第十三話「神が定めし運命なれど」⑩
大部屋の前まで戻ったイネッサに反応し、鼠色の金属扉が横に素早く滑り開いた。それに気づいた九垓は部屋の中心で腰を落とした構えのまま、
「なんだ、随分暗ぇな」
と動きを止め、訝しげに彼女を見やった。その手には長さ六尺(約百八十センチ)の棍が腰だめに握られている。それが、浮かぬ顔つきでいたイネッサの興味を惹いた。
「それ……」
「あ? これか?」
九垓は手元の細長い棒を一瞥し、それをイネッサに向けてわずかに持ち上げて見せる。棒は鶯色を基調として、その両端に金色の虎の顔があしらわれている。
そして、
「こいつは九天棍だ」
言うなり、その棍棒をちょうど真ん中から分けて二本の棒とした。細さは手から溢れないほどで変わらないが、全体的な印象は、太鼓を叩く長いバチを装飾過多にしたようである。
その一対の棍はやがて青白い光へ姿を変えると、両腕のうしろを伝って肘のさきまで延び、歩み寄ったイネッサがまじまじと見つめる前でトンファーの形を取った。
「形、変えられるんですか」
「全部で九つな。九天ってのは、空を九つの方角に分けた中国での呼び名なんだと」
「中国……」
得物を青白い光へ戻す九垓の口ぶりは人づての感が否めない。
「クガイさんって中国、長かったんですか?」
イネッサは純粋な興味からそう訊いたが、九垓からすれば意外でしかなかった。面と向かえばいざこざの多かった自分に興味を示すとは、いったいどんな風の吹き回しか。
若干の戸惑いを隠しきれず、九垓は頭のうしろを掻いた。
「ん。いや、二、三年じゃねえかな――んなこと訊いてどうする」
「いえ……なんだか、人から聞いたみたいな話し方だったので」
伏し目がちに視線を逸らす彼女に、九垓は「ああ」と合点がいった相槌を返すと、
「寺にあった小難しい本に書いてあったんだよ」
と背を向けて部屋の奥へと歩き出した。
イネッサはその背に、
「お寺?」
と問いを投げる。
九垓はしゃがむなり、散らばる印刷物やら薬莢やらを中身が半端なコンテナに拾い入れはじめた。
「仕事ほっぽって、ひたすら東に逃げて、そんで行き倒れてな。山ンなかにあった寺の坊主どもが俺を見つけて拾ったんだ。んで、しばらくはそこの世話になってた」
そこでイネッサの脳裏をよぎったのは、ビリエラの自己紹介を受けた時のことである。
(そういえば)
「ビリエラさん、クガイさんのことギブリって呼んでましたよね」
何気ない問いかけのつもりが、九垓には面倒だったようだ。ごみを拾い集める手をぴたりと止めるや、
「……よく覚えてんな」
鬱陶しそうに眉をひそめた顔をねじ向け、それをすぐに戻した。
「ギブリはここにいた時の名前、だな。いまのは、寺の坊主からもらったモンだ」
閑静な山寺は、行き場を探す少年にとっておあつらえ向きの環境だった。
戦場で人を殺すこと以外に生きる術を知らなかった少年は、寺の住職たちと暮らしをともにするなかで不殺生のなんたるかを学んだ。
戦場で生きたがゆえ、命の儚さこそ知ってはいる。だが、戦い、殺し、勝ち取ることがもはや習性といって過言ではなかった彼には、坊主どもが説く不殺生戒の考えをその身に馴染ませるのは至難のことであった。
「あんまりにもあいつらの言ってることが肌に合わねえっつうか。寺の連中、<殺し>はしねえってさ。思い出したくもねえが、あん時は正直、お前みてえだったよ、俺」
九垓は自嘲した。しかし、「お前みたいだった」と言われたイネッサとしては面白くない。
「それ、どういう意味ですか」
すぐにむくれっ面になった。それに九垓は、
「苦しんでたってこった」
と、半ば投げやりに答え、続けた。
「坊主どもの考えに、<苦界>ってのがあってな。苦しみの多い人間界って意味らしいんだが、俺の悩んでる姿が、まさにそのまんまだとよ」
