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「君を断罪する」と記録された瞬間、私はその記録を書き換えた ~婚約破棄令嬢は、従者にだけ視えている~  作者: 夜空ミリア


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第59話 手帳を渡した人

 ――いる、と言われた。


 言われたところで、記録は動かない。


 書庫。


 午後。


 ミリアが、余白のページを開いている。


 読めない文字は、また増えていた。


 いつもの二行を書く。


 足が重くなる。


 最初の頃より、早く重くなる。


 慣れではない。


 摩耗だ。


「リディア様」


「はい」


「一つ、気づいたことがございます」


 ミリアが、ページを指す。


「この文字は、いつも同じ場所に出ます」


「同じ場所、とは」


「わたくしが、その日に最後に書いた行の、すぐ下です」


 ――なるほど。


 思っていたより、明確な癖だ。


「続きを書こうとしています」


 私は言う。


「……続き」


「あなたの記録の、続きです」


 ミリアが、手帳を少し持ち上げる。


 怖がってはいる。


 だが、閉じない。


 この人はもう、そういう人だ。


「リディア様」


「はい」


「この書き方は、リディア様のものだと仰いました」


「ええ」


「では、リディア様は、どなたから習われたのですか」


 ――来た。


 いつか来る問いだった。


 来ると分かっていて、答えを用意していなかった。


「……習ってはいません」


 私は答える。


「渡されました」


「渡された」


「手帳を、です」


 黒革の手帳。


 留め具を外すと、空白のページに銀の文字が浮かぶもの。


 なぜ書けば現実が動くのか、私は今も知らない。


 仕組みを説明されたことは、一度もない。


 渡されたときに言われたのは、一言だけだった。


 ――君は、書ける側だ。


「どなたに、でしょうか」


「記録局の方です」


「今も、いらっしゃいますか」


「いいえ」


 一拍。


「名簿には、ありません」


 ミリアの手が、止まる。


 この人は、名簿に無いということの意味を、もう知っている。


 自分の目で、私の項が薄れるのを見た人だ。


「……その方は」


 声が、細い。


「消されたのですか」


「違います」


 私は答える。


「切り離されたのです」


 消去と、切断は違う。


 消されたものは、跡が残る。


 消した手続きが、必ずどこかに書かれるからだ。


 切り離されたものは、跡が残らない。


 最初から誰も書かなかったことにされる。


 ――空白は、消したのではなく、最初から書かせなかった跡だ。


 この人が、自分の手帳に書いた一行。


 あれは、私の師のことを書いていたのだ。


 書いた本人が、知らないまま。


「上級記録官でした」


 私は言う。


「王宮の様式を定める側です」


「では、二代前の書式は」


「その方が、定めた側の書式です」


 だから、それしか書けない。


 自分が作った様式の中に、取り残されている。


 新しい様式に触れる資格は、記録の中にいる者にしか無い。


「……」


 ミリアが、ゆっくりと息を吐いた。


「では、あの日付の空白は」


「ええ」


「わたくしの推薦文を止めたのは」


「その方です」


 言った。


 三年、誰にも言わなかったことを、二度目に言った。


 一度目より、少しだけ楽だった。


 楽になったぶん、後ろめたかった。


「……なぜ、そのような」


「分かりません」


 私は正直に言う。


「まだ、分かっていません」


 目的が、見えない。


 金でも、地位でもない。


 書式と、様式と、正しい記録のことしか話さない人だった。


「リディア様」


「はい」


 ミリアが、ペンを構える。


「その方のお名前は、何と仰いますか」


 ――止まった。


 紙の上で、ペン先が待っている。


 書く姿勢のまま、この人は待っている。


 答えれば、名前が書かれる。


 書かれれば、記録に載る。


 載れば、その人は「いる」ことになる。


 ――それは、救うことではない。


 名を載せるということは、その人から他の在り方を全部取り上げるということだ。


 今のあの人は、空白として存在している。


 空白であるうちは、誰にも処理されない。


 だが、名前が載れば、様式が動く。


 様式は、切り離された者を戻す手続きを持っていない。


 持っていないものに突き当たったとき、記録は対象を消す。


 ――告発すれば、あの人は完全に消える。


 私が、ずっと黙っていた理由だ。


 誰にも言わなかった理由だ。


 言えば、私が二度目に、同じことをする。


「……」


「リディア様?」


「申し訳ありません」


 私は言う。


「お答えできません」


「……はい」


 ミリアは、それ以上聞かなかった。


 ペンを、静かに置いた。


「いつか、お聞かせいただけますか」


「……ええ」


 答えてから、それが約束になったことに気づいた。


 視界が、遠くなる。


 時間だ。


 私は、余白の読めない文字を見る。


 字の傾き。


 間隔の取り方。


 やはり、見覚えがある。


 この癖を、私は毎日見ている。


 自分の手帳の中で。


 ――名を呼べば、その人は消える。

黒幕の輪郭が見えてきました。記録局の、元・上級記録官です。


リディアに黒革の手帳を渡した人。彼女に「書ける側だ」と言った人。

消されたのではなく、切り離された人。だから記録の上では、いつも空白としてしか現れません。

ミリアが名前を尋ねます。彼女は答えませんでした。名前を与えるのは、奪う行為だからです。


次話では、その人が、彼女の前に立ちます。


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