第51話 差し戻しの日付
――もう一人、書いている。
ならば、その手の跡を探す。
書庫の隅。
ミリアが最初に控えを見つけた場所だ。
午後。
窓から、埃が光って見える。
私は経路を繋いでいる。
【経路 手帳】
【状態 一時記録】
保つのは、長くない。
それ以上は、足が動かなくなる。
「こちらです」
ミリアが、束を抱えて戻ってくる。
受付控え。
紐で綴じられた、古い紙。
「並べましょう」
私は言う。
「はい」
床に、広げていく。
日付順ではない。
書類は、動いた順に並べる。
時間ではなく、手の順に。
カインが情報統括室でやっていたのと、同じやり方だ。
「……リディア様」
「はい」
「わたくし、日付でしか並べたことがありません」
「今日、覚えてください」
「はい」
ミリアが、紙を動かす。
迷いながら。
だが、手が止まらない。
この人は、覚えるのが速い。
並び終わる。
推薦文の差し戻し。
全部で、七件。
「四件は、私がまだ記録局にいた頃です」
私は言う。
「はい」
「残りの三件が」
ミリアが、指を置く。
「リディア様が、外された後」
「ええ」
権限剥奪の通達は、あの夜からの騒ぎの中で出た。
その後も、差し戻しは続いた。
同じ理由で。
同じ書式で。
私が、いないのに。
「担当の欄は」
「記載なし、です。三件とも」
空白。
消したのではない。
最初から書かせなかった跡。
この人が、自分の手帳に書いた言葉のとおりだ。
「……あの」
ミリアが、手を止める。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「どうぞ」
声が、少し硬い。
「リディア様は」
一拍。
「これを、いつ知られたのですか」
いい問いだ。
いちばん、私に痛い問いでもある。
答えないことはできた。
経路は切れかけている。
黙っていれば、そのまま消えられる。
だが。
「あの夜より、前です」
私は答える。
「……」
ミリアが、顔を上げる。
見えないこちらを、まっすぐ探す。
「広間で殿下が、あなたの推薦文を私が止めたと仰ったとき」
「はい」
「私は、違うと知っていました」
「……はい」
「差し戻させたのが誰かも、知っていました」
埃が、光の中を落ちていく。
「そして、黙っていました」
言い終える。
思ったより、短く終わった。
あの夜から言えなかったことが、四行で済んだ。
「……なぜ」
ミリアの声が、震えている。
怒りではない。
まだ、分類のつかない震え方だ。
「言えば、あなたは救われました」
「はい」
「言わなければ、あなたは私を恨みます」
「……はい」
「それでも、言いませんでした」
私は続ける。
「その理由を、今はまだ申し上げられません」
「……」
「申し訳ありません」
謝罪は、初めて口にした。
この人に対しても。
誰に対しても。
「……いいえ」
ミリアが、首を振る。
「いいえ」
もう一度。
「今、教えてくださいました」
一拍。
「わたくしが、聞いたからです」
そのとおりだ。
この人は、聞いた。
聞いて、逃げずに、書く姿勢のままそこにいる。
問える人は、強い。
問われて答えた者より、ずっと。
視界が、遠くなる。
時間だ。
「ミリア嬢」
「はい」
「明日も、ここへ」
「参ります」
即答だった。
銀の文字が薄れる。
声が、届かなくなる。
ミリアは、まだ床の紙を見ている。
三件の空白を。
私は、その隣に立っている。
誰にも見えないまま。
――知っていて、黙っていた。
ミリアと二人で、差し戻しの控えを並べ直しました。
日付ではなく、書類が動いた順に。そこに三件の空白が残ります。
そしてリディアは、初めてミリアに告げました。「あの夜より前から、知っていました」と。
理由はまだ言えません。それでも、問われたことには答えました。
次話では、その空白の書式に、見覚えのある癖を見つけます。
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