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「君を断罪する」と記録された瞬間、私はその記録を書き換えた ~婚約破棄令嬢は、従者にだけ視えている~  作者: 夜空ミリア


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第64話 関係を、書く

 ――差し出された。


 差し出されたものをどう扱うかは、受け取る側の責任だ。


 夜になっていた。


 書庫の燭台を、一つだけ点ける。


 机に向かう。


 紙は片づけた。


 残したのは、手帳と、ペンと、インクだけだ。


 三日待つと言ったのに、待てたのは一日だった。


 留め具に指をかける。


 外す前に、胸元に手が触れた。


 銀鎖。


 鍵の形をした、小さな装飾。


 あの夜の広間でも。


 記録局でも。


 境界の向こう側でも。


 ずっと下げていた。


 誰も気に留めなかったし、私も気に留めなかった。


 渡されたときに、一言だけ添えられている。


 ――見た目はただの飾りだ。ほとんどの人間には。


 その一言を、私は十六の年から「もったいぶった人だ」と思っていた。


 意味があるなら、説明するはずだと。


 説明しない以上、意味は無いのだと。


 今。


 指で触れて、初めて分かった。


 鍵は、扉に付いているものではない。


 鍵は、持ち主が誰かに渡すものだ。


 渡された側が開けられるようになり。


 渡した側は、開けられなくなる。


 そういう形をしている。


 だから、鍵の形をしているのだ。


 あの人は、手帳と、これを、一緒に渡した。


 まだ切り離される前だった。


 あのときのあの人には、書く手が残っていた。


 それでも、渡した。


 私に、書ける側になれ、と言って。


 ――あれは、差し出しだった。


 三年、私はあれを「与えられた」と思っていた。


 上から降ってきた資格のように。


 違う。


 あの人は、自分の手にあるものを、手放したのだ。


 手放されたものを、私は受け取った。


 受け取った覚えの無いまま。


 ほとんどの人間には、ただの飾りだ。


 受け取る側に立たない者には、これはただの金属で、鎖で、装飾でしかない。


 意味が生まれるのは、渡す者と受け取る者の間にだけだ。


 ――繋がりは、奪えない。差し出し合うものだ。


 そのことを、私はこの三年、胸元に下げて歩いていた。


「……」


 私は手帳を開く。


 空白のページ。


 銀の文字は、まだ浮かんでいない。


【接続 無】


 いや。


 浮かんでいる。


 これだけは、ずっと消えない。


 扉の外に、気配がある。


 いつもの位置だ。


 私が寝るまで、動かない。


「ルーク」


「はい」


 即答だった。


 起きていた、と分かる速さだ。


「入ってください」


 扉が開く。


 燭台の光が、少しだけ揺れる。


 この人は、いつもと同じ立ち方で、いつもと同じ距離に立った。


 剣は、帯びたままだ。


「昨日のお話です」


「はい」


「受け取ります」


 言った。


 言ってしまうと、思っていたより短い一言だった。


 三日分の迷いが、ひと言で片づいた。


「……はい」


 この人は、喜ばなかった。


 安堵もしなかった。


 ただ、頷いた。


 頷いてから、少しだけ姿勢を正した。


「先に、申し上げておくことがあります」


 私は言う。


「伺います」


「これは、あなたを守る記録ではありません」


「はい」


「あなたを、記録の上に立たせる記録です」


 一拍。


「立てば、届きます。上位存在も、名を与える者も、あの人も」


「はい」


「私が今からすることは、あなたから自由を奪うことです」


「はい」


「言い換えません。誤魔化しません」


 一拍。


「奪います」


「はい」


 四度目の「はい」だった。


 この人は、こういうときに言葉を増やさない。


 増やさないことで、こちらの逃げ道を全部塞いでくる。


「……最後に一つ、伺います」


「どうぞ」


「怖くありませんか」


 沈黙が、少しだけ長かった。


「怖いです」


 そう答えた。


 ――それでいい。


 怖くない、と言われたら、私は書かなかった。


 量らずに差し出されたものを受け取るのは、奪うのと同じだ。


 この人は、量ったうえで、まだそこに立っている。


「ありがとうございます」


 私は言う。


 礼を言ったのは、この人に対して、たぶん初めてだった。


