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「君を断罪する」と記録された瞬間、私はその記録を書き換えた ~婚約破棄令嬢は、従者にだけ視えている~  作者: 夜空ミリア


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第58話 いる、と言う人

 ――使われていたのは、書類だけではない。


 私の名も、経路として使われていた。


 ならば、確かめる先がもう一つある。


 王宮、西廊下。


 夕刻。


 人通りが引く時刻だ。


 アルヴェルト・ルクス=ディ=ヴァレイン。


 一人で歩いている。


 以前は、そうではなかった。


 あの人の周りには、常に人がいた。


 声も、笑いも、同意も。


 今は、足音だけだ。


「……」


 私は、その少し後ろを歩く。


 用があるのは、記録のほうだ。


 あの夜の公示。


 婚約破棄の記録。


 あれを立てたのは、この人だ。


 立てた者だけが、あれを動かせる。


 ――申請できない私の代わりに、動かせる唯一の人。


 そう考えて、ここへ来た。


 そして、来てから気づいた。


 伝える手段が、無い。


 ミリアの手帳は、ここには無い。


 経路が無ければ、声は届かない。


 カインには並べ方が通じた。


 だが、この人は書類を読まない。


 読めるのは、人の顔だけだ。


「……」


 廊下の途中で、その人が足を止めた。


 窓の外を見る。


 庭。


 花の落ちた枝。


 それから。


「――そこにいるのか」


 声。


 誰にともなく。


 私は、動かない。


「……」


 あの人は、振り返らない。


 窓を見たままだ。


「返事はないな」


 一拍。


「当然か」


 自嘲するように、少し笑う。


 こんな笑い方をする人ではなかった。


「最近、廊下でよく足が止まる」


 あの人が言う。


「誰もいない。だが、いる気がする」


「気のせいだと、侍従は言う」


 その侍従には、たぶん本当に何もない。


「私は、気のせいだと思っていない」


 ――なぜ。


 私は、思わず一歩近づいた。


 声には出していない。


 出しても届かない。


「なぜ、と問われたら」


 あの人が続ける。


 まるで、問われたかのように。


「答えられない」


 一拍。


「ただ、私は責任者だからな」


 ――止まる。


 記録が固定されなくなったあの日。


 私は書いた。


【所属 王宮】


【責任者 王太子】


 あれは、この人を巻き込むための記録ではなかった。


 この人が「これは、私の問題だ」と言ったから、書けた記録だ。


 引き受けた者は、記録の上に立つ。


 立った者は、繋がる。


 繋がっている限り、経路は残る。


 ――誰も私を記録できない世界で、この人だけが、私と線を持ったままだった。


 書いたのは、私だ。


 私が、そう書いた。


「責任者というのは、便利な言葉だ」


 あの人が言う。


 窓を見たままで。


「事が済んでからは、誰も使わない」


 一拍。


「使わないが、消えはしない」


 そのとおりです。


 私は答える。


 声は、届かない。


「……あの夜のことを、よく考える」


 あの人が続ける。


「私は、広間で一人の令嬢を断罪した」


 言い方に、力が入っていない。


「証拠は、他人が用意したものだった」


 一拍。


「私は、それを読み上げただけだ」


 ――読み上げただけ。


 この人は、そう言える人ではなかった。


 自分の正しさを疑うことができなかった人だ。


 短いあいだに、人は変わる。


 変わるのは、記録の外側でも起きる。


「撤回はできない」


 あの人が言う。


「私が立てた記録だ。だが、私が撤回すれば、あの夜の全員が嘘をついたことになる」


 その通りだ。


 撤回とは、そういうものだ。


 覆すのではなく、他の全員を巻き込むことだ。


「だから、まだできていない」


 一拍。


「できていない、と言っておく。できない、とは言わない」


 ――十分だ。


 今日はそれで、十分だった。


 あの人が、窓から離れる。


 歩き出す。


 そして、二歩進んで、止まった。


「……いるのだろう」


 振り返らずに、そう言った。


「いるなら、それでいい」


「私は、まだ責任者だ」


 それだけ言って、廊下を歩いていった。


 足音が遠くなる。


 私は、その場に立っている。


 誰にも見えないまま。


 誰にも記録されないまま。


 ――なのに、線は切れていない。


 手帳を開く。


【接続 無】


 消えていない。


 当然だ。


 あの人は「いる」と言っただけで、書いてはいない。


 言葉は時々、記録より弱い。


 私が、あの夜に決めたことだ。


 だが。


 今日は、少しだけ違って聞こえた。


 違って聞こえた理由を、私はまだ書けない。


 ――いる、と言われた。

王太子と対面しました。彼にも、彼女は見えていません。


それでも彼は、誰もいない廊下に向かって「いるのだろう」と言いました。

第23話で彼女が書いた【責任者 王太子】――責任を引き受けた者は、記録の上に立ち、線を持ちます。

だから彼だけが、消えかけた彼女と繋がったままでした。彼女が自分で書いた線です。


次話では、その書き方を彼女に教えた人の輪郭が見え始めます。


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