第十七話「友の呼び声」⑤
輸送艦が上昇する様子は、職員の誘導で避難する剛三郎からも見えていた。慌ただしくなる院内で、看護師らの手によって担架に乗せ換えられたマシューにつき添い、正面玄関より駐車場へ出たその時である。
城の向こう側から、縦に煙を引いて、まばゆい閃光が夜天に昇った。
「なんだありゃ」
剛三郎は怪訝に眉根を寄せ、担架を引く大人ともども立ち止まる。それと同じく、駐車場に用意された避難用の車両に向かい、我さきにと駆けていた群衆も足を止め、空を見上げた。
一同が見つめる夜空は、燎原の火のごとく広がる地上の火災によって、下から橙色に染め上げられている。その空が幾度か明滅したと思った矢先、
「うわっ!」
剛三郎の頭上で、叩きつけるような衝撃とともに爆発音が轟いた。
八階建ての病院は外装を砕け散らせ、二十メートル以上の高さからガラス片や瓦礫を振り撒いてくる。悲惨なことに、玄関先で足を止めていた者たちは逃げ惑うさきでそれらの直撃を受け、ただの肉塊と化した。
同時に、落下物の衝撃が引き起こした風塵が、瞬く間に周囲へ広がる。それほど距離がなかった剛三郎たちは、自分の顔を庇うまでしか間に合わず、あっけなく呑み込まれた。
そして、
「……う」
立ち込める土煙のなかで目を開けた剛三郎は、うつ伏せになった体を起こす。
まだ視界は開けていないが、目を凝らせば、落ちた瓦礫かはたまた人か、なにかがうずくまっているような影がちらほら垣間見える。
(あんちゃん……)
傷を負うマシューが単身で逃げることは難しい。剛三郎は夜霧のなかを手探りで行くように歩み出す。
と、その視界の上方を赤い熱線が駆け抜ける。慌てて顔を振り上げた剛三郎は、吃驚に目を見張り叫んだ。
「嘘だろ!」
左手から日本軍のグスタフが二機、火を噴きながら落下してきている。
逃げる間もなく、機体のひとつは病院の外壁に激突し、そのままずるずると地面に滑り落ちた。
その衝撃が、舞い上がっていた土煙の一部を切り払う。それでようやく、転がった担架のそばに横たわるマシューの姿が明らかになった。
「あんちゃん!」
駆け寄った剛三郎が肩を揺すれば、
「無事か……」
と、マシューは苦しそうにその身を起こそうとする。倒れた担架がうまい具合に盾となったらしい。まわりにいたはずの看護師の男らは飛んできた瓦礫をもろに受けた様子で、ひとりは首の皮がわずかにつながった状態で、自分で作った血の海のなかでだらしなく溺れていた。
周囲からは、泣き叫ぶ声や痛みに呻く声が聞こえてくる。それまで遠かったはずの戦闘音も、いまは心なしか近い。
「早く逃げよう。あんちゃん立てる?」
肩を貸して立ち上がった剛三郎は振り返り、そしてすぐ息を呑んだ。
さきほど墜落したもう一機が、避難のため用意された軍用車両の車列を下敷きに、仰向けで沈黙している。まわりに群がっていた退避を希望する者たちは、気を失っているだけか、それとも死んでいるのか、あちこちで倒れ伏していた。
――マシューを頼む。
脳裏によみがえったレジーナの声に剛三郎はきつく眉根を寄せると、使える車がないか視線を走らせた。託されたのだ。悲観してなどいられない。
すると、
「ゴウ、ザブロウ」
肩を担がれたマシューがなにやら口を開いた。そちらに首をねじ向ければ、マシューは左手で左の脇腹を押さえながら、厳めしい面を彼方へと向けている。剛三郎が立つ側とは逆のほうだ。
そちらは、ついいましがた外壁に激突し、地面にずり落ちたグスタフがある。
「まさか」
剛三郎は呆気に取られてマシューを見るが、この男の限界は近そうだ。息は荒く、患者衣は傷口のあたりに血がにじみだしてきている。傷は完全に塞がったわけではない。迷えるだけの時間はなかった。
だんだんと力を失い、重さを増していくマシューの体を懸命に引きずり、剛三郎は横たわった機体のもとへたどり着く。
赤い鎧武者のごときその機体は、外観がそうさせるのか、神楽夜が乗っていたゼルクに近い印象だ。見たところ目立った破損はない。
「コク、ピットは、腹か……?」
フランスの基地で調べたゼルクと同じならば、そうなる。
なるほどこの機体で脱出を図る気か。睨み上げたマシューの意思を汲み、剛三郎は機体の腹部へさらに歩み寄った。
「向かって右……ハッチを開ける、非常用のスイッチが……あるはずだ」
機体に背を預けて座らせられたマシューは、息を整えながら、剛三郎にそう指示する。少年はすぐさま駆け、右を下にして倒れた機体によじ登り、腹のあたりを探った。
赤い装甲の表面は土埃にまみれ、一見しただけではそのスイッチとやらは判別がつかない。四つん這いになり、装甲の上で撫でるように両手を滑らせていると、
