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第十七話「友の呼び声」⑧

 よもやこれだけ状況が変化しているとは、岩壁に封じ込められた神楽夜は夢にも思うまい。

 レジーナが作り出した、まるで岩でできた繭のようなドームは、天頂部に行くにつれ壁の突き合わせが甘くなり、かすかに夜光が差し込んでくる。暗闇のなかスポットライトのように落ちるその光の帯を頼りに、神楽夜は養父の位置を探り、視線を走らせた。

 すると、どこからともなく、

「ここからはじまる」

 と、威武灯弥の切望に満ちた熱っぽい声が響き渡った。

「養父さん……!」

 それを頼りに睨み見れば、

「英雄なぞに頼ることなく、ひとりひとりが、自らの意志と知恵で困難を乗り切る、そんな世界が」

 赤い眼光を輝かせ、薄闇からかつての愛機が歩み出てきた。右腕には、外側に内蔵された<ネビュラ・クォーツ>が虹色の光を発し、青白い炎が揺れている。

 両者の間はおよそ百メートル。全長八メートルほどの巨人が対峙するには、短すぎる間合いだ。そこに至るまで察知できなかったのは、やはり己の未熟さと言わざるを得ない。

 が、神楽夜は怯まない。

「いままでだって、みんなそうしてきたはずだ。いまこの時だって」

 そう返せば、

「だったらなぜ俺たちは! アービターは! 繭と戦わねばならなかった!」

 灯弥は突然声を荒げた。しかし、

「自分で選んだんでしょうが……!」

 神楽夜は煩わしげにそう吐き捨てるまでだ。

 いかな理由であれ、戦うと決めたのはほかでもない、灯弥自身のはずだ。ならばその責は、己自身で追わねばなるまい。

 無論、そんなことはわかりきった話である。

「そうだ、俺は選んだ。だからこそ見える。できる者に押しつけて回るこの世界が! 歪が! 無能どもはその無能さすら理解しない。ゆえに弱者こそ、自覚と自立が必要だと言っているんだ!」

 言葉を交わして解決できようものならば、はじめからこんなことにはなっていない。雄叫びとともに、黒いゼルクは神楽夜の懐に飛び込んだ。

 神楽夜と朔夜を除けば、青い機体は繭の中身として、その歴史に違わぬ災厄をもたらすはずである。その時こそ人は変わるのだ。繰り出される数多の拳は、それだけのために激烈を極める。

 なれど、それを一心不乱に捌き続ける神楽夜には、そこににじむ悲しみの色がまざまざと見て取れた。

 ゆえに、心中にこうも思う。

 そうせざるを得ない状況が、彼らのまわりにはあったのではないのか。自分が養父を探す旅に出されたように、理不尽といえる外圧がなかったとは、当時を知らぬ者には言い切れない。

 これまで繭の脅威に晒されるたび、人類を守護してきたのはアービターだ。黄金の繭がプラハに現れた時、世界がその役割を養父(ちち)たちに期待しなかったとは、むしろ考えにくい、と。

 だが、たとえ灯弥が望む世界が来たとして、果たしてそれは、いまとなにが違うというのだろう。

 みな、できることは同じではない。誰もが繭に立ち向かい、そして万人のために死せるかといわれれば、それは違う。だからこそ、英雄と称えられる存在が必要なのだ。

 養父(ちち)の嘆きの一端はそこにある。

 使命だから役目だからと、それだけで誰かのために犠牲になっていい命など、あるはずがない。それを英雄と呼ぶのなら、その者はいったい誰が、なにが、救ってくれるというのだ。

 拳を躱し、ますます疑念を募らせるなか、神楽夜の脳裏にはなぜか、プラハで見たハウトマンの言がよみがえった。

 ――愚かでなければ手は取り合えないんですよ。

 あの男は己さえも愚者だと言った。その真意は測りかねるが、言葉の表面だけで捉えるなら、あの男の見ている世界は互いの弱さを認め合う世界なのだろう。

 だとすれば。

「違う……。あんたが目指しているさきは、みんなが強者の世界だ!」

「なにが悪い! 誰かが笑って生きるその影に、埋もれていく犠牲がある! 見ないふりをしているだけだ。それはそこかしこに積もり、いつか大きな歪を生む。立ち止まる時が必要だ。俺がそれを創る。破壊と再生だ!」

