第13話 なんとなく、の返却
地図の確認というのは、立ち止まる理由として優秀だ。立ち止まる理由が会議でも命令でもなく「地図確認です」で出てくるのは合理的で、合理的な理由は誰も止められないので俺も止まれる。止まれたので後ろを確認した。何もいない。いないことが分かったので前を向いたら、ひばりと三枝が端末を覗いていた。2人が覗いていて、俺は覗いていない。班員の3分の1が地図を見ていない計算になる。
3分の1は俺のことだ。一応確認した。
俺が地図を見ていない理由は後ろを確認していたからで、後ろを確認していた理由は何かが来た時に対処するためで、対処役が俺になった理由はいつの間にかそういう形になっていたからだ。取り決めはない。でも誰も「後ろを向くな」とは言っていないし俺も向いていた。成立している。合意のない成立を合意と呼ぶかどうかは法律の問題なので今考えるのはやめた。地下では法律が遠い。
「分岐が三つある」とひばりが言った。端末をなぞりながら言った。「右が合流点方向、左と中央は未確認区画」
三枝が頷いた。俺は地図を見ていなかったので頷く情報を持っていなかった。頷く情報を持っていない人間が頷くのは別の名前がある動作だ。同意ではない。だから頷かなかった。頷かなかったことが正直な行動だと思うが、地図を見ていない人間が正直だけを持ち歩いてもたいして役に立たない。地図が要る。地図よ、こっちに来い。
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三枝が俺の横に来た。
ひばりがまだ端末を見ている間のことで、三枝の手に地図はなかったが三枝自身がこっちに来たので地図の代わりに三枝が届いた。届いた理由が分からなかったので待った。
「さっき」と三枝が言った。「石突で止めようとして、折りたたまれたやつ」
「はい」
「意図してたんですか」
「はい」と答えれば「最初から折るつもりで当てたんですか」という追加質問が来る。違う。「いいえ」と答えれば「じゃあなんで折れた後も対処できたんですか」という追加質問が来る。そっちの方が答えにくい。この二択を眺めていたら第三の選択肢が生えてきたので拾った。
「半分くらい」
三枝の顔が少し変わった。否定しなかったし肯定もしなかった。計算の顔だ。計算の中身が見えないので外から見ている。
「半分」
「石突は失敗でした。でも流れた方向は合ってた」
「それって、最初から差し込むつもりだったんですか」
「差し込む手前で確認したかっただけです。確認が失敗したので直接差し込みました」
「……次は最初から差し込む?」
「はい」
「さっきは授業料が安かったから、って思いました?」
どこから出てきた言葉なのかを一瞬考えて、すぐやめた。考えても出所は分からないし、三枝の言語と俺の言語が同じ棚にある事実の方が重要だ。同じ棚にある言語で話した場合、それは意思疎通と呼んでいい。白城悠真として初めて意思疎通できた相手が三枝透だった。記念すべき地下の一歩だ。踏み出した側の足元が地下なのでもう少し明るい場所でやりたかったが選べなかった。
「はい」と答えた。
三枝が端末を出した。地図を開いた。俺に画面を向けた。
「見ますか」
3分の1の欠落が補われた。地図よ、良かったな。
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3人で地図を見た。
右が合流点方向、左と中央が未確認区画、という情報は把握している。左は通路が細い。中央は少し広い。細い通路は縦に伸びる。縦に伸びた隊列は後ろと前の連絡が遅れる。さっき3メートルが遠かったのはそれだ。反省として有効なので記録した。記録した後にどう使うかを考えたら中央を選ぶという結論になった。それ以外の情報も確認した。中央から空気が動いている。動いている方向が、何かがいる側ではない可能性が高い。
「可能性が高い」は確信ではないが、確信がある場面でしか動けなければ全員が棒立ちのまま地下で干乾びる。干乾びたくないので動く。
「どっちにする」とひばりが三枝に聞いた。
三枝が俺を見た。
「白城さんはどっちだと思います?」
