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第十七話「友の呼び声」①

 神楽夜(かぐや)が瞼を上げると、そこは、青い光の帯が飛び交う、まるで果ての見えない亜空間であった。

 バーコードのような模様を浮かべるその帯は、時に真っすぐ、時に湾曲しながら飛び、いずこかへと去って行く。光の帯たちは、細い糸に見えるくらい遥か遠くまで存在しているようで、細かな編み目を形作り、見渡す限りのすべてを覆い尽くしている。そのなかに光冠のような青い光の環がところどころ見受けられるが、それさえもおそらくは、あの光の帯が織り成しているのだろう。

 その幻想的景観は、ごみごみとした現世からあまりに乖離している。この場には、長い時間のなかで蓄積された、知性の集合が眠っている。そんな気さえ、神楽夜に抱かせた。

「こ、こは……」

 怪訝な面持ちであたりを見回せば、

「繭のなかだよ」

 と、どこからともなく少年の声がする。

 振り向いた神楽夜は目を見張った。

「サク……!」

 そこには間違いなく弟の朔夜(さくや)がいた。宙に浮いてはいるが首はついているし、なんらおかしいところはない。神楽夜のよく知る、朔夜である。

 けれども、ここにこうして朔夜がいるからといって、外の現実が変わるわけではない。

 繭に取り込まれるその寸前、突如襲いかかった鍾馗の凶刃によって、朔夜は確かに首を刎ねられた。つまり朔夜にはもう、戻るべき体がない。

「サク……サク、私」

 額に手を当て、絶望に凍った顔を伏せる姉に、

「いいんだ、姉ちゃん。いつかは、こうなるしかなかったんだから」

 と、朔夜はまるで悟りでも開いたかのように言う。

「こうなるしかって……でも、どうして老師が!」

 取り乱す神楽夜に対し、朔夜は侘しげなまなざしを静かに伏せた。

「爺ちゃんは、悪くない」

「だって!」

 この期に及んで、自らを手にかけたあの男を庇う道理などない。神楽夜は噛みつくように声を荒げるが、直後、

「僕が運んで来たんだ」

 との脈絡もない弟の言に熱を失った。

「え?」

「僕が、運んで来た。この繭をよみがえらせるために必要なものを、僕が」

 すっかり話が見えなくなった神楽夜を放って、朔夜は続ける。

「ずっと、怖かった。段々と自分の頭のなかに、見たこともない景色や人の顔が増えていって。僕じゃない誰かが僕を、僕の体を動かすんだ。――(これ)は、はじめからこうするつもりだった。いつか姉ちゃんを見つけた時、完全な形に戻れるように。時の狭間に落として行かざるを得なかった自分の一部を、こいつは、自分を倒しに来るアービターのなかに潜ませていたんだ。それを、僕が!」

 朔夜の弁は徐々に熱を帯び、閉口する神楽夜に向けたその目には自責の念が浮かんだ。

「サク、あんた……」

 なんと声をかけてよいかわからずそう絞り出したが、その矢先、突として朔夜は胸を押さえ、その場に跪いた。

「サク!」

 駆け寄りその両肩を支えれば、朔夜の息は荒く、眉間には深いしわが刻まれている。

「もしかして、体が」

 神楽夜にはそれしか思い当たる節がない。肉体を失ったいまの朔夜は、魂や精神といった、そんな不確かな存在ではないのか。

 しかし、当の朔夜は頭を振る。そして苦しげに口を開いた。

「まだいまは、僕がいる。……でも、これの意識がきっとすぐ、僕を塗り潰す。その前に」

 弟の腹はすでに決まっている。向けられた炯眼がそれをなによりも物語っている。もう、後戻りはできない。

「サクヤ……」

 神楽夜は悲哀をにじませた。

「そう……僕は、サクヤだ」

 噛み締めるように視線を下ろした朔夜は、なおも険のある顔つきでゆっくりと立ち上がった。それを神楽夜は追い、顔を上げる。

「僕にはもう、ここしかない。ひとりじゃ抑えきれない。でも、姉ちゃん――姉ちゃんがいてさえくれれば」

「私は……」

 いま一度決断を迫られた神楽夜は、両の手を握り締め、苦渋の面持ちで頭を垂れた。

 まだ追いつかないのだ。いまこうして話をしていても、この繭から一歩でも出れば、首を刎ねられた弟の死体が待っている。それがまるで嘘のようで、怒りや悲しみよりもただ、動揺が胸の内を覆い尽くしてならない。

 しかし、養父を止めるという決意に変わりはない。いま、それすら揺らいでしまえば、弟の犠牲は本当に無駄なものになる。

 神楽夜は握り締めた己の拳を見下ろした。

 威武灯弥も翳祇鍾馗も、そして自分も、過去という亡霊に取り憑かれた愚か者である。みなうしろばかりを見て、進むべきほうを見ていない。いつかの自分を救いたいがために、ひとり身勝手に足掻いているだけだ。

 否や、それならまだいい。

 そのために、誰かの未来を奪うようなことがあってもいいものか。

(――違う)

 責任から目を背けるなとアレスは言った。確かに自分は逃げているだけだった。果たさねばならない使命のため、あらゆる犠牲を覚悟しなければならなかった。

 しかし、やはり彼女は思うのだ。どんな理由があっても、他人(ひと)の命を奪っていい理由にはならないと。

 ――敵はそうは思ってくれんぞ。

 瞼の裏に浮かんだアレスの背中がそう言う。

 そうかもしれない。されど彼女は、

(でも)

 と、その影を睨みつける。

(この世界は、たくさんの命がめぐり、できている。それが輪っかだというのなら。つないでいくことが人の営みだというのなら――)

 両の拳を爪が食い込むほど強く握り締め、神楽夜は毅然と立ち上がった。それを見つめる朔夜のまなざしに、

「行こう、サク」

 と告げるその紅き瞳には、悲しく燃える意志の炎が揺れている。

「うん、姉ちゃん」

 そうして姉弟は、空間を呑み込んだ青き閃光に包まれていった。

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