 灯弥の一撃が神楽夜の腹部を捉えた。神楽夜はまたも身の内に焼かれるような痛みを覚える。

 確かに、自分が笑う一方で、誰かが泣いているのかもしれない。

 だが。

「まやかしだ! あんたが見ているのは『いま』じゃない!」

 神楽夜は断じた。

「いまだからこそだ!」

 灯弥の猛攻は激しさを増し、ついには躱すことすらままならなくなる。

「安定は緩やかに心を殺す。そして心が死んだ者が紡ぐのは滅びだ。人が紡いできた歴史は、そこに人が生きるからこそほころんでいく。ゆえに!」

 雄叫びとともに繰り出された拳が神楽夜の守りをかいくぐり、彼女の顔面を打ち飛ばした。

 体勢を大きくうしろへと崩された彼女は、続く二の打ちを防ぎきれない。いとも簡単に十打、二十打と拳を食らう。

「人の手で終わらせ、人の手ではじめるんだ! これは、そのための!」

 犠牲である。

 さっと引かれたゼルクの右手が貫手の形を取る。

 灯弥は、青いアーキグスタフの腹から発せられる闘気を察し、そこに神楽夜がいるとあたりをつけた。

 娘たちさえ除けば、この繭の中身は再び破壊者に戻るだろう。

 よろめいた青いアーキグスタフに、灯弥は目の前をよぎった彼女たちとの日々を引き裂くように、その手を突き出す。

 と、その時、

(なに――!?)

 突き出そうとした右腕から黄金の輝きが発せられ、彼の意に反し、途端にぴたりと動きを止めた。

 わずかな隙に、神楽夜は踏みとどまる。そしてすかさず風を切って拳を返した。

 腰の横からひねり出されたそれは、激しい旋風を加速度的にまとい、灯弥の顔面へと襲いかかる。

 咄嗟に彼は首を左にかしげるようにして躱すが、その威力たるや、触れてもいないのに顔の側面の皮膚と肉をねじりながら持っていくような、凄まじい圧である。右耳のつけ根がぎちぎちと引きちぎられる痛みに危機を覚え、灯弥はたまらず唸り声を上げ、さらに左へと上体を倒した。側転するような体勢だ。

 そして、追随して持ち上がる足で相手の側頭部を蹴り払おうとした。

 しかし、神楽夜はその場で突如、姿勢を低くする。その流れのまま、砂塵を巻き上げてぐるりと身をひねるや、鎌で草根を刈るように弧を描いて、地を削りながら蹴り払った。

 読まれている。灯弥は吃驚に目を見張った。

 すぐさま地についた片腕を屈伸させて跳び退き、宙で身をひねって神楽夜を正面に捉え、着地する。

 同時に自身の右腕を一瞥するが、今度は難なく動かせる。

 いまのはいったい何事か。そう懐疑的になっていると、

「この世は輪っかなんだって、そう言ったね、養父(とう)さん」

 ゆっくりと立ち上がった神楽夜が静かな問いをよこし、灯弥は顔を戻した。

「そうだ。すべては廻る。富も、力も、命もだ」

「だったら……私たちだってそのなかのひとつでしかないよ」

 その憐れむようなまなざしに、

「変えられないと、そう言いたいのか」

 灯弥は険を深くする。

 しかし、それに神楽夜は頭を振った。

「自分にできないから、誰かに託す。そうやってつないでいくことが、養父さんの言ってたことなんじゃないの?」

 灯弥は一刻の間、次なる言葉を探して口を閉ざした。

 そのとおり、この世は託し託され、環のごとく廻るからこそ続いている。想いも、命も、意図せずともすべてがそうだ。

 では、黄金の繭と戦い命を落とした澄澪たちは、どんな意味が与えられるというのか。なにを託すことができたというのか。救ってくれた者のことなどとうに忘れ、なんら進歩しないままでいるこの世界に、命をかけるだけの価値があったと、果たしていえるのか。

