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第十三話「神が定めし運命なれど」⑨

 さきほどまでいた大部屋と同じ内装の通路を、イネッサはビリエラのあとに続き進む。この荒涼とした土地で、修道女というのはやはり珍しいのだろう。その間にも、すれ違う構成員からうやうやしく頭を下げられたり、祈りを捧げられたりした。

 ビリエラは男ばかりと言ったが、行き交うのは剛三郎と歳が変わらなさそうな少女からしわくちゃの老婆まで、肌の色も含め実に多様な人種であった。そしてその誰もが例外なく、大なり小なり銃器を携えていた。

 ここは戦地であると、つくづくイネッサは思い知る。

 自分の身に降りかかった災難とビリエラたちが向き合っている現実、それらは不幸な偶然という点で一致する。

 しかし、それらはすべて来世のための修行であるのだ。現世に生きる命はその善行によって霊格を上げ、より高い次元で次なる命へと転生すべく生きるのである。

 よって苦難はすべからく与えられる。生きるうえで困難が多いのは、その道を選んで転生してきたためだ。

 そして死は救済である。終わりではなくはじまりである。ゆえに恐れることはない。

 それが、イネッサが信じてきた教義。父母から教わった心の拠り所だ。

 けれど。

 ――ここじゃあな、命なんてのは飯代より安いんだよ。

 脳裏によみがえる九垓の言葉に、イネッサは苦々しく歯噛みする。

(そんなの……)

 彼女たちに当てはめていいのか。九垓の言うように、明日には死ぬかもしれないのに。それもおそらく、華々しく天寿をまっとうするとはいいがたい死に方で。

 死は救いであり次はきっと報われるなどと、そんな言説を聞けば、きっと彼女らは嚇怒(かくど)することだろう。

 それとも、名誉の死と尊ぶだろうか。

 イネッサは先導するビリエラの逞しい背中に懊悩煩悶(おうのうはんもん)とした視線を向けた。

 階段を下りるにつれ、人の気配は少なくなっていく。

 空調が作動しているのか、風音がこもったような低音が絶え間なく続く。そのなかで時折、どこかの階層から、なにかを叫ぶ誰かの声がかすかに聞こえた。

 それ以外の音といえば、グレーチングの床を小気味よく鳴らすふたりの靴音だけだ。

 イネッサが自身の足元を一瞥すれば、床下には数多の管がうねっていた。壁の様子は上階から変わらぬものの、床は徐々に簡素な造りへと変わっているようである。

 と、さきを行くビリエラの姿が左へと吸い込まれるように消えた。

 小走りで追うと、壁沿いにある両引きの自動ドアが解放されたままになっていた。そこから四メートルほど奥に向かって暗い通路が伸び、ビリエラは、そのさきの明るみに立ってイネッサを見ていた。

 微笑みながら手招きするビリエラにイネッサは従った。

 暗い通路を抜ければ、そこは、巨大な縦穴を横断する、鉄でできた堅牢なつり橋だった。縦穴の随所に取りつけられた照明の白い光が、つり橋をさまざまな角度から照らしている。その明かりのおかげで、縦穴のなかはつり橋の周囲だけが影に呑まれずにいた。

 つり橋の床は、ここまでの通路に同じく鉄格子である。イネッサが躊躇いとともに足元を見やれば、大小さまざまな鉄管がなにかの血管のごとく壁を伝い、深淵に向かって落ちていた。

 眼下の闇からぼうっと上がってくる風は、うめき声のような音も相まって気味の悪い柔らかさである。

 再び響きはじめたビリエラの靴音にイネッサは顔を戻すと、少し足早に彼女の背を追った。

 つり橋の右側を見れば、砂がひと筋の滝のごとく落ちてきている。出どころは見えない。いったいどこまで高さがあるのかわからないのだ。眼下と同様に暗黒と化した頭上から、その砂は音もなく闇から闇へと落ちていく。

 イネッサは歩きながらその流れを目で追った。

 砂は、眼下の壁から突き出た、金属でできたらしい水車のような歯車を経由し、落ちていた。

 果たして、砂の勢いにゆっくりとまわる小さな水車は、なにかの動力源として役立っているのだろうか。

 つり橋から対岸に渡ると、そこには、これまでと同じ両引きの自動扉が待ち構えていた。先行して扉を抜けたビリエラに続き、イネッサはなかへと入った。

 すると、彼女らの入室を検知したらしい室内は、自動で天井中央に埋め込まれた四角い照明を緩やかにともし、内部を明らかにした。

 室内の大まかな造りは九垓といた大部屋と大差ないが、そちらほど広くなく、八畳ほどしかない。

 壁には西欧風の柄のタペストリーがいくつも磁石で掛けられており、床には古書が横積みにされ、散乱している。背表紙の題目を見る限りは戦術書よりも欧州の文化に関するものが目立つ。

