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第十三話「神が定めし運命なれど」④

 床に就く前に神楽夜から聞かされた身の上話を夢に見ていたイネッサは、テントの外から聞こえる数人の話し声に目を覚ました。

 実に不機嫌そうな面で寝袋を出て、上体を起こす。イネッサは決して朝に弱いわけではないが、ここ数日の不規則な生活が災いしていた。眉間に刻まれたしわは、それによる頭痛を堪えている印である。

(あれ……)

 ふと見れば、隣の寝袋はもぬけの殻だ。

 なるほど、外から聞こえた声は神楽夜たちのものか。そう納得したイネッサは這いつくばって出入口まで行き、紺色のテントの薄い布膜を閉じるファスナー持ち上げた。

 イネッサのつまむファスナーが左上へ弧を描いて進むうち、緊張を解かれた出入口の布膜が、音もなく奥のほうへと垂れた。

 するとテントの前に、目にゴーグルを着け、口元をバンダナで覆い、あまつさえ小銃を携えた何者かが、じっとこちらを見て立っているではないか。

「ひ!?」

 イネッサは寝ぼけ眼をひん剥いた。寝床から出てすぐそんな人間と鉢合わせしては、慣れぬ者なら誰でもそうなる。

「いやッ!」

 身を強張らせてきつく瞼を閉じ、顔を背けながら豪快に尻もちをつく。そしてイネッサは顔の前で両腕を盾にした。

(なんで、こんな)

 ようやく前に進めると思ったのに、どうして。悪夢のごとく急転した現実に、イネッサがそう無念を抱いた直後である。

「あ、起きた?」

 危機のただなかにあるイネッサとはあべこべな調子で、神楽夜がテントの出入口から顔を覗かせた。そのうしろから、

「なにやってんだ、お前」

 と姿を見せた九垓も同様である。

 なにやら呆れたような声色にイネッサが気抜けた顔を上げると、いましがた驚かされた武装した人物は、なんと手を差し伸べてきた。その手を取っていいのかわからず、困惑するイネッサの視線は差し出された手と九垓とを行き来する。と、そのまたうしろから褐色肌に坊主頭の人物が現れた。

「シスターじゃない。なに、巡礼?」

 その女は珍しい動物でも見つけたように言うや、イネッサに歩み寄る。それに伴い、さきに手を差し伸べていた人物は道を譲って脇に捌けた。

 女は尻をついたイネッサの前で片膝をつくと、右肩にショルダー・バッグのようにかけた短機関銃のベルトを左手で軽く引き寄せながら、

「ビリエラ。アタシたちは<ブードゥーの風>。ギブリ……ああ、いや、クガイから聞いてない?」

 と右手を差し出した。

 その手は油に汚れ、特に爪の間などは黒々としたものだったが、

(似てる……)

 幼き日に見た母の手に、ひどく近いものがあった。

 イネッサは感慨深げに見つめ、躊躇することなく彼女の手を取る。ビリエラと名乗る女は易々とイネッサを引っ張り起こした。

「ってなわけで、ビリエラ。ギリアムに会わせてくれねえか」

 九垓はビリエラの背に訊いた。イネッサが目覚めたのは、九垓と鍾馗がビリエラたちを制圧して間もなくだが、その間にかいつまんだ事情は話していた。寝起きのイネッサが耳にしたテントの外の会話がそれだ。

 ギリアムとはレジスタンス組織<ブードゥーの風>を束ねる男の名である。数年前、反連合派の少年兵としてこの地を駆けることになった九垓の、最初の雇い主だった。当時名前のなかった九垓に、アフリカ北部に吹く熱風を意味する<ギブリ>と名づけたのも彼である。

 地球連合軍は十七歳から士官学校に入ることが可能だが、十八歳に満たない者の徴募は認めていない。しかし、兵力に乏しいレジスタンスのような組織は別だ。撃てる銃の数を増やす目的だけで、捨て駒同然に投入する。

 九垓が初めて経験した戦地もその例に漏れない。ギリアムは、そんな状況下においても突出して戦果を挙げるギブリこと九垓の「兵士の才能」に目をつけ、重用した人物のひとりだった。

 それは、ともに同じ戦場を駆けたビリエラも知っている。

「ギリアムは死んだよ」

 イネッサに面するビリエラは背を向けたまま、首だけをわずかに横に向けて答えた。「買い物に行ったよ」とでも言うかのような軽快さである。その端的な物言いには、死という言葉の重みに反してあまりにも感情らしきものがない。それに、

