第十二話「はじまりの追憶」⑨
ヴェントゥスの船内は三層に分かれており、その中層には客室が並ぶが、なかでもとりわけ大きい部屋がひとつある。ブリッジの真下、シーカーが重要な賓客を乗せるために用意した一室だ。そのなかをぐるりと見回しながら、
「でけえ」
と、剛三郎はそんな単純な感想を述べた。
室内はブリッジの内装と異なり、明るすぎない白を基調としたダマスク柄の壁紙と、フローリング調のクッションフロアによる、清潔ながらも高級感ある仕上がりだ。
「十部屋あるけど、ここが一番大きいよ」
案内役を担う朔夜が、忙しなく首を動かす剛三郎の脇に立った。剛三郎はそれに見向きもせず壁に近づくや、
「確かに」
と壁紙を下から舐め上げるように見る。角度によって柄の味わいが変わるのが不思議でならないようだ。
剛三郎は壁にへばりついたその体勢のまま、
「なあ、この艦って日本に戻るんだよな?」
と突として訊いた。
「父さん次第だよ」
朔夜は見えぬ父の思惑に肩をすくめて見せる。ようやく見つけられたかと思いきや、またしても雲隠れ。そのうえ真意も定かでないとくれば、いつ何時繭の覚醒がはじまるとも知れぬのに、帰ることなど夢のまた夢。そんな事情を知ってか知らずか、
「……どんな感じ?」
と剛三郎は背中で問うた。
「わかんないよ。なにがしたいんだか」
当然の答えである。が、
「いや、父ちゃんってさ」
「え?」
剛三郎から返った思いもよらぬ言葉に、朔夜は困惑に眉をひそめた。
「オレさ、そういうの、ねえからさ。どうなのかなって」
振り返った小僧は、珍しく真面目腐った顔であった。少年らはクラドノではじめて互いの名を知ったが、朔夜は、その時に感じた溌溂とした印象とは違う翳りを剛三郎に見た。
朔夜は蒼海のごとき瞳を左に流して思案顔になる。
「父さんは……うーん、正直、よくわかんないよ」
「わかんないって」
親なのにか。剛三郎はそう続けようしたが、矢先に朔夜が、
「ほんとの親ってわけじゃないし」
とうつむき気味に口にして、出かかった言葉を飲み込んだ。
「そうなのか? でも、あんちゃんはお前らの親だって言ってたぞ。夕方のあいつのこと」
朔夜たち姉弟の目的が、夕方に姿を見せた<トウヤ・イヴ>を日本に連れ帰ることだとは、クラドノを発つ前にマシューから聞かされていた。その男が姉弟の父親であることもだ。
「まあ、そうだけど。育てのだよ。山で倒れてた姉ちゃんと僕を、拾ってくれたって」
朔夜にその当時の記憶はない。すべて麟寺から聞かされた話である。
続けて朔夜は、
「でも――」
と記憶を呼び起こす間を取り、
「父さん、結構口下手だからさあ。もしほんとの親だったとしても、そんな変わんないと思うけどね」
諦めを含んだ微笑でそう言った。
朔夜から見た威武灯弥は、はじめ、なにを考えているかよくわからない男だった。
人知れず山奥に住み、日がな一日、山の木々相手に鍛錬したかと思えば、ある日にはふらっとどこぞへ出かけ、そのまま数日帰らない。そしてようやく戻ってくれば、決まって潮の匂いをまとっている。そんなものだから、朔夜はよもや漁師かと勘繰って、それとなく麟寺に尋ねたこともあったくらいだ。
ひとつ屋根の下で暮らしながら、それだけ素性の知れぬ養父であったが、神楽夜に<鳳鱗拳>を教えはじめたあたりから印象は変わった。ふたりは稽古中によく言葉を交わすようになったし、それを遠巻きに眺めるだけで頑なに稽古を拒否する朔夜を、神楽夜がイジる場面も増えた。その時に灯弥が哀しくも優しい目をしていたのを、朔夜は秋空の下で見たことがあったが、それでも出奔するまでの五年間、彼ら家族の関係は悪くなかったと少年には思えてならない。
「だから余計わかんないんだよ。なんで帰ってきてくれないのか。別に、なんか不満があったってわけじゃないと思うんだけど……」
朔夜が嘆息交じりに言う傍らで、
「ふーん。結構めんどくせえのな」
と、剛三郎は黒い短髪の後頭部で両手を組んだ。その所作はいよいよアニキに近づいてきている。
朔夜は剛三郎の言いように「ホントだよね」と呆れた笑みを漏らす。すると、
「あとさ、もう一個、訊いていいか?」
剛三郎は上の空といった顔つきのままそう言った。
「ん、なに?」
「たぶんコンクリートだと思うんだけどさ。天井まで結構高くて、こう、でっかい箱みたいな建物、知んねえか?」
剛三郎は手ぶりを交え、彼が見てきたであろう空間を表現して見せるが、
「箱……?」
箱型の巨大な建物など、探せば星の数ほどある。首をかしげる朔夜に、
「窓はなくてさ、天井にたくさん白い電気があんだよ」
と剛三郎はさらに言葉を重ねるが、それだけでは決定打足り得ない。そも、住処たる山と京都の街しか知らぬこの少年に訊くのが間違っている。
難しい顔でしばし黙り込んだ朔夜は、やがて、なにやら思いついた様子で剛三郎を見た。
「……爺ちゃんなら、知ってるかも」
同船する翳祇鍾馗は国家の重鎮であり、同時に、裏社会の顔役でもある。朔夜が知るのは前者だけだが、尋ねる相手としてはこれ以上ない人選であるに違いない。