 この部屋における彼女の行動パターンは決まっているのだろう。積み重ねられた書物たちの合間にできた、まるで獣道のような空間を、ビリエラはすいすいと抜けて行く。そしてその傍ら、右手にある簡素なパイプ・ベッドに、携えてきた短機関銃を立て掛けた。

「ここは……」

 見渡しながら訊くイネッサに、

「アタシん部屋」

 とビリエラは足を止め、邪気のない笑顔で振り返る。

「こっち」

 そう顎で呼んだビリエラは、部屋の突き当りに掛けられた丈の長い暖簾を押し分けるようにして、その奥へと姿を消した。

 しかし明かりがともる様子はない。揺れる暖簾の合間からちらりと覗いた暗い奥の間に、イネッサは深呼吸をひとつして気合いを入れてから、恐る恐る踏み込んだ。

 暖簾の片側を右手で押し分け、頭を入れる。

(あ……)

 イネッサの背後から差し込む隣室の明かりが、薄暗い室内の様子をかすかに浮かび上がらせた。

 その部屋も八畳程度の大きさで、ビリエラの姿は、出入口から真っすぐ続く壁沿いに置かれた長テーブルの前にあった。テーブルに向かってなにやら手を動かしているようだが、それよりもさきに目についたのは、部屋の突き当たりの壁に目線の高さでぽつりと浮かぶ青色の四角形のほうだった。

「見てみな」

 言われるがまま、イネッサはビリエラの背後を横切る形で、その四角形に向かってゆっくりと歩を進める。それをビリエラはさして気にする様子もなく、長テーブルの上をしげしげと見回し続けた。

 四角形が手が届く距離に至り、それが覗き窓であるとわかったイネッサは、青い光の正体を知りたい好奇心に身を預け、やや背伸びがちにそれを覗き込んだ。

 直後、彼女は思わず感嘆の息を漏らし、青い光を反射する目を見開いた。

 六十センチ角の小窓の向こうには、果てが見えぬほど巨大な円形のプールが広がっていた。青い光はその底から放たれているらしく、溜められた液体全体が鮮やかな青に輝いている。頬を窓ガラスに寄せて上を見ても、白を基調とした円蓋状らしき天井には、照明のような機材は見受けられない。この空間を青く照らしているのは、水中からの光だけのようだ。

「どっから行けんのかわかんないんだよねえ」

 不意に言葉を発したビリエラにイネッサが首をねじ向ければ、彼女はちょうどマッチ箱からマッチを一本取り出し、火をつけるところだった。

 ビリエラは火のついたマッチ棒を長テーブルの端に置かれたオイル・ランタンに近づけ、火を灯す。そして、

「こういう部屋ほかにも結構あるんだけど、あの場所に行く道が見つけらんなくてさ」

 と言いながら、手首を素早く振ってマッチの火を消した。

 揺らめく灯火に長テーブルの上に乗ったものたちが照らし出される。イネッサは体をビリエラに向けながらその名を口にした。

「サボテン……」

「育ててんだ」

 ビリエラは得意そうに笑みを浮かべたかと思いきや、沈んだ顔つきで長テーブルに視線を落とした。

 色も形も異なる素焼きの鉢に収まった小ぶりなサボテンたちは、まんじゅうのように丸々としたものもいれば、あるものは横から見ると上に引き延ばされた菱形のようであったりと、みな奇妙だ。

 全部で二十一個。それらに注ぐビリエラの眼差しは、ランタンの(あか)りに儚く揺らいだ。

「毎年一個ずつ増やしてる。って言っても、ちょうどいいのが見つかんない時もあるから、そん時はズルして次の年に、とか」

 ビリエラは長テーブルの手前に両手を置き、うなだれる。彼女の言わんとするところは見えないが、がくりと首を垂れたその横顔から寂寞(せきばく)の情を感じ取ったイネッサは、ただ黙して言葉を待った。

 やがて、

「男どもに見せてもさ、馬鹿にされるだけだから」

 と、ビリエラは自虐的な笑みを漏らしながらイネッサを一瞥した。

 それでこの場所につき合って欲しかったのか。しかし、構成員に女性が皆無というわけではない。ここに来るまでに幾度となくすれ違っている。

「どうして私を」

 連れて来たのか。このような私的な場所に招くのならば、部外者の自分より仲間の誰かのほうが適役だろう。もしかするとそういったつながりは薄いのか。イネッサは怪訝な面持ちで訊いた。

