第百二話 新しい光
レイモンドを見送ってから、ひと月ほどが過ぎた頃だった。
「最近、疲れやすくて」
江理は、診療所の片隅で、何気なくそう呟いた。
「体調、崩してるんじゃないですか」
アメリアが、心配そうに顔を覗き込む。
「うーん、そうかも。ちょっと診てもらおうかな」
特別、深く考えていたわけではなかった。
建国からずっと、忙しい日々が続いていた。疲れが溜まっていても、おかしくはない。
そのくらいの、軽い気持ちだった。
◇
「少し、横になってください」
マイミが、慣れた手つきで、江理の体を診ていく。
「お腹、張ってたりしない?」
「特には」
「食欲は」
「普通にある、と思う」
問診が進む中、マイミの手が、ふと止まった。
「江理ちゃん。マルコさんが作った、あの聴診器、ある?」
「うん、あるけど」
戸惑いながらも、聴診器を手渡す。
マイミが、慎重に、それを江理のお腹に当てる。
しばらく、無言の時間が流れた。
「……これ」
「どうかした?」
「ちょっと、代わって」
マイミが、聴診器を江理自身に渡した。
医者としての勘が、何かを察していた。
震える手で、聴診器を自分のお腹に当てた。
耳を澄ます。
一つの、小さな音。
そして、もう一つ。
わずかにずれたリズムで、確かに、二つの鼓動が響いていた。
「……二つ?」
声が、震えた。
「うん。私にも、そう聞こえた」
静かに、マイミが頷いた。
「双子、かもしれない」
その言葉に、江理は、しばらく、言葉を失っていた。
◇
確認のため、マーサも呼ばれた。
「聴診器で、二つの音、ね」
マーサは、腕を組んで、しばらく考え込んだ。
「この世界には、双子かどうかを確かめる術がない。あんたの世界の検査機器とやらがあれば、話は早いんだろうけど」
「ないものは、仕方ないです」
「ああ。だから、確実とは言い切れない。でも」
マーサは、江理の顔を見た。
「二つの音が聞こえたなら、まず、双子だと考えるのが自然だろうね」
「はい」
江理は、静かに頷いた。
医学的な確証はない。それでも、その音の存在は、確かに江理の耳に届いていた。
◇
診療所の窓から、光の粒が飛び込んできた。
ノアと、ピコだった。
『エリー、なんかへん!』
『ふたつ、ひかってる!』
妖精たちが、興奮したように、江理の周りを飛び回る。
「二つ、光ってるの?」
江理が尋ねると、二人は、同時に頷いた。
『うん! まえよりも、はっきり!』
その言葉に、江理とマイミは、顔を見合わせた。
「前に、新しい命に気づいた時も、妖精たちの方が先だったよね」
マイミが、そう言うと、江理は、小さく頷いた。
妖精たちの感覚は、時に、人の医学よりも早く、正確に真実を捉える。
その不思議な力に、江理は、改めて、感謝の念を抱いた。
◇
知らせを受けたオジーは、診療所に飛び込んでくるなり、江理の両肩を掴んだ。
「本当か」
「まだ、確実じゃないけど」
「双子……」
オジーの声には、驚きと、隠しきれない喜びが滲んでいた。
江理は、自分のお腹に、そっと手を当てた。
二つの、小さな命。
その事実が、じわじわと、実感を伴って胸に広がっていく。
同時に、頭の片隅を、別の思いがよぎった。
――あの子が、形を変えて、戻ってきたのかもしれない。
根拠のない、ただの感傷かもしれない。
それでも、そう感じずにはいられなかった。
医者として、そんな考えは非科学的だと分かっている。
それでも、今この瞬間だけは、その思いを、静かに抱きしめていたかった。
「江理」
オジーが、そっと手を重ねてきた。
「今度は、ちゃんと、二人で守ろう」
「うん」
江理は、静かに頷いた。
「前みたいに、無理はしない。ちゃんと、周りに頼る」
「それがいい」
オジーは、安堵したように、小さく笑った。
「一人で抱え込むのは、もうやめだ。俺も、マーサも、アイリスも、皆、味方なんだから」
その言葉に、江理は、これまでの日々を思い返した。
休むことに戸惑い、何もできない自分に苦しみ、それでも少しずつ、新しい居場所を見つけてきた道のり。
あの経験があったからこそ、今度は、もっと上手に、周りの力を借りられる気がした。
「オジー」
「何だ」
江理は、少し迷ってから、続けた。
「前に流産した時、何にもならなかったって、自分を責めたことがあったの。覚えてる?」
「覚えてる」
「あの時は、全部無駄だったんじゃないかって、本気で思ってた。でも、今は、少し違う気がする」
江理は、お腹に、そっと手を添えた。
「あの子がいたから、私は、何もできない自分と向き合えた。周りに頼る大切さも、学べた。それが、今、この子たちを迎える力になってる気がする」
「それは、お前の強さだ」
オジーが、静かに言った。
「あの子のおかげでもあるし、江理自身が、ちゃんと乗り越えてきたからだ」
その言葉に、江理の目に、温かいものが滲んだ。
「ありがとう」
「まだ、礼を言われるようなことは、何もしてない」
「これからの分の、先払い」
江理が、そう言って笑うと、オジーも、つられて笑った。
窓の外では、妖精たちが、嬉しそうに飛び回っていた。
『ふたご、おめでとう!』
『エリー、しあわせ!』
その賑やかな声に、江理の頬が緩む。
新しい光が、確かに、二つ、江理の中に灯っていた。




