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婚約破棄された令嬢ですが、“記録を書き換える力”で全部ひっくり返します  作者: 夜空ミリア


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第28話 選ばれる側

 ――これは、“選択”の話だ。


 そう言ったあとで、ようやく自覚した。


 私はいま、記録ではなく、相手の意思を待とうとしている。


 それは、今までのやり方ではない。

 証拠を揃え、順を追い、逃げ道を潰し、残す。

 それが私の方法だった。


 けれど、ノクスには通じない。


 いや。

 通じるかどうかではなく、通してはいけないのだろう。


「……何もしない、というのは」


 ルークの声が低くなる。


「本当に、何もしないという意味ですか」


「ええ」


 私は頷いた。


「少なくとも、先には」


 廊下の奥。

 誰もいないはずの場所に、確かな“気配”がある。


 見えない。

 だが、いる。


 それで十分だった。


「……危険です」


「知っています」


「ならば」


「だからです」


 短く返すと、ルークが言葉を止める。


 彼は優秀だ。

 優秀だから、いまの私が理屈ではなく“賭け”をしようとしているのを、ちゃんと理解してしまう。


 私は、ゆっくりと手帳を閉じた。


 それだけで、廊下の空気が少し変わる。


 書かない。

 縛らない。

 固定しない。


 その意思表示。


「……本気ですか」


 黒服の男が、珍しく笑わなかった。


「ええ」


「相手が、こちらの理解できる理屈で動く保証は?」


「ありません」


「それでも?」


「それでもです」


 そこでようやく、彼は小さく笑った。

 呆れ半分、感心半分の顔だった。


「なるほど。たしかに、今はそれが最善か」


 私は答えない。

 正しいかどうかは、すぐに分かる。


 ノアが壁にもたれたまま、楽しそうに指先で空気を弾いた。


「やっと“そっち”に来たね」


「そっち、とは」


「決めないほう」


 軽い声だった。

 だが、その言葉は妙に重かった。


「記録ってさ、だいたい最後に決めるでしょ。これはこう、って」

「ええ」

「でも、選ぶ前から決められるの、嫌なんだよ」


 ノアの視線は、私ではなく廊下の奥へ向いている。

 つまり、彼女はノクスに向けて話している。


「……」


 私は何も言わない。


 代わりに、一歩だけ前へ出た。

 威圧ではなく、招くように。


「来なさい」


 命令にしないよう、意識して声を落とす。


「記録しません」

「お嬢様」

「今は」


 ルークを制し、続ける。


「何にも繋げません。ここにいることも、あなたがこちらへ来た理由も」


 静かに、はっきりと。


「あなたが選ぶまで、私の言葉で決めるつもりはありません」


 沈黙。


 重い、重い沈黙だった。

 廊下の端で燭台の火が揺れる音さえ、よく聞こえる。


 そして。


 気配が、一歩近づいた。


 目には見えないのに、距離だけが分かる。

 空気の密度が変わるのだ。


 ルークが反射的に身構える。

 黒服の男は、その動きを見て少しだけ眉を上げた。


「……来た」


 ノアが、嬉しそうに笑った。


 私は動かない。

 ただ、待つ。


 また一歩。


 今度は、薄い影が見えた。

 人の輪郭。

 けれど境界が曖昧で、輪郭の端が空気に溶けている。


 ノクスだ。


 前に名を与えたときより、少しだけ“こちら側”に寄っている。

 完全ではない。

 だが、不安定なままでもない。


「……」


 ノクスは、私の少し前で止まった。


 顔らしいものはある。

 けれど、まだ表情は曖昧だ。

 人の形をしているのに、人ではないと分かる。


「来ましたね」


 私がそう言うと、ノクスはしばらく黙っていた。

 やがて、かすれた声で言った。


「……呼んだ」


「ええ」


「決めない、と言った」


「ええ」


 短いやりとり。

 それだけで、奇妙な安堵が生まれる。


 通じている。


 黒服の男が、横で小さく息を吐いた。

 たぶん彼も同じことを思ったのだろう。


「……なら」


 ノクスが、少しだけ首を傾げる。


「なぜ、名前をつけた」


 問いだった。

 責める調子ではない。

 純粋に、理由を知りたい声だった。


 私は一瞬だけ言葉に詰まる。


 そこで初めて、自分が何をしたのかを、感情として理解した。


 固定したかったのだ。

 消えるのが、嫌だった。

 目の前から、なかったことになるのが。


 それは、記録官としての理屈だけではない。