ひばりが三枝を見た。俺に来るはずの問いが三枝から来たことで、ひばりの眉が少し動いた。眉の動きの翻訳は「なぜ」だ。
「中央」と答えた。
三枝がひばりに向き直った。
「中央にしよう」
ひばりが三枝を見た。一秒ほど見た。
「理由は」
「なんとなく」
ひばりが黙った。
三枝の「なんとなく」とひばりの沈黙の間に、地下の空気が少しあった。さっきと同じ言葉だ。さっき俺が使ったら「今掘る時間はない」の顔で保留された言葉を、三枝が使ってひばりに差し出している。発話者が変わっても効果が変わらなければ言葉の問題だが、変わった場合は発話者の問題になる。どちらかが今分かる。
「分かった」とひばりが言った。端末をしまって中央を向いた。
発話者の問題だったようだ。解決策は三枝を経由することだと分かった。分かったことをすぐ使う人間かどうかは別問題なので今は置いた。
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3人で中央通路に入った。
幅がある。ひばりが先、三枝、俺の縦並びは変わらないが、左右に余裕がある通路は後ろまで視線が届く。後ろを向いた時にひばりが見える。ひばりの後ろ姿が確認できる距離というのは、3メートル離れた時とは違う。違うというのが今の、今日の比較対象の基準だ。基準が今日の出来事なので絶対値としては低い可能性がある。低くても今の俺の全財産はここにあるので、これで行く。
「白城さん」
三枝が前を向いたまま言った。
「なんですか」
「さっき地図、見せてあげればよかったですね。後ろを向いてる間も考えてたんでしょう」
三枝が振り返った。一秒。「そうでしょう」の形の目だった。
「少し」
「前から考えてた方が精度上がりますか」
上がるかどうかはやってみないと分からないと答えようとして、答えると「では次からそうしましょう」という方向に話が進む可能性があることに気づいた。次から前を向いて考えながら後ろの音も聞いて地図も見るというのは能力の問題として難しい。難しいと言うと「じゃあどこまでなら」という話になる。どこまでなら、の着地点が分からない。
「状況によります」
「そうですね」と三枝が言って前を向いた。それ以上は何も言わなかった。
処理速度が速い。結論を急がない代わりに棄却も急がない。「状況によります」を「じゃあ無理ですね」にも「じゃあ常時でお願いします」にも変換せず、「そうですね」で受け取って閉じた。白城悠真として俺が初めて「状況によります」を怒られずに使えた相手が三枝透だった。連続記録だ。白城悠真の対三枝透戦績が今日だけで2件の記念日を持った。記念日が多い人間というのはだいたい大変な人生を歩んでいる。
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後ろを見た。来ていない。前を見た。ひばりが進んでいる。三枝が続いている。俺が続いている。
三枝の背中が、さっきまでと形だけなら同じだ。でも「なんとなく」の扱い方が変わった。正確に言うと、三枝が俺の「なんとなく」の扱い方を知っていて、それをひばりへの経路として使った。使ったということは、使う前に計算がある。計算の中身はまだ分からない。
ひばりが前を向いて歩いている。「なんとなく」を一回受け取って動いた後ろ姿だ。
次も受け取るかどうかは分からない。でも今日、一回通った。
三枝を経由すれば通る可能性がある、という事実が今日できた。昨日まではなかった経路だ。新しい経路というのは地下では貴重で、貴重なものを手に入れた場合は喜んでいい。喜んだ。地下の喜び方は静かで地味なので外から見ても分からないと思うが、俺の中では喜んだ。喜んだことにした、ではなく、喜んだ。この区別は重要なので記録した。記録した俺が正しいかどうかは俺には判断できないが、間違いだとも思っていない。
班が進む。3人で進む。
「なんか変」が今日また一件増えた。でも今日増えた「なんか変」は、今までのものと方向が違う。悪い方向じゃない。悪い方向じゃない「なんか変」は、呼び名を変えた方がいいかもしれない。呼び名が見つかったら変える。今は「なんか変」のままにしておく。地下では呼び名が後からついてくる。




