第十七話「友の呼び声」③
熾烈を極める親子の衝突は、轟音となってレジーナのもとに届いた。
うしろではじまったその音に、彼女は森のなかで足を止め、振り返る。彼女に続くイネッサの<ハイドランジア>も立ち止まり、同様に背後を気にかける。
そしてレジーナは、険しい顔を上に向けた。その視線のさきでは、暗雲立ち込める夜空に、不死鳥と鮫の攻防が激化の一途を辿っている。
赤光を放つジックの機体がいる分、その軌跡を追うのは容易い。が、地上を駆けるしかないレジーナの<エスクード>には、空中戦に興じる両者の間に割って入ることは難しい。
この場はイネッサの水龍を活用するほかない。そう考えを巡らせていると、
「ここはお願いします」
と、不意にイネッサが口を開いた。
「待て。ひとりじゃ無茶だ」
レジーナははっとして首を戻す。街に行き、グラディアートルを止める気なのは明らかだ。
だが敵は、単騎では伍することすら難しい相手。ましてや負傷しているイネッサが干戈を交えるなど、無謀にもほどがある。
「お前のあの龍ならジックを援護できる。ここは」
そう引き留めるが、
「誰かがあれを止めないと、街の被害が増します。それに――ここなら思う存分、やれるでしょう?」
と、イネッサはむしろ信頼に満ちたまなざしを向けてくる。
確かに、民家のないこの山中であれば、周辺への被害を気にすることはない。大地を司る<ノーム・レジーナ>の力を、際限なく発揮できることだろう。
「しかし……」
レジーナは渋った。陸戦を主とする自分だけが残ったところでという思いもあったが、それ以上に予感があったのだ。彼女をここでひとり行かせれば、もう二度と会うことはできないと。
するとその胸騒ぎを察したか、イネッサは柔らかく微笑んだ。
「ただの執着なんだって、わかってます。全部きれいにして、そこからはじめたいだけだって。だから」
行かせて欲しい。
わがままであるとは彼女自身わかっている。だが立たねばならない。いままで逃げ続けたのだ。あの神父の前に立ち、己の運命を切り拓かねば、このさきもきっと逃げ続けることになる。
困難に背を向けることは悪しきことではない。しかし、そのままではなにも変わらない。問題なのは決めることだ。時間は仮初の癒しを与えてはくれるが、抱えるものを解決してはくれないのだから。その結果が自分にとって望ましい結末とならないことは、彼女自身、もう嫌というほど理解している。ゆえに行くのだ。
無論、それが命をかけるに足る理由とならないこともわかっている。されど、自分には意義がある。この選択を、きっと九垓ならば鼻で嗤うことだろう。
それとも、彼もまた止めてくれるだろうか。
そう考えたところであの男はすでにいない。イネッサがそんな無意味な思索に陥りかけた時、
「――わかった。馬鹿の熱を冷まして、すぐに行く」
と、レジーナが無類の頼もしさを覗かせた。
それに頷きを返したイネッサは、天空より水龍を呼び寄せる。降り来た水龍はふたりを囲うようにとぐろを巻き、イネッサ駆る<ハイドランジア>をその背に乗せるなり、爆炎上がる京都の街へと飛翔した。
その背中を見送る間にも、神楽夜がいる方角からはしきりに轟音が響いてくる。レジーナは焦眉の急に顔をしかめ、視線を頭上へと流す。ちょうど、ジックが荒ぶる激情に任せ長剣を振るうところであった。
精彩を欠いた一閃は容易く見切られ、躱される。空中での姿勢制御に長けるシーカーリウスは嘲笑うように身を翻し、装備された艦砲より荷電粒子の熱線を放つ。夜空に走る赤い光条はものの見事にジックの<フライハイト>を捉え、激しい火花を迸らせる。
もはやジックは躱すことすらしていなかった。獰猛に吠えながら、猪突猛進に相手との間合いを詰めようとするばかりだ。
「くそがッ!」
罵声を吐き散らし、ジックは幾度目かの突撃をかけようと翼をはためかせる。と、その眼前に突如、下方より剣山のごとき岩壁がせり上がった。
「邪魔するな、レジーナ!」
ジックはその壁の麓に立つ白銀のアーキグスタフを睨みつけた。それに次いで、
「ハ。飛べもしないのに、よくもまあ」
と、鮫も嘲笑を向ける。
だがレジーナは睨み上げるだけだ。
「アービターが二体とくれば、こっちも生半可じゃいられない」
相も変わらず薄笑いを浮かべるかのように言った鮫は、その身から赤光を発しはじめ、
「悪いけど、<アクラシエル>を取り戻さなきゃならないんでね」
と、ついに禍々しい赤い花へと形を変える。
(アクラシエル……?)