 それが見えぬままでは、進めない。だからその意味を見出すためにも、灯弥は修羅の道を行くと決めたのだ。

 だが無情にも敵は、その想いを吐き出す間を与えてはくれなかった。

 彼らの横で地鳴りのごとき轟音を響かせ、とうとう岩壁が崩れ落ちる。

 ふたりがそちらにはたと顔をねじ向ければ、舞い上がる砂塵のなかから現れたのは、赤光を放つ異形の花だ。

「シーカーリウス……!」

 神楽夜は構え直した。

「さて……そろそろ返してもらおうかね、カグヤ・イヴ?」

 花の中央にある宝玉を咥えた仮面の目が、妖しい赤色を灯す。

 すると突如、花の下から突き上げるようにして鋭い岩がそそり立ち、シーカーリウスは瞬時に姿を消して夜空へ位置を変えた。

 そして神楽夜たちがいる岩の繭から左へ逸れたさき、眼下で流れていく砂塵のなかに、赤い閃きを見つける。その光は、崩れる岩壁の合間から神楽夜にも見えていた。

 光の出どころ――彼方にひとり立つは、赤きアーキグスタフ<フライハイト>だ。

 それまで外の状況が知れなかった神楽夜は、その損傷具合に息を呑んだ。

 両の翼をもがれてなお夜空を睨み上げるジック・ブレイズからは、決死の覚悟がにじみ出ている。

「ジック……?」

 いったいなにをしようというのか。怪訝なまなざしを送ったさきで、彼の頭上に浮かぶ赤い花は、

「ハ。ようやく出てきたか。でももう飛べないなあ、それじゃあ」

 と眼下のジックを嘲笑する。もはや地を這うことしかできぬというのに、まだ怨讐に囚われ立ち向かってくるとは、実に滑稽この上ない。

 しかしジックはそれになんら反応を示さず、ただ睨み続ける。すると、固唾を呑む神楽夜たち親子を丸屋根のように包んで、再び半透明の黒い膜が張られた。

 その矢先、ジックは弾かれたように駆け出した。それも、シーカーリウスに背を向けてだ。

「逃げたところで」

 いよいよ怖気づいたというわけでもあるまい。なにかの策と直感しながらも、またも防壁を張られてしまったシーカーリウスは追うほかなく、疾駆する赤き機体めがけひと息に跳躍しようと、機体の周囲に青い粒子を漂わせはじめる。

<アストラル・シフト>を使えばなんのことはない、瞬時にまわりこめる。が、それをする間もなく、ジックが駆ける周囲には次々に剣のような岩がせり上がった。

 シーカーリウスは闇夜の山中を不敵に一瞥する。舞い上がった砂塵が流れ、霧がかったような山林のなかに、おそらくレジーナ・シスルは潜んでいる。

「なるほど。なら――」

 炙り出すのは容易い。この一帯を消してしまえば、嫌でも出て来ざるを得ないのだから。だがこの場はさきに、目の前を駆けずり回る無様な獲物から始末するのが合理的であろう。数を減らすのだ。

 花は瞬時に鮫の姿へ形を戻すと猛追をはじめ、進路を遮って次々突き出てくる岩の間を泳ぐように抜けていく。

 やがてそうすることすら億劫になったか、艦砲から荷電粒子の赤き熱線を乱れ撃ち、切り立つ岩を強引に突っ切るようになった。

 そしてついに、炸裂した巨大な岩石がジックめがけ飛来する。ジックは直撃寸前で足を止め、身を庇うが、その刹那の間が命取りであった。

 忌々しくしかめた面をねじ向けた、その時。

 背後から目にも留まらぬ豪速で迫った鮫は、茨のような牙の群れを、彼の腹から下に容赦なく突き立てた。

 そのあまりの速度にたちまちさらわれたジックは、退路を塞いでいた岩石を鮫とともに突き砕く。

 悲鳴はなかった。

「ハハハ、これで」

 ようやく獲物を捉えた鮫は余裕の笑みを放つ。

 だがしかし。

「――ああ、これでッ!」

 ジックは悪鬼のごとく叫ぶや、鞭のような長剣を鮫の巨体に巻きつけ、

「グラヴィターティスッ! ルイナァァア!!」

 一度限りのその技を解き放った。

「なに!?」

 鮫はすぐに獲物を放して跳躍しようとするが、すでに遅い。ジックが胸元で握り締める左手からは、指輪から放たれる紫の閃光が炸裂している。

 それを中心に広がった超重力の力場は、取り込んだものすべてを歪曲させ、崩壊させる。何人(なんぴと)たりとも逃れ得ぬその檻は、正しき担い手でなければ扱えぬ、人の身にはすぎた技だ。

