第9話 初デートは波乱の予感
「それでね、日曜日はここに行きたいんだけど!」
昼休み。
蜜柑がスマートフォンの画面を俺に見せてきた。
そこに映っていたのは、駅前にある大型ショッピングモールだった。
「……ここ?」
「そう! 映画館もあるし、お店もいっぱいあるし!」
「普通に遊びに行くだけじゃないのか?」
「何言ってるの。デートだよ、デート!」
「偽装のな」
「はいはい、そうですねー」
蜜柑はわざとらしく頬を膨らませた。
「せっかく彼氏ができたんだから、一度くらいデートらしいことしたいじゃん」
「彼氏って言っても、俺は代役だぞ?」
「分かってるってば!」
蜜柑は俺の机を軽く叩いた。
「もう! 夜花くんって、いちいち夢がない!」
「夢ってなんだよ……」
「女の子とのデートには夢とロマンが必要なの!」
「そういうものなのか?」
「そういうものなの!」
……よく分からん。
けれど、蜜柑が楽しそうなのは伝わってきた。
「分かったよ。日曜日は空けておく」
「本当!?」
「ああ」
「やった!」
蜜柑は満面の笑みを浮かべた。
その顔を見ていると、断る理由なんてなかった。
もちろん、これは偽装交際の一環だ。
俺はそう自分に言い聞かせながら、蜜柑が見せてくる映画の候補を眺めた。
「それで、どれがいいと思う?」
「……恋愛映画ばっかりじゃないか」
「デートなんだから当然でしょ?」
「俺、あんまりそういうの見ないんだけど」
「じゃあ、ちょうどいいじゃん。私が教えてあげる!」
「何を?」
「恋愛の素晴らしさを!」
「……遠慮しておく」
「なんでよー!」
教室に俺たちの声が響く。
少し離れた席で、健人が呆れたように笑っていた。
「お前ら、もう普通に付き合ってるだろ」
「違うって!」
俺と蜜柑の声が重なった。
「……息ぴったりじゃねえか」
「「うるさい!」」
また重なった。
健人はとうとう吹き出した。
俺は頭を抱えた。
この偽装交際、本当に大丈夫なんだろうか。
*
日曜日。
「……何を着ていけばいいんだ?」
自室の前で、俺は手にした服を見つめていた。
普段なら、適当に選んで終わりだ。
けれど今回はデート。
しかも、相手は女の子。
一応、恋人役なのだから、あまり適当な格好をするわけにもいかない。
「……面倒だな」
「何が面倒なの?」
背後から声がした。
振り返ると、輝女が立っていた。
「うおっ!? いつからいたんだよ!」
「今来たところだけど。何してるの?」
「いや……服を選んでて」
「服?」
輝女は俺の手元を見た。
そして、何かを察したように笑う。
「もしかして、蜜柑ちゃんとデート?」
「……なんで知ってるんだよ」
「昨日、電話してたじゃん」
「聞いてたのか!?」
「聞こえただけ!」
輝女は悪びれもせず、俺の服を取り上げた。
「うーん……こっちの方がいいかな」
「おい」
「夜花は顔がいいんだから、服装をちゃんとすればもっと格好よくなるよ」
「顔がいいって……」
「自覚ないの?」
「ない」
「本当に?」
「本当に」
輝女は呆れたようにため息をついた。
「もう。せっかくのデートなんだから、少しくらい格好つけなよ」
「偽装なのに?」
「偽装でも!」
勢いよく言い切られた。
俺は苦笑する。
「……分かったよ」
「よし!」
輝女は満足そうに頷いた。
その後、なぜか服だけでなく髪型まで確認されることになった。
……出発する前から疲れた。
*
待ち合わせ場所に着くと、蜜柑はすでに来ていた。
「夜花くん!」
俺を見つけた蜜柑が、ぱっと笑顔になる。
「ごめん、待たせたか?」
「ううん。今来たところ!」
そう言って、蜜柑は俺の姿を上から下まで眺めた。
「……おお」
「何だよ」
「今日の夜花くん、格好いいね」
「……そうか?」