あの青い機体のことか。ジックが怪訝に眉をひそめたのも束の間、
「ドライヴ・コンチネント!」
レジーナは雄叫びとともに剣を突き立て、大地を隆起させた。
といっても、切り立つように突出したのは神楽夜と灯弥の周囲だけである。灯弥との間合いを測っていた神楽夜は、そのさまに驚きの表情を浮かべた。
やがて地鳴りが収まり、せり上がった大地がテントのように親子を封じ込めたかと思えば、今度はそれを黒い膜がドーム状に覆った。外部からの物理的衝撃をエネルギー体で防ぐレジーナの技<エナジー・シェル>だ。
「なるほどねえ」
まるでこちらの弱みを把握しているかのような一手に、赤き花は白銀の騎士を煩わしげに睥睨した。
これでは、例の空間転移を使って神楽夜を急襲する算段は立てられない。親子を包んだ岩山が邪魔だ。それを覆うあの障壁は破壊できるが、相応の出力と時間がいる。しかしいま、アービター二体を相手に背中を晒すなど、愚の骨頂というほかない。
そうなれば、敵の狙いは必然的に絞られる。技を行使するレジーナ・シスルを排除すれば、あの膜は崩れ去ることだろう。
これは誘いだ。わかりやすい手だが、あの青い機体を奪還したいのなら、シーカーリウスは乗らざるを得ないはずである。
レジーナは傍らの地面に剣を突き刺したまま、盾を持つ左半身を前に、花の襲来に備え腰を落とした。
あえて自分の周囲に岩壁を築かなかったのはそのためだ。サハラの地で、はじめてあの異形の花と対峙した時に察したのである。空間を一瞬のうちに移動するあの跳躍は、押し退けられない物体がある場所には出られないと。
「そんなに死にたいんならさきに言ってくれなきゃな――」
そう言って姿を消した花は当然、
「レジーナ・シスル」
と、音もなく彼女の背後に現れる。
しかしレジーナは動じることなく、地に突き刺した剣をさらに押し込んだ。寸刻、エスクードの背後に隆々とした岩壁がせり上がる。
が、シーカーリウスを捉えることは叶わない。たちまち姿を消した花はまたも夜空に現れ、
「ハハ、怖い怖い」
と嘲笑い、コマのように回転しながら荷電粒子の閃光を乱射する。牽制の意図すらない単なる破壊行動だ。着弾した山中からは火の手が上がった。
そこへジックが咆哮を上げながら、炎の鞭と化した長剣を振るうが、しかし決定打足り得ない。花は再び空間を跳躍し、今度はジックの直上に現れる。
「くそッ!」
それを察知し、ぎろりと睨み上げたジックだったが、遅かった。
咄嗟に燃ゆる羽を閉じて全身を覆ったものの、花はまるで獲物に群がる獣のごとく、さまざまな角度から一斉に<フライハイト>の装甲を食いちぎっていく。まとった炎が障壁となったのが幸いし、甚大な損壊を被ることだけは免れたが、このままでは羽を失い、無惨にも墜ちるだけだ。
「ちょこまかと!」
ジックは怒声を発するや否や、煉獄の炎を身にまとい、力任せな突破を試みた。
「ヘリオスッ! ブレイザァア!」
あわよくば花弁のひとつでも斬り抉りたいところであったが、やはりシーカーリウスにとって躱すのは容易い。一心不乱に振るった獄炎の剣は、虚しく空を斬る。
「くっ」
包囲を抜けられたものの、ジックは悔しげに歯噛みした。
そこへ、
「それは通らないなあ」
と、またも赤光が群がる。
食いつかれたが最後、次元の彼方へと引きちぎる必殺の牙だ。空間転移を繰り返し、四方八方から貪り食う花であったが、しかし、すぐにジックから距離を置いた。
なにより驚いたのはジック自身である。この時ばかりは復讐の情念も下火になっていた。
「これは……」