「――これか?」
四周に溝がある場所に行き当たった。手のひらほどの大きさをした、その蓋と思しきパネルは、短辺の一方に指を引っ掛けられそうな深い溝がある。機体が直立していれば手前に向かって上から下へ開く恰好になるが、いまや機体は横倒しだ。剛三郎は深い溝に右手の指をかけると、左から右へそれを開いた。
現れたのは、「T」の字を上から見たような銀色の取っ手だった。親切なことに、それが収まった箱の底面には説明書きと、回す方向を示した矢印が描かれている。それによれば、取っ手を一度押し込み、時計回りに回せばよいらしい。
「あんちゃん、あった!」
頭上からしたその知らせに、
「開けられそうか?」
マシューは声を振り絞った。その時、彼の視界に、遠くの夜空を水龍に乗って舞う<ハイドランジア>の姿が捉えられた。
「やってみる!」
とは言ったものの、これが固いのなんの。押し込むだけでもひと苦労である。幸い上から押す格好であるから、剛三郎は全体重をかけてぐいと力を込めた。
そして時計回りにひねる。
その渋さは戦闘中に誤作動しないようにするためなのだが、子供ひとりの力ではなかなかに骨が折れた。
「こなくそっ!」
頭の血管が切れるのではないかと思うくらいに力んだ末、
「開いた! あんちゃん!」
剛三郎はついに解放に成功した。人間のへそのあたりにある装甲が左右に分け開かれる。
「パイロットは、生きてるか……?」
マシューの言に、少年は息つく間もなく装甲を伝い降りる。
なかを覗き込めば、左胸に日本の国旗が印字された赤いパイロット・スーツ姿の兵士が、座席でぐったりとしていた。
(死んでる? いや……)
「気ぃ失ってるみたい!」
剛三郎は外に向かって叫びながら、兵士を固定する座席のベルトを外しにかかった。
その間にマシューは覚束ない足取りながら立ち上がり、コクピットへとよじ登る。勝手のわからぬコクピットの仕様に悪戦苦闘していた剛三郎は、背後に感じた人の気配に驚いて首をねじ向けた。
「駄目だって、動いちゃ!」
「そのままじゃ降ろしにくい。体勢を変える」
変われ、という無言の圧を感じ、剛三郎はマシューに操縦席を譲る。そのすれ違いのさなか、
「あんちゃん、血が」
と、マシューの脇腹を染める赤色に眉をひそめた。
しかし当の本人は、
「なに、逆に頭が冴えてきた。しっかり掴まってろ」
などと軽口を叩きつつ操縦桿を握り締め、横になった機体の上体をうつ伏せになるようひねり、へそを地面に擦りつけそうなほど寄せた。これで地面までの高低差は随分小さくなる。
剛三郎の手を借りてパイロットを外へ引きずり出すと、マシューはコクピットへ取って返し、なにやらなかを漁りはじめた。
「なにしてんの、あんちゃん」
すると問いへの答えと言わんばかりに、コクピットから迷彩柄のリュック・サックがひとつ、放り投げてよこされる。機体が動けなくなった場合に備え、コクピットに格納されているサバイバル・キットだ。数日分の食料などが一緒に梱包されていることがほとんどである。
その存在を知らぬ剛三郎は、足元に転がったそれを怪訝に見下ろした。
「いまのうちに遠くに逃げろ」
「え、なに言って!」
一緒に逃げるのではないのか。剛三郎はマシューの突然の言葉に目を丸くした。
けれどもマシューは黙々と座席のベルトを締め、機体を起こしはじめる。
「ちょ、待ってくれよあんちゃん! どこに!」
「イネッサの救援に行く」
「イネッサの……? でも!」
その傷では無茶がすぎる。
「さっき、イネッサの機体が遠くに見えた。それに、あの光」
剛三郎はマシューの言に彼方の夜空を見やった。夜を斬り裂いて駆ける赤い熱線は、あの異形が放つもので間違いない。
「あいつか……」
忌々しく吐き捨てた剛三郎は機体へ首を戻した。
「俺も行く!」
しかし、機体はすでに起き上がっている。
マシューはコクピットのなかで、こちらを見上げる少年に微笑んだ。
「案ずるな、死ぬつもりなど毛頭ない。イネッサにこの傷を塞いでもらう」
その狙いも確かにあったが、やはり救援が第一であった。この付近でイネッサがあれと戦っているということは、すなわち、レジーナが予測した最悪の事態になっていると見るのが妥当だろう。いくらアービターとて、単騎でとなれば勝ち筋を大きく狭める。ここは体勢を立て直すべき局面だ。
それになにより、剛三郎をこれ以上巻き込みたくはなかった。グスタフを使ってこの場を離れる手は、攻撃される危険性からあまり現実的ではない。
「あんちゃん!」
食い下がるように叫ぶ剛三郎に、
「動けるうちに逃げろ! いいな!」
と、マシューは機体を戦場に向け跳躍させた。