「なんだ、そうか」

 と、別段惜しくもない様子で応じる九垓である。

 彼らの関係性をイネッサは知らないが、とはいえ目の前で交わされるやり取りの温度に、違和感を禁じ得なかった。

 ――死んだら終わりだ。

 いつぞや九垓はそう言っていた。それは、命の重みを知っているからこその言葉だと、イネッサは思ってきた。けれども、いまの九垓たちの会話にはまるでそれが感じられない。むしろ軽んじているふうですらある。

 ――そうやって生きてるやつもいんだよ。

 九垓はこうも言っていた。

(それが、この人の生きてきた世界……)

 九垓の死生観は自分のものとはまるで異なる。死者は弔われて然るべきであるし、故人を知るならばともに悲しみを分かち合うはずだ。そして、旅立った者の来世に幸多からんことを祈るのである。

 現世はそのための修行の場なのだ。イネッサは両親からそう教わり、そう信じて生きてきた。ゆえにますますイネッサは、この男がわからなくなった。

「アンタがいた頃に頭張ってた連中はだいたいね。だから、いまはアタシが仕切ってる」

 ビリエラは九垓に振り向いた。

「へえ。そりゃ話が早え」

 これは僥倖。九垓は顔を綻ばせた。

 が、それも束の間、

「そうでもないよ」

 ビリエラは薄い笑みを交えて冷たく言った。

「いまアタシら、ちょっと立て込んでてね。それに、元同志っていったって、お前は金を積まれりゃ誰にでもつく傭兵だ。違う?」

 そう続けて訝しげな視線を送るビリエラを、九垓は鼻で笑った。

「連合のってか?」

 つまり、艦の不時着は偽装である、と。仮にそうだとして、いったい連合はなにを求めるというのか。

「馬鹿言うなよ。あんなの狙ってできるもんじゃねえって、お前ら見てて思わなかったのか?」

 九垓は不時着した場所が旧南スーダンの北部であると知ってすぐ、彼ら<ブードゥーの風>の監視下にあると踏んでいた。この地は実質的に彼らの勢力圏であり、これよりさらに南で陣を構える連合軍との戦いの、その橋頭保たる土地である。砂漠に隠れ、あちこちに基地を保有しているのだ。上空から旋回しつつ落下する輸送艦を察知できぬ道理はない。さすれば艦の状態も見えたはずだ。

 しかしビリエラは、

「さあね。そういう手もアリかなってさ」

 と、あくまで九垓らが工作員である可能性を排除しない。

 もちろん九垓とて、そう簡単に事が運ぶとは考えていなかったが、それにしては妙な疑りようである。

(こりゃ、なんかあんな)

 その心中に怪訝な色を抱いた矢先、

「我らは日本から来たのだ」

 背後からそう告げた翳祇鍾馗に、一同の視線が注がれた。当然ながら神楽夜は驚きを隠せない。神楽夜に日本から来たという事実を伏せるように指示したのはほかでもない、この老師である。

 それだけ鍾馗の心には焦りがあった。麟寺に聞かされた繭覚醒の期限が迫るなか、こんなところで足踏みすることは許されない。いまは一秒たりとも無駄にすることはできないのだ。

「日本? なるほど、ワケあり、ねえ」

 ビリエラはその顔に眉唾の構えを見せ、どう真実を見抜いてやろうかと目を光らせた。

「左様。我らはなんとしても国を守らねばならぬ。この心、そなたたちならば理解できよう」

 鍾馗はまっすぐにビリエラを見据えた。その揺るがぬ眼には、かつてレジスタンスを先導した者らと同じ熱い焔が猛っている。ややもすると信じかけたビリエラであったが、やはり疑心は捨てなかった。

 これでは埒が明かない。

「お前らを始末しに来たんなら、こんなまだるっこしいことしねえよ」

 九垓は一切の情など宿さぬ冷酷無比そのものといった声色で、低く言った。

 そのとおり、この男ならばひとりで壊滅させかねない。もし密偵であったとしても、連合がこの男を雇った時点で、わざわざこの地に送り込んでまでレジスタンスの潜伏先を調べる必要はない。彼はその所在を知っているからだ。であれば、いまごろこの場は、連合のグスタフに囲まれているはずである。

(それに、アタシらを生かしておく理由もない、か)