九垓はひととおり詰め込んだコンテナを軽々と持ち上げ、すでに壁沿いに置かれているコンテナの上に重ねた。気づけば、あれだけ取っ散らかっていた室内はものの見事に片づいている。九垓はイネッサたちが去ったあとにひとりで片づけていたわけだが、いまのがその最後のひと仕事であった。
「んで、天地の果てって意味の<九垓>をかけたってわけだ」
九垓は壁を向いたまま言った。
「天地の、果て……」
「苦しみから解放されて、天地の果てまで思いのまま、自由に生きられるようにってな」
イネッサからは、そう言う彼の広い背中しか見ることができない。幼き日より命のやり取りをさせられ、その身ひとつで生き抜くしかなかった男の背中だ。
おそらく彼は必要な時に必要な助けを得られなかったのだろう。だから、最後に残った信じるに足るものは、己と、そして金だけだったに違いない。
――それで被害者面してんのが気に食わねえ。
イネッサの脳裏に、フランスの基地で九垓に言われたことがまたもよみがえった。
(この人は)
少なくとも出会ってから、自分の悲運を嘆くような素振りを見せたことはない。むしろ、確固たる己を抱いて突き進んできたようだった。だからイネッサはこの男を苦手としてきたのだ。
しかし、いまでこそイネッサは、しばしば彼が見せた打算的な言動に、同情に近しい感情を抱く。
そして、こうも思うのである。
(全然、遠くなんかない)
と。
その背中が、これまで以上に近くイネッサには感じられた。
「――ったく、ただの言葉遊びじゃねえか。なあ?」
肩越しにそう訊いて呆れたふうに笑う九垓の横顔には、これまで見たことのない寂寥たる気配が感じられる。
ゆえに訊かずにはいられなかった。
「どうなんですか」
この地を訪れて、ビリエラと再会してからの彼は、どうにもこれまでの印象とは違って見える。自分と金をなによりも信じているような傭兵然とした対応だけでなく、この部屋でビリエラと笑みを交わしたように、心の根が感じられる瞬間が確かにあった。
本当に「友」と呼べる者を持ちそうにないそんな男が、どうしてビリエラと親しげに話しているのか。その時から、イネッサの心中には疑問の雲が垂れこめていた。この男はただ、そういう自分を装っているだけではないか、と。
茶化したつもりの九垓は、イネッサの至って真面目な口調に言葉を選び、思案顔でわずかに目を泳がせる。
「どうって、なにがだ」
そう絞り出すように返せば、
「――自由に、なれましたか」
修道女の問いは、より鋭さを増して男の背に刺さった。
だが、その問いは自分自身に向けたものでもある。
選び放題だとビリエラは言った。そう、いまの自分はいくらでも自分の行き先を決められる。親はなく、友もなく、この身ひとつだけのさすらい人だ。
もし九垓が自由だと言うならば、認めたくはないが、その在り方、生き方に、これからの自分を考える鍵が潜んでいるのではないか。ならばこの出会いにも意味が与えられよう。イネッサはそう考えていた。
そんな思いなど知らぬ九垓は、嘆息混じりに、
「まあな」
と答えるや、すぐさま「でも」と反語を続けた。
「別になにがやりたいわけでもねえよ。なんにせ、いまは雇われの身だ。だから――」
九垓はそこで言葉を区切ると、右足に青白い炎を揺らし、さきほど見せた長身の棍を取り出して右手に握る。
そして、
「とっととはじめんぞ」
それを右肩に担ぐや首をねじ向け、右の尻目にイネッサを見やった。
けれども、対するイネッサはその意図を汲み取れない様子で、きょとんとした顔つきのままでいる。
「お前が言ったんだろうが」
困り顔で振り返った九垓にそう言われ、
「あ」
イネッサはその意味するところをようやく思い出し、かすかな驚きに口を小さく開けた。自分の得物である三叉の槍について、その扱いを教えて欲しいと乞うたのはイネッサである。が、まさか本当につき合ってくれるとは思っていなかった。
「なんだよ。いいんだったら寝んぞ、俺」
九垓は早くも投げやりだった。ビリエラたちとの作戦は夜間だ。昨晩はわずかに眠れたが、いまは少しでも仮眠を取って体力を温存したいというのが本音である。
