表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
120/224

第十二話「はじまりの追憶」⑪

 ホバーバイクのエンジンが回り出すと、黒く刺々しい車体からはモーターの駆動音が断続的に響いた。巨大なドライヤーが稼働するかのような音である。その見てくれから、さぞけたたましい爆音だろうと誰もが身構えたが、二台並んでアイドリングしていても、格納庫内は思いのほか静かだった。

 九垓が操縦する一台は、車体後方に備えられたサイドカーのような後部座席にイネッサを乗せ、先導役を担う。それに続くもう一台は神楽夜が操縦し、同形状の後部座席には鍾馗が座した。

「明日には戻るが、十八時間経って戻らぬようであれば、サクヤ、わかっておるな?」

 そう念押しする鍾馗に、車体の傍らに立つ朔夜は不安げな眼差しとともに頷きを返した。万が一に備え、時間になれば朔夜がゼルクであとを追う手筈なのである。

 というのも、マシューが指摘したように、この艦にはUCSによる通信機能がない。かといってマシューの端末を起動させれば、すぐさま足がついてしまう。鍾馗の持つ端末と交信が難しい以上、誰かが連絡役を担うほかなかった。

 レジスタンスの根城は、九垓から聞いたおおよその位置を、朔夜自らゼルクに記録させてある。だが、使わないことを願うばかりだ。

「気をつけて、姉ちゃん。爺ちゃんも」

 寂しげに手を振る弟に姉は力強い頷きをひとつ返し、首を前に戻す。すると、後部座席の両脇に、うしろに向かってV字に伸びる尾翼のごとき黒い装甲が、前方に向かってゆっくりと滑り出しはじめた。

 装甲は神楽夜の左右を覆い、正面のカウルにそれぞれ接続し止まる。続けて、後部座席の上に向かって跳ね出されていた黒い剣先に似た装甲が、神楽夜の頭上に滑り落ちるようにして蓋をした。それと同時に、後部座席のうしろに垂れ下がっていた装甲が跳ね上がり、搭乗用にがら空きとなっていた後部座席の背部を閉じた。

 ホバーバイクとはいうものの、一見すればその姿は、いかつい形状をした戦闘機の機首にも思える。

 そのなかに前傾姿勢で乗り込む神楽夜は、ハンドルの感触をいま一度確かめるように握りなおした。

 続けて九垓とイネッサが乗る車両も同様に形を変えはじめる。

「クガイ。現場での判断は任せる。無理はするな」

 閉じられていく装甲の合間からそう呼びかけるマシューに、九垓は「おうよ」と一瞥を送った。次いで、手元の操作盤に指を走らせる。

「そんじゃ、行くぜ」

 通信の品質は上々のようだ。合図を待つ神楽夜のもとに届いた九垓の声は、ざらつきもなく、対面しているくらいに澄んでいる。

 神楽夜たちの返事を待つことなく、九垓は車両を緩やかに走り出させた。それに続かんと、すかさず神楽夜も発進する。

 そうして格納庫の人工的な光のなかから飛び出せば、そこは一転、月下の海底のようだった。

(近い)

 頭上を見やった神楽夜は、砂の大地を煌々(こうこう)と照らす月に侘しさを覚えた。

 彼女が座る操縦席内は、背後を除き、腰から上がすべて画面となっている。ふと視線を流せば、月光を浴び、どこか青いもの悲しさをまとった砂の稜線が、まるで肉眼で捉えるかのように過ぎ去っていく。ややもすれば風をも感じられそうである。

 いまや自分らは、夜の海底を行く魚影のようだ。

 画面越しの不確かさ。幾度となく味わったその実感の薄い体験が、神楽夜の胸に、そんな感想を抱かせた。

「ここは昔、湿地帯だったんだってさ」

 しばらく直進し続け、ヴェントゥスが見えなくなった頃、不意に九垓がそう言った。

「シッチタイって」

 日本から出たことのない、ましてや日頃から勉学に励む心がけもない神楽夜には、まったくもって馴染みのない言葉であった。

「ずっとじめじめしてるってこった。そういう陰気臭ぇのは好きじゃねえからな。これくらいでちょうどいいぜ」

 誰かに対する独白にも聞こえたが、もちろん九垓にその気はない。裏表のない性格ゆえに、己の好みを率直に述べただけだ。だが、父を埋葬して以来ずっと自省を続けるイネッサには、自分のことを言われている気がしてならなかった。しかし、それまでの彼女であれば食ってかかったのだろうが、いまはその金糸雀色(かなりあいろ)の瞳を気弱に伏せるのみである。

「詳しいな」

 鍾馗が訊いた。さきほどこの地を説明するのに「昔」のひと言で済ませた九垓だが、彼らがいる地域がかつて<スッド>と呼ばれる大湿原であったのは、いまよりはるか以前の話である。決してここ数十年の話ではない。

「まあな。二、三年前まで、ここが俺の仕事場だったんでね。その時組んだ連中から聞いたんだ」

 仕事場、と言う九垓の口調はあまりに軽く、けれど、追憶の情が陽炎のごとく揺れた。血生臭さを吹き飛ばす彼の軽快さは、ややもすると彼が傭兵であることを失念させる。が、その言葉には確かに、命が幻のように消える戦場の、その生き残りたる悲哀が含まれていた。

「お主、傭兵は長いのだろう?」

 続けて問うた鍾馗に、

(老師……?)

