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第十二話「はじまりの追憶」⑩

 その頃、鍾馗はといえば、薄暗い格納庫の壁面に収められた<アームド・ゼルク>の足元で、機体に向き合ってあぐらをかき、手元に視線を落としていた。その視線のさきから立ち上がる淡く白い光が、薄い闇のなかに彼の厳めしい面をぼうっと浮かび上がらせる。

 格納庫内の明かりは、並んだ二台のホバーバイクにスポットライトのように落ちる、外部ハッチ周辺のものだけだ。そこから、大層な重量物を引きずるようなくぐもった音が盛大に反響していた。

「――なんだ、まだやってるのか」

 ノイズ交じりの声は鍾馗のものではない。鍾馗は、左手首に巻く腕時計型端末が空中に投影する映像から、半ば呆れ気味に目を逸らすと、

「いや、カグヤだ」

 そう静かに返した。

「がははは! あいつもなかなかどうして、励むではないか」

 肩から上だけが映った御剣(みつるぎ)麟寺(りんじ)は、例のごとく豪快な笑いを放った。端末が搭載するスピーカーが音割れしかねない声量である。しかし、長年のつき合いである鍾馗に抜かりはない。この大男の笑い声なんぞに貴重な備品を壊されては、さきの旅路を考えるととても笑えたものではない。あらかじめ音量は下げていた。

 鍾馗は逸らしていた炯眼(けいがん)を麟寺に戻すや、

「言うておくが、いびきだぞ?」 

 と、音の正体を暴露した。

「なに、いびきだと? がはは! こりゃまた大したもんだな!」

 小娘のいびきひとつで盛り上がり過ぎである。

「なにが大したものか。あんな無様に寝ころびよって」

 鍾馗は嫌みを垂らしながら再び首をうしろにねじ向けて、ホバーバイクの傍らで両手を枕に寝る神楽夜を睨み、眉をひそめる。

「こんなに堂々とかき散らす娘がいては、恥ずかしゅうて堪ったものではないわ」

「まあ、そう言うてやるな。疲れているんだろうさ。よくやっているほうだろう、あの子らにすれば」

 麟寺の親の情にも似た温和な物言いに、鍾馗は嘆息をひとつ漏らしたのち首を戻すと、

「確かによくはやっている。だが、まだトウヤを連れ帰ることは叶っておらん。……繭はどんな様子だ」

 と頭痛を堪えるように渋い面で訊いた。対する麟寺は和らいでいた表情から一転して口角を下げ、厳しい面持ちとなった。その顔つきから、返る答えが好ましくないことは、早々に察しがついた。

 案の定、

「芳しくない。先刻、オルテンシアが観測に来たが、十日持つか疑わしいと言っておった」

 麟寺の口から出たのは、当初の予測より早い破滅の期日であった。もともと神楽夜たちには三週間と言い伝えていたが、それでも万が一に備え余裕を見た日数であった。日本を出てまだ六日ほどしか経っていないというのに、繭は、まるで己の危機を察知したかのように再誕に向けての動きを早めている。

「……仮に、間に合わなければ」

 鍾馗が決意をもってそう口を開いた矢先、

「いま、あれを使うわけにはいかんぞ」

 と麟寺はやや素早い口調でそれを制した。顔には険しさが浮かんでいる。そして、

「甚だ不本意だが、いま月に見限られるわけにはいかん。そうなれば繭どころの話ではなくなる」

 憂悶なる表情にて小さくかぶりを振り、大男は目を伏せた。

 繭が覚醒すれば、今度こそ日本列島の大半は地図から消えるだろう。次第によっては日本海を挟んだ大陸にまでその余波が及ぶかもしれない。この状況に他国の介入を許さずいられるのは、よくも悪くも、以前から触れている月と日本の関係を連合が警戒しているからである。が、そのような事態となれば、連合は待ったなしで日本の残滓を制圧下に置くだろう。これは最悪の場合だ。

 それでは、灯弥の協力を得られなかった場合はどうか。その時の切り札こそが麟寺の言う「あれ」であるのだが、それは同時に、白銀機関の日本からの撤退を誘発してしまう、まさに諸刃の剣であった。