 ビリエラはさきほどのわずかな戦闘で、九垓はもちろん、この日本から来たという老人の実力もいやというほど思い知っている。殺そうと思えばあの場で殺せたはずだ。

 無慈悲な目を向けてくる九垓から一度視線を脇に逸らしたビリエラは、嘆息をひとつ吐く。そして、渋々といった困り顔を九垓に戻した。

「それで、欲しいのは装甲の切れっぱし?」

 これに九垓は血に飢えた猟犬のごとき面様を一転、したり顔へと変貌させた。

「ああ。こっちは好きなだけ水を提供する。どうだ?」

「好きなだけ?」

 ビリエラは一瞬だけ意外そうに目を丸くした。

 砂漠において水がいかに貴重であるかは語るまでもない。ゴビ砂漠を横断していたころのマシューがいい例だろう。世界中のレジスタンス組織のなかでも、<ブードゥーの風>が擁する構成員の数は多いほうだ。ならば、交渉材料としては上等なはずである。

 ちなみに九垓は「好きなだけ」と豪語したが、それはイネッサに訊いてもいない単なる出まかせだ。イネッサに背を向けるビリエラは知り得ないが、九垓からは、思案顔でいるビリエラの肩越しにじっとりと睨むシスターの強面がしっかり見えている。

(別にいいじゃねえか……)

 その視線が侮蔑を含んでいるあたりが少々気がかりではあるが、顔には出すまい。九垓は平静を装い、決めあぐねるビリエラの返事を待った。

 ビリエラは自分の丸い坊主頭を左手で何度も撫でまわす。考えをまとめる時の彼女の癖だ。

 それがある瞬間ぴたりと止まった。さて、いったい何ガロン(一ガロンは約四リットル)を要求されるか。

「いや、やっぱ駄目だね」

 ビリエラはあけすけに言った。

「は? おいおい」

 これ以上の条件があるのか、と九垓が一層訝しげに食い下がれば、

「お前が協力してくれるってんなら、いいよ」

 と、今度はビリエラが性悪なしたり顔を彼に向け、条件を突きつけてくる。

 九垓は片眉を吊り上げた。

「協力だあ?」

「言ったでしょ、立て込んでるって。――今夜、連合のやつらにひと泡吹かす。ジューバー(旧南スーダンの首都)にある基地を総出で潰すのさ」

 そう語るビリエラのギラついた目は血沸き肉躍らんと奮い立つ気概に溢れ、この女こそ、地球圏を統べる連合と文字どおり「戦争」を続ける組織の、その頭であると思い出させてくれる。

「なるほどな、どうりで……」

 神経を尖らせていたはずである。九垓は納得すると同時に、

「それに加われってことだな? なんでいまさら?」

 と訊いた。あれだけ疑ってかかっていたのに、急に手のひらを返したように内情を暴露したのが気になったのだ。

「いまバレたところで、アタシたちは止められないからだよ。――ホント、間が悪い」

 なにがおかしいのか、ビリエラは自虐的な笑みとともに言い捨てると、

「こんな大事な日に墜ちてくるなんてさ。運命としか思えないね」

 どこか物悲しげにそう続けた。

「運、命……」

 イネッサはビリエラの背を見つめ、繰り返す。

 実のところ、ビリエラ率いる<ブードゥーの風>は劣勢に立たされている。いくら善戦を重ねたとしても、相手は地球の覇者である。戦力差は明白だ。そのさなか、総力を挙げて状況の転換を狙う渾身の一手を前に、連合に苦渋を舐めさせた歴戦の雄が現れれば、それは確かに運命めいたものを感じずにはいられまい。

「つってもなあ。仕事の掛け持ちはしねえ主義なんだよなあ……」

 九垓はうしろ頭を掻いた。

 ――現場での判断は任せる。

(兄貴はそう言ってくれたが……)

 渋る九垓にビリエラは畳みかけた。

「今夜から明日の朝まででいい。そっちが必要なもんは夜のうちには準備できる。どう?」

 とうとう気圧され、九垓はうしろの鍾馗の顔色を窺った。だが、どうやら助け舟は出してもらえないらしい。

(しゃあねえ……)

 この際、背に腹は代えられぬ。

「……わあったよ」

 不承不承といった顔ではあったが、九垓は諾の意を示した。ビリエラは交渉が成ったことに表情を和らげる。

 ところが、

「それって――人殺しに手を貸すって、そういうこと?」

 ここに不服そうに眉をひそめる者がひとりいた。神楽夜である。

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