「うん! いつもよりちゃんとしてる!」
「いつもはちゃんとしてないみたいな言い方だな」
「そんなことないよ?」
蜜柑はくすくす笑った。
「でも、今日はちょっとドキッとしたかも」
「……?」
「なんでもない!」
蜜柑は顔を背けた。
その頬がほんの少し赤くなっていたことに、俺は気づかなかった。
「じゃあ、行こっか!」
「ああ」
蜜柑が手を差し出す。
「……何?」
「手!」
「いや、分かるけど」
「恋人同士なんだから、手を繋ぐの!」
「はいはい」
俺はその手を取った。
蜜柑の手は温かかった。
彼女は嬉しそうに笑うと、そのまま俺の隣を歩き始めた。
*
ショッピングモールに入るなり、蜜柑は目を輝かせた。
「わあ、どこから行こうかな!」
「映画が先じゃないのか?」
「その前に服を見たい!」
「……分かった」
連れていかれたのは、女性向けの衣料品店だった。
俺は入口で立ち止まる。
「……俺、ここにいていいのか?」
「何言ってるの。荷物持ち兼彼氏でしょ?」
「荷物持ちはともかく、彼氏は偽物だぞ」
「はいはい!」
蜜柑は俺の腕を引っ張った。
店内に入ると、彼女は次々と服を手に取っていく。
「ねえ、夜花くん。これとこれ、どっちがいい?」
「……どっちも似合うんじゃないか?」
「ちゃんと選んで!」
「ええ……」
俺は真剣に見比べた。
片方は淡い色のワンピース。
もう片方は落ち着いた色のブラウスだった。
「……こっちかな」
「ブラウス?」
「ああ。蜜柑にはそっちの方が似合いそうだ」
蜜柑が固まった。
「……どうした?」
「えっ、ううん!」
彼女は慌ててブラウスを抱きしめた。
「じゃ、じゃあ、これにする!」
「そうか」
「うん!」
蜜柑は顔を隠すように商品を持ち直した。
――ずるい。
そんな言葉が、彼女の胸の中に浮かんでいた。
普段は何も考えていないような顔をしているくせに。
こういう時だけ、妙に優しい。
これでは、偽物だと分かっていても期待してしまう。
「……蜜柑?」
「な、何?」
「顔、赤くないか?」
「赤くない!」
「そうか?」
「そうなの!」
蜜柑は俺の手を引いた。
「次! 次のお店行こう!」
「お、おい、引っ張るなって!」
彼女は振り返らずに歩いていった。
その耳まで赤くなっていることに、夜花は最後まで気づかなかった。
*
午後。
映画を見終えた俺たちは、フードコートで休憩していた。
「……思ったより面白かったな」
「でしょ?」
蜜柑は満足そうに頷いた。
「最後、主人公がちゃんと気持ちを伝えたところがよかったよね!」
「そうだな。言わなきゃ伝わらないこともある、って話だったし」
「……夜花くんは、好きな人ができたらちゃんと告白する?」
「そりゃ、するんじゃないか?」
「ふーん」
蜜柑はストローを指先で回した。
「じゃあ、好きな人がいるの?」
「今はいないな」
「……そっか」
彼女は少しだけ視線を落とした。
「蜜柑?」
「ん?」
「どうかしたか?」
「ううん。なんでもない!」
蜜柑は笑顔を作った。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか!」
「ああ」
二人で席を立つ。
出口へ向かう途中、蜜柑がぽつりと言った。
「……今日、楽しかったね」
「そうだな」
「また一緒に来てくれる?」
「予定が合えばな」
「……そっか」
蜜柑は繋いだ手に、ほんの少し力を込めた。
「じゃあ、また誘うね」
「ああ」
俺は何も疑わずに頷いた。
これは偽装交際。
そのはずなのに。
蜜柑の胸の中では、少しずつ別の感情が育ち始めていた。
そして夜花は、まだ知らない。
自分の何気ない一言が、彼女にとってどれほど大きな意味を持っているのかを。




