第7話 最初の死亡ルート
中央通路は、横に二人並べなかった。
事前説明の「注意を」はこういうことか、と思った。
地図で見るより意味が変わる。縦一列で歩くと前のやつの背中しか見えない。後ろのやつは俺の背中しか見えない。全員が前だけ見ている状態になる。
それに気づいた時点で、俺も前しか見ていなかった。通路に教わった。通路は何も言っていないが教わった。石の通路に教育能力がある。国家試験より学びが速い。
班は8人だった。俺は後衛の六番手に入った。
前衛は氷室と大柄な男が二人、中衛に火乃宮ひばり、俺の前後に名前を把握していない受験者が二人、後衛の最後尾に三枝という男がいた。
氷室は昨日名簿で見た。字面から圧が出ていた。字面から圧が出ている人間の隣に並ぶ機会が今日だとは思わなかった。思っていたら別の位置を取った。取れたかどうかは分からないが、試みた。
三枝は氷室と逆で、名前まで含めて何も出ていない。氷室が何かを内側で圧縮している静けさなら、三枝は圧縮するものを最初から持っていなさそうな静けさだ。どちらも俺には真似できないが、三枝の方は参考にもならない。
進んだ。
壁に手が触れた。石で、湿っていて、その冷たさが肩まで上がってくる。ダンジョンの冷えは空調ではなく、ここに長くいるものが連れてきた温度だ、と誰かが言っていた。
誰か、は思い出せないが情報だけ残っている。声ごと捨てると入れやすい。声まで保存していたら俺の頭は今頃パンクしている。感謝しているが顔が思い出せないので感謝を伝える方法がない。構造的な問題だ。
十分ほど進んだところで、前衛の速度が落ちた。
何かを聞いた、という落ち方ではなかった。前衛の大柄な男の一人が、壁に視線を送りながら歩速を緩めた。慎重さではなく興味から来る緩め方だ。
注意で速度を落とす人間の視線は前に向く。興味で落とす人間の視線は横に行く。横に行った視線は自分の後ろを気にしていない。
好奇心は命に関わる場面でも働くのか、という疑問への回答が今目の前にある。働く。以上。
後衛が詰まり始めていた。
俺の二つ前が半歩止まって間が縮む。釣られて緩めると後ろの三枝との間も縮んだ。全員が前を見ているから誰も気づいていない。気づかないまま全員が、じわじわと一点に向かって潰れていく形になっている。
蛇腹だ。人間の蛇腹だ。
蛇腹になると何が困るかと言えば、この後犬が来た場合に後ろへ引けない。物理に文句を言っても物理は聞かないので、今できることを考える。
前衛に指示が通る状況ではなかった。中衛のひばりには届くかもしれない。
俺は一度、静かにした。
黙っていていい理由を探した。前衛が自分で気づくかもしれない。このまま何も出ないかもしれない。ここで俺が動けばまた端末に入る。まだ何もしていない人間でいたかった。白城悠真は、まだ何もしていない人間だ。
「かもしれない」が三つ並んだところで気づいた。「かもしれない」は確率であって意志ではない。確率は責任を取らない。責任を取らないものを理由に並べても、並べた本人が責任を負うだけだ。設計が悪い。設計者は俺だ。お前はもう少し考えろ。はい、すみません。
やめろ、と思った。「かもしれない」で黙った結果を一度知っている。
あの時は声を出したが、届く前に形が完成していた。完成した後は何を言っても関係なかった。教訓にするなら「もっと早く動け」だが、早く動けていたら最初から動いていた。教訓の形はしているが機能しない。
俺の中にはこの種類の情報もたくさんある。声ごと捨てられなかった分だけ容量を食っている。捨てられないものは保存するしかない。非常に重い保存だ。
「少し止まれますか」
声が出ていた。
白城悠真がこの班に初めて発した言葉が「少し止まれますか」だった。消極的な男だ。白城悠真。
いや待て、止まれと言っているので積極的とも取れる。文脈が複雑すぎて自己評価が定まらない。後で考える。今は関係ない。
後衛の三枝と前の受験者が振り返り、ひばりも振り返った。前衛はまだ気づいていない。
「前が詰まってます。間隔を取り直してから行きたい」
ひばりが一瞬、俺を見た。上から下まで0.5秒で確認して、それだけで前を向く。値踏みではなく確認の速さだ。
「前、止まれ」
通った。通るんだ、この声は。
腹から出ている声はこういう時に使える。俺の声はこの通路だと中衛の半分しか届かない。声量は訓練で改善できる。訓練には時間がかかる。時間は今日にない。今日に関係ないことが増え続けている。順番に処理しよう。
前衛が止まって間隔が空き、列の形が戻った。それだけのことで、通路の空気がわずかに変わった。
「ありがとうございます」と言おうとして、言わなかった。白城悠真は礼儀正しい男だが、状況を読む男でもある。礼を言う場面ではない。状況判断でこらえた。成長している。たぶん。
ひばりが俺の方を向かないまま、静かに言った。
「さっきも動いてたよね、あなた」
俺は答えなかった。
「はい」と言えば確認になる。「いいえ」と言えば嘘になる。「どうでしょう」と言えば一番怪しい。「今は関係ないので後で」と言えば全部が怪しい。
四択全部が悪手だったので、口が開いてから閉じた。今日これだけ有効活用してきた口なのに。
白城悠真の対話打率、本日ここまで三割を切っている。プロなら二軍だ。二軍相当の対話能力でダンジョンに入っている。大丈夫かどうかは今は考えない。
通路の奥から、何かが来た。
音ではなかった。音が来る前の、音の準備のようなものだ。空気の動き方が変わり、石の粉の匂いがわずかに濃くなり、前衛の大柄な男の肩が固まった。三つが重なった時点で犬型だという認識が来た。
根拠を言語化しようとしたが通路が狭くて時間がない。言語化は後でいい。
傘を持ち直していた。石突きの向きが変わっている。頭が気づく前に手が動いていた。
白城悠真がこの班で初めて武器として構えたものが折りたたみ傘だった。地味だ。白城悠真。傘は鋭くあれ。鋭いかどうかは今から分かる。
後ろで三枝が静かに言った。
「班の中に、判断が速い人間がいる」
独り言の音量で、返事を求めていない言い方だった。
返事の選択肢を一秒で検討した。「ありがとうございます」は文脈が合わない。「違います」は確認になる。「そうですね」は同意になる。黙る、が残った。
今日の選択肢、黙ることへの収束率が高い。黙ることが最適解なのか消去法で残っているのかは、今日が終わってから判定する。今は関係ない。
奥の暗がりが、動いた。
最初に聞こえたのは爪の音だった。石の床を、小さい何かが蹴っている。一つではない。数が、まだ分からない。
分からないまま通路の幅を思い出した。幅は変わらない。変わらない幅の中で数が増えると密度が上がる。密度が上がった状態で後衛が詰まっていたら、という計算が始まった。
始まったが、計算の終わりより爪の音の方が速かった。