 月の庇護が解かれれば、自ずと連合による併呑の波が襲ってくる。月からの供与により技術では圧倒しているかもしれないが、それで物量差を覆すというのは夢物語もいいところだ。繭の脅威は去っても侵略の脅威が残るようでは、鍾馗らの目指す日本の形とはなり得ない。

 一番は威武(いぶ)灯弥(とうや)が戻り、願わくば、新たなアービターとともに青い繭を殲滅してくれるのが最良である。そうなれば、差し当たって白銀機関とのつながりは保たれ、連合の脅威からも守られる可能性が高くなる。灯弥を差し出す、という条件つきであるが。

「だが、やつが戻らぬようであれば、どのみち選択の余地はないぞ」

 鍾馗は斬って捨てるかのように言い放った。

 この男はすでに腹をくくっている。それは盟友たる麟寺でなくとも感じるところだ。死なばもろとも、毒を食らわば皿まで、そんな破滅的思想が翳祇鍾馗からはにじみ出ている。

「ショウキ。守るべきは民草だ。たとえ国が呑まれようとも、そこに生きる者が続くなら、それに越したことはない」

 こう言う麟寺は、無論、日本という国が残ることを望んでいるひとりだが、もし連合に取り込まれるような事態に陥ったとしても、それはそれ、時代の流れだと割り切っている節があった。その考えは国を先導する者としてどうか、と見る向きも当然あるだろうが、麟寺がもっとも重んじているのは、自身の口で語ったように国民である。

 しかし、この男は少し違った。

「つまり、なんだ。国がなくなろうが、無辜(むこ)の民さえ生きていればそれでいいと言うのか」

 闇に浮かぶ鍾馗の(まなこ)は、鋭利に光る刃のようだ。その冷たさは、人の情とは無関係に命を奪えることを物語っている。だが、たとえ生身でそれに面しても、気圧される麟寺ではない。

「そうだ。……なあ、ショウキ。俺たちはもういい歳だ。時代を背負ってきた分、意地というやつもあるよな。だがな――ならばこそ、あとに続く者らが笑って生きられるよう、尽くしたいとは思わんか」

 諭すふうではあるが、その口調には、同じ時代を生きた者同士だからこその温かみがあった。

 彼らのつき合いはもう四十年だ。ここまでくると、なにも言わずとも相手の心を汲める気がする。その点で、彼らに違いはない。ただ麟寺は、あえて言葉にすることを選んだ。鍾馗が繭の打倒と日本の存続に、どれだけの危機感と使命感を抱いているかはよく理解している。そのうえで、たとえ往年の友であっても――否やだからこそ、彼が取り得る選択を看過できるほど、この御剣麟寺という男は薄情にはなれない。

 それを、鍾馗は知っている。ゆえに、

「もう隠居の話か? その前にやらねばならぬことが山ほどあるだろうに」

 と鼻で笑うにとどめた。これ以上の問答は水掛け論となるのが彼らの常である。酒に酔った時などは特に酷い泥沼の論戦になったものだ。しかし今日の麟寺は、別に酒が入っているわけでもないのに、いやにしつこかった。

「それはそうだが」

 と食い下がった矢先である。あぐらをかいた鍾馗がむせ込むような咳とともに背中を丸め、苦悶に歪んだその顔を下げた。

「ショウキ!」

 麟寺が名を呼ぶのと同時に、

「爺ちゃん!?」

 と、格納庫を訪れたばかりの朔夜が、苦しむ鍾馗の背後から駆け寄った。剛三郎がそれに続く。

 その騒ぎに、神楽夜はひと際大きいいびきとともに目を覚ました。

 刹那、鍾馗は咳き込みながらも自ら通信を切った。連合が要としている<UCS>は、属する地域しか恩恵に(あずか)ることができない設備だ。ここにいる鍾馗が端末を所持していることはいくらでも言い訳が立てられようが、日本が秘密裏にUCSを利用できる環境にあることは、是が非でも隠さねばならなかった。

