獅子パパのせいですね。……うん、まぁ、たまにはこんな日があっても良いでしょう。

次回から、視点はしばらくシェイラで固定です。

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― 新着の感想 ―
[一言] ぇ? ぇ?? ぇ??? ライア様とヨランダ様って 単なる仲良しさんでは なかった……ですと…(´-`).。oO えぇ〜!!!!!!!!
[良い点] え、あの… 自身に都合のいい妄想を見ているのかと何度も何度も読み返してるのですが… 今回物凄い爆弾落ちてます!?!?!?!?(大感激)
[一言] なんてこったライア姐さんΣ( ˙꒳˙ )!? それは予想外が過ぎるわ…
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