第47話 残された罪
――書かない、と決めた。
決めたまま、王宮へ入った。
門を素通りする。
衛兵の前を歩く。
誰も止めない。
止められないことに、もう慣れた。
慣れは、便利で、危うい。
記録室。
埃と、糊の匂い。
棚。
番号。
通路。
かつて、私が補佐権限で立ち入っていた場所だ。
書記が二人、机で作業をしている。
顔を上げない。
上げても、同じだ。
「……」
私は棚の間を進む。
貴族名鑑の区画。
カ行。
カレスト。
冊子を引き抜く。
紙は重い。
重さは、公平だ。
開く。
カレスト家。
当主。
夫人。
そして。
空白。
「……」
行が、無い。
薄いのではない。
無い。
家の名簿では薄かった一行が、王宮の側では、もう欠けている。
行が詰められている。
誰も、不足に気づいていない。
不足は、詰めた瞬間に不足でなくなる。
私は次の棚へ行く。
記録局。
所属者一覧。
補佐権限保持者の欄。
指で辿る。
【記録官 該当なし】
銀の文字ではない。
私の手帳でもない。
王宮の帳簿に、ただの黒いインクで、そう記されている。
該当なし。
剥奪でも、解任でもない。
最初から誰もいなかったという書き方だ。
「……」
息を吐く。
浅い。
思っていたより、浅い。
私は、もう一つの区画へ向かう。
行かなくても、内容は分かっている。
それでも、行く。
確認しないものは、記録ではない。
王家の公示。
春の夜会。
その夜の記録。
開く。
――婚約の破棄について。
ある。
欠けていない。
薄くもない。
はっきりと、そこにある。
当該令嬢の名。
書かれている。
私の名だ。
ここにだけ、残っている。
「……」
理由は、読めば分かる。
この記録を立てたのは、私ではない。
アルヴェルト・ルクス=ディ=ヴァレイン。
王太子の名において、公示として立てられた記録。
立てた者が残っている限り、記録は倒れない。
私が消えても、この一件は消えない。
名鑑からは落ちた。
所属からは落ちた。
罪状からは、落ちない。
人が消えて、罪だけが残る。
そういう構造になっている。
誰も、そう決めたわけではない。
ただ、そうなる。
私は冊子を閉じる。
棚に戻す。
位置を揃える。
癖だ。
こんな癖だけが、まだ私に属している。
胸元の鎖に、指が触れた。
銀の鎖と、鍵の形をした飾り。
これも、まだ私に属している。
誰の帳簿にも載っていないから。
「そこの」
声。
振り向く。
書記が、もう一人の書記に呼びかけただけだった。
「名誉回復の申請、様式はどこだ」
「三番の棚です」
「ああ」
私は、その棚を見る。
様式がある。
紙が、束ねて置いてある。
申請者の欄。
所属。
身分。
証人二名。
私は、そのどれも書けない。
所属は、該当なし。
身分は、名鑑に無い。
証人は、私を記録できない。
名誉を回復するには、まず存在していなければならない。
存在していない者に、汚名だけが残る。
この一件を、私はもう覆せない。
覆す資格を、持っていない。
資格は、名簿に載っている者にしか渡らない。
「……」
私は記録室を出る。
廊下。
磨かれた床。
通り過ぎる侍従。
誰も見ない。
誰も書かない。
私は歩く。
止まらずに。
――罪だけが、残っている。
王宮の記録から、彼女の項目が消えていました。
名鑑からも、所属からも落ちています。
ただ一つ、婚約破棄の記録だけが残っていました。あれは王太子の名で立てられた記録だからです。
本人が消えて、汚名だけが残る。名誉回復の申請は、記録に載れない者にはできません。
次話では、あの夜のもう一人と、再会します。
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