第十七話「友の呼び声」⑨
鞍馬山から発せられたその輝きは、市街地からも容易に見て取れた。が、孤軍奮闘するイネッサにそちらを気にかける余裕はない。
戦地は賀茂川と高野川が合流する付近から東へ移り、押されに押された結果、あれだけいた日本軍のグスタフはすでに灰燼に帰している。数だけでは圧倒的な性能差を埋めることはできなかった。
「く……」
もはや周辺の被害を気にかけることもままならない。イネッサ駆る<ハイドランジア>は周辺の家屋を蹴散らしながら後退し、地上を滑走して間合いを取る。
接近戦は不利だ。だが、たとえ充分に引き離せたとしても、グラディアートルが放つ赤き熱線の射程からは逃れられない。
幾度目かの閃光が走る。
イネッサは咄嗟に左手を開いて突き出し、熱線と自機との間に幾重にも連なる水壁と氷塊を作り出した。
それが熱線の勢いを殺すさなか、上空を泳ぐ水龍が水銀色の異形めがけ、その口から超高圧の水流を撃ち放つ。たかが水といえど、合金すら容易く切断する威力である。
しかし、グラディアートルは歯牙にもかけなかった。
「フン」
そう鼻を鳴らすや自身の周囲に赤い旋風を立ち上がらせ、周辺の家屋ごと、いとも簡単にかき消してみせる。
(また……!)
あの旋風は、近づけば数多の刃に、離れれば無類の防壁へと役目を変える。
これではただの消耗戦だ。右目の視力を失い、満身創痍のイネッサが、あとどれだけ集中を続けられるかという、ただそれだけの勝負である。
けれども、イネッサはその心中にすら弱音を吐いてはいなかった。
彼女は信じているのだ。
シーカーリウスを打ち破り、レジーナがジック・ブレイズとともに現れることを。神楽夜が灯弥と和睦し、加勢に現れることを。
それをなによりも信じ、だからこそ踏み止まる。
敵が自分に釘づけになっているこの状況こそ、彼女たちの助けになるのだ。
この窮地を乗り越え、みなで明日を迎えるために。
その想いを汲んだかのように、どこからか一発の砲弾が飛来し、グラディアートルの右肩に直撃した。
イネッサが何事かと顔を振り向ければ、マンションの屋上に跪いた赤い鎧武者のごときグスタフが、単機、砲身の長い迫撃砲を脇に抱え狙撃の姿勢を見せている。
そのコクピットのなかで、
「いつぞやの夜以来だな、バケモノめ!」
とマシューが覇気を滾らせれば、響き渡ったその声に、イネッサは驚きをもって名を呼んだ。
サハラ砂漠で昏睡したマシューにとっては、彼自身が口にしたように、あの<リュエール・デ・ゼトワール>襲撃以来の再会となる。
「これ以上、戦火は広げさせん!」
叫ぶやマシューは機体を立ち上がらせ、迫撃砲を左手に持ち替える。そして左腰に備える日本刀を抜き放ってその切っ先を異形へ振り向け、
「誅罰だ! 無辜の民を苦しめたその罪、ここで贖ってもらおう!」
そう威勢よく吠えたてた。
それのなにがおかしいか、グラディアートルは小馬鹿にしたように小さく嗤いを漏らす。
「無辜の民? この世に罪なきニンゲンがいないとでも?」
「なに?」
マシューはその返答に顔をしかめた。
「やはり愚かだな、ニンゲン。自らの生い立ちの真実も知らず、ここが自分たちだけの楽園と信じて疑わない。――誅罰はこちらの台詞だ。貴様らは増えすぎた。我が物顔でこの大地を穢し、果ては宇宙にまで手を伸ばしたその大罪、もはや贖いきれると思うなよ」
燃え上がる炎を背に凄みを増すグラディアートルは、まさに神罰の代行者というに相応しい威容さだ。その赤く輝く六つ目を振り向けられたマシュー・ゲッツェンは、途端に背筋を駆け抜けた悪寒に、慌てて操縦桿を横に倒した。
その動きと、イネッサが彼の名を叫ぶのはほぼ同時だった。
「マシュー!」
術を行使する間などない。突如赤化したグラディアートルはその巨体に似合わぬ俊敏さで、一直線にマシューのもとへ突撃する。進路上の建築物は瓦礫をまき散らして一掃され、マシューの機体が立っていたマンションもろとも更地と化した。