 そう、重力を司るマキナ<アルマトゥーラ>でなければ。

 すべては夫を護るためだった。

 死の間際、彼女は、再来するであろうシーカーリウスへの備えとして、夫の指輪に自分の因子を託した。空間跳躍を得意とするシーカーリウス、その動きを封じ込めるたったひとつの方法を。

 ふたりで握り締めたあの時の、込めた願いはいまこそここで――結実する。

「レジィイナアアッ!」

 夜空に轟くジックの咆哮が、白銀の騎士を呼びよせる。

 森から勢いよく滑り出てきた<エスクード>は左手の盾を前面に、全身を黒い半透明の膜で球状に覆い、広がる力場のなかへと飛び込んだ。

 この技を授けたアルマトゥーラ(あのおんな)が、こんな自滅するような真似を望むはずはない。

 そのとおり、指輪は標的に投げ、力場はそこを中心に展開するのが正しい。

 だが、いま口のなかで不敵に笑うこの男も、重力の海をかき分けて迫るあの騎士も、まるで恐れを感じさせない。

(まさか)

 シーカーリウスは悟った。

「死ぬ気か、アービタァァア!」

 鮫は機械らしからぬ悲痛な叫びをあげる。まるで痛みと死への恐怖を感じ、恐れ戦いているかのようだ。

 鮫の背中へと跳び乗ったレジーナは、剣を逆手に握る腕を高々と掲げるや、

「ドライブ・コンチネントッ!」

 雄叫びと同時にそれを突き立てた。

 その途端、青い炎が鮫の背から四方八方に伝い広がった。大地を躍動させる彼女の技は、巨大な鮫の全身に亀裂を走らせ、有無を言わさず粉砕する。

 そして、鉄が擦れる甲高い音のような、耳をつんざく悲鳴が轟いた。

 己はここにいると叫ぶかのような、哀しくも猛々しい、そんな咆哮。それも、内部に格納された<ネビュラ・クォーツ>に亀裂が至ったところで、ぴたりと途切れる。

 すると、ひび割れた体のあちこちから光条を伸ばしたシーカーリウスは、超重力の力場が収まると同時に、超大な爆発とともに四散した。その凄まじさは周辺一帯を消し飛ばし、山を抉り取るに充分だった。

「ジック! レジーナ!」

 自身を覆っていたレジーナの<エナジー・シェル>が消え、襲い来る爆風に耐えながら、神楽夜は閃光に叫んだ。

 その呼び声が届いたわけではない。

 ジックは真っ白な光のなかで、自然と朝を迎えたような平穏さで、目を開けた。

「――アルマ」

 少し残念そうに、困り顔で漂う彼女に、

「俺も、行くよ」

 彼はそう力なく微笑んで、手を伸ばす。

 こうなることは、はじめからわかっていた。

 機体の<ネビュラ・クォーツ>を抉られたその時から、宝玉は秩序を失い、そこから溢れ出た数多の「誰か」が、ジック・ブレイズというひとりを塗り潰していく。それがあの宝玉が秘める真実と悟っても、もう、彼にはどうでもいい話だ。

 自分が自分でいられるうちに、もう一度。

 その一心で、ひび割れたガラスのように崩れていく自分のなかで、決して手放したくない彼女とのことだけを守り抜いた。

 たとえ自分が何者だったかを忘れても、この肉体が朽ち果てようとも、彼女のことだけは覚えていたかった。

 だから、握り締めた証、それだけを胸に駆け抜けた。

 その――長い長い旅が、終わる。

 男は差し出された女の手を取り、ともに光のなかへ昇っていく。

 その途中、男がふと視線を横へ流せば、広がる閃光を紅い瞳で睨みつける、黒髪の少女が目に留まった。

 誰かはわからない。けれど、なにかを伝えねばならないような気がした。

 もう、彼には憎しみも悲しみもない。だから、送る言葉はただこれだけだ。

「ああ――。お前は、生きろ」

 その声にならぬ声に神楽夜がはっと顔を上げた時、爆発の光はますます勢いを増して、辺りを呑み込んだ。

 そこでいくら彼の名を叫ぼうとも、無力にかき消えるのみである。

 それでも。

 神楽夜は彼の名を叫ぶことを、やめなかった。



      第十七話「友の呼び声」



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