第56話 見つけた方法
――観客も、見失う。
見失った者が、どうやって見つけ直したのか。
同じ路地。
同じ時刻。
男は、先に来ていた。
壁に寄りかかって、通りを眺めている。
何もない通りを、面白そうに。
「時間どおりですね」
「ええ」
「記録官殿は、昔から時間に正確です」
「約束は、記録の一種です」
「――いいですね」
男が笑う。
「では、こちらも守りましょう」
姿勢を正す。
この人が姿勢を正すのは、話す気があるときだ。
「私は、あなたを辿りました」
「ええ」
「経路は、一つです」
一拍。
「フェンリス伯爵令嬢の、手帳です」
やはり。
昨日の時点で、候補はそれしかなかった。
「なぜ、それが辿れるのですか」
「書かれているからです」
男が答える。
「あなたの名が、あそこにだけ残っている」
――あの夜、リディア・エル=カレスト様がいた。
震えた筆跡の、たった一行。
「あれは、権限の無い紙です」
私は言う。
「王宮の帳簿ではありません。証拠にもなりません」
「ええ」
「それでも、辿れますか」
「辿れます」
男は、即答した。
「むしろ、あれだからこそ辿れました」
「……」
「権限のある記録は、様式に従います。様式に従うものは、様式の側から消せます」
一拍。
「様式の外にあるものは、消す手続きが存在しません」
消す手続きが、無い。
だから残る。
名鑑からは落ちた名前が、伯爵令嬢の私物の手帳にだけ残っている。
制度が触れられない場所に、私の一行がある。
「私は、あの手帳の“書かれ方”を辿りました」
男が続ける。
「誰が書いたか、ではありません。書かれたものが、どこへ向いているかです」
書かれたものには、向きがある。
誰かのことを書けば、その誰かへ向く。
向きは、経路になる。
――繋がりがあって、初めて記録は立つ。
レイヴンの言葉が、また別の面から効いてくる。
「一つ、伺います」
私は言う。
「どうぞ」
「あなたは、その方法を、どこで知りましたか」
男が、少し黙る。
「今はまだ、と申し上げたはずです」
やはり、そこで止まる。
昨日と、同じ線だ。
「では、質問を変えます」
「変えるのがお上手だ」
「その方法を使える者は、他にもいますか」
――今度は、止まらなかった。
「います」
短い。
「何人ですか」
「そこまでは」
「一人以上、ですね」
「ええ」
一拍。
「一人以上です」
十分だ。
ミリアの手帳の余白に浮かんだ、読めない文字。
あれを書いた者も、同じことをしている。
あの手帳を経路として辿った者が、私の他にいる。
「……ミリア嬢が危険です」
私は言う。
「そうですね」
男は否定しない。
「あの令嬢は、経路になっています。経路は、使う側からすれば道です」
「道は、両方向に通じます」
「ええ」
私は考える。
ミリアに手帳をしまわせるか。
しまわせれば、私も繋がれなくなる。
繋がりを断てば、二人とも安全になる。
安全になって、二人とも消える。
――孤立した記録は、消える。
断つことは、守ることではない。
この世界では、そうなっている。
「記録官殿」
「はい」
「顔に出ていますよ」
「出ていません」
「出ています」
男が笑う。
「守りたいものができた人の、考え方をなさっている」
「……」
「昔のあなたは、まず“どちらが記録として強いか”を考えました」
一拍。
「今は、先に人の名前が出てくる」
否定できなかった。
否定できないので、黙った。
「面白い」
男が言う。
「私は、そういうものを見に来ています」
「観客として、ですか」
「ええ」
それきり、この人はまた何も言わなくなった。
名前も。
所属も。
目的も。
あの夜と同じだけ、分からないままだ。
分かったのは、役割が一つ。
――この人は、見ることで、そこにいる。
私とは、逆の立ち方だ。
「では、また」
男が背を向ける。
「一つだけ」
私は呼び止める。
「はい」
「あなたは、私の味方ですか」
男は、振り返らなかった。
「今はまだ」
それだけ言って、路地を出ていった。
私は、その背中を見送る。
辿れる道が、一つある。
私が使える道でもあり、他の誰かが使っている道でもある。
――辿れる経路が、ひとつある。
彼が彼女を見つけ直した方法が分かりました。ミリアの手帳です。
権限のある記録は、様式に従うぶん、様式の側から消せます。
けれど権限の無い紙には、消すための手続きが存在しません。だから残り、だから辿れます。
そして――その方法を使える者は、彼の他にもいます。一人以上。
次話では、七割までしか埋められなかった男が、久しぶりに机の前にいます。
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