 ビリエラは束の間、手元のサボテンたちを眺める。するとやがて、

「なんか――どっか行きたそうだったから」

 と、妙な答えを返した。イネッサとすればそんな考えを抱いた覚えはない。掴みどころのないビリエラの言動に、イネッサは困惑の色を浮かべる。

 と、

「アンタ、次はどこに行くの?」

 打って変わってしおらしい様子で、今度はビリエラが首を向けた。

「どこ……」

 そう言われてもイネッサに行く当てなどない。神楽夜たちの旅に同道しているのは、マシューと同様、己の生きる道を探すためといっても過言ではないのだ。

 その心中を、ビリエラは言い淀む彼女から察した。

「そういや、道に迷ってるとかクガイ(あいつ)言ってたっけか」

 朗らかに言いながら床に腰を下ろしてあぐらをかき、こぢんまりとしたサボテンたちを見つめる。その様子を目で追ったイネッサは、

「それは、そう……ですけど」

 と、彼女と同じく長テーブルの上へ視線を流した。もはやイネッサに否定しようという反抗心はない。

「いいじゃん。いくらでも選び放題ってわけだ」

 ビリエラは心からの声援とともに笑顔を弾けさせ、惑い立ち尽くすイネッサを見上げた。その屈託のない態度は、イネッサをここに誘った時から変わらず邪気がない。

 彼女の言うとおり、行こうと思えばどこにでも行ける。至極単純な話だ。しかしそれゆえにイネッサは思い悩む。自分には神楽夜のようになさねばならぬこともなければ、マシューのように己の信じる正義もない。

(いくら選べるって言ったって)

 どうありたいかという願いがなければ、そもそも前に進みようがないのだ。

 アービターの証が自分を選んだ意味。それを見出すことが己を定める早道である。そう期待して、とにかく行動したことに後悔はない。が、改めて「どうしたいか」と問われると、イネッサはなにもない自分にひどい焦りのようなものを覚える。

「ビリエラさんは、故郷を取り戻したいんですよね……」

 イネッサは片手で自分を抱きながら、サボテンを見つめたまま訊いた。

「まあね。でも、悪いことばっかでもないんだよ。連合の一部になって、街はどんどん豊かになってさ。一番よかったのは、水が飲めるようになったことかな」

「水、ですか」

 アフリカ大陸における水道の普及率は世界的に低かった。主要な都市およびその近隣地域でようやく五割から六割程度の普及率である。これが都市から離れるにつれぐんと下がるのだが、たとえ都市部で水道が利用できたとしても、それはお世辞にもきれいな水とはいいがたかった。

 連合による平定は、浄水設備を整えるなど、インフラ整備の面で課題が山積していたかの地に潤いを与えた。誰もが清らかな水を得られる環境構築での意味はもちろん、大陸規模での水道施設の建設という一大事業は現地人の雇用を創出し、彼らの生活をも豊かにしたのである。

 当然、事業の主力となるグスタフの販売数も軒並み上昇した。そこは連合の下心である。もともとグスタフは軍用としてではなく重機の発展型として考案された経緯があり、新たな市場を開拓する面でも、未開のアフリカ大陸は魅力的であったのだ。

 いわずもがな、抱えきれない不要な人間を放逐する流刑地としても、である。

「うん。でも、やつらはやりすぎた。いくら水がきれいになったって、そこに生きる人が血を流してちゃ、幸せになんかなるわけない」

 ビリエラはランタンの揺れる火にもの悲しい眼差しを送る。

「だからさ、取り戻すんだ。異邦人どもを追い出して、アタシたちの国をもう一度」

 決意を新たに立ち上がるビリエラには静かな闘気が満ちている。

 自分を犠牲にしてでも守りたいものが、彼女にはある。神楽夜を見ていても感じたことだ。イネッサは、それを素直に羨望した。

(どうすれば)

 これだけブレない自分を貫き通せるのだろう。

「やっぱついてるわ、アタシ」

「え?」

「はじめはさ、なんでこんな時にって思ったんだけど。あいつは戻って来るわ、おまけにシスターまで連れて来るわ。神様が見てくれてるんじゃないかって、ホント思う」

 わずかだが、ビリエラは険が取れたようだった。いましがたまで漂っていた張り詰めたものが、浮かべる笑顔には残っていない。

「――ええ。神はいつもお側にいてくださります」

 ようやく修道女らしい物言いをしたイネッサを見て、ビリエラはなにがおかしいか、これまでで一番顔を綻ばせた。

「来てもらってよかった」

「私でよかったんでしょうか……」

 いまに至っても、なぜ自分が招かれたのか理解はできない。イネッサは不安げに目を伏せた。

「うん。ここに居続けるやつじゃ駄目なんだ」

 そう言って、ビリエラは長テーブルに歩み寄る。

「この子たちのこと、誰かに覚えてて欲しかった。ただ、それだけ――」

 彼女は手近にあった空の鉢をひとつ手に取った。

 それが埋まれば、二十二個目になる。

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