 と、神楽夜は心中に驚きを漏らした。他人と馴れ合おうとはしない鍾馗が、珍しく興味を示したからである。それは、鍾馗をよく知らぬ九垓にとっても意外に感じられた。

 どこから話したものか。言葉を探す一拍を置いて、

「ああ。ガキん頃からだ」

 と、九垓は己の身の上を語り出した。

「俺は、親に売られたガキのひとりだった」

 彼が行き着いたのは、ヴォルファング・グループの下請けで少年兵を育てる、ある企業だった。

 彼の周囲には、ボロ雑巾のような汚い服すら身に着けていない者もいれば、場違いなほど小綺麗な服に身を包んだ子供もいた。売られたか、あるいは、さらわれて来たか。いずれにせよ、ひとたび戦場に立てば等しく兵士である。生き残り、ひとりでも多く敵を殺す。それだけを求められる彼らは、否応なしに過酷極まりない訓練に放り込まれた。

 ところ変われば、親と手をつないで買い物に出かけていたやもしれない。まだそんな歳でしかない彼らの手に握られるのは、重さ約三キロのアサルトライフルだ。あらゆる意味で重過ぎる。ましてやそれを抱えて走るなど、泣き叫んで許しを請う者が出て来てもおかしくはない。

 だが、そうした者は容赦なく教官らのおもちゃにされた。もちろん、大事な商品となる「もの」であるから、命を奪うまではしない。が、筆舌に尽くしがたい暴力と情欲の渦に叩き落され、教育されるのが常であった。

 当時、名を持たぬ少年兵のひとりでしかなかった九垓は、三年余りの訓練を経て実戦に駆り出された。ちょうど、剛三郎くらいの歳の頃だ。

 その戦場こそ、ここ、旧南スーダン領の北方に広がる砂漠地帯だった。かつては湿地帯だったと聞いたのは、この時のことである。

 いまも連合とレジスタンスの小競り合いが続く同地であるが、当時の戦場は、現在とは比較にならぬほど混迷を極めていた。誰が敵で誰が味方なのかも定かでない。連合もレジスタンスも、それ以外の思惑で動く所属不明の勢力すらもいた。

 そんな、いつ死が訪れてもおかしくない極限のなかを、少年は小銃を抱いたまま、がむしゃらに駆け続けた。まるで陸に揚がった魚のような気持ちであった。

 走るだけで死んでしまう。止まっても死んでしまう。撃っても、隠れても、なにをしても、死んでしまう。

 狂っていた。狂って狂って、しかしそのなかで、他者に死を運ぶ技術だけは確実に冴えていった。

 彼には、才能があったのだろう。

 嗅覚とでもいうのか。それとも勘がいいだけか。彼が奪った命の数は、駆け出しの少年兵とは思えぬほど圧倒的だった。

 だが、彼に疑問はなかった。生き残るためなのだ。それが普通だった。それにもし、疑問を抱いてしまえば――次に息の根が止まるのは、自分だ。

 死ぬのだけは、受け入れがたかった。死の恐れよりも、ただ、彼は生きていたかった。それはおそらく、同じ戦場を駆けた誰もが思っていたことだろう。

 しかし、かつて衣服を身に着けていなかった者も、清潔な身なりをしていた者も、みな、例外なく死んでいった。

 その時、少年は心底思い知らされた。

 誰かの命は、自分の飯代よりも安いのだと。

 生きるためには食わねばならない。食うためには殺さねばならない。たった一発の銃弾でひとりを殺し、その成果として今日の糧を得る。それが少年の生きた世界における摂理であったのだ。 

「そんで結局、連合がここを取って、俺はお払い箱ってワケよ」

 九垓は気楽にそう結ぶが、実際には少し違う。連合がアフリカ大陸の国々を併合し、確かに九垓はその任を解かれはした。が、そこからまた別の任務へ繰り出されたのである。

 話を聞いていた神楽夜とイネッサは、どう反応していいものか掴めず沈黙する。そのなかで、

「――クガイよ」

 と、鍾馗が落ち着いた調子で言った。

「行く当てがないのなら、うちに来ぬか。その才、我がカゲルギならば存分に活かせよう」

 関心を持ったことだけでも驚きであるのに、あまつさえ自らの麾下(きか)に加える腹だったとは、神楽夜は吃驚を極めざるを得なかった。否や、繭の討伐に備えるならば当然か。九垓とはクラドノで手合わせしたきりだが、その実力は疑う余地もない。それにあの俊足。忍としての修練を積めば、鍾馗以上の傑物となるかもしれない。

