第十七話「友の呼び声」④
その頃、山を脱した鍾馗の姿はすでに京都白城の地下にあった。秘匿するマスドライバーへ続く、長大な地下回廊のなかである。そこは地上の城が持つ日本特有の様式とは打って変わり、機械的で無機質な、単純な避難経路としての意匠性しか持ち得ていない、簡素な造りをしている。
ただこの場は、有事の際、国を脱するための重要な退路である。当然、殿を務めるグスタフが防衛線を敷くことも想定しており、内部は人ひとりがちっぽけに見えるほど広大だ。
さすがに城内は兵らで物々しい雰囲気であったが、いま、ここに人気は微塵もない。あってもそれは管制室か、艦が置かれた保管庫くらいなものである。普段警備にあたっている人員はみな、地上での戦闘に備え出払っているのだ。
そうできたのも、鍾馗がここの守備を専任する翳祇の長であるがゆえ。いままさにそうしようとしているように、いざ宇宙へ上がらんとする時に、いらぬ邪魔が入らぬよう人除けをしておいたのである。
だが、その判断はとんだ姦物を招き入れることになる。
「貴様、どうやって」
鍾馗は前方に立つ人影にはたと足を止め、目を見張った。ここは国内の中枢、かつ、最重要機密の区画だ。城内に勤める者でも、ほんのひと握りしかその存在を知り得ない。部外者ともあらばなおのこと、ここへたどり着くことすらできないはずである。
しかし、つば広帽で目元を隠したその男は、着込んだトレンチコートのポケットに両手を突っ込んだまま、
「いえね、顧客がお困りとあらば馳せ参ずるのが商売人というものかな、と」
そう、なんのことはないといったふうに、鷹のごとき精悍な面を上げる。
「貴様の仕事は終わったはずだ」
鍾馗は警戒心を露わに言った。
「ええ。ただ、お代を少々いただきすぎましてね」
「なに?」
この男には、事前に取り決めた契約どおりに支払いを済ませている。支払いといっても金ではなく、日本が白銀機関から供与された技術、その一部を転売したにすぎない。
鍾馗の言うとおり、この男の仕事は灯弥が日本へ戻った時点で完遂されている。副次的な成果と捉えていたアービターの発見と招集も申し分ない結果であるだけに、再びその顔を拝むことになったのは意外でならない。それも、よりによってこの場所で。
鍾馗は刮目して男に対する。すると男は、
「管制室に詰めている人員ですが、あなたが留守の間に入れ替えられていますよ」
と、なぜか軍の内情を暴露した。
「……リンジか」
鍾馗は苛立たしげにつぶやく。あの大男のやりそうなことである。こちらが最後の手段に打って出られぬよう、あらかじめ手をまわしておいたのだろう。鍾馗からすれば、座して国と心中せよと暗に言われたようなものである。
「貴様……」
いったいどうやって、と野暮なことは訊くまい。訝しげに睨みつける鍾馗に、男は両の口端をわずかに吊り上げる。そして体の右側をうしろへ下げながら、ポケットから抜き出した右手で「どうぞ」と、自身のうしろに続く道へ促した。
「艦の準備は整えてあります。管制室には、私から」
帽子が落とす影のなかでぎらつく男の眼光は、とても信頼に足る輝きをしていない。
だが、いまはなにより時間が惜しい。
不承不承ながら、鍾馗は疾風のごとく男の視界から消えると、男が指し示したさき、艦の保管庫へ続く回廊を駆けた。
すでに遠いその背中をつば広帽の男は満足げに見つめ、次の瞬間にはその身を青い閃光で包み、どこかへ消える。
それから間もなくである。城内の広間で数多の兵を従え、軍の指揮を執っていた御剣麟寺のもとに、マスドライバー起動の報せが駆け込んだ。
(早まったな、ショウキ!)
