第十二話「はじまりの追憶」⑫
洞穴は横から見ると、茶色のワニが、大きく開けた口を砂の斜面から突き出したかのような形をしていた。
穴は見上げるほどの高さがある。幅はざっと七メートル以上と、膝をついたグスタフが一機程度、すっぽり収まりそうだ。なかは奥に行くにつれ緩やかに下がり、やがて行き止まりとなっていた。
洞穴周辺は、不揃いながらも平らに均された同質の岩が、まるで砂に浮かぶようにして敷き詰められている。それらの加工具合は人の手の介在を感じさせた。
九垓はホバーバイクを洞穴のなかに停車すると、すぐさま降りて車両の裏にまわり込んだ。
後部座席からタラップを伝って慎重に降りはじめたイネッサは、操縦席のうしろにあたるハッチを開けてなにやら物色する九垓の背中を不思議そうに眺める。
そのうちに九垓は、荷物のなかから、折り畳まれた黒いビニール・シートを一枚取り出した。そして車体のハッチをすべて閉じると、両腕を目いっぱい横に伸ばして広げたシートを車両の上から覆い被せた。
その間にホバーバイクを停車させた神楽夜が、
「なにしてんの?」
とコクピット・ハッチを解放しながら問えば、
「こいつ、防塵してっかわかんねえんだろ? ま、気休めだよ、気休め」
九垓は手近にあった岩の欠片をシートの四隅に置き、風で飛ばぬようにした。
動作確認こそしたが、この車両が砂漠向けの防塵処理を施しているかまでは定かではない。コンテナのなかをくまなく探しても車両に関する資料は見当たらず、どのような仕様かはわからず仕舞いなのだ。現状でわかることといえば、装甲の刻印からヴォルファング社製であるということだけである。
精密機器にとって砂塵は天敵だ。といっても、すでに三百キロほど走っているから、九垓の言うとおり気休めでしかないわけだが、それでも不具合を先延ばしにするくらいにはなるだろう。
さっそくひと仕事終えた九垓は続けて野営の支度に取りかかるべく、黒いシートを掻い潜り、またもホバーバイクの後部ハッチを漁り出した。その様子を目で追ったイネッサは、
「私も、手伝います」
折り畳まれたテントを担いで黒いシートのなかから出てきた九垓に言った。
しかし、
「あ? んな顔してるやつに任せられっかよ。その辺で休んどけ」
と九垓はぶっきらぼうに返すだけだ。一瞥をやってそれ以上取り合わず、ひとり慣れた手つきでテントの設営をはじめる彼に、イネッサは二の句が継げなくなった。
(そんなに……)
酷い顔をしていただろうか。イネッサはもう一基のテントを運び込む神楽夜らと入れ違いに、ひっそりと洞穴に背を向け歩き出した。
やがて、岩でできた足場の縁に達するとしゃがみ込み、口元を両手で覆うようにして自分の顔に触れる。そして、鼻先の冷たさを感じながらふと視線を上げた時、彼女は息を呑んで目を見開いた。
視界を埋め尽くす燦爛とした星々の、その輝きが集いし天の流れは、まるで白波立つ川のようである。すぐそばには、満月の縁がぼんやりと夜ににじんでいる。
これほどまで月と星を近く感じられるのは、
(なにも、ないから)
そう。周囲に人の営みが作り出す輝きがないからだ。
持ち上げた視線を下げれば、見渡す限り砂の大地が続く。随分遠くまで来てしまったものだ。そう嘆息を漏らすと、イネッサは、溜まりに溜まった黒いなにかが、脳から外へ発散される気がした。一挙に訪れた虚脱感は、同時に、ぼんやりとした眠気を連れて来た。
イネッサの途方もない感傷は背中によく表れていた。テントの設営を終えた神楽夜は、ひとりしゃがんで動かない彼女を呼ぼうとして、言葉を飲み込んだ。そして神楽夜もまた、イネッサと同じ夜空を見上げた。
この一週間余りはまさに激動の日々であった。黄金の繭と闘い、からくも死線を越えたと思いきや、今度は国の存亡を背負っての父親探し。幾度となく窮地に見舞われたが、それでも自分はここまで来た。ゆえに神楽夜はもう、あの時の選択に後悔はない。
――お前が求めるものは、そのさきにある。
数時間前、黄昏のクラドノに姿を見せたアレス・ヴァールハイトは、神楽夜に向けそう告げた。その言葉の指すところが、己の過去かどうかはわからない。しかし神楽夜はそれを除いても、いまは養父を追うことに意義を感じていた。
(その脚で越えていけ、か)
心中に唱えた神楽夜は、胸の奥が締めつけられる錯覚に陥った。それは、クラドノで奇天烈な演説をして見せたあのハウトマンという男の言だ。その言い振りには日本を侵略せんとする、穏やかならぬ思想がちらつく。だからこそ認めるわけにはいかない。にもかかわらず神楽夜は、あの男の言い分に少なからずの共感を禁じ得なかった。
それもそうだろう。求めるところを得るには、己の脚で行かねばならない。苦難は耐え忍ぶのではなく、考え、乗り越えねばならない。問い続けろという言葉からはじまった彼女の旅路の、いま見える答えのそのひとつを、神楽夜は、ハウトマンに代弁された気がしてならなかったのだ。
神楽夜は赤茶色の岩を踏みしめる己の脚を見つめるや、思いに暮れた瞳を流し目に、洞穴のテントへと踵を返した。