自機の周囲を覆う黒く半透明な膜には覚えがある。はたと眼下を見やれば、黒く輝く盾を構えたエスクードが、花のほうへ顔を振り向けるところだった。
「まったく、厄介この上ないよ、アービター」
夜天に咲く花は心底煩わしげだが、どこか楽しげでもある。
そんな相手に、
「だったらさっさと退くんだな。こっちも、お前の相手をしてる時間はない」
と、レジーナは冷ややかに返した。
「ああ、そうだねえ。そうできればいいんだが……。ニンゲンってのは自由でいい」
それまでの調子から一転した羨望とも取れる言動に、ジックらは訝しげに眉をひそめる。
花は続けた。
「果たすべき使命もなく、思うがままに生き、そして死ねるんだ。――ああ、まあ、俺は死ぬのはごめんだけどねえ。幸福なことだとは思わないか、ニンゲン?」
「つまりなんだ、シーカーリウス」
レジーナは辛辣なまなざしを送る。
「なに、簡単なコトさ。命をかけられるものなんて、この世にはそうありゃしない。そんだけだよ」
その物言いは、ジックの激情を再燃させるに充分だった。
「貴様が言うか! アルマは貴様のせいで!」
そう叫ぶが飛びかかりはしない。いくら頭に血が上っていても、さすがにもうわかっている。けれど怒りのやり場がなく、荒々しく剣を薙いだ。
シーカーリウスはその様子を冷ややかに横目で見る。
「だから余計にわからない。バックアップもできないのに、なんで君らを守ったのか」
すると、
「だからじゃないのか」
レジーナはそう断じた。
花は「うん?」と彼女に興味深げな視線を落とす。が、レジーナはそれ以上語らない。ただ睨み上げるだけである。
その姿勢から、シーカーリウスは言わんとするところを察した。
「それだけの価値があったって? ――フン。まあ、俺たちマキナに命なんて概念はないわけだが」
「だってのに死ぬのは怖いのか、シーカーリウス?」
まるで煽るように続けるレジーナに、ジックもいよいよ怪訝に彼女を見やった。
そして確信する。この女は冷徹に、伏して機を窺っている。
「ああ、もちろん。それが君ら命ある者の強さでもある。いままで散々見せつけられてきたんでね。だから――手心を加えるつもりは、ない」
花が不気味にそう告げた瞬間、地上にて身構えていたレジーナは己の失策を悟り、目を見開いた。
花の中央にある顔、あんぐりと開けられたその口に収まるネビュラ・クォーツより、青い光の膜が球状に広がり、花を中心とした一帯を呑み込みはじめたのである。敵の強みはあの空間跳躍にこそあると決めつけ、背を守るため築いた岩壁がここに来て仇となった。退路はない。森も大地もその光に触れた途端、問答無用に抉り取られ、無へと帰していく。
全身の守りを固めようと思考は走るものの、それよりも早く光は迫り来る。レジーナはただ、眼前に迫る死を睨み続けるしかない。
と、
「ぐっ!?」
突如として赤き閃光が視界の隅より尾を引いて、迫り来る光の面の下を掻い潜り、正面から腹めがけ突っ込んできた。
彼女はなにが起きたかを理解できぬまま、体が腹からくの字に曲がるほどの衝撃に引っ張られ、背中で岩壁を突き破る。岩壁は間を置かず轟音とともに崩れ落ち、表面をスプーンですくったように抉られた山肌に、砂塵を高らかに舞い上がらせた。
その喧騒を最後に、夜空は静寂を取り戻す。さきほどまで喚いていた不死鳥の姿はない。白銀の騎士を連れ去り、いまは砂塵のなかだ。
花は神楽夜たちを内包する岩の檻を一瞥する。その守りがいまだ健在であるということは、仕留め損なった証左だ。だが、一時なれど時間はできた。
シーカーリウスはゆっくりと機体の正面を檻に向けると、中央にある顔のくぼんだ両目に、禍々しく赤い光を点らせた。