「すぐに止めさせろ! 管制室!」
獅子の咆哮のごとく叫んだ麟寺に、通信を担う下士官らは焦燥に駆られながら目の前のモニターを操作する。だが、相手から応答が返る様子は一向に見られない。
「管制室、応答ありません!」
下士官のそんなわかりきった報告を聞き終えるまでもなく、
「誰でもいい、近い連中に確認させろ!」
麟寺はすぐさま下知を飛ばす。
だが、
「守備隊からも応答なし!」
状況は、想定した以上に混沌を極めているようだった。
麟寺はあらかじめ、鍾馗が宇宙へ上がれぬよう手を打っていた。それはさきほどのつば広帽の男の言からも窺える。管制室の人員を半ば強引に入れ替え、もぬけの殻に等しかった地下回廊の警備に、麾下の守備隊をまわしていたのである。
しかしいま、その守備隊からも通信が返らない。地下には監視カメラも当然あるが、例外なく無力化されている。
(まさかカゲルギか……)
麟寺の脳裏をよぎったのは、こちらの動きに感づいた鍾馗が国土防衛に振り分けねばならない配下を使い、自らに利する状況を作り出そうとしているのでは、という危惧である。
あの男は犠牲を省みないところがあるだけに、可能性として捨てきれない。
管制室の占拠にあたり、こちらも少々力任せな手段を講じたが、それも友の勇み足を止めんとせんがため。詰めていた兵の命までは取っていない。だが、鍾馗率いる<カゲルギ>は、同胞とあっても目的のためならば容赦なく斬って捨てかねない連中だ。
それに、考えにくいことではあるが、仮に鍾馗の手の者でなかったならばことさら面倒である。この混乱に乗じ、よからぬことを企む者がいないとは限らない。いずれにせよ、国家元首の退路を得体の知れないなにかに抑えられているという状況は、好ましくない。
「近衛を出せ!」
腕の立つ者が要る。麟寺は自身の配下でも選りすぐりの、白神らの護衛をその任とする近衛兵に下知を下した。
しかし、その者らでも止められるかどうか。
麟寺は想像もしていない。応答のない管制室がいまや、たったひとりの手によって小さな地獄絵図と化しているなど。
御剣、そして翳祇の者たちの死体が無惨に横たわるその場所は、おびただしい血潮によって染め上げられ、腐臭に近い鉄の臭いが充満する。そのなかで悠然と、銀と黒を基調としたパワード・スーツを着込んだ何者かが、壁面のモニターを眺めている。
映し出されているのは、地下からせり上がるマスドライバーだ。ジェットコースターの反り返ったレールのようなそれは、艦一隻を飛ばせるだけの幅と、加速に充分な長さを備えている。間もなく地表へ出ようかというところで、パワード・スーツのその者は、モニターの下にある操作盤に指を走らせた。
その者の身なりは一見すれば騎士の甲冑のようだが、腿や上腕に装甲はなく、爬虫類のなめらかな表皮を思わせる黒い生地になっている。ダイビングに使用するボディースーツのような質感だ。伸縮性に富むらしいその部位には、装着者の隆々とした筋が浮かんで見える。
やがてひと通り操作を終えたらしいその騎士は、操作盤のキーをひとつ押下し、手を止めた。
次いで画面右端に、格納庫内の映像が表示される。映るのは濃い藍色をした二隻の輸送艦と、その横に並ぶ赤い艦<ヴェントゥス>である。
そのうち片方の藍色の艦に翳祇鍾馗が乗り込んだのを確認し、騎士は再度、操作盤のキーを押す。
すると、京都白城の西側を南北に走る烏丸通に、異変が生じた。
中央分離帯を挟んで左右二車線ずつあるその通りは、京都白城のちょうど西側に位置する中立売御門のあたりから、通りに対して直角に切れ目を作る。そしてそこからなんと、通りの一部がまるまる持ち上がり、残された道路の上に被さるようにして平行移動した。その動きは、下を走る地下鉄の路線も同様であった。
そうして生まれた長方形の大穴から、今度は、反り返った巨大なレールの先端が突き出てくる。さきほど管制室の画面に映っていたマスドライバーだ。ひと口にいえば、電磁力により対象を加速させ、重力の枷を振り切って宇宙へと脱出させるための、補助的役割を担う装置である。他国と関係を絶つ日本がこれを実現できたのは、白銀機関と蜜月の仲にあったからこそだ。
すでに射出位置についている輸送艦のなかで、鍾馗はその時を待つ。
が、地上に起きた大規模な異変を、グラディアートルが見逃すはずはなかった。
南下してくるであろう繭を迎えるため、京都白城の北側に位置取ったグラディアートルだったが、街を蹂躙するのにも飽き、次なる目標を城に定めたあたりでちょうど、天高く伸びゆくそれを目撃する。
「……やはり、一度初期化せねば」
水銀色の異形は、呆れてものも言えぬといった様子でそうつぶやくや、額から伸びるツノを真ん中から左右に分ける。そしてその間に赤い稲妻を湛え、狙いを定めた。
間もなく赤い熱線が空を翔ける――はずが、
「ぬ!」
グラディアートルは突如背後より飛来した氷塊によって衝撃を受け、首をねじ向けた。
見れば、螺旋を描いて下ろされた水龍の尾から、三叉の槍を携えたアーキグスタフが降り立つところである。
「ほう――」
グラディアートルは感心したふうに息を吐き、体の正面をそちらに向けた。
「父母の敵討ちかね? イネッサ・イヴァーノヴナ・イリューシナ」
凄みを増して名を呼ぶ異形に、しかし、イネッサは怯む様子を見せない。神罰を代行するかのような勇ましさで、槍の石突を地に突き立てて対峙した。
「いいえ。そんなことをしてもなにも変わらない。私はただ――あなたを越えて進むだけ」
これまでの彼女らしからぬ物怖じのなさに、もしこの時グラディアートルが人の形を取っていたならば、その顔には苦々しさから来る深いしわが刻まれていたことだろう。
この女の変化はサハラ砂漠で再会した時から感じていたが、なにがそうさせたのか。黙して睨みつけていたグラディアートルだったが、ふと背後からしたグスタフの足音に、その視線をわずかに横へ流した。
異形の背後を囲って布陣するは、城の防備を固める日本軍のグスタフだ。みな刀や槍といった日本古来の武具を手に、鎧武者のごときいで立ちで号令を待っている。
その数、ざっと三百。すべて、近衛の証である赤備えの鎧である。
幾重にも張り巡らされた防衛線を跳び越え、突如本丸に敵が切り込んできたのだ。これでむざむざ通してしまっては、君主を護る近衛の名が廃るというもの。
だが、そんな彼らの矜持などグラディアートルにはどうでもいい。
「いいだろう、シスター・イネッサ」
水銀の異形はそう言って彼女に首を戻し、
「自ら決め、進むことができるのもまた、ニンゲンだ」
と、轟音とともに飛び立った輸送艦を背に、顔の六つ目を赤く輝かせた。




