第十三話「神が定めし運命なれど」⑤
この期に及んで異を唱え出した彼女に、隣に立つ鍾馗は前進の兆しが見えたことへの安堵を引っ込め、
「割り切らぬか、カグヤ。お前とて、伊達にその刀を背負っているわけではあるまい」
と厳しい口調でたしなめる。
「これは! ……これは、護身のためだ」
はじめこそ勢いのまま返した神楽夜であったが、語尾をすぼませながらうつむくそのさまは自分に言い聞かせるようだ。いまだ呑み下せぬ心情が表れている。それを鍾馗は見逃さなかった。
「同じこと。己が身のために武器を取るのも、この者らが邦の秩序を取り戻すために連合を討つのも、どちらも守りたいがゆえの所業よ」
「だけど!」
神楽夜は顔を跳ね上げ、なおも反論の意思を見せる。が、次の言葉は出てこない。老師の言がすべて解せぬわけではないのだ。
護身のためと神楽夜は言ったが、背にしたこの刀が、襲い来た敵の命を奪わないとは言い切れない。能動的ではないとはいえ、守ることでも相手の命を脅かすことは充分にあり得る。
その考えが心の片隅で枷となっている。神楽夜はそれを、よくも悪くも、自身への戒めとして捉えていた。
そしてもうひとり、一連のやり取りに異論を抱く者がいる。
「命と引き換えにできるものなんて、ありません」
静かに、されど、毅然として言うイネッサに、神楽夜たちの視線が振り向けられた。
「誰かを殺してまで自分の欲しいものを手に入れようとするなら、連合も、レジスタンスも、私たちだって、変わりなんてないです。人殺しです」
そう淡々と訴える彼女の脳裏には、クラドノで殺めかけたジック・ブレイズの、水のなかで苦悶に歪む顔が絶え間なく再生されている。その際に知り得た「命を奪うこと」の重圧、体を内側から抉り取るような良心の呵責は、神楽夜同様、イネッサの心を縛って譲らない。
しかし、ひと口に人殺しは忌むべきことと断じても、神楽夜とイネッサは実際にこの地の惨状を目にしたわけではない。ましてや、昨日今日やって来た外様に事の是非を論じられる筋合いなどないのだ。無関係な人間の言うことだ、と辛抱してきたビリエラだったが、ついに堪忍袋の緒が切れた。
「勝手抜かすな」
ぞっと肝が冷える凄みの効いた声だった。
「連合がこの地を呑み込んで、ここは負け犬の肥溜めにされたんだ。そのほとんどは犯罪者か、もとから浮浪者だったようなやつらさ」
無秩序な異邦人の流入は文化的摩擦を生み、さらなる混乱を呼ぶ。拉致や強姦はいうに及ばず、鬱積のはけ口にテロと暴力が横行する。もともと社会情勢的に不安定な土地だからこそ、連合が併呑に際し流血を伴う強行策を採らざるを得なかった背景もあるが、やはり力による現状変更の代償は根深い禍根を残した。
「いつできるとも知れない海上都市の完成まで、この国が、アタシたちの故郷がその受け皿でいろって? 冗談じゃない!」
思いの丈を吐き出したビリエラの激怒に猛る眼差しに、正面に立つ神楽夜はあまりの威圧感に絶句した。
そして、養父が姿を消す前の晩を思い出した。雨でびしょ濡れになりながら帰って来た灯弥も、いまのビリエラと同じ目をしていた。憎悪と復讐、あるいは焦燥や悔恨といった黒い情念が渦巻いた鬼の目だ。
当時はそのあまりの変貌ぶりに姉弟そろって声をかけられなかったが、いまはそれが悔やまれる。クラドノで再会した灯弥が、鍾馗の再三にわたる説得にもかかわらず、己が目的のために邁進する姿勢を崩さなかったのは、目の前に立つ彼女のような理由があるのではないか。
向き合わねばならない。それがおそらく、自分がこの旅に出された「運命」といえるだろう。神楽夜はビリエラの直訴を受け、そう心に刻んだ。
だが。
「それでも、人は殺さない」
神楽夜は言い切った。ここで退けば、養父に対峙することはできない。
過去の不在を前に、闇の上に立つような不確かさを感じ続けてきた。己の心情すらも嘘に思えてならなかった。されど神楽夜は、ようやく得心が行ったこの意志らしき心を、貫き通してみようと己に決めた。
「お前な」
九垓は嘆息混じりに振り返るなり神楽夜に詰め寄った。
「明日にでも死ぬかもしれねえってやつに、よく言えたな」
「だから殺していいって?」
いまにも食ってかかりそうな態度で神楽夜の詰問が飛ぶ。
「ここじゃあな、命なんてのは飯代より安いんだよ。みんなお前みたいにぬくぬく生きられるわけじゃねえ」