 届く相手に言う礼は、久しぶりだった。


 ペンを取る。


 インクをつける。


 ペン先を、紙に下ろす。


 ――手が、止まらなかった。


 昨夜まで、あれほど止まっていた手が。


 理由は分かっている。


 昨夜まで、私は「書いていいか」を考えていた。


 今は「書く」と決めている。


 決めたものは、迷わない。


 決めていないものだけが、迷う。


 一行目。


【対象 ルーク】


 インクが、染みる。


 部屋の空気が、わずかに詰まった。


 この人が、記録の上に載った音だ。


 これまで一度も鳴らなかった音。


「……」


 ルークの肩が、ほんの少し動いた。


 それだけだった。


 悲鳴も、痛みも、何も無い。


 記録に載るというのは、そういうものだ。


 何も起きない。


 何も起きないまま、届く先が変わる。


 二行目。


【関係 接続】


 書いた瞬間、手帳の別の場所で、文字が崩れた。


【接続 無】


 あの言葉が、初めて薄れていく。


 消しても戻ってきたものが、上から書かれたのではなく、事実として成立しなくなった。


 無いと書かれていたものが、有るになった。


 同時に、重みが来た。


 足ではない。


 もっと内側だ。


 呼吸が浅くなる。


 視界の縁が、遠くなる。


【記録負荷 増大】


 浮かぶ。


 当然だ。


 関係を固定するというのは、この世界でいちばん重い記入だ。


 一度だけ、やったことがある。


 あのとき私は、負荷を引き受ける相手として王太子を書いた。


 責任を、他人の名で立てた。


 今日は、そうしない。


 三行目を書く前に、ペンを持ち直した。


「お嬢様」


 ルークの声が、少し遠い。


「大丈夫です」


「……お手が」


「ええ」


 震えていた。


 自分でも分かるほど。


 それでも、下ろす。


【責任者 私】


 書き切った。


 インクが、深く沈んだ。


 紙の繊維の奥まで、落ちていく。


 染みるのではない。


 沈む。


 この描写が出るときは、記録が確定したときだ。


 何度も見てきた。


 自分の名前でこれを見るのは、初めてだった。


 燭台の火が、揺れた。


 揺れて、戻った。


 それだけだった。


 世界は、何も言わなかった。


 上位存在の声も。


 機械のような宣告も。


 無い。


 ただ、静かな書庫があって、机があって、燭台があって、二人いた。


「……終わりました」


 私は言う。


「はい」


 声は、いつもどおりだった。


「痛みは」


「ございません」


「息苦しさは」


「ございません」


 一拍。


「……ただ」


「ただ?」


「見られている感じが、いたします」


 ――そうだ。


 それが、記録されるということだ。


 この人は今日から、ずっとそれを持って生きる。


 私が、持たせた。


「申し訳ありません」


 私は言う。


「いいえ」


 ルークが、首を振る。


 それから、初めて笑った。


 剣を下ろしたときの、あの笑い方だった。


「お嬢様」


「はい」


「まだ、お嬢様とお呼びしてよろしいですか」


 ――そこか。


 この人が最後に確かめたのが、そこだった。


 関係が変わっても、呼び方だけは変えない。


 変えないことを、わざわざ許可を取って続けようとする。


「ええ」


 私は答える。


「変えないでください」


「かしこまりました」


 それだけだった。


 触れてもいない。


 手も、袖も。


 距離は、机一つ分のまま変わらない。


 私は手帳を見る。


 三行が、並んでいる。


 名前を与えるのは、奪う行為だ。


 名を与えたときに、そう知った。


 そして、外から与えられた定義は奪えるが、内から決めた定義は奪えないと知った。


 今日。


 私は自分の意思で、他人から奪った。


 言い換えない。


 守ったとも、繋いだとも、書かない。


 ――奪った。私の意思で。

クライマックスです。彼女は、書きました。


胸元の銀鎖――「見た目はただの飾りだ。ほとんどの人間には」の意味が、ここで分かります。

鍵は、持ち主が誰かに渡すものです。あの人は手帳とそれを一緒に差し出し、彼女は受け取っていました。

【対象 ルーク】【関係 接続】【責任者 私】。第23話では責任を他人の名で立てました。今日は、自分の名で立てます。


次話では、決着です。


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