 いまでこそ<カゲルギ>という名は「世を分けた影」とまで言われ、忌み嫌われている。それは百年前に勃発した月の利権をめぐる闘争で、彼らを含めた日本国が月の側についたためだ。それがなければ月はいまごろ、連合・レジデンス間による覇権争いの果てに、血塗られた歴史をたどっていたことだろう。そのような事態を回避した点で見れば、寝返ることを決めた彼ら、および、日本の判断はまさしく英断だったともいえる。

 諜報と暗殺に秀でた<カゲルギ>は、その名のとおり、影から日本の社会的立場を支えてきた。ゆえに鍾馗の誘いは、時が時ならば、恐悦至極の言葉をもって受け入れるに相応しいが、しかし。

 受けるか否か。神楽夜は期待を胸に聞き耳を立てた。ところが九垓の切り返しは、鍾馗の心積もりを見透かしたものだった。

「カゲルギ……ま、そんなこったろうと思ったけどな。けど、アンタの狙いはそこじゃねえだろ?」

 なんとも恐れ多い物言いに神楽夜は戦々恐々とした。翳祇流の筆頭相手に「アンタ」呼ばわりとは、よほど死に急いでいるとしか思えぬ所業である。九垓の弁から察するに、鍾馗が何者かは気づいているようだ。だのに、その言葉選び。いま鍾馗がどんな面持ちでいるか、神楽夜は想像するだけで背筋が凍る思いである。

 されど、鍾馗はただひと言、

「いかにも」

 と低く返すのみ。それはそれで恐ろしいが、その口調にはどこにも、激情めいた抑揚の波は感じられない。それどころか、

「繭が出たって話は本当だったんだな」

 という九垓の独白に、

「まったく、どこで漏れるかわからんな」

 と、鍾馗は鼻で笑う始末だ。

 繭が日本に現れたことは、<カゲルギ>の手によって、対外的には明らかにされていない。連合に先手を取られないためだ。

 というのは神楽夜が鍾馗から聞かされた建前で、実際は、極秘に研究を進めたいという白銀機関の希望に沿うためである。そこに彼らしかわからない利害の関係があることはいうまでもない。

 神楽夜はそんなことを露ほども知らないわけだが、それを抜きにしても、情報漏洩の失態が知れてなお一笑に付す鍾馗に、かすかな違和感を覚えずにはいられなかった。己の仕事に矜持を持って臨むような男にしては、やけに軽い反応と思えたのである。老師ならば情報の出どころを追及するなりして、アービターである彼はまだしも、関わった者を徹底的に消しそうなものだ。

 確かに鍾馗は、自らに使命を定義し、そのために殉じるような男である。もちろん、目的のためには手段を選ばない。だが、小娘が思うそんな低劣な方法を採るわけもなく、鍾馗は九垓を引き込む言葉を黙考した。

 そして、

「ならば話は早かろう。クガイよ。アービターとして青い繭の討滅に加わってくれぬか。褒美は弾むと、翳祇流筆頭、このショウキが約束する」

 さきほど聞いた九垓の話が、その誘い文句を言う決め手となった。

 ()九垓(くがい)は根っからの傭兵だ。そんな男にとって、もっとも馴染み深い人間関係の築き方が金銭の授受であるのは想像に難くない。

 それに、九垓がそういう人間であるのは、ブリッジの座席に仕掛けた盗聴器から、鍾馗はすでに知り得ている。九垓の雇い主が連合から追われたあのマシュー・ゲッツェンであること、ゆえに私兵を抱えるには経済面で不安が残ること、さらには、それについて言及した彼らの会話も筒抜けだ。だから鍾馗は、そう遠くなく見限るだろうと踏んでいた。

 だが。

「ま、考とくよ」

 と、九垓は態度を曖昧なものに留めた。そして車体を静かに減速させる。少し遅れて並走する位置にいた神楽夜は、それに倣って速度を落とした。その間にも鍾馗は食い下がろうと口を開けたが、読み違えた九垓の反応に、この場は退くことを選んだ。

「このあたりがいいんじゃねえか? 今日の寝床」

 大きく右へ旋回する九垓に続けば、視界の右下に見える直径一キロほどの砂の低地に、ぽつりと、赤茶けた岩で構成された洞穴が大きな口を開けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