「はあ?」
よくもまあ知ったような口を利いてくれた。こちらとて理不尽を乗り越えてここまで来たつもりである。神楽夜はふつふつと沸き起こる怒気を孕ませ、見下してくる九垓を睨み上げた。
九垓は冷ややかに受けて立つ。
「自分だけ綺麗でいようだなんて、とんだご都合主義なんだよ。いつまでも生娘気取ってんじゃねえ、気持ち悪ぃ」
その途端、神楽夜は赤い瞳を無表情に大きく見開きながら息を吸った。そして、自分のなかでなにかが弾け飛ぶのを錯覚した。
腕を伸ばせば、この男の首がある。
自分の意に反する邪魔者は消せばいい。そう、あの時のように。
心の隙間に甘く滑り込んでくる魔のささやきに乗って、神楽夜は人間の動体視力では到底追えぬ速度でもって、拳を――。
「そこまでだ」
と、鍾馗の言葉に遮られ、神楽夜はふと我に返った。横の鍾馗を見やれば、憐れむような眼差しを向けている。
「戻るぞ、カグヤ」
鍾馗が穏やかに告げるその声色に幾ばくかの同情を感じ、神楽夜は黙してうつむいた。
自分の考えが間違っているのか。その問いに自ら「否」を突きつけられる根拠を、神楽夜はまだ持ち合わせていない。唯一あるのは、命の奪い合いは愚かしいことだという感触だけだ。
しかし、それすらもいまの一瞬は危うかった。九垓に抱いた激情に、ともすれば呑まれかけた自分の弱さに、神楽夜はただ自省するほかない。
神楽夜は鍾馗に促され、うなだれ気味に踵を返す。それを、
「作戦が終わるまでは、アンタらもここにいてもらうよ」
とビリエラは冷淡に制した。言い終える間もなく、無傷であった彼女の随伴三人が銃口を神楽夜たちに向ける。
「おい、言ってることとやってることが違うだろ」
九垓はビリエラに非難がましい顔をねじ向けた。彼女はさきほど「いまさらバレたところで」と言ったばかりである。ここで神楽夜たちを拘束することに、それこそ、いまさらなんの意味があるのか。
「用心に越したことないからね。お茶くらいは出せるからゆっくりしてきなよ」
とても銃を向けて言う文句ではない。
「やめとけって。こいつら日本から来たっつったろ」
神楽夜はともかく、鍾馗の実力はすでに目の当たりにしたはずだ。九垓は、ビリエラの性懲りもない行動を困惑した様子で止めた。
「だからなんだってさ」
ビリエラの言う「用心」にはふたつある。
ひとつは艦に戻って連絡を取られることへの用心。彼らが連合の密偵でないという確証が得られぬ以上、たとえ作戦を強行するにしても不安要素は残したくはない。
そしてもうひとつは、人質とし、九垓が作戦途中で離脱しないようにするための備えである。所詮は金でしか動かぬ傭兵であると、ビリエラは九垓の性分を熟知している。
それに、目の前の老人に遅れを取ったのは、九垓に不意を衝かれたためだ。正面から囲んでしまえば、九垓が手を出さぬ以上、残るは女ふたりだけ。その九垓とも、口約束とはいえすでに契約を結んでいる。約束には義理堅い彼の一面も織り込んだうえで、ビリエラはそう考えていた。
けれども、
「悪いが戻らせてもらう。艦に残してきた者らに、お主らが協力してくれると伝えねばならんのでな」
止まらぬ鍾馗の歩みに、ビリエラは握った銃を突き出した。
だが、喉元まで出かかった「動くな」という台詞は、驚愕の息とともに吞み込まれる。
手元の銃を見て目を丸くしたのはビリエラだけではない。鍾馗と神楽夜に銃を向ける全員がそうだった。
銃口すべてに刺し込まれた黒光りするクナイは、この老人がさきほど使っていた得物に違いない。いったいいつ仕込まれたのか。音もなければ、銃になにかが触れた感触もなかった。なによりこの老人は一歩たりとも、あの黒髪の娘の横から動いていないはずだ。
呆然と立ち尽くす一同を置き、鍾馗らの乗った黒いホバーバイクは黎明の砂漠へと走り去って行く。
「見えねえなあ。さすが、カゲルギの大将か」
腕を組み、渋い顔で見送る九垓のつぶやきを聞いたビリエラは、
「カゲルギ……」
と眉をひそめた。歴史の知識がなくとも、一介の戦士であるなら、その悪名を知らぬ者はいまい。地球を裏切り、世を分断したとされる影の名前である。
ビリエラは使い物にならなくなった手元の短機関銃をいま一度見つめる。
九垓の言がすべて誠と決まったわけではない。が、疑う余地もない神業を見せつけられ、ビリエラは、彼の話をいささか以上に信じざるを得なかった。




