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「君を断罪する」と記録された瞬間、私はその記録を書き換えた ~婚約破棄令嬢は、従者にだけ視えている~  作者: 夜空ミリア


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第65話 空白のまま

 ――奪った。私の意思で。


 奪ったものを持って、私はあの人の前に立った。


 王宮、記録室。


 夕刻。


 あの人は、棚の間にいた。


 古い書式の伝票を、一枚ずつ確かめている。


 三年、この作業をしていたのだろう。


「来たか」


「はい」


「返事は」


「お断りします」


 あの人が、手を止める。


 こちらを見る。


 そして、少し目を細めた。


「……書いたな」


「はい」


「誰を」


「申し上げません」


 言わない。


 言えば、あの人の経路になる。


「そうか」


 あの人は、それ以上聞かなかった。


 聞かなくても、見えているはずだ。


 私の輪郭が、昨日より濃い。


「一つ、お見せします」


 私は手帳を開く。


【関係 接続】


【責任者 私】


 銀の文字は、消えていない。


 薄れてもいない。


 浮かんだまま、そこにある。


「……立っているな」


 あの人が言う。


「はい」


「なぜだ」


 声が、初めて揺れた。


「私は三年やった。経路を七度往復させ、判を借り、欄を空けた。手続きは、君より正確だった」


 一拍。


「なぜ、君のほうが立つ」


「渡されたからです」


 私は答える。


「……」


「あなたは、奪いました」


 あの人は、否定しなかった。


「ミリア嬢は、ご存じありませんでした」


 私は続ける。


「知らない者から取ったものは、経路になりません。道に見えるだけです」


 一拍。


「経路は、両端に人がいて初めて成立します」


 繋ぐのではない。


 差し出し合うのだ。


 ――繋ぐんじゃなくて、“一緒にいる”だけでいい。


 いつか、あの子がそう言い残していった。


 使われないまま消えた作法だと思っていた。


 あの子は、正しかった。


「……」


 あの人が、伝票を棚に戻す。


 丁寧に。


 位置を揃えて。


 私と同じ癖だ。


 私が、この人から受け取った癖だ。


「では、私は戻れんな」


 そう言った。


「はい」


「三年、無駄だったか」


「無駄ではありません」


 私は言う。


「間違っていただけです」


 あの人が、少し笑った。


 昔と同じ笑い方だった。


「厳しいな」


「あなたが、そう教えました」


「……そうだったか」


 沈黙。


 記録室の埃が、光の中を落ちていく。


 私は、口を開く。


 開いて、止まる。


 名を呼べば、この人は記録に立つ。


 立てば、様式が動く。


 様式には、戻す手続きが無い。


 無い手続きに突き当たった記録は、対象を消す。


 ――呼べば、消える。


 三年前、私は感情のままに口を開いて、この人を立たせた。


 今日は、開かない。


 それが、私にできる唯一のことだ。


「お名前は、呼びません」


 私は言う。


「……」


「あなたは、空白のままです」


「そうか」


 一拍。


「それでいい」


 あの人は、そう言った。


 安堵したようにも聞こえた。


 三年ぶりに誰かと話して、それで足りたようにも聞こえた。


 背を向ける。


 棚の間を歩いていく。


 足音は、しない。


「――ひとつ」


 私は呼び止める。


「なんだ」


「あの手帳を、なぜ私に渡したのですか」


 あの人は、振り返らなかった。


「書ける側にいてほしかった」


 それだけ言って、棚の陰へ消えた。


 追わなかった。


 追っても、どこにもいない。


 罰も受けない。


 救われもしない。


 空白のまま、この王宮のどこかにいる。


 ――記録は、優しくない。


 三日後。


 私は、王宮の記録室の隅に立っていた。


 そこへ、二人が来た。


 ミリア・フェンリスが、自分の手帳を提出した。


 権限の無い紙だ。


 証拠にはならない。


 だが、日付が並んでいた。


 差し戻しの日付。受付の順。担当の空白。


 三年分の日付を、一人の令嬢が並べ直したものが。


「わたくしが、書きました」


 そう言った。


 震えていなかった。


 そして、もう一人。


「私が、責任者だ」


 アルヴェルト・ルクス=ディ=ヴァレインが、そう述べた。


 撤回ではない。


 撤回すれば、あの夜の全員が嘘をついたことになる。


 だから、そうはしなかった。


 立てた記録を、立てたまま。


 その上に、一行だけ足す形を選んだ。


 証人が二人。


 経路が一つ。


 責任者が、一人。


 ――記録が、立つ。


 王家の公示。


 春の夜会。


 婚約の破棄について。


 その末尾に。


【注記 不当】


 黒いインクで、そう記された。


 名誉回復ではない。


 復職でもない。


 処分の撤回でもない。


 誰も裁かれない。


 誰も跪かない。


 王宮は、明日も同じように動く。


 その一行が何を呼ぶかは、まだ誰も知らない。


 ――一行だけ、増えた。

決着です。


奪った経路は、道に見えるだけで、経路にはなりません。両端に人がいて初めて成立します。

第27話でノアが言い残した「繋ぐんじゃなくて、“一緒にいる”だけでいい」――使われないまま消えた作法が、ここで効きます。

そして彼女は、名前を呼びませんでした。師は罰も受けず、救われもせず、空白のまま残ります。


ざまぁは【注記 不当】の一行だけです。それ以上は書きません。


次話で、第二部は終わります。


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