からくも回避したマシューであったが、機体は無事でも自身の肉体には重すぎる負荷がかかった。
「ぐっ、く……」
四階建てマンションの屋上からおよそ十二メートル落下し、建物脇の十字路に着地したまではよかったが、そこからが動けない。
すると間近で、地を踏みしめ鳴動させる巨大な足音が響いた。
はっと顔を上げ、目を見張るマシューの眼前に立つのは、あの水銀色の異形である。
「させない!」
すかさずイネッサはありったけの氷柱を周囲に浮かべ、それを掃射する。だが、異形がツノから放つ熱線のほうが速かった。
氷柱によってわずかに軌道が逸れたものの、イネッサを狙った荷電粒子の光は<ハイドランジア>の左肩を掠め、焼き抉る。熱した鉄を直接かけられ、さらに鋭利な刃物で斬り裂かれるような激痛が走り、イネッサは絶叫を上げた。
「イネッサ!」
マシューは叫ぶが、次は己の番である。切迫した顔を戻せば、対する異形もちょうど首を戻した。
視線を交わした両者間合いは、まだグスタフ一機程度の余裕がある。されど、その距離でグラディアートルには充分だった。
異形は影のかかった顔に赤い六つ目を浮かべ、無言で右腕の牛刀を振り上げる。
もはや打つ手はない。いまから跳び退こうとしても、あの熱線を捌くことは難しい。
(すまん、ゴウザブロウ)
死ぬつもりはないと言ったが、その約束は果たせそうもない。
しかし、ここで果てようとも悔いはなかった。惜しむらくは、この異形を食い止められなかったことくらいだろう。
それでも、あのまま連合に属し、自分の道を探さずにいるよりは遥かにいい。
時として組織は、そこに属する者から思考を奪う。己がどこに行きたいのか、それを見失わせる。そこにいてなにかを果たせているだけで、それだけでいいと、そう思わせてしまう。
もちろん、それも正しい。けれどマシューは求めた。自分が心からよしとする道はどこにあるのか。その果てにいま、自分はいる。ならばここで死せるとも、その生きざまに文句などつけようはずがない。レジーナもきっとわかってくれるはずだ。
これが最期。瞬きをやめ、己の命を奪う相手を頑として睨み上げるマシューへ、異形は無情にもその右腕を振り下ろした。
死が迫る。
その時。
突如視界の端より雷光が走り、目の前で激しく火花が散った。
「な――!」
マシューは、その稲光とともに飛び込んできた何者かの影を見て、息を呑む。逆光に翳るその者は、振り下ろされた凶刃を左腕で受け止めている。
「ほう」
対するグラディアートルが感心の息を漏らすと同様、遠巻きに目撃したイネッサも「まさか」と瞠目した。
その緑のアーキグスタフは牛刀を払い退けると、すかさず相手の腹めがけ、烈風伴う渾身の横蹴りを叩き込む。水銀色の巨体はその質量を忘れさせる勢いで後方へと跳び、家屋を蹴散らしながら制動した。
やがて粉塵のなかから姿を見せたグラディアートルが、
「逃げなかったのか」
と問いを投げれば、
「仲間見捨てたんじゃ寝覚め悪ぃからよ」
九垓はあっけらかんとそう返す。
よもや金と己しか信じなさそうなあの男の口から、そんな言葉が飛び出るとは。マシューもイネッサも唖然とするが、当の本人は取り立てて気にしたふうもなく、
「なあ、兄貴?」
と背中でマシューに訊いてくる。
己が信条としてきたことよりも、この場に戻ることを選んだその意気を無駄にはできまい。
なにより、純粋に喜ばしかった。
「――ああ。待っていたぞ、戦友よ!」
マシューはその背中に力強く答える。
すると九垓は鼻で笑い、そして颯爽と腰落として構え直し、
「アービターがひとり、<シルフ・トーリス>、クガイ・リー! 義によって加勢するッ!」
そう高らかに、反撃の狼煙を上げた。
つづく




