第52話 古い書式
――知っていて、黙っていた。
黙っていた分は、手を動かして返す。
翌日。
同じ書庫。
同じ床。
三件の伝票を、私は近くで見ている。
「ミリア嬢」
「はい」
「その三件を、他の書類の上に重ねてください」
「はい」
ミリアが、重ねる。
縁が、揃わない。
紙の寸法が、わずかに違う。
「……大きさが」
「ええ」
古い規格だ。
王宮の書式は、数年おきに寸法と欄割りが改められる。
今の様式は、右上に受付番号。
左下に担当欄。
この三件は。
「番号が、左上にあります」
ミリアが言う。
「ええ」
「担当欄が、右下です」
「ええ」
逆だ。
二代前の書式。
私が記録局に入るより、前の様式。
【書式 旧】
手帳に、浮かぶ。
私が書いたのではない。
浮かぶということは、この事実が「立っている」ということだ。
「……これは、古いものが紛れ込んだ、ということでしょうか」
「いいえ」
私は答える。
「日付は新しいのです」
一拍。
「古い書式で、新しい日付を書く人がいる、ということです」
「……」
ミリアが、口を押さえる。
理解が速い。
速すぎて、少し怖いのだろう。
「……あの」
「はい」
「その方は、なぜ古い書式を使うのですか」
「二つ考えられます」
私は指を折る。
「一つ。古い書式しか手元にない」
「はい」
「二つ。古い書式しか、書けない」
ミリアが、黙る。
書けない。
その言い方の重さを、この人はもう量れる。
記録の外にいる者は、今の様式に触れられない。
触れられるのは、切り離される前に持ち出したものだけだ。
――だから、時が止まっている。
私は、別のことを思い出していた。
識別番号「三七」。
資金の流出を辿ったとき、候補は三つあった。
二つは新しい様式。
一つだけ、書式が古かった。
本命は、その一つだった。
あのときは「古い部署の名残」で片づけた。
片づけたまま、終わってしまった。
「……同じです」
私は言う。
「何が、でしょうか」
「あの一件の――」
言いかけて、言い直す。
「あの夜より前に、私が追っていた資金の一件です」
「はい」
「本命の伝票が、この書式でした」
「では」
ミリアが、身を乗り出す。
「では、同じ方が」
「断定はしません」
私は言う。
「ですが、癖は一致します」
癖。
書式だけではない。
欄外の余白の取り方。
線の引き方。
消したあとの残し方。
人は、書式より癖で見分けられる。
もう一つ、思い出したことがある。
レイヴン。
拘束される直前、あの男の存在は分割された。
【対象 分割】
【一部 保持】
【一部 移動】
保持された分は、王宮にある。
移動した分は、どこへ行ったのか。
誰も追わなかった。
私も追わなかった。
追う余裕が、あのときは無かった。
「ミリア嬢」
「はい」
「この三件の伝票は、どこで受け付けられていますか」
「……受付、第二、と」
「第二会計室の隣です」
あの部屋の名は、忘れられない。
決裁書類が紛失した部屋。
内通者が昏睡した部屋。
そして、レイヴンの一部が移動した方角。
全部、同じ廊下に並んでいる。
「……偶然でしょうか」
「記録に偶然はありません」
私は答える。
「並んでいるものは、繋がっています」
繋がりがあって初めて、記録は立つ。
それはこちらの武器であり。
同時に、相手の武器でもある。
この人は、経路を集めている。
私が誰かを繋ぐより先に。
もっと長い時間をかけて。
視界が、また遠い。
時間だ。
私は最後に、三件の伝票を見る。
古い寸法。
新しい日付。
空白の担当欄。
――同じ手だ。
三件の伝票は、二代前の書式でした。
古い書式で、新しい日付を書く人がいる。理由は「それしか書けない」からです。
記録から切り離された者は、今の様式に触れられません。持ち出したものだけが手元に残ります。
そしてその癖は、あの資金の一件の「本命」と同じでした。
次話では、リディアはある一行を書きかけて、ペンを置きます。
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