 己の迂闊さと止まらぬ咳に顔を歪め、鍾馗は端末に向けていた右手を自身の胸元へと移すと、黒い忍び装束の前襟を掻きむしるように握りしめた。

 朔夜は苦しげに垂れた鍾馗の顔を、

「爺ちゃん、大丈夫?」

 と覗き込みながら背をさする。その瞳が小さな驚きに揺れた時、そこへ、寝ぼけ眼の神楽夜が歩み寄った。

「なに、どうしたの」

 姉の問いかけにはたと顔を向ける朔夜であったが、答えを紡ぐまでの間が空いた。その間に、

「年波というやつだ。心配いらぬ」

 鍾馗は呼吸を落ち着かせながら(おもて)を上げると、普段の動きからは想像できない緩慢さで立ち上がった。いかな鍾馗といえど、老いは確実に訪れている。それを不安げな目で追い、呆然と見上げる朔夜の顔には、もうひとつ、怪訝な色が浮かんでいた。

「あの頃の淑やかさはどこに行ったのやらな」

 横目でなにやら残念そうに言ってくる老師に神楽夜は「へ?」と小首をかしげるが、鍾馗はそれ以上取り合わず、

「そろそろ行くぞ。あのふたりを呼んでこい、カグヤ」

 と、ホバーバイクに向かう背中で言い捨てた。

 神楽夜は「わかった」と短く応じ、踵を返す。

「あ、爺ちゃん」

 このままでは聞きそびれる。鍾馗を咄嗟に呼び止めた朔夜は、剛三郎から聞き及んだ話をつぶさに並べた。

 だが、

「それだけではな……」

 ひととおり聞き終えた鍾馗は腕を組んで小さく唸るのみである。これといった特徴がない以上、当然といえば当然だろう。

「お主、いつからそこにいた」

「いつから……」

 鍾馗に問われ、剛三郎は意志の強そうな太めの眉をよせると、できる限りの記憶をたどった。

「結構ずっと。よく覚えてない。でも、そこ出たのは去年だ」

 物心がついた時から、周囲には様々な歳の子供がいた。その時からすでにコンクリート造りの部屋のなかであったし、外の景色も見たことはなかった。いまがいつであるかは、その部屋の壁面に据えつけられた巨大なモニターに記されていたという。

 と、そこまで聞かされた鍾馗は、ならば、と沸いた疑問を口にした。

「どうして日本だとわかった」

 外を知らぬというなら、そこが日本であるという確証もまた得られぬはずである。ところが、

「城が見えたんだ」

 剛三郎の返答は意外にも素早かった。

「城?」

 隣で聞くだけであった朔夜は、初めて耳にした話に思わず訊き返した。

「うん。外に出された時、近くに城が見えたんだ。真っ白いのが。写真で見た日本の城にすげえ似てた。まわりの建物もそんな感じの多かったな。江戸時代っつーか」

「ほかには?」

 今度は鍾馗が訊いた。日本様式で白塗りの城とくれば、それなりに場所は絞り込めそうである。

「ほか……ほか……」

 剛三郎はぶつぶつと言いながら、懸命に記憶の土砂を掘り起こす。目を瞑って険しい顔で腕を組み、唸りに唸ったかと思いきや、次には左右のこめかみに両の人差し指を突き立てて、

「あッ!」

 と威勢よく開眼した。

「そういえば、なんか、太鼓とか笛の音してたな。エンなんとかーって男の声してからさ」

(祭りか?)

 鍾馗は思案顔になった。城が見える地域で祭りというのは珍しい話ではない。ただ、城下に古めかしい建築様式が目立ったとすると、はじめよりも場所は絞りやすくなる。それに男のかけ声。よもや、と鍾馗は顎をさすった。

「そんくらいだな。先生が最後かもしんねえから特別にっつって。でもすぐ車乗せられちゃったから、あとはわかんねえや」

「先生?」

 これも朔夜は初耳であった。次々と繰り出される新たな情報に、最初に相談を受けた朔夜としては「はじめから言ってくれ」と言いたい思いである。その困惑ぶりを顔ににじませて訊いた。

「うん。白衣着てたから――」

 と剛三郎は続きを述べようとしたが、格納庫内にこだましはじめた数人分の靴音に閉口するや、朔夜たちとそろって音のほうを見やった。

 神楽夜のうしろに九垓とイネッサのほか、ブレイズ夫妻とマシューが続いている。どうやら見送りに来たらしい。姿の見えないレジーナは、恐らくひとりの時間を選んだのだろう。

 朔夜は差し迫った出発の時にその唇を険しく結び、こちらへ来る姉の姿をじっと見つめた。

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