「あ、ま、待ってください」
しかしながら九垓は、慌てて槍を取り出そうとするイネッサを退屈そうに見守った。
イネッサがすくうように差し出した両手に向かって、背中から発した青白い光が腕を伝っていく。流れ着いたその光をイネッサが軽く握ると、光は左右に伸び、やがて見覚えのある三叉の槍へと姿を変えた。イネッサはそれを胸に抱くようにして持つと、九垓を見据えた。
その槍の長さは華奢な彼女の身に余る。
「一応訊くけどな。お前、なんか経験あんのか? 剣とか」
アービターの証が所有者に与える力は、その者の心の在り方に沿ったものであるというのはレジーナの言だが、この男はそれを本能的に理解していた。自分ならば変幻自在の棍、ジック・ブレイズであれば天馬行空の翼、レジーナ・シスルであれば絶対防御の盾である。傭兵として移り身の激しい自分に、九つの姿に変貌する<九天棍>はお似合いだと九垓は思っていた。
ゆえにイネッサには疑問を抱かざるを得ない。なぜ扱いに困るくらい長大な得物を与えられたのか。
その疑問はイネッサ自身、痛感するところである。
「いえ、ないです、私……」
彼女はそう答えながら、握る槍の柄に口惜しい視線を落とした。
教会内で異端審問を務めるかの部署ならばいざ知らず、一介の修道女に過ぎないイネッサに体術の心得などあろうはずがない。
「んじゃ基礎からか」
九垓は浮かぬ顔つきで明後日を見ながら、空いた左手でうしろ頭を掻いた。そしてそのまま思案顔で黙り込む。
槍の扱いよりもさきに体の捌き方となれば、前途は多難だ。とても一朝一夕でどうにかなる話ではない。自分が不在の間、せめて自衛だけでもできるくらいには、と考えていただけに、いまさらながら見積もりの甘さが悔やまれる。
だが、それはそれとして、九垓の表情が沈んだままの理由はまた別のところにあった。
いま彼の脳裏に浮かぶのは、異形へと変貌する神父――グラディアのことである。
あの神父はイネッサに、というより、アービターそのものに執着があるようだった。連合最大の基地すらたったひとりで襲撃するのだ。その並々ならぬ思い入れは、異端狩りの使徒が抱く単なる情熱とは一線を画す、極めて常軌を逸したものである。あけすけにいって狂っている。
そんな男がそう簡単に諦めるとは考えにくい。さすがに足取りは掴めていないだろうが、おそらくいまも自分たちの行方を探っているに違いない。だとすれば、再戦は遠い話でもないだろう。
そして、悪いことにこちらの手の内は知られてしまっている。
そう考えると九垓には、次に相見えた時こそが、いよいよ死線となる気がしてならなかった。
特に、戦うすべが乏しいこの修道女にとっては。
与えられた仕事は確実にこなす。それが九垓の傭兵としての主義である。彼女を守れという指示は健在ゆえ、少しでも自衛ができれば仕事が減って好都合なわけだ。が、相手はずぶの素人ときた。さて、どうしたものか。
などと思案に耽っているとは露知らず、
「クガイさん?」
なにやら黙然と難しい顔でいる九垓に、イネッサは遠慮がちに訊いた。
「あ?」
「やっぱり、難しいですよね?」
一瞬意味を呑み込めなかった九垓だが、申し訳なさそうにうつむくイネッサを見て腹落ちした。なるほどこの修道女は槍の教練にあたり、自分になんの心得もないことで当惑させたと思っているのだろう。
そのとおり、確かに途方に暮れている。しかしここで「そんなことはない」などと素直な返しをしてはもったいない。
「そりゃあなあ」
九垓はあえてこれ見よがしに嘆息をひとつ漏らし、困り果てた顔で天井を見上げた。日頃の諍いが多いことへのつまらない仕返しのつもりである。
だが、
「でも、ま――やんねえよりマシだな」
と、今度は打って変わって気前のいい破顔ぶりをイネッサに向けた。
イネッサはそれに消沈した顔を引き締めるや、彼としっかり視線を交わし、ひとつ、力強い頷きを返した。