「……消えられるのが、困るからです」


 そう答えたあとで、少し違うと思った。


 だから、言い直す。


「いいえ」


 息を吐く。


「消えるのが、嫌だったから」


 その瞬間、ルークがわずかに目を見開いた。

 黒服の男まで、ほんの少し驚いた顔をする。


 無理もない。

 私がこんな言い方をするのは、珍しい。


「……お嬢様」


 ルークの声は、とても静かだった。


 私は彼を見ない。

 いま視線を逸らすと、取り繕ってしまいそうだったから。


「名前がなければ呼べません。呼べなければ、残せない。残せなければ、また消える」


 ノクスを見る。


「私は、それが嫌でした」


 たぶん、それが一番正確な答えだ。


 記録するより先に、失いたくなかった。

 それだけのこと。


 ノクスが、黙る。


 長い沈黙。

 だが、もう怖くはない。


 やがて、彼の輪郭が少しだけ安定した。

 揺らぎが減る。


「……そうか」


 それだけ。


 それだけなのに、空気が変わる。


 手帳が、かすかに震えた。


 私は見ない。

 今は、まだ。


「なら」


 ノクスが一歩、近づく。

 手を伸ばせば届く距離まで。


 ルークがさすがに前へ出ようとしたが、私は手だけで制した。


「……私は、ここにいる」


 ノクスは言った。


「まだ、選ばない」


「ええ」


「でも、消えない」


 その言葉は、宣言だった。


 私はようやく頷く。


「分かりました」


 そこで初めて、ノクスの輪郭に“顔”らしいものが浮かんだ。

 表情は薄い。けれど、さっきまでよりずっと人間に近い。


「……妙ですね」


 黒服の男が、低く呟いた。


「接続していないのに、安定している」


「関係が繋いでるんだよ」


 ノアが即座に言う。


「だから言ったのに」


 彼女はにやりと笑う。

 言葉の軽さに対して、内容は本質的だった。


 接続ではなく、関係。


 記録ではなく、選択。


 それが、ノクスをここに留めている。


「……なるほど」


 黒服の男は本当に感心したように笑った。


「理屈ではなく、相互認識で留まるわけか。面白い」

「面白がるところではありません」


 ルークが即座に言い返す。

 珍しく棘があった。

 それだけ緊張しているのだろう。


「失礼」


 男は全く悪びれずに肩をすくめた。


 そのとき、不意にノクスが顔を上げた。


「……来る」


 一言。


 それだけで、場の空気が変わった。


「何がですか」


 私が問うと、ノクスは廊下のもっと奥――先ほどまで誰も気にしていなかった暗がりを見た。


「名前をつけるもの」

「……」


 背筋が冷える。


 ノアの笑みが、すっと消えた。

 それを見て、私も理解する。


 これは、軽い話ではない。


「ノア」


 呼ぶと、彼女は珍しくすぐには答えなかった。

 数秒のあとで、ぼそりと呟く。


「……こっちのやり方、気づかれた」


 ルークが剣の柄に手をかける。

 黒服の男も、笑みを消して姿勢を変えた。


「お嬢様、下がってください」

「いいえ」


 私はノクスを見る。


「あなたは、どうしますか」

「……まだ、選ばない」


「ええ」


「でも」


 ノクスが、ほんの少しだけ私のほうへ傾いた。


「そばには、いる」


 その瞬間、手帳が強く震えた。


 見なくても分かる。

 何かが、記録された。


 私はようやく手帳を開く。


 新しい文字。


【対象 ノクス】

【状態 未接続】

【備考 同行】


 ――同行。


 接続ではない。

 契約でもない。

 従属でもない。


 それでも、隣にいる。


 私は、ほんのわずかに息を吐いた。

 それは安堵に近かった。


 だが、安堵している暇はない。


 廊下の奥から、今度ははっきりと複数の気配が近づいてきた。

 一つではない。

 二つ、三つ――もっとだ。


 ノクスが低く言う。


「……遅い」


「何がですか」

「選ぶのが」


 その言葉と同時に、暗がりの向こうで何かが“こちらを見た”。


 目ではない。

 けれど、確実に視線だと分かる。


 私は手帳を閉じる。


 そして、静かに確信する。


 ――選ばれたのは、始まりにすぎない。

“接続”ではなく、“同行”。


少しだけ関係が変わりました。


でも、その選択を見ているものが、他にもいます。


もし続きを楽しみにしていただけたなら、

ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


次は、“こちらを見ていたもの